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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

タケトリ・オキナは誰 『月の立つ林で』青山美智子著

2023-06-13 08:40:53 | 

だいぶ前に読み終わっていて、ああいい小説だなと、ちょこっと下書きを書いた。
書いたはいいけれどそのまま放置。なかなかアップできないでいた。
そんなんだから当然忘れている。もうもう思い出すのが大変で。

 

『月の立つ林で』 いちばん最新で読んだ青山美智子さんの小説。
その前に読んだ作品が『赤と青とエスキース』
あれ?今までの青山さんの作品とはちょっと違う小説だなと感じて、少し読みにくかった
けれど最後の最後の結末が、やっぱり青山さんだとなって。

それに比べれば、『月の立つ林で』は安心安定の青山さん。
ごく普通に、誰しもが抱えるような悩みを持って、誰もが日々を送っている。
特別な人は出てこない、特別な事件は起こらない。でも生きにくい、やっぱりしんどい。
そんな人たちに送るツールが、ポッドキャスト。番組、タケトリ・オキナ『ツキない話』
そして、この番組が登場人物たちを緩やかに繋いでいく。

「ツキない話」ツキないをツキがないととるか、月が出ていないととるか。そこらあたり。

毎朝午前7時、10分間、月を偏愛する男性の番組、月についての豆知識や想いを語り続ける。
冒頭「竹林からお送りしております、タケトリ・オキナです。かぐや姫は元気かな」
の語り文句。

登場人物が何かのきっかけでこの番組を聞き始める。
それは偶然だったり誰かに勧められたりして。

*朔ヶ崎怜花 元看護師 就活中 弟がサクちゃん、朔ヶ崎祐樹
(この弟サクちゃんは何気にキーポイントになる人物で)

彼女はタケトリ・オキナを博識で、ちょっとユーモアがあって、表現豊かな男性と想像
する。オキナの声は朗らかで明瞭な、それでいてどこかしっとりと深みのある声を
している、と。

タケトリ・オキナは、番組で月の蘊蓄を。

「今日は新月です。どこにいるんだ新月。探せど探せど見つからないのが新月のニクイ
ところです。だけど、絶対にいるんだよな。この広い宇宙のどこかに、ひっそりと。
西洋占星術的には、新月は新しい時間のスタートのタイミングで、
初めてのことに触れたり、新しいことに渡来する絶好の日」

こんな語り掛けが、仕事をやめようかと逡巡している朔ヶ崎怜花の背中を押したりして。 

*本田重太郎は、お笑い芸人を目指していたが挫折して、今は宅急便の配達員。
彼はタケトリ・オキナの声を、
「いい声だな。優しくて静かで、どこかさみしくて、なのにあたたかくて、親しみやすくて」
と表現する。

声はその人となりを表すものね。ましてやポッドキャストは声だけで届けるわけだもの。

朔ヶ崎祐樹ことサクちゃんは相方。サクちゃんだけが売れて・・・
重太郎はそれが嫌さに宅急便の配達員となって。誠実な仕事ぶりにバイク整備士の
高羽さんが感心するの。

そのバイク整備士の*高羽(たかば)さんは高羽ガレージを経営。
ひとり娘が妊娠して結婚して家から離れた所で生活している。高羽さんは当然許せない。
お婿さんは、忙しい仕事の合間を縫ってわざわざ高羽さんを訪ねてくれるのにね。 
サクちゃんはここにも。
彼がポッドキャスト番組、タケトリ・オキナ『ツキない話』聞くように勧める。
それによって、ぎくしゃくしていた婿さんはじめ、家族とのつながりを考え直し取り戻す
きっかけになる。

タケトリ・オキナはこうつぶやく。

新月、
できれば毎晩、空に出ていてくれたらいいなあとも思うけど、でも、僕は、実は新月の
夜はちょっと気持ちが楽になったりもするんです。
最初から絶対見えないんだってわかっているなら期待もしなくてすむから

*逢坂那智 高校生18歳 母との二人暮らし 
アルバイトにウーバーイーツの配達員をしている。
スクーターを買うために 家を出るためにね。

神城迅君は同級生でクラスメイト。迅君のお父さんは劇団を主宰していて、突然迅くんに
頼まれてそのバイトを始める。那智さんは、
ジンくんの声はちょっとだけタケトリ・オキナに似ていると思っている。

*北島睦子 主婦の傍らアクセサリーを作り販売していて、そちらの方が売れ始めて忙しく
なり、家族をうっとおしく思い始め、家族との関係がぎくしゃくし始めるわけ。
そんなときポッドキャスト番組、タケトリ・オキナ『ツキない話』を聴いて。

僕たちがいつも月を見ているのと同じように、月にいたら地球を見ているんだろうなって」

彼の声は優しくて、話は面白かった。と。

旧暦では、新月が1ヶ月の始まりとされていました。月が始まる、月が立つ・・・そこから、
ついたちとなったそうです。新月を『月が立つ』と言う表現、すごく素敵だな、いいなあって、
僕は思います。

*リリカ 切り絵作家

と悩める人はここまで。リリカさんのところでタケトリ・オキナが誰か、かぐや姫とは。
実は誰に向かって元気かなと語り掛けていたのかが判明して、ああやはりそうなのかと。

タケトリ・オキナ様、あなたと夜ごとに見上げた月を、愛してくれてありがとう

いつもの青山さん作品と同じように、誰かが誰かとまあるく輪になってつながって
「関わっている」。それは「見えないつながり」であって、青山さんは「見えないけれど、
そこにいる存在」とはなんだろうと考えたときに「新月」だと言っている。

みんな幸せに、ほんのちょっぴり幸せになってくれればのいつもの青山さんの物語。
読み終わった後はしみじみとした温かい思いが残る。
それがちょっと物足りないといえば物足りない。のかもしれない。

下書きに置いている間に本屋大賞が発表されて、この小説は第5位に。

 

 

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結婚と家族と 『オリーブの実るころ』中島京子著

2023-02-20 09:04:32 | 

『小さいおうち』『長いお別れ』などの中島京子さん、好きな作家だから新刊本かなと
思うとすぐに借りてくる。
それでも、いちおうは発行年月日なんか確かめる、パラパラとめくって読んだかなと
思い返すのよ。『オリーブの実るころ』それでもやってしまった、2度目だ。
一話を読み始めて数ページ、うん、やっぱり読んでいる、あちゃあ、だ。
読んだことを思い出さないんだから、はじめてもおんなじだ、いいんだと読み続ける。

『オリーブの実るころ』

恋のライバルは、白鳥だった!?
結婚と家族と、真実の愛をめぐる劇的で、ちょっぴり不思議な6つの短編集。
(吉川英治文学賞 受賞第一作)

