まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

思い出 アンコールワット

2024-10-06 08:51:03 | 旅行

突然のアンコールワット。
いやいや今年の夏の暑かったこと、尋常でない暑さで参ってしまった。
その暑さから、もう日本は温帯じゃなくて亜熱帯だわ、あのシェムリアップとおんなじだ、
と、つくづく感じてしまったのよ。ほんと。

夫との海外旅行、夫がヨーロッパに興味持つわけがないから選んだ先がアンコールワット。
2005年9月の下旬に行ってる。19年も前だ、まだ両親がそれなりに二人で生活できていたときだ。
初めてのアジア、空港に下りた時からもう暑い、暑いなんてもんじゃない。
シェムリアップの街の空気、肌にまとわりつく湿気をたっぷり含んだ熱い空気が
何とも気持ち悪くて。突然のスコールに驚いたりして。東南アジアを感じたわ。
今年の夏の暑さはその時の空気によく似ているなと思い出したわけ。

そこでアンコールワット。今よりずっと貧しかった時代、だと思う。
日本への語学学校入学経験があるガイドの青年が上手な日本語できつく念押しした。
観光客に子どもたちが群がって「1ダラー、1ダラー」とねだるが、決して
与えないでほしい、その行為は彼らのためにならないから、と。確かに私たちは
付きまとわれた、が、ガイドの言葉を守った。その通りだと思ったからね。

で、遺跡を充分観光しての村へと続く帰り道、私たち夫婦はガイドの後ろを歩いていた。
と、ガイドの青年に数人の子供たちが何か話かけてついて行った。するとガイドの青年は、
紙幣を持った手をそっと背中に回し、後ろ手に子どもたちに渡したのである。
夫婦して顔を見合わせ、お互い何とも言えない気持ちになってしまった。
それは、あなたはそんなことしているじゃないの、という責める気持ちではない。
あまりに貧しい子どもたちへの青年の心遣い、というものが伝わった行動だったから
だと思う。
青年も子どもたちも何事もなかったように歩いて行った。19年も前の強烈な思い出。

そんな遠い昔だから、遺跡についてはもう思い出せない。
すみません、写真、ずらずらと並べるだけです。

 



象のテラス

タ・プローム

 アンコール・トム

 

シェムリアップの街

市場で

19年も前の風景だ。今はずっとずっと近代化されていることだろう。

 

 

 

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思い出 オランダ・ベルギー

2024-09-11 08:37:14 | 旅行

何を隠そう写真保存がないから、急きょの海外旅行思い出写真。
2005年5月31日から横浜年下友とふたりツアー参加よ、年上友は参加していない。
オランダ・ベルギーにしようってどうしてこの国に決めたかさっぱり思い出せない。
そればかりではない、ほぼほぼ大半がおぼろなの。
確かあそこに行ったよね、とかそんな程度。いつもの失敗談がないせいかしら、
それとも地味目なお国柄のせいかしら。

ふたりして「あれはすごかったよね」と唯一盛り上がるのが、ベルギー世界遺産グランプラス広場
でのランチムール貝。中型バケツいっぱいに入って出てきたのよ、何の飾りもなくムール貝だけ。
なにこれ!食べられない、なんてぶりっこしていたけど、なんのビールと一緒に平らげたわ。
いやー美味しかった、ムール貝がおいしいとはね、目からうろこ。
ついでに白ビールなるものを飲んだ記憶も、ビールもおいしかった。



そのグランプラス広場近くの チョコレート屋さん

 意外と小さかった小便小僧

おぼろげな記憶をたどって・・・

まずはアムステルダム

なんたって水上交通 運河めぐり

 

 

アムステルダム国立美術館 残念ながらフェルメール「牛乳を注ぐ女」は貸し出し中だった
レンブラント作『夜警』の迫力に驚いた記憶は濃厚  すごく大きかったのよ

この屋台はなんだと思います? 白いポリバケツの中は酢漬けのイワシ
一匹まるまる頭からするする食べる姿に仰天したわ

オランダ ハーグ ビネンホフ街区にある「騎士の館」
(すっかり忘れていてツアー検索して分かった次第)

