かなり前のBSTV番組。
今まで観たことがなかったが、ちょうどなかにし礼さんのがん闘病記「生きる力」
を読み終わったところだったので、タイミングがぴったり合ってその気になって観てしまった。
もちろんなかにし礼さんのことは作詞家作家TVに出ている人という範囲でよく知っていた。
が、なにしろ3時間という長時間番組、途中寝るに決まっているからと録画に任せたら、あらま、食い入ってみてしまった。
いやあ面白かった。講釈が多くてあまり好きじゃない武田鉄矢さんだけれど、今回は彼の話力がなかにしさんの話をぐいぐい引き出したのじゃないかと思う。
なかにしさんは、作詞をする際のキーワードとして七五調では書かないこと、ヒットには「ひらめき」が必要と話す。
ひらめきが浮かべばあとはもう自ずと言葉が出てくるそうだ。そういうものかとうなってしまう、凄いね。
プロの作詞家としてありとあらゆるジャンルありとあらゆる歌手に曲を提供していると。
ヒット曲の中にタイガースの ♪花の首飾りがあるのを知って嬉しくなる。大好きな曲だもの。
意外といえば演歌歌手の方にもたくさん書いているのね。心のこり 北酒場 君は心の妻だからなどなど。
が、なんといってもなかにし礼さんといえば昭和50年北原ミレイさんが歌った ♪石狩挽歌
私は20代後半で聞いている。
一度聞いただけで衝撃的で目の前に映像が浮かんでくるような歌だ。
北の海の曇り空に、ニシン漁をするヤン衆たちの生き生きと働く姿が大漁の情景が、瞬時にありありと浮かぶ流れる。
なかにしさんの詞、浜圭介さんの重々しくも心に響く曲、そしてドスの利いた北原さんの歌声、
三者かあいまってほんとうに印象的だ、ちょっとやそっとで忘れられない。
石狩湾ならぬ佐渡両津湾
武田さんは、高い文学性があり聞く者を圧倒する言葉の世界で映像のごとく語りかけてくる、
細かなことは説明しないから作品としては冷たい 寄り添わないと指摘しているが、なかにしさんご本人は、
「失われた時を求めて」をテーマに自分に据えて書こう。
ニシン漁の賑わいとその輝きが失われた哀しみを描いてみせたい。
そうなると失われた時に合った言葉を選ぶし、復元していこうとするならこうなるわけ。
カモメと言わずに海猫(ごめ) 赤い筒袖(つっぽ)。分からなくてもいいの、とおっしゃる。
♪ごめがなくから にしんがくると
あかいつっぽのやんしゅがさわぐ
確かに歌詞のテロップが出ず歌だけを聞いていたら、「ごめ」ってなに?と思うわ。
よく聞かれる「笠戸丸」についても、
鰊場を必ず通る元ブラジル移民船笠戸丸、その風景を入れなくては空間の広がりが出ない、点描というのかな。
内地では見られない鰊曇り 独特の夕焼け、分かる人にしか分からない言葉だけれど入れちゃう。
分からなくても入れちゃう、分からなくてもいいの。とまで言い切る。その一方、
冷たい寄り添わないと言われたけれど、大衆性を持たせるためには寄り添う部分がないと拒否される。
大衆性、それがヒットにつながるって。石狩挽歌の場合、
♪ オンボロロ オンボロボロロー
なかにしさん造語のこの言葉が浮かんできたときに会心の作となった。そうだ。
ひとつのヒット曲ができあがるまでに並々ならぬ想いや工夫が隠れているのね。それを聞いていると圧倒され、
プロの底力を思い知ることになった次第。
歌の主人公はニシンが大量にとれた頃娘盛りであって、今はニシン小屋で空を見る老婆になった
その年老いた女性の目を通して描いたと聞いて、そういうことなのかとようやく納得。
(武田さんは、能の「卒塔婆小町」を例に引いていた)
感性が浅いからひとつひとつの言葉以上に「私」の立ち位置が分からなかったのよ。
そして。
背景にはお兄さんとの実体験が深くかかわっていて。
ニシン漁の網の権利を3日間だけ買って大損して小樽にいられなくなって東京出て行った。
その前にお兄さんと見ていた石狩湾のニシン漁の光景が下地になっているとのこと。
ご自分の作品について話したことがなかったというなかにしさんが、なにより嬉しそうで楽しそうで、
生き生きといろいろなエピソードを語っていたのがとても印象的。いい番組だったなとちょっと感動した。
なかにしさんの話を聞いていたら「石狩挽歌」の背景にあるお兄さんとの確執が知りたくなって。
小説『兄弟』を読む。 小説とはいえほぼ実際にあったことだと推察される。
「兄貴死んでくれてありがとう」だなんて。
いやいやお二人の凄まじい異常な関係が迫ってきてなんとも妙な気分に陥った。
石狩挽歌 北原ミレイ 2007 Mirei Kitahara Ishikari Banka