「家猫」
バツイチの息子が猫を飼い始めたらしい。でも、家に行っても一向にその猫は姿を
現す様子もなくーー。


「ローゼンブルクで恋をして」
父が終活のために向かった先は、小柄ながらも逞しい女性候補者が構える瀬戸内の
とある選挙事務所だった。


「ガリップ」
わたしたちは、どこまでわかり合えていたんだろう。男と女とコハクチョウとの、
三十年にわたる三角関係の顛末。


「オリーブの実るころ」
斜向かいに越してきた老人には、品のいい佇まいからは想像もできない、愛した人を
巡る壮絶な過去があった。


「川端康成が死んだ日」
母が失踪して四十四年。すでに当時の母の年齢を超えてしまった私に、母から最後の
願いが届く。


「春成と冴子とファンさん」
宙生とハツは、結婚報告のために離婚した宙生の両親を訪ねることになった。
二人は思い思いの生活をしていて。

ああいいなあとしみじみしたのが「春成と冴子とファンさん」いちばん好きかな。

ハツが妊娠したことで、宙生のお父さんの春成に結婚報告をしに会いに行くこと
になって。それもなんだかんだでハツさんがひとりでよ。

ひとりでの結婚の報告に「親父もそのほうが嬉しいとおもうな」
「知らない女と知り合うのも楽しいし、その彼女が自分の孫を生んでくれるんだよ。
シニアにとっては天使が降臨したくらいの話じゃないの?」
なんて宙生の奇妙な理屈、弁明。おとうさんもね、
「宙生といっしょに会うんじゃなんだこうか、本音で話せないだろうと思って」
ってなことを言うの。面白いわね。

宙生が「親」との関係と距離に関しては 「その分野は不得意」というだけあるわね。
でもでもそれだけじゃないけっこう温かな父との関係が。

じゃあ、宙生のおとうさんってどんな人かって。この方がユニークで私好きだあわ。
人工透析しながら船旅や国内放浪をしているのよ、宙生曰く

父の場合、週3回の1日24時間のうち、4時間は、透析、貴様につき合ってやる。
だけどあとの二十時間と週四日は俺さまのもんだって感じで。
ですって、なんたるお父さん。

「結婚されるの?」
「結婚なんて、ららーらー、ららら、らーらー」と歌い出したりして。
借金なんて、ららーらー、ららら、らーらー
透析なんて、ららーらー、ららら、らーらー
四音なら何でも使える、非常に使い勝手がよいって言われては、本家本元の吉田拓郎も
苦笑いだろうな。
ただし三文字だとだめです。
離婚なんて、ららーらーと歌っても腰砕け。浮気なんて、うん?

「ねえ、なんで、あなた。宙生のどこがいいと思ったの?」
「お腹に耳を当てて音を聞きたい、ここでやってみてもいいか」ってなことをサラッと。
「気を付けてね、道の内側を歩いてください。妊婦さんが車道側を歩いていると

ひやひやするんだ。車道側は宙生に歩かせなさい」
あああ、いいお父さんだ、素敵なお父さんだ。

ハツさんだってきっとそう思ったに違いない。お別れするとき、
赤ん坊が生まれたら、また来ます。その前に、ジミ婚するなら連絡します。
と挨拶しているんだから。

次はハツと宙生二人そろって、母冴子さんとパートナーのフアンさんに結婚報告。

冴子のパートナーフアンさん、女性よ。一緒に働き一緒に住んでいるの。
大歓迎した後、そのフアンさんもハツに尋ねる。
「アンタ、ソラオのどこが好きなの?」そして
「サイコの息子の子どもだもん。ソラオの子どもでしょう?それって、ワタシには
孫でしょう?アンタ、連れてきてよ、お願いだから。時々は顔見せてよ。しょっちゅう
来い、とは言わないからさ」
しょっちゅう来い、とは言わないからさ、だなんて素晴らしい気遣いの人だ。

冴子、宙生のお母さんね。フアンさんがよくしゃべるのと対照的に無口な人。

車を降りるときになって、勇気をふりしぼったようにして、耳元でハツに聞いた。
「ほんとに、宙生でいいんですか?」これで2度目の言葉。
「高校のときに家を出てしまって、それからずっと、私は心配で、ずっと心配で」
ハツさんはその言葉を聞いて思わず、冴子の手を取って、まだじぶんのあまり目立たない
おなかに当てたの。
「あ」と、冴子さんが目を泳がせて口を開けた。「また来ます」って。

春成と冴子とファンさん。
宙生のことをハツさんに尋ねる愛情あふれる言葉が、三人三様とはいえ奇しくも
同じだったりして。
読後がすごく温かい気持ちになってほのぼのして、なかなかだ。

 

 

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弥勒シリーズ最新作『乱鴉(らんあ)の空』あさのあつこ著

2023-02-12 09:07:06 | 

私が最初に読んだのは4作目の『東雲の途(しののめのみち)』
シリーズものとは知らずに手に取り読み始めたが、一気に読んでしまった。
それほど魅力的ですっかりはまってしまって。
図書館にある本を片っ端から読んでいって、ない本は文庫本で買って。
そんなわけだから順を追って読んだわけではない、が、1作目の「弥勒の月」は最初に
読んだ方がよかったなとは思った。
で、最新作『乱鴉(らんあ)の空』を書棚で目にした幸運には感謝よ。

あさのあつこさんの「弥勒シリーズ」
捕り物だから事件が解決するに至る過程にハラハラするドキドキする。
解決すればスキッとする。面白さにはずれはほぼないから安心して物語の世界に入って
いくことができる。けれど、このシリーズはそれだけではない。
登場人物がまた魅力的個性的で、同心とその手下の関係が際立っていて、それだけでも
読み応えがある。

北定町廻り同心木暮信次郎
岡っ引、伊佐治親分
小間物問屋遠野屋の主人、清之介その前身は複雑。

物語はこの三人を中心に回っている、ま、タッグを組んで解決に奔走しているといって
よいが、決して一筋縄ではいかない関係である。

信次郎と清之介の心理戦。相手の心の内を読むか読まれるか。
そこへ緩衝材両者を取り持つ格好の信次郎に仕える伊佐治。
いや伊佐治はほとんどは信次郎を毛嫌いし、清之介に魅かれている。なのに・・・

三人の中でいちばん人として真っ当な岡っ引きの伊佐治とは

尾上町の親分と呼ばれ先代の定町廻り同心・木暮右衛門(うえもん)から十手
を預かったベテランの岡っ引だ。右衛門を尊敬していた伊佐治は十数年前に右衛門が
亡くなってからも、あとを継いだ息子の木暮信次郎の手下として働き続けている。

では、伊佐治が仕えている同心の木暮信次郎とはどんな男なのか。

伊佐治のおかみさん、おふじはこう言う。
「あのお方が頼りになるかねえ」
「どうだかねえ、あっさり見捨てちまう気もするけど」
「だといいけど。あの方に人の心なんて望んでいいものか、迷うとこだよ」

遠野屋の女中頭おみつ、 
「あたしは、木暮さまが嫌いです。正直、お顔を見ただけでぞっとするほどですよ。
でも、親分さんは、尾上町の親分さんは好きです。とても、いい人だと思いますよ。
お話もおもしろいし、お人柄も信用できます。親分さんがいるから、木暮さまは
何とか人の枠内で生きていられるんですよ」