隣接する「マウリッツハイス美術館」

 

美術館のフェルメール全作品撮影OKなのに コンデジのフラッシュを×にする操作が
分からなくて泣いた 「真珠の耳飾りの少女」の絵だって撮れなかった
今だったら全作品くまなく撮ったのに

アントワープ(?)の街中



コースに含まれていた
ノートルダム大聖堂でルーベンスの代表作『キリストの降架』などの三連画の祭壇画を
観ているはず ガイドさんの説明風景だけは思い出せるから ああ もったいない

最後に水の芸術の街 ブルージュ

 

 

 

オランダの風車風景とか我らが映り込んでいる写真があるにはあるが、いまならもっと
数多く撮っておけたのになあ、と若さ(50代でも)ゆえのあれこれで、惜しかったわ。


ちょっと追記。
あんちょこを消し忘れていました。大急ぎで消去。
13時の今になって気が付いた次第、ああ恥ずかしい。

 

 

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思い出 南イタリア・イスキア島ほか

2024-08-24 08:48:46 | 旅行

昨夜は久しぶりに涼しかった。生きかえるような気分。
心地よい風が入ってきて。おかげで朝はいつもの鼻声。さてと、で、今日1日。

ほら、写真がないからまたもや急場しのぎに思い出写真を。
何しろフランスの大スターアラン・ドロンが亡くなったからね。
「太陽がいっぱい」のロケ地を訪れているからね、って関係ないか。ま。

南イタリアの印象は、それまで訪れた中部のフィレンツェやローマ、北イタリアの
ミラノやヴェネツィアとははっきり違っていた。説明せよと言われても困るけど、
うーん違う。人も景色も違う、違うってことだけがはっきりして。
それってどこにでもいえることだから当たり前よね。ま。

少しずつ思い出して(何しろ行程が曖昧なのよ、ご勘弁のほどを)

もう少し洞窟のマテーラの街を。ほんと荒涼として独特だったわ。

アルベロベッロ、マテーラと移動してきて。ここからは順不同。

ナポリから船でカプリ島へ。登山電車。我らはバスで山の上の方にある街で散策お泊り。

翌日、いちばんで「青の洞窟」探検。何しろ混んで海上で順番待ちになるからって、ね。

ツアー客数名ずつボートに分乗よ

出てきたところ あの狭い穴を寝そべってくぐるわけ

しばし漂う 同じツアーのほかの方たちはカプリ島外回り観光にも行ったけど、私は酔うこと
必須だからヤマナカサンと帰りを待った。いやあ大正解。船酔いの人多数だったそうで。

ソレントに渡って。さあは次はどこへか、思い出せないから無視だ、その時々の写真でだ。

崖にびっしり建物が ポジターノの街

アマルフィ海岸の狭い海岸線をバスはビュンビュン走るのよ。イケメン運転手は慣れたもんで。
いやあ、恐ろしいのなんの。海に転落するんじゃないかという恐怖と戦っていたわ。

 

ようやく、イスキア島日帰り。
そもそもこの島がコースに入っているなんて面白い。もちろん予備知識なし。

ネットから地図をお借りして、自分も見直してあらあそうなのか、なんて体たらく。
どの街からイスキア島に渡ったのかしらね、思い出せないけど、ナポリだな。

イスキア島の船着き場 桟橋

露店が並んでいて

お店も レモン ニンニク・・・

崖の上のお城(アラゴネーゼ城?)へと

城の上から

ヨットを見れば いやでも「太陽がいっぱい」の衝撃のラストシーンが浮かぶわけ

おまけは 南イタリアの街そこここで見た植物

レモンは訪れたどの街にも

やせ地の隙間に色鮮やかな花。
日本にも咲いている同じ花よりずっと小ぶりで、引き締まって生き生きしていた。

 

