9月に佐渡に帰った時借りた本が朝井まかてさんの1冊。
書名がどうしても浮かばない、ネットで検索して1冊づつ内容確認するのだがそれらしき作品が出てこない。
ただ面白かったという感想が残っていたのと、お名前がすこぶる印象的だったので機会があったら
読もうと思っていて。
で、手に取ったのがこちら
いや別に北斎の娘にお栄に興味があったのではない、完全に朝井さんの本だからの選択。
偉大すぎる父北斎の娘にして「江戸のレンブラント」天才女絵師・葛飾応為の知られざる生涯。
あたしはただ、絵を描いていたいだけ。愚かな夫への軽蔑、兄弟子・渓斎英泉への叶わぬ恋、
北斎の名を利用し悪事を重ねる甥―人生にまつわる面倒ごとも、ひとたび絵筆を握ればすべて消え去る。
北斎に「美人画では敵わない」と言わせ北斎の右腕として風景画から春画までをこなす一方、
西洋の陰影表現を体得し、自分だけの光と色を終生追い続けた女絵師・応為。
自問自答する二十代から、傑作「吉原格子先之図」に到る六十代までを、全身全霊を絵に投じた絵師の生涯を
圧倒的リアリティで描き出す。
北斎の解説などに登場するお栄は、やはり父北斎と同じで絵を描くことのみに執着して、日々の生活
身の回り食べること着物などてんで構わずむさくるしい印象が強かった。そうこの絵の感じそのまま。
webより
(北斎の門人・露木為一による『北斎仮宅写生図』)
作者の朝井さんはインタビューで
応為の人生、画業は謎が多い。その点にも惹かれました。
北斎と応為の人生、時代の出来事をひとつの年表にして、あとはもう自分なりの想像、推察で
再構築していきました。とおっしゃっている。
その朝井さんの想像推察にのっかって葛飾応為の一生をたどっていったらとても魅力的で惹きこまれた次第。
お栄、葛飾応為が女絵師として生きていく様、はたまたひとりの女としての心根が生き生きと描かれていて、
思うさま生きて自由で素敵だなとなんとなくしみじみしたわけよ。
後添えの母親には反抗するが父親北斎想いのごく普通の娘であり、絵さえ描いていれば至極満足、
他は無頓着。善次郎への恋心は秘めて、いや通じていたからこその交流。善次郎が亡くなった時、
弔いまで、女たらしだ。
裸足のまま空を見上げると、鰯雲が風に流れていく。
右手の指先を二本揃えて咥え、半身を屈めて思いきり吹いてみた。
もう、これっきしだ。
善さん、あばえ。
女だてらに鳴らした口笛は川べりの秋草を揺らし、そして空へと吸い込まれていった。
この描写、好きなんです、なんていじらしい。
「彼女が絵を描く場面は一部始終、きっちり書こうと最初から決めていたんです。」
インタビューでこう答えた朝井さん。
代表作「吉原格子先之図」の構想を練っているお栄を朝井さんはこのように書いている。
私が見たのは確かに、夜の張店世だ。
西画じゃなく、かといって昔ながらの吉原図にもしたくないんだ、あたしは。
「挑む方が面白いじゃないか」
webより
見世の入り口を紙の右手に置き、柱の線を縦に引く。
紺の暖簾の下には、ちょうど茶屋から戻った花魁が通っている。
先導の禿は影だけで描き、花魁の襠の文様は後ろに従う男衆の提灯が照らしている。
岩紅と岩紺、岩黄の絵の具しか量が足りそうにないので、墨のほかにはいっそこの三つだけで彩色しようと決める。
色数を矢鱈と使わずとも、濃淡を作ればいくらでも華麗さは出せる。
入口の左手に、格子を縦に何本も引いていく。
見せの奥行きの線と通りに並んだ格子の影の線、この角度をきっちりと揃えた。
この平行に並んだ線があの場の、弾むような賑わいを呼び起こしてくれる。
画面の上方には軒先の影しか描くつもりはないが、二階から太鼓や三味線の音、笑い声が降ってくる。
命が見せる束の間の賑わいをこそ、光と陰に託すのだ。
そう、眩々するほどの息吹を描く。
「あたしはただ、絵を描いていたいだけ」。
お栄の諸々はもうこのことに尽きる。
閑話休題
それにしても興味がない知識がないって恐ろしい。
私、10月に太田美術館の「葛飾北斎」展に行って、同時に展示されていた「吉原格子先之図」を観ているのよ。
畳の部屋に展示されていたから、靴脱ぐまでないやとこちらからちらっと眼の隅に入れてただけ。ああ勿体ない。
そのときのパンフレット。
おまけ。三曲合奏図(ボストン美術館蔵) webより

三曲合奏図(ボストン美術館蔵)
琴、胡弓、三味線を弾く3人の女性の様子。今にも音が聞こえてきそうな躍動感が感じられる。
琴を弾く女性の左手の形が、結構ムリした形。
演奏中の勢いがないとこの形にならないのではないか、激しい演奏を思わされます。
ここに描かれている三人は町娘と芸者と遊女で、
実際にこの身分の違う三者が一緒にいることは在り得ない構図です。
絵の中に遊女という吉原の女の人を描いていますが、蜘蛛の巣は囚われの身、
露は儚い身の上を表わしているそうです。