遠野屋の番頭信三は 
「嫌いなのではなく、怖いのです」

『乱鴉(らんあ)の空』弥勒シリーズ11作目 

元刺客の小間物問屋の主、遠野屋清之介と老練な岡っ引、伊佐治は、捕り方に追われ、
ある朝忽然と消えたニヒルな同心、木暮信次郎の謎を追う。いったいどこへ? 
いったい何が? 次々と見つかる火傷の痕をもつ死体の意味は? 江戸に蔓延る果てない
闇を追い、男と男の感情が静かに熱くうねり合う。

じゃ、いつも一緒に行動している肝心の伊佐治の心内はどうなのかと言うと。

信次郎が屋敷から姿を見せなくなり、伊佐治は番屋に引っ張られていく羽目になっても、
信次郎と事件の解決に向かう日々を思い起こして、こう言っている。

「岡っ引きを退いて、平穏な日々、憂いのない暮らしに潜り込むか。
やめられねえ。やめられねえ。もう少し、こうやって生きていてえ。」

そして、信次郎の隠れていた場所が分かり、当人を目の前にして言い募る。

「あっしがどれほど苦労して、旦那の岡っ引きを務めてきたと思いやす?
言いたかねえが、うちの旦那ほど付き合い難い者はおりやせんよ。薄情どころじゃねえ
人らしい情心なんて薬にしたくてもありゃあしねえんだ。そりゃあ、少しばかり、
お頭の回りは速いかもしれませんがね。取柄はそれだけじゃねえですか。」

「ともかく人柄はどうにもなりゃあしやせん。うちの屋根に止まっている鴉の方が
よっぽど善良でさあ。けど、同心としちゃあ、そこそこ働いちゃあいる。
旦那じゃなきゃあできねえ働きをしてなさる。そうわかっているから、辛抱しても、
付いて回ってんですよ」

伊佐治の怒りなど、そよかぜ程度にも感じていないのだろう。いつものことだ。
どれほど怒ろうと、悔しがろうと、突っかかろうと、信次郎には何程も応えはしない。
そう、いつものことで・・・・・。
不意に身体から力が抜け、前のめりに倒れそうになった。
いつものように、目の前に信次郎がいて、何を言っても涼しい顔で受け流してしまう。
やっと、いつもと同じになった。いつものようにが、戻ってきた。安堵に骨が溶け、
肉が溶け、肌が溶け、自分の全てがゆるゆると流れ出しそうな気がする。

そりゃあ信次郎の下で岡っ引きを「やめられねえ」となるわけだ。

その一方で、伊佐治はいつも尊敬し好ましく思っている清之介のことをこうも見ている。

伊佐治は唾を飲み込み、身を縮めた。
現の様相に怯んだのではない。横を向いた遠野屋の眼つきが刹那、研ぎ澄まされた
刃にも似て鋭く光ったからだ。見間違いではあるまい。薄闇に惑わされるような光では
なかった。
この男は稀にこういう眼つきをする。本当に稀だ。思いがけなく長い付き合いになったが、
伊佐治はまだ数えるほどしか知らない。知るたびに、身が縮む。
信次郎はいつも氷刀だ。その冷たさが、その切れ味が変わることはない。けれど、遠野屋は
常に穏やかで、温かく、柔らかい。この前のように、伊佐治の危地には必ず手を差し伸べて
くれる。下心も損得勘定もない。見返りも望まない。心底からの助けだ。他人を救い、
家族を守り、商いを育てる。刃などではなく地に根を張り枝葉を広げる大樹のようではないか。
ずるりと剥ける気がする。
大樹を思わせる男の姿がずるりと剥けて、青白い刃が現れる。今までと異なる形が現れる。
この眼に触れると、そんな心持ちを味わってしまう。

実は伊佐治のこんな遠野屋評はめずらしい。

それでは、信次郎の遠野屋評はどうかというと

難題な事件にいつも絡んでくる遠野屋を評して
「あやつは死神なのさ。どこにいても、何をしていても人の死を引き寄せる。不穏で、
歪んだ死を、な。死神でなきゃあ狼か。血の臭いを嗅いで集まってくる獣ってとこだろうな」

「おぬしには芝居などわかるまい。芝居も草紙も音曲もどれほど優れていようが、すり抜けて
いくだけさ」
「それらのおもしろさってのは、人の情に働きかけてくる。人ってのは情を揺さぶられる
から、おもしれえって感じるのさ。おぬしは揺れねえだろう。揺れたいとも望まない。ふふ、
いらねえよなあ、人らしい情なんて。おぬしにとって邪魔になりこそすれ役には立たない。
厄介なだけの代物、だろ?」

遠野屋清之介
「それは何とも。木暮さまにだけは言われたくございませんね」

「木暮さまとて、芝居や草紙に興が乗ることはありますまい」

なんともかんとも煮ても焼いても食えない、それでいて相通じているような似た者同士の
腹の探り合いで。こんな心理合戦がシリーズを通して繰り広げられているわけよ。
それにしても、信次郎をそれほど人でなしのように書かなくてもいいのに、と私は
あさのさんにちょっとだけ言いたくなるの。けっこう魅力的なんだから。

 

以下は私の備忘録として。

あさのあつこ『弥勒シリーズ』

1.弥勒の月

小間物問屋・遠野屋(とおのや)の若おかみ・おりんの水死体が発見された。同心・木暮信次郎(こぐれしんじろう)は、妻の検分に立ち会った遠野屋主人・清之助(せいのすけ)の眼差しに違和感を覚える。ただの飛び込み、と思われた事件だったが、清之助に関心を覚えた信次郎は岡っ引・伊佐治(いさじ)とともに、事件を追い始める……。
“闇”と“乾き”しか知らぬ男たちが、救済の先に見たものとは? 

2.夜叉桜

江戸の町で女が次々と殺された。北定町廻(きたじょうまちまわ)り同心の木暮信次郎(こぐれしんじろう)は、被害者が挿していた簪(かんざし)が小間物問屋主人・清之介の「遠野屋」で売られていたことを知る。因縁ある二人が再び交差したとき、事件の真相とともに女たちの哀しすぎる過去が浮かび上がった。生きることの辛さ、人間の怖ろしさと同時に、
人の深い愛を

3.木練柿(こねりがき)
胸を匕首(あいくち)で刺された骸(むくろ)が発見された。北定町廻(きたじょうまちまわ)り同心の木暮信次郎が袖から見つけた一枚の紙、そこには小間物問屋遠野屋の女中頭の名が。そして、事件は意外な展開に……(「楓葉の客」)。表題作をはじめ闇を纏う同心・信次郎と刀を捨てた商人・清之介が織りなす魂を揺する物語。

4.東雲の途(しののめのみち)

橋の下で見つかった男の屍体の中から瑠璃が見つかった。探索を始めた定町廻り同心の木暮信次郎は、小間物問屋の遠野屋清之介が何かを握っているとにらむ。そして、清之介は自らの過去と向き合うため、岡っ引きの伊佐治と遠き西の生国へ。そこで彼らを待っていたものは……。

5.冬天の昴

北町奉行所定町廻り同心、木暮信次郎の同僚で本勤並になったばかりの赤田哉次郎が女郎と心中した。その死に不審を抱いた信次郎は、独自に調べを始めた矢先、消息を絶つ。信次郎に仕える岡っ引の伊佐治は、思案に暮れた末、遠野屋清之介を訪ねる。次第に浮かび上がってきた事件の裏に潜む闇の「正体」とは――。