コースは覚えていなくても、街々の記憶は濃く残っている。18年前よ。

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思い出 南イタリア

2024-08-18 08:30:35 | 旅行

お盆が終わってしまった。
わが家の仏壇らしき机にそれらしき設えをしたけれど、キューリの馬もナスの牛も
作らなかったし、ホオズキの提灯もなかったから、両親はどこへ行っていいのか
迷ったんじゃないかしら。あまりお盆という気がしなかった今年の夏。

退職後毎年、今年が最後今年が最後と言い続けて出かけていた年1回の海外旅行。
2006年5月の南イタリアの旅が本当に最後になってしまった。
この年の12月3日に母が脳出血で倒れてしまったから。母はそれから7年間、介護施設で
寝たきりのまま過ごし、最後は病院で息を引き取った。
父はその前、2011年の6月に脳梗塞でやはり意識を取り戻すことなく亡くなった。
二人とも90歳を超えてからの闘病生活だったから、それまで私は好きに過ごし、
両親にはずいぶん子ども孝行してもらったと感謝している。そんなことをつらつらと。

で、南イタリア旅行にはヤマナカサンにお願いして一緒してもらった。
ふたりの旅行は初めて、しかも海外。付き合いが長いとはいえ、お互い遠慮がある間柄
だったからどうなるかと思ったが、案外さっぱりと気を遣わず旅できたからよかったなと。
今でも会うと時々の思い出話。

懐かしのアリタリア航空から 素敵な男性でしょ

まずはとんがり 帽子屋根のアルベロベッロ

次に洞窟の街 マテーラ

両街とも異様といおうか独特な造りといおうか

カプリ島 青の洞窟

ソレントへ

課外活動の子どもたち どこも一緒なのね

アマルフィ 大聖堂

ナポリへと

ポンペイ遺跡

イスキア島 映画「太陽がいっぱい」のロケ地にもなったそう

 

旅程コースは記憶が薄れて順不同。
変化に富んだ楽しい旅だったなと。もちろんヤマナカサンとでは珍道中にはなりません。
次は、シチリア島にと願っていたけれど、ま、そういうこともある。

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その昔 横浜友とフランス ノルマンディー地方ルーアン・ほか

2024-07-26 08:31:23 | 旅行

昨夕はほんのお湿りが。
雷だけは派手に音立てたからこれはと期待したのに地面を濡らす程度。
新潟のサラチャンからはアパートの前だよ、とラインビデオが。出口の階段までの水よ。
山形では豪雨、ほんとうに極端すぎる。
いつぞやTVで、先年の秋田豪雨の検証結果が日本海沖の海面温度の上昇が原因と
の報告を見た。今回もそうなのかしら、どうなっているのかしら。

途中退職して、両親の介護が来るまでは遊ばせてもらうと決めて、年1回の海外旅行。
横浜友3人の都合がぴったり合って決めた先がフランス。自由行動があるツアーに乗って。
この時のツアコンさん、てきぱきしているけれどけっこう怖かったわ。
でもそのくらいでちょうどいいのね、きっと。

自由行動、シャルトルからの帰りにベルサイユで途中下車。

宮殿の内部を見たかどうか 記憶にございません

で、あとはツアーコース予定通り。
そうそう、録画したHNKBS「世界ふれあい街歩き」でノルマンディー地方の古都ルーアンを
見た。とても懐かしかったわ。ルーアン、印象に残る街だった。
ジャンヌダルクが処刑された街でもあるのね。 

コラージュ再掲。木組みの建物が残っている。

 

モネが連作を描いたルーアン大聖堂 もうほんとに写真がなってない 1枚しかない 悔しい

ルーアン名物 鴨肉のレストラン 壁に訪れた有名人のサイン入り写真

 大時計

娘を見守るパパの表情が・・・

 

