イラストレーターで絵本作家のヨシタケシンスケさん。
って前向きの考え方ってしないよね。
かといってすぐに絶望的になるわけでもない。そこら辺の塩梅がすごくいい方だと思う。
私はくすりとと笑ったりにやにやしたり、それはないなと突っ込んで楽しんだけれど。
年配の男性氏は、なんだこいつは軟弱な、なんて喝を入れたくなるんじゃないかしら。
おばさんもめんどくさい男だって思うんじゃないかしら。
うーん若者はどうかしらね。
だってたかが3個つなぎのヨーグルトのことであれこれ考えるんですもの。
で、私は、そんなどうでもいいことをぐだぐだ考える人がわりあい好きでして。
三個パックのヨーグルトってあるでしょ。
一つ食べました。残り二つが繋がって、下に紙の台座がついて、冷蔵庫に入っています。
二つ目を食べた時、その台座をどうするか問題があって。
それはもうひとつ目を食べた時点で、つまり残り二つになった時点で、捨てますよね。
一つ目を取った時、残り二つなのに、三つ並べるための台座が残っていることが
もう許せないのです。
私は許せないほどではないけれど、一つ残った時点で台座は捨てるわね。
ヨシタケさんのお嫁さんは、最後の一つになっても、ぜんぶがーんと残ってたりして、
いやあ世界は広いなあというか、こういう身近に、そういう分からないことって
あるんだなあっていうのよ。すぐそばの人なのにね。
ほんとよね、分からないことって多いよね。異星人に見えることがあるわ。
心配事を吸わせる紙
こういう商品できたらいいな。
あぶらとり紙みたく、ああいう感じで、おでこにピトッとすると、心配事を吸い取ってくれる。
こんなにとれたって、すごい汚―くなるわけです。
うん、いいいいそんな吸い取り紙ぜひ作っていただきたい。
私なんか、一瞬で真っ黒けっこになって何枚あっても足りないわ。100枚単位で買う。
世の中の悪口を言いながら、そこそこ幸せに暮らしましたとさ、っていうのが、
理想の老後だなって思ったりするわけです。
とおっしゃっているから思わずくすりと笑うわけでして。
で、まんざら当たっていなくもないななんて頷いたりするわけでして。
普通に世の中の悪口言いながら、日々過ごせるって、いちばんの娯楽が残っている
ということですよね。
どんなに満ち足りた状態でも、何か足りないものをつい探してしまう。
何かに対して不満を述べたくなってしまうっていうのは人間の心のありようとして、
やっぱりあるはずなんです。
どこかに不備な部分を見つけて、そこが気なってしまうというのは、なんか人の業の深さ
の一つなんじゃないかと思うんですけど。
だから、ご近所の悪口を言える人って、やっぱり世の