6.地に巣くう

北町奉行所定町廻り同心、木暮信次郎が腹を刺された。信次郎から手札を預かる岡っ引の伊佐治、信次郎と旧知の小間物問屋・遠野屋清之介に衝撃が走る。襲った男は遺体で大川に上がる。背後で糸を引く黒幕は何者なのか。深まる謎のなかで見えてきたのは、信次郎の父親・右衛門の衝撃の「過去」だった――。

7.花を呑む

「きやぁぁっ」老舗の油問屋で悲鳴が上がる。大店で知られる東海屋の主が変死した。内儀は、夫の口から牡丹の花弁が零れているのを見て失神し、女中と手代は幽霊を見たと証言した。北町奉行所の切れ者同心、木暮信次郎は探索を始めるが、事件はまたも“仇敵”遠野屋清之介に繋がっていく……。

8.雲の果(くものはたて)

小間物問屋〈遠野屋〉の元番頭が亡くなった。その死を悼む主の清之介は、火事で焼けた仕舞屋で見つかった若い女が殺されていたと報される。亡くなった女の元にあった帯と同じ作りの鶯色の帯が番頭の遺品から見つかり、事件は大きく展開する。北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎と“仇敵”清之介が掴んだ衝撃の真相とは――。

9.鬼を待つ

飲み屋で男二人が喧嘩をした。一人は大怪我、殴った男は遁走の果てに首を吊った。町方にすれば“些末な”事件のはずだった。しかし、怪我を負った男が惨殺されたことから事態は大きく展開し、小間物問屋〈遠野屋〉の主・清之介の周囲で闇が蠢く。北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎と岡っ引の伊佐治が
辿り着いた衝撃の真相とは――。

10.花下(かか)に舞う

口入屋の隠居と若女房が殺された。北定町廻り同心、木暮信次郎は、二人の驚愕の死に顔から、今は亡き母が洩らした「死の間際、何を見たのであろうか」という意味不明の呟きを思い出す。謎めいた事件と才知にたけた女性であったと知る母の過去。岡っ引の伊佐治、商いの途に生きようと覚悟する遠野屋清之介。得体の知れない危うさに呑み込まれていく男たち。

 

 

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想像の翼を思いっきり羽ばたかせて 原田マハ『風神雷神』

2023-01-21 08:56:29 | 

ほんとうに久しぶりに原田マハさんの小説を手に取った。
美術小説に飽きていたというのがある。
が、風神雷神上下2冊が書架に並んでいるのを見て、読んでみようかなと。

    

いやいや完全に原田さんの想像の世界で遊ばせてもらった。
頭の中は、そんなことありえないでしょと否定しつつ、でもそんなことがあったら面白いな
と自分も空想したりして、それらがごちゃごちゃぐるぐると回る。
半分否定、半分肯定を行ったり来たり。虚実ないまぜの世界。

京の扇屋の息子宗達がいくら絵がうまくて評判だったとしても、織田信長と謁見する機会を
得て、信長を前に即興で白い象の絵を描いてみせたりするなんて、ね、ありえない。
永徳が信長の命を受けて2作目の「洛中洛外図」を描き、しかも少年宗達を手伝わせるなんて
ありえない。完全に原田さんの想像の世界に付き合わされる。
じゃ想像の世界だからどうだってんだと言われれば、それが面白いの、引き込まれるの。

話は更に飛躍して。
「天正遣欧少年使節」メンバーは、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ、
派遣当時はわずか13~14歳。宗達も信長の命を受けて狩野永徳の『洛中洛外図屏風』を
ローマ法王に届けるため、ヴァチカンへの旅を彼らに同行することに。なんてすごい妄想。

なかでも原マルティノと気が合い、深い友情が育まれていくのよ。ここらあたりはちょっと
胸熱くなったりして。

     (webより)
原マルティノ             カラバッジョ

で、原田さんの想像は、ミラノにある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」食堂に
描かれてあるダ・ヴィンチ『最後の晩餐』の前で、宗達、原マルティノと後のカラバッジョ
が遭遇しひとときを過ごす、というところまで飛んで行って。

ここまで来ると、ありえないなんてことはどうでもよく、ほんとうに宗達とカラバッジョが
このように巡り合って絵師としてお互いに刺激し合っていたら、と想像を膨らませ
フィクションを楽しんだわ。

原田さんは言っている。

「歴史小説の面白さは、歴史上、周知されていることを踏まえて、解明されていないことを
小説家がドラマチックに物語ること。ただ正確に描くことではなく、あらゆる逸脱や矛盾を
乗り越えて、高揚感を味わえるのが小説の醍醐味でもあります。もう500年近くも前のこと
だし、誰にも本当のことはわからないぶん、私の想像の翼を思いっきり羽ばたかせて好きな
ように書いています。」

 (webより)

なお、宗達の人生や人物像などが何もわかっていないという。
俵屋宗達という名は、扇絵や屏風絵、金銀泥の下絵といった絵画を制作販売する「俵屋」を
営んでいたことからつけられたもので、絵師として知られるようになったのは、
芸術家・本阿弥光悦が自身の書の下絵を宗達に描かせたことがきっかけだといわれている。

 

 

 

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今村翔吾著『塞王の楯』『幸村を討て』『じんかん』

2023-01-15 09:07:15 | 

新庄藩火消頭"火喰鳥"松永源吾率いる"ぼろ鳶"と揶揄される寄せ集めの火消集団が活躍
する『羽州ぼろ鳶組』シリーズが面白くて、次々と読んでいくうちに他の今村翔吾作品
にも手を
出し始めて。
なにしろぐいぐい圧倒的に引っ張っていくストーリーが面白くて、分厚い本もするする読めるというもの。
1冊読み終わると「次はどの本にしようか」という楽しみが待っている。

時代小説は、江戸情緒に浸りたくて、人情をしみじみ味わいたくて、市井ものか捕り物しか
読まなかったのに。今村さんの創り出す物語が面白くて、すっかり戦国もの武将の活躍と
いう分野を読むようになったのは、我ながらいったいどうした風の吹き回しかと不思議。

どこまでが史実でどこの部分が作者の創造かはおいといて、私のように歴史を知らないものは、
純粋に物語としてとらえるので面白さは倍増する。

私の感想は3冊とも「面白い!わくわくする!」で括られるから、ネットから拝借した
あらすじを読んだ順番に紹介して。

まず読んだのが 『塞王の楯』第166回直木賞受賞。
やはり群を抜く面白さ。

幼い頃、落城によって家族を喪った石工の匡介(きょうすけ)。
彼は「絶対に破られない石垣」を作れば、世から戦を無くせると考えていた。
一方、戦で父を喪った鉄砲職人の彦九郎(げんくろう)は「どんな城も落とす砲」で人を殺し、
その恐怖を天下に知らしめれば、戦をする者はいなくなると考えていた。