オンフルールの漁港への路地 オンフルール これまた印象的な街で

右下の写真 女性はイワシを売っていました

そして モンサンミッシェル

 

名物オムレツのお店 看板

ホテルはこの場所の中
今でも忘れられないわ 眠れなくて洗面所に寝そべって本を読んでいたの
いつも眠れない・乗り物酔い・腹痛の3拍子抱えて それでいながら旅に出たがるんだからね

毎年のように「これが最後よ」と言っていた海外旅行は、ほんとに6年で終わった。
60の時母が倒れ、父との佐渡での生活が始まったわ。行っておいてよかった、ほんと。

 

 

 

 

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その昔 横浜友とフランス パリ・シャルトル

2024-07-25 09:02:44 | 旅行

パリオリンピックが開幕するのね。
セーヌ川も開会式会場になるんだ、そっか。

その昔、またもや昔2005年だ、横浜友3人でフランスに行ったんだ。
フランス、何も知らないのにあんまり気乗りせず、それでもやっぱフランスでしょって。
で、自由行動時間に予定してなかったセーヌ川下りをして。いやあ大感激よ。
いっぺんでパリっていいわ、となってすっかり心を持っていかれた。
うん、素敵な街だった。
そして自由行動市内見学は二つのどちらかを選択。
二人は任せると言うからけど、せめて「どちらか行きたい方を決めよ」と迫って。
オルセー美術館かルーブル美術館か。エッフェル塔か凱旋門か。
結果、オルセーと凱旋門。後の自由行動、二人の想いなんぞ無視して私の思うまま、いい友だ。

 オルセー美術館?だと思う

 シャンゼリゼ通り

 まだ工事中だった凱旋門

 てっぺんに上ってエッフェル塔を

なにしろこの当時は写真なんて興味がなかったから必要最小限で しかも適当 
ああ もったいなかったわ

 ノートルダム大聖堂

自由行動は続く サン=ルイ島かしらシテ島かしら そちらに渡って
何しろ19年も前のことだから正確なところはおぼろなの そこらへんはお許しくださいませ

 サントシャペル教会のステンドグラス

 

お巡りさん 馬に乗ってたわ

 

そしてもう1日の自由行動はシャルトルの大聖堂を見に行く という行程
当時夢中になっていた故須賀敦子さんのエッセイに書かれていて 是非にとふたりにお願いした

電車に乗って左側に尖塔が見えたらそこがシャルトル 無事下車

 

 

 

晴れていたらもっとステンドグラスが美しく見えただろうに と恨めしく思ったわ。
今思い出しても残念よ。
次にシャルトルからベルサイユへと。
ではまた。

 

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横浜友がまだ若かったとき イタリア旅行

2024-07-18 09:08:38 | 旅行

 昨夕 

Luccaルッカで呼び覚まされたイタリア旅行の思い出。

横浜友3人が50代後半、年下友は前半か。
うまい具合に3人が3人とも行かれる条件が揃って、ここがチャンスと初めての3人海外旅行へと
ツアーに乗った。場所は迷わずイタリア。そりゃあ楽しかったわ。
ルッカの冷や汗があったりしたけれど、あとは概ね順調にね、イタリアの思い出。
いやローマのホテルの夜、その日の清算をしているとき私がごねたことはあったわ。私だけ
多く出して損しているって。2対1、これでいいの!合ってるのとふたりに押し切られて。
3人はこういう時いいわね。それにしても自分でもなんでごねたのか謎。ケチじゃないはずなのに。

行程はすっかり忘れているから、写真のなすまま。

いきます、そのローマ

バチカンのスイス衛兵 衣裳が何ともステキで見惚れる

トレビの泉

フォロ・ロマーノ ここに咲いていたアカンサスに一目惚れしたわけ

 コロッセオ

 

カンポ・デ・フィオーリ広場の市 ナヴォーナ広場が近い

次にヴェネツィア

カナルグランデ(大運河)