秀吉が病死し、戦乱の気配が近づく中、匡介は京極高次に琵琶湖畔にある大津城の石垣の
改修を任される。

攻め手の石田三成は、彦九郎に鉄砲作りを依頼した。
乱世に終止符を打つという理想は共通しているものの、その方法が正反対の匡介と彦九郎は
大軍に囲まれ絶体絶命の大津城を舞台に、信念をかけた職人の対決が幕を開ける。
「最強の楯」×「至高の矛」
近江の国・大津城を舞台に、石垣職人“穴太衆”と鉄砲職人“国友衆”の宿命の対決を描く。

 

幸村を討て 受賞後の第一作

亡き昌幸とその次男幸村―何年にもわたる真田父子の企みを読めず、翻弄される諸将。
徳川家康、織田有楽斎、南条元忠、後藤又兵衛、伊達政宗、毛利勝永、ついには昌幸の長男
信之までもが、口々に叫んだ。「幸村を討て!」と...。
戦国最後の戦いを通じて描く、親子、兄弟、そして「家」をめぐる、切なくも手に汗握る物語。

歴史に疎くおまけに興味もないという体たらくだから、真田幸村親子のことなんか名前だけ
の知識。7人の武将各々がそれぞれの意図をもって「幸村を討て」と。面白かった。
こうなりゃ、池波正太郎さんの「真田太平記」を読むしかないかって。
だってね、今村さんはこうおっしゃる。
「僕は小学校五年の時に『真田太平記』(新潮文庫)を読んだのが池波先生との最初の出会い」と。
すごいもんだわね。

 

じんかん』第11回山田風太郎賞受賞

「人間」にんげんと読めば一個の人を指す。
「じんかん」とは人と人が織りなす間、つまりこの世という意味。それがタイトルに。

幼いころ瀕死の九兵衛を助けてくれた摂津国本山寺住職、宗慶との今生の別れの言葉。
九兵衛「宗慶様、もう暫く人間を堪能いたします」
   「お主らしいな。先に暇をもらうとする」
   「ゆるりと来い。達者でな」

各章の冒頭は織田信長が小姓頭のひとり狩野又九郎に語りかける、信長は、かつて久秀と
語り明かしたときに直接聞いたという壮絶な半生を語り出す。という形で物語は展開する。

信長が徳川家康に久秀を紹介する際に言った言葉。
「この老人は常人では一つとして為せないことを三つもしておる。主家(三好家)を乗っ取り、
将軍(足利義輝)を誅殺し、そして奈良の大仏を焼いた。まったく油断のならぬ人よ。」

仕えた主人を殺し、天下の将軍を暗殺し、東大寺の大仏殿を焼き尽くすーー。
民を想い、民を信じ、正義を貫こうとした」青年武将は、なぜ稀代の悪人となったか?

「主人公がどこの誰ともわからぬ九兵衛である前半が抜群に面白く、彼が松永久秀だと
わかってしまってからの後半は、豪腕の今村さんも少し史実に遠慮してしまったみたいで、
読み心地が変わりました。」宮部みゆき評

ごめんなさい宮部さん、恐れ多くもまったく同じ感想を持ったので引用させていただきました。
直木賞の候補作にはなったけれど、残念という結果は分かる気がする。

斎王の盾が受賞は当然だわ、なんて偉そうだけれど。

もうしばらく今村作品を追いかけるか、しばらくお休みするか。どうするか自分。

 

 

 

 

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カバーイラストも楽しんで『羽州ぼろ鳶組』シリーズ 今村翔吾著

2022-10-28 08:57:43 | 

かつて江戸随一の火消として、"火喰鳥"の名を馳せた男・松永源吾。しかし、ある一件の火事をきっかけに、定火消を辞し浪人として不遇をかこつ日々を送っていた。
そんな折、羽州新庄藩から召し抱えられ、藩の火消組織の再建を託される。少ない予算で立て直しを図ったため、鳶人足は寄せ集め、火消の衣装もぼろぼろ。江戸の民からは「ぼろ鳶」と揶揄されることに……。
元力士の壊し手、現役軽業師の纏番、風変わりな風読みとクセ者ばかりの面子を引き入れた源吾は、新庄藩火消として再び火事場に戻るのだった。

時代小説の新しい旗手・今村翔吾が描く、一度輝きを喪った者たちの再起と再生の物語

特に何が何でどうなったからというわけでもなく低空飛行の日々でつまらんなあと。
そんな日々の中で手に取ったシリーズ本がこちら『羽州ぼろ鳶組』。いや並行してあさの
あつこさんの『弥勒シリーズ』も読んでいたの、でもこちらはちょいめんどくさいから元気
な時に回して、文句なくわくわくするぼろ鳶シリーズを毎回1冊づつお持ち帰り。

文句なくわくわくする大きな一因はなんといっても文庫本カバーイラスト。
見ているだけでいろいろと楽しい。

カバーデザイン 蘆澤泰偉
カバーイラスト 北村さゆり

個性あふれる火消しの面々。彼らが1話1話の主人公で大活躍するわけ。
で、この回は誰が活躍する話かはカバーを見れば一目同然という仕掛け。
活躍する主人公はぼろ鳶たちだけではない、火消しにかかわる面々が描かれている。
特徴ありの躍動感あふれる身体が装束が描かれて好きだなあって。
後ろ姿だけというのがまたどんな面をしているのか想像力をかき立てられていいなあって。

第一話はシリーズを通しての主人公松永源吾」の活躍 ぼろ鳶組火消しの始まりはじまり


新庄藩火消・通称〝ぼろ鳶〟組頭・松永源吾

 半纏に八咫烏
二話「八咫烏」の異名を取り、江戸一番の火消加賀鳶を率いる大音勘九郎

 
三話 町火消最強と恐れられる「に組」頭〝九紋龍〟 
背中いっぱいに刻まれた九頭の龍の刺青が男の威勢のよさの表れ

 北村さゆりさんのイラストが

 蘆澤泰偉さんのデザインで仕上がり
四話 鬼 ときて 煙管となれば 長谷川平蔵の息子・銕三郎  

もうひとつ 

  北村さんイラスト

 蘆澤さんがカバーデザイン 
六話 瓦屋根の上に乗っているからぼろ鳶組纏番・彦弥

 未読

 
五話
「菩薩」と崇められる定火消・進藤内記 
馬を使える火消しは限られている 愛馬の名前はなんだったっけ

 
八話 
新庄の麒麟児と謳われた頭取並・鳥越新之助 
剣を振り上げているので新之助の話と 

 
九話 天門学者でもある風読みの加持星十郎
そう 赤い髪の毛で星十郎が中心となる話と推察

(イラスト全てネット拝借)

とシリーズ本もここまで読んできた、どの巻も面白い、が特に好きな火消しはいるの。
そりゃあ若くて記憶力抜群、剣の腕前も随一の鳥越新之助ね。

わくわくして文句はないのだけれど、ただ漢字が難しくて。やたら字画が多い漢字がページ
いっぱいに並んでいるの。池波正太郎さんの盗人の呼び名と同じように、火消しになんとか
のなんとかって呼び名がついているのだけれど、それがまた読みにくくて。すぐ忘れる。
今村さん、年寄りにも優しくもう少し普通の漢字を使って、お願いします、なんて。
シリーズはまだ続くようだから楽しみだわ。

 

 

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みんなお片付け 『ジジイの片付け』 沢野ひとし著

2022-09-09 08:48:03 | 

私、何でそう思ったのかさっぱり分からないけれど、作者は椎名誠さんだとばかり思って
借りたの。椎名さんの作品読んだことがない、手始めにこれからかなと思って。
なんの、沢野ひとしさんだった、イラスト見ればわかりそうなものだ。
あちゃあ。まいいや読んでやっか、とえらそうに。

内容を抜き書き、勝手に省略多々

「若い頃は、部屋をモノで溢れさせるのが喜びだった」って。そうそうそうだった。
やがて自分の齢を意識すると、モノに囲まれた生活が疎ましく。「もっと自由になりたい」
とモノに縛られない暮らしに方向転換する
って。そうだと言いたいが、まだそこまでの心境にはいたってないかな。

こうと決めたら不要なものは排除し、身の周りを小綺麗にするという決断力と行動力こそ、
ジジイの十八番(おはこ)である。ふーーん、そうなのか。

ジジイは古い革靴を捨てたい、大事にしていたカメラももう捨てたい。十年前の携帯電話も
・・・捨てたい。
モノを手放したことでいっとき寂しくなっても、ジジイの体と心は喜んでいるはずだ。
朝日が眩しいように、いちばん大切なものが燦燦と見えてくるからだ。

モノの片づけは、心の片づけでもある。
さっぱりと片づけて、もう一度夢多きあの頃に戻ってみよう。
「ジジイの片づけ」は本人も周りの人も幸せにする。
そう思うけれど、ちと大げさじゃないの。そんなに構えなくてもいんじゃないの。

って、まえがき読んだだけでなんとなく全部が分かったような気がして。
不遜にも沢野さんの片づけ術やお考えにひとつひとつ突っ込みを入れてみたわけ。
もちろんただの指南本ではない、そして前半と後半ではけっこう違うテイスト。

朝の10分間片づけ 「元の場所に戻す」ことに集中することが鉄則。
前日の散らばったものを元に戻すってことね。その時ゴミになるものを捨てる。
まずは出したものを元に戻す、からって。
そうだ、父もよく言っていた「定物定所」
迅速に取り掛かれって。ジジイに許された時間はわずか10分、
ジジイじゃなくたって、時間制限を設けることは大事よ、その通りだわ。
「必要なもの」と「必要でないもの」を情け容赦なく分けていこう。

洋服タンスの定期点検

とにかく洋服タンスは小さくてよい。身長は越えてならない。
点検の実行日は、乾燥した晴れの日が好ましい。雨の深夜は悲哀や絶望感を生み、時には体調を崩す。
後は片づけ本の定番に従って前へ前へと進むわけ。
かくして、タンスは人生の鏡である。
全ての服は四季に合わせて四枚が限界と思えば、服の氾濫や土砂崩れは起きないはずだ。
服は平常心という気持ちを持って生活していけば、自ら答えが出てくるものである。

片づけも、一汁一菜。
土井善晴さんの料理本から学んだ「一汁一菜」でよいという提案がヒント。片づけの原点も同じ。一つのタンス、一つの机、一つの部屋、一つの納戸が片づいていれば、まずそれでよしとしたい。
って、そうかと思えば気が楽になるけれど、できそうで、これも案外に難しいのよね。

なんていうか、いちいちが講釈があって「そうかあ」とついつい冷やかしたくなるの。大先生に向かって。こうやって沢野さんの教えを抽出していくときりがないので、さっさと後半に移る。
後半は、友人知人の片づけ名人の部屋を見て、その生き方に触れての沢野さんの感想やお考え。どんな人たちかというと、目次から。
ギター職人・ロサンゼルスの若造の家・家は生きている作品・種差海岸の別荘・山登りは片づけ・パリジェンヌはバスタオルを持たない・死んだ後の片づけ、等々。

 

沢野さんの奥様はモノを捨てられない。
奥様、ご自分のもののほかに、家を出ていったお子様の荷物や段ボールも抱えもって際限
なく増やしていってるんですって。
沢野さんが「捨てればいいのに」と冷たく言っても、牡蠣の殻のように身を固くして沈黙してしまう。挙句の果てに年と共に頑固になっていくのか、沢野さんが片づけ捨てようとすると、目が血走り、鬼のような表情をして、大声あげて、「もううるさいのよ」と部屋に閉じこもってしまうそうな。
「七十歳を過ぎたので、ここは思い切って処分しよう」と言っても耳を両手でふさぎ、逃げてしまう、って。そんな奥様。
家族が物を捨ててくれないことが切実な悩みだった沢野さんのその後。

私は歳をとるにしたがい、そろそろ考え方を変えることにした。それはちょっとした物から
思い出の品々までをため込み、処分しようとしない妻に今後いっさい「片づけ」を口にしないことである。そのことでずいぶん何年もあきるほど喧嘩もしてきた。
妻からは「もう、愛しているならさっさと死んでくれ」とも言われた。

そりゃあ笑いましたとも、なんていい奥さんだ、私も言ってみたい。
でもでも当然ですよ沢野さん、人の領域まで口を出したり手を出したりしてはいけないわ。

なんだかんだって勝手にひどい突っ込み入れているけれど、読み終わるとあら不思議、
お片づけ、やってやろうじゃないの、やんなくちゃって背中をおされる気分になるから、
沢野さんのユーモア溢れた奥深い指南は
すごい。
なみの片づけ本とは違う気がする、って他のは読んだことがないけれど。

そうだ、あとがきにも書かれているけれど、沢野さん、佐野洋子・谷川俊太郎さんご夫妻とも仲良しだったんだ。佐野さんのエッセイでも読んだことあった。佐野家のお掃除を引き受けて、ご自分の車に掃除道具一式を積み込み、2時間、ていねいにきれいにお掃除したんだった。もともとそういう人だったのね。そうか。

閑話休題
『ジジイの片づけ』本に前の方の貸し出し票が挟まったままになっていたの。
面白くて、ついついどんな本を読んでるのかと、検索までかけちゃったりして。
いけないよね、で、私決心したわ、絶対挟んだままにしないようにしようって。

ちなみに票にはこんな書名が。

『ジジイの片づけ』 『じじばばのるつぼ』 『猫も老人も、役立たずで、けっこう』
後3冊の署名は、いくら何でも書き記すわけにはいかない。

 

 

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ほんとのことかしら 『東京日記6 さよなら、ながいくん。』 川上弘美著

2022-08-26 09:17:57 | 

久しぶりです、川上さん。お久しぶりです『東京日記』
図書館で最新刊の東京日記6を見つけた時は、もう躊躇わずにすぐ。
並んでいた『三度目の恋』はすごく躊躇った後、いちおうお持ち帰りするか、と。

すぐに読み始めて読み終わり、楽しみなあとがきを。

あとがき
始めたばかりのころは「ほんとうのこと」が七割だった「東京日記」ですが、この六巻目に至り、
ほぼすべてが「ほんとうのこと」になりました。

もうこの時点で「ほんとか??ほんとにほんとのことか」と疑いの眼よ。
日記を読んでいるそばから、またまた川上さん、そんなことってないでしょ、とウフフだったり
にやにやしてたりしたんだからね。どこまで信用していいか分からない。虚々実々。