船着き場

なんたって高いところがあれば上るから サン・マルコ広場の塔からの景色

丸いドームの建物はサンタマリアデッラサルーテ聖堂  中にも入った気がする

マッジョーレ島

ヴェローナ あんまり寄りたい場所じゃないね、なんて生意気言ったけれど素敵な街でした

ツアー客はいずこの国も同じ ガイドさんに連れられて並んで並んで

その我らのツアコンさん

 

ロミオとジュリエットの舞台になった街ね ジュリエットの家とバルコニー 

アッシジ すごく行きたかったところ

サン フランチェスコ聖堂 「小鳥に説教する聖フランチェスコ」などジョットの壁画が

 

と、ここまでUSBから画像を引っ張り出して選んで貼り付けたはいいが、肝心のフィレンツェの
写真がひとつもないのよ、いくら探しもないの。変、おかしい、どこに消えたのだろう。
もうしょうがないな、まあいいや頭の中には残っているからね。
で、ネットから拝借の1枚。

我ら3人してこの大聖堂のてっぺんに上ったの。大聖堂の中の狭い階段を息切らしながら
必死で上ったわけ。尻込みする年上友を叱咤激励して「ここまで来てドーモのてっぺんに
上らないでどうする!」と脅迫して。

写真にも白い狭いてっぺんに人々が見えますでよ、あの中の一員になったの。
狭い通路に恐怖を感じて1周して、今思い出しても足がすくんでぞがぞがするわ。

それにしても70代後半の今つくづく思うわけ。「行けるときが行くとき」
私の口癖だった「今年が最後」は母が倒れて本当になったもの。
あの時行っておいてよかったな。二人には感謝だ、よくぞ付き合ってくれたもんだ。

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Lucca(ルッカ)

2024-07-10 08:52:38 | 旅行

昨日は暑かったけれど、エアコンのお世話にならずに済んだ。
風があったからね、夜も網戸にして。やっぱり自然のままに寝られるって気持ちいい。
今日はどうだろう。

ライン返信の折に、横浜年下友から「ミュシャ」ヨーロッパで見たよね、って。
そうなのよ、私も確かに見た覚えがあり、ラミネート加工したしおりのお土産まで
記憶にあるの、探せば出てくると思うけど。でも曖昧だから書かないでいた。
が、二人して見た記憶があるというからにはやっぱり、だ。
そうなれば、二人でツアーに乗って行ったプラハしかない。プラハで見てたんだ、そっか。

どのくらい前からかは分からないけれど、坂道を下ったところに小さな店ができていた。
床屋さんのとなり。しげしげと見たわけではなくバス車内からのチラ見。毎日チラ見。
外観がとてもおしゃれ、でもおしゃれ過ぎない。狭い店内を見れば美容室だろうと分かる。
ところが美容室にありがちな、カットいくらとかの価格表がない。見事にいっさいない。
外観は「Lucca」の看板だけ。うーん、と唸った。自信あるのだろうね、きっと。

で、「Lucca」から思い出したね、50代後半横浜友とのイタリア旅行、三人の珍道中。
フィレンツェ滞在の折に1日自由行動の日があった。どうしようか。
あなたに任せると言われて張り切って。フィレンツェから行かれるシエナにしようかピサにしようか。
フィレンツェが内陸だからやっぱり明るい海洋都市ピサだな、なんて。
ここからは、以前にも書いたと思うけれど再度記憶をたどって。

私はその前に娘とピサに行っているから、欲張って城壁の街ルッカに立ち寄ってそれから
ピサだと計画する。
まずは切符を買わねばならない、フィレンツェの駅で窓口のオジサンに「ルッカ」と言って。
ルッカはフィレンツェから何個目の駅かしら、分からん。こうなったらと、指を使ってトントンと、
駅を指し示すポーズ。ワン、ツウ、スリ―・・・ルッカ?!と言って確かめる。ボディランゲージ。
いやあ無事に買うことができましたよ、ルッカまでの切符。ホーム確かめ電車に乗り込み、過ぎ行く
景色なんぞ見てたのかしら、今思えばよくぞそこがルッカ駅だと分かって下車したわね。
うん?でも私のことだから少しは予習して電車時刻調べたり計画立ててたよね、きっと、って。

 


それから街を見学、城門を通って広場に行き、グイニージの塔なんぞ上って。
なにもかも恐ろしいまでの無鉄砲な行動、やみくもに突き進んでいく。
もちろんスマホなどないから3人の知恵で、ってほんとか。ただの怖いもの知らず、無知。

 

(グイニージの塔屋上から)

で、街歩き終えランチも食べ、今度は終点ピサ行の電車に乗り込んで、とまあここまでがLucca。

ピサ駅でも真っ青になるハプニングがあったけど終わりよければすべてよし。笑い話の思い出。
でもでも何かあったらどうしてたんだろうね。冷や汗たらたら。
中年女だって後先考えずやるときはやるの。いいのか。

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京都ずらし旅・お庭拝見 最後に青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)

2024-06-12 09:04:10 | 旅行

ずらし旅を利用して年上友とのこの度の京都旅行。
新幹線のぞみは速い、2時間弱でもう京都、そして地下鉄で国際会館前に移動。
地上には出ないのよ、国際会館駅で初めて地上に出て。レストランで食事しながら、
「なんだか京都に来た気がしないわね」とふたりして。
朝7時頃のこまわりくんに乗車、地下鉄ブルーライン新横浜で下車して、8時31分の新幹線。
11時ごろには国際会館駅に着いているんだから。
新幹線が早すぎたわね、大船に行く時と似たり寄ったりよね、だからかしら、なんて。
メンツが変わり映えしないからじゃないの、とどちらかが。
そうか、そういうことかとふたりして大いに納得よ。ふふふ。

2日目になれば京都気分もそれなりにで。
建仁寺、圓徳院、知恩院とお庭拝見しながら歩く歩く。最後に「青蓮院門跡」私は初めて。
年上友は2回目、春に拝見してもう一度行きたいとの希望ね。

で、「青蓮院門跡」の説明

青蓮院門跡は、比叡山延暦寺が開かれる際に、僧侶が住む場所として造られたのが初まりで、
1150年に現在の場所に建立され、粟田御所とも呼ばれているそうな。
だいたい「門跡寺院」って何のことだろうと思っていたら説明があったわ。
無知は困るが、いくつになっても知識は得られるから恥ずかしくはない。

門跡寺院…門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。そうなのか。
そして、比叡山延暦寺天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院。これくらいなら忘れないかな。
(三千院の時に勉強せよとの𠮟責は聞こえないふり)

さてと、お庭拝見。
まずは華頂殿から見る 相阿弥の作と伝えられる龍心池を中心とした廻遊式庭園を見る

何といっても静寂だから落ち着く 池があるとゆったりしてくる いいなあ

渡り廊下を歩いて小御所に向かう

豊臣秀吉の寄進といわれている「一文字手水鉢」
小御所からの眺め

見る場所が違えば見える風景も違ってくる

室内を見終わって 帰りはお庭を歩いて出口へとの順路で



これがまた素晴らしい 見るだけじゃなく実際に歩いてみると感じ方がまた違って
お庭は歩くのがいいなあ なんて

中央の小さな滝は洗心滝

花崗岩の切石二枚で作られた、半円形の反りの美しい石橋を跨龍橋と呼び、
龍心池の中央には二千貫に近い大石があり、あたかも沐浴する龍の背のようである。
築山や大きな池が室町時代の名残を残す とある。

順路通りに歩く

次に 江戸時代の小堀遠州作の庭 別名霧島の庭があるというけど よく分からない
ここかしら と

なにしろ どこも緑がきれいで美しい

工事中の個所がありなかなか出口にたどりつけず ほとほと参ったわ

 

思いのほか時間を食ってコーヒーでも飲もうかと言ってたけれど、急げやと地下鉄東山駅目指して
これまた探索しながら歩いたわ。遠くに平安神宮の赤い大鳥居が見えてたりして。

無事京都駅到着。
京都タワーも見ず、京都駅の大階段やエレベーターも見ず、昼飯は駅地下のお弁当を買って
新幹線内でビールで乾杯。けがをしなくて何よりでした、はい。

ちんたらやたら長い旅行備忘録にお付き合いくださいましてありがとうございました。
これにて一件落着、のつもりです。

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京都ずらし旅 瑠璃光院

2024-06-09 09:00:02 | 旅行

新幹線のぞみは速い。それってんで10時20分過ぎには京都駅着よ。
我らの1日目は八瀬の瑠璃光院、友の希望の三千院だから早めに行動せねばならない。
地上に出ることなく地下鉄乗車、終点国際会館駅で下車。行く前にHPなんかの
写真見て、いいところだねえと期待に胸膨らませて楽しみにしていた。

ところがところがいざ下りて、案内通りに通りに進んでいくと予期せぬ光景が。
広いイベントホールとやらで展示会、ホールいっぱいの展示会、大勢の人たち。
書籍コーナーには円形脱毛症の本なんぞあったりして。ご主人治ったのと聞かれたりして。
「なんだか変ねえ」と場違いなばあさんズ。違和感大ありで本館の方へと。
ここも立派な大勢の人たちが集まっていて、またまた場違い感さらに増して、そそくさと
入口に向かったわ。看板を見ると「日本皮膚科学科総会(うろ覚え)」あちゃあ。
腹ごしらえはせねばならぬ。レストランで可もなく不可もないランチして大いに不満。
写真にあった宝が池が見える光景に出会わなくて大いに不満。でもね国際会館に罪はない。
にこやかに、宝ヶ池はこちらのものではないので、と言われればごもっとも当たり前だわ。

そんじゃ、さっさと瑠璃光院行こうとタクシーで。
運転手さん、初めての場所だとナビ入れたのよ。バス下車よりちょっとだけ中に入って。

さてと 瑠璃光院までゆるゆる歩く 川沿いを歩く

この先が「無量寿山光明寺 京都本院 瑠璃光院」 
ちょうど春の特別拝観(6月16日まで)の期間中で秋と違い予約なしで拝観できるからよかった
2000円の拝観料を払って 山露路の庭を通り玄関へ

書院二階へと

そして

黒い写経机に青紅葉が美しく映り込んで

お庭を眺める どこもかしこも青紅葉

堪能しました そろそろ大原行きのバスの時間だからとバス停へと

叡山電鉄の八瀬比叡山口の駅舎を見て なかなか雰囲気があるのよ 乗ってみたいわねと
ま そんなこと言ってられないからバス停で 遅れる遅れる大原行きのバス やっと来たわって

さてと またまた三千院まで歩く。
バスは混んでいたけれど観光客は少ない。観光バスもない。さびしいくらいの道を三千院まで。

 

三千院 中に入って 美しい苔や青紅葉を愛でる 国宝の阿弥陀三尊像を拝む

私はだいぶ疲れていたから もうここでいいんじゃないのと思うけれど 
めずらしく予習なんかした年上友がぜひ見ておけとあったという 観音堂まで

紫陽花苑の紫陽花はこれからだわね ってな話をしながらひととおり回った三千院を後にして
来た道を戻り始めたら年上友が
「私が見たかったのは三千院じゃなくて寂光院だったかもしれない」と言い放ったから、
私は思わず「〇〇さーん(年下友)、聞いた?ありえる?」と叫んだわ。どうよ。
そういうわけで三千院写真はこのくらいで。

 

こんなだらだら話と写真があと数日続きます、よかったらお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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