ほら、やっぱり。川上さん、ご自分も続けているじゃないの。

といっても、「ほんとうのこと」とは、いったい何だ、という面もあります。
虚実皮膜、というのではなく、わたしは「ほんとうのこと」として書いているのに、
なぜだか「ほんとうのこと」からはどんどん遠く離れていってしまう・・・というような。

「虚実皮膜」なんて初めての言葉だけれど、それはさておき、そのとおりです、
「ほんとうのこと」からはどんどん離れていってると思います、少なくとも私はそう思って
います。
でもでも。


「ステキ」排斥。この日の日記はほんとうだろうなと確信しています。
いやいやほんとうであってほしいと願っています。ほんと。

川上さん、大した事情ではないけれど、ともかくある日ポットとは袂をわかったのだそうな。
そしてお湯を沸かす時は片口の鍋を使うようになった。

四月某日 雨
鍋の湯でコーヒーをドリップすると、最初に豆を蒸らす時に注ぐ湯の量を調整するのが難しいし、
その後細い流れでゆっくりと湯を注ぐのもむずかしいので、毎回淹れ具合が異なってしまう。
その乱雑さが、とても心地よい。
「ていねいな暮らし」とか「ステキな暮らし」なんて、大嫌いなんだ!!!という、
自分の内心の声を毎回聞きとめながら、このところ毎日コーヒーを淹れている。


大嫌いなんだ、と!マークが3個も。そうだ「ていねいな暮らし」とか「ステキな暮らし」
なんてつまらん、ってなことはないけれど、川上さんが大嫌いだと言ってくれるとなぜか嬉しい。

ちなみに、カップラーメンは、家で酒を飲んだ時の〆に、小型のものを、数種類常備している。
これは果たして、「ていねい」「ステキ」の範疇に入るのだろうか。たぶん違うような気もするけれど、
数種類、というところが、ていねいさをかもしだしているような気も。

台所の棚に並べてある小型カップラーメンの、並び方を微妙にかえてみつつ、
「ていねい」及び
「ステキ」の排斥を、あらためて心に誓う。

ウフフ大げさよ。いやいや並び方を微妙に変えて見てもねえ、違うでしょ、とは思う。
それでも「ていねい」及び「ステキ」の排斥にはぜひぜひがんばっていただきたい。

「オーラの噴出」この日の日記は「ほんとか??」感、大。
1月某日 晴れ
友だちに電話し、「めったにみない名前」に遭遇したことを自慢。
十分以上もそのことについてぺらぺらとまくしたて、誇り、繰り返したのちに、ようやく黙ると、
友だち、しごく冷静に、

「それはよかったわねえ。わたしにとってはどうでもいいことだけど」
と優しい声でいう。
しゅんとして、
「申し訳ない」と謝ると、友だちさらに優しい声で、

「いいのよ、そういう好奇心は大切。がんばってるのねえ」
と。

はい、がんばってるんです、と小さな声で答え、じきに電話を切る。
そののち、過去に自分がしてきた、どうでもいい話を無数に思いだし、身もだえる。

ほんとか、ほんとにそんな友だちがいるのかと私は疑うの。もし仮にいたとしたら私だったら
連絡を絶つ。ん、上品な川上さんのひとりお芝居じゃないかしらとは私の妄想。

なんて、上から目線で勝手に推測しつつ川上さんの日常を楽しむわけ。
ともかくあっという間に読み終える『東京日記』でして。上等な日記です。

ちなみにタイトルの「ながいくん」は長いかさのことです。

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とにもかくにも『とにもかくにもごはん』小野寺史宜著

2022-08-23 08:10:20 | 

作者の小野寺史宜さん、恥ずかしながら何の情報もなくの作家さん。
初お目見えの作家さんだったから、作家で選んだのではない。
書棚に顔を向けて並べられていたから手に取っただけで、そんなに期待もしていなかった。
あまり好きじゃない分野の小説だったから、ね。パラパラと見て。

それがそれがぐっと一気に引き込まれてしまった次第で。小野寺さんの文体が平易でやさしくて自然体、
それがまた良くてあっという間に読了。

松井波子さん、素敵です。よくぞです、懐が深くてちょっと尊敬してしまいます。
40代にしてはちょっとできすぎているくらいで。一癖あるけれど嫌な人が登場しないのよ。
どの登場人物にも「そうだよね、そういうことだよね、そうなっちゃうよね」と共感するの。

『クロード子ども食堂』は(へんちくりんな店名だけれどそれなりの由来がある)

午後5時開店、午後8時閉店。
亡き夫との思い出をきっかけに松井波子が開いた「クロード子ども食堂」。
スタッフは、夫とうまくいかない近所の主婦や、就活のアピール目的の大学生。
お客さんは、デートに向かうお母さんに置いていかれる小学生や、
娘と絶縁し孤独に暮らすおじいさん。
みんないろいろあるけれど、あたたかいごはんを食べれば、きっと元気になれるはず。

目次

  • 午後四時 こんにちは 松井波子
  • 午後四時半 おつかれさま 木戸凪穂
  • 午後五時 いただきます 森下牧斗
  • 午後五時半 ごちそうさま 岡田千亜
  • 午後五十五分 お元気で 白岩鈴彦
  • 午後六時 さようなら 森下貴紗
  • 午後六時半 ごめんなさい 松井航大
  • 午後七時 ありがとう 石上久恵
  • 午後七時半 また明日 宮本良作 
  • 午後八時 初めまして 松井波子

あいさつ後の名前は、スタッフだったりお客さんだったり息子だったり。
それぞれの抱えている事情が実に優しい視線で淡々と描かれていて。

松井波子さん、四十代、夫の事故急死がきっかけになって子ども食堂を始める。
生前の夫との関係や始めるきっかけは波子さんが「こんにちは」の中で述べている。

わたしが子ども食堂をやろうと思ったのは今年の初め、思ったらすぐにやりたくなった。
実際、すぐに動いた。もう四十代、動けるうちに動かなきゃダメだな、とも思って。
発端は、やはり夫の死。

わたしたちはうまくいっていなかった。最低限必要な会話しかしなかった。
いただきますやごちそうさまだけは言った。

夫は会社帰りに駅前のコンビニで缶ビールを買い、自宅近くの児童公園で飲むようになった。
家で飲むとわたしがいやがるから。
夫が話す裏のアパートに住むエイシン君の話。菓子パン1つを食べる

「一度でもいいから、エイシン君にウチでメシを食わしてやりゃあよかったなあと思ってさ」
「そんなこっちの自己満足で、何の解決にもならないことはわかっている。
だとしても、マイナスにはならないよ」

奥深い言葉を残して夫は5日後に亡くなる。
このときが最後の会話になって、いつまでも波子さんの心に残る。
ご主人の死から立ち直った後の行動が素早かった、素晴らしかった、
目的に向かって一直線。
体当たりでぶつかって奮闘して生まれた「クロード子ども食堂」が舞台。

スタッフやお客さんとの会話の中に、波子さん像が多面的に浮かび上がってくる。

例えば、スタッフ石上久恵さんとの会話では。
「わたしね、子ども食堂を始める前に考えたんですよ。子どもにありがとうを言われたい。
みたいになるのはよそうって。笑顔は見たいけど、ありがとうまでは望むまいって」
「言われたらうれしいです。でも期待はしないです。言われたいって気持ちは、いつのまにか
言わせたいに変わっちゃいそうだから」

石上さんが夫への不満を話すと、
「ありがとうを言えば、ダンナさんの機嫌は悪くならないのですよね?で、
一応は、家事をしてくれるんですよね?少しぐらいは、たすかっていますよね?
だったらありがとうを言ってあげればいいんですよ。ありがとうはね、
言ったほうの負けじゃないですよ。言ったもん勝ちですよ」

こんな会話にも波子さんとの人となりが浮かび上がってくる。

子ども食堂にゴールなんてない。強いて言えば、ゴールを先へ先へと遠ざけて行くことがゴール。
すなわち、続けることそのものがゴール。

まだ始まったばかりの「クロード子ども食堂」これからも紆余曲折いろいろあるだろうけれど、
波子さんならひとつひとつしっかりと乗り越えていくだろうな。

読後は子ども食堂で出されるごはんのように温かでほかほかしてしみじみして。
ああ、気持ちの良い小説だな、と。
最後に待っていたのは思いもかけない波子さんへのプレゼント、ほんとに素敵だ。


この後続けて『ひと』『いえ』も読んだ。やっぱり『とにもかくにもごはん』かな。

小野寺史宜さんインタビュー

 

 

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お久しぶりです『たそがれてゆく子さん』伊藤比呂美著

2022-05-31 09:03:17 | 

伊藤比呂美さん、お久しぶりです。

しばらくお名前忘れていた、図書館でも全く手にしていなかった。あんなに愛読して共感していたのにね。
なんてこった。それが急に比呂美さんが呼んだのよ。「たそがれてゆく子さん」なんて名前つけちゃって。
どうしたどうしたって言いたいわ。それでもなにはともあれ勇んでお持ち帰り。

比呂美さん、何と60歳になったんですって。カリフォルニアから帰国して早稲田大学の教授に
なったんですって。よかったわ、故郷の熊本に帰ることができて。
で、かんじんのご本。三分の一くらいまではご主人のこと、死に向かっていくご主人のこと、
が書かれていて。そうかあ、自由に自分の思うままに突き進んで行動していると見える比呂美さんが、そんな気持ちになるのかと。
意外のようなそうでもないような。

ご主人は八十七歳。お二人でロンドン旅行した後、急に老い衰えた。
心臓が悪いご主人はERに入院した、十日間入院した。(以下抜粋)

それにしても、夫入院中の不思議な感覚は忘れられない。あたしは独りだった。
今までのどんな経験を思い出してみても、ここまで独りだったことはない。

娘さんからの電話に「ハメはずしてるよ」と言う。
いや、たいしたハメでもないんだが。犬を連れて日没を見に行って、日が沈んだ後も
暗くなるまで帰らなかった。荒れ地を、海辺をほっつき歩いた。・・・・その程度の
ハメのはずし方だ。
いつもこうしたかった。しなかったのは、夫の目があり、家族の生活があり、帰らなく
ちゃ、ごはん作らなくちゃと気が急いたからだ。

そうなの、帰らなくちゃと気が急くのは私の専売特許かと思っていたが、すぐそばにも
同じように思う人がいたんだ。それが思うがまま行動すると思っていた比呂美さんだったとは。

ご主人はなかなか退院しない。

料理なんかする気もなかった。卵ばっかり食べていた。
自由というより殺伐として、すっきりというよりはポッカリと虚無が口をあけていた。
これが友人たちの言っていた世界かと何度も考えた。
夫を亡くした友人たちが口々にあたしに言うのだ。夫が生きていたころはむかついたし
イライラしたしうっとうしかった。でも、死んでみたらそれどころじゃない、本当に
寂しい、誰もいないと。

ご主人が亡くなった。

夫のことは、死んじまえと何回何十回思ったかわからない。
でもほんとに死んじゃったら
、これがぽっかりと空虚なんだ。
空虚だろうと前々から想像していたけど、こういう空虚だと予想もしていなかったタイプの
空虚さだった。ああ、うまくいっていない古夫のいる女たち、みんなに言いたい。このたび
あたしは身をもって知ったのだ。
寂しい、ほんとに寂しい。
生きているうちにたいせつにしとけということではない。まったくそういうことではない。

今は自由だ、ほんとに自由だ。ケンカもない。口論もない。好きなときに食べて眠る。
好きな時間まで犬とほっつき歩く。
台所に立っているのはあたし一人だ。
窓辺に立って外を見ても、外を眺めているのはあたし一人だ。

こんなことが綴られていて。
なんだか調子がくるってしまって。勝手にイメージしていた伊藤比呂美さんらしくなくて。
あれえ、やっぱり伊藤比呂美じゃなくて「たそがれてゆく子」さんかと。
比呂美さんどうしたのかな。ご主人亡くして立ち上がれないのかな、って。

食べるっていうことが、この頃、ほんとうにつまらない。
ああ、食べるって、ただおなかを満たすだけじゃない。人との関わりだ。つながりだ。
仏教でいったら縁起なのだ。

眠れない。
1日中なんとなく、今日は眠れるか眠れないかと考えている。
夫がいなくなってからこのかた、あたしはいつでも寝られるし、いつでも起きられる。
快適に眠っていたはずなのに、眠れない。もう夫のせいじゃないから、どうしていいかわからない。

著作の後半になってようやく私の知っている(勝手に思っている)比呂美さんになった。
比呂美さん、元気になった。比呂美節が炸裂し始めた。

人生相談の回答
そう比呂美さん人生相談の回答者をやっている、もう20年以上も。

ぜったいに相談してきた人を非難しない。その人の姉か叔母のつもりで、そばに座って
話を聞いているように、その人に寄り添いながら回答を書く。
そうやって二十年生きてきたから、もう人生の達人だ。たぶんそうだ。そんな気がする。

基本その一 「あたしはあたし」
「あたしはあたし」ができれば「人は人」がわかる。
これがあたしの体得した人生のコツで至極まっとうで常識的な考え方だと思ってきた。
五十代後半をすぎるとホルモンが激変し、それとともに「あたしはあたし」が
身に沁みて
わかってくるようになる。ね、そうでしょう?

基本その二は「がさつぐうたらずぼら」
いい子いい人やいい娘を演じる演技がうまくなってがんじがらめになって息がつまる。
これを唱えて、いい子いい人いい母になりそうなときを乗り切る。

付け加えてズンバ。自分の意志とか意識とか、大したことないじゃん、
何もかも自分でコントロールしようとしなくてもよかったんだ、と。

今、比呂美さんはどんな活動をしているのかしら。
伊藤さんのこと、また忘れてまた何年かたって思い出すのかしら。

「たそがれてゆく子さん」
一癖もふた癖もあって、でも比呂美さんの言葉は詩人の言葉で、やっぱり伊藤比呂美さんの本は好きだ。
今『閉経記』をぽつぽつと読み返している。

 

 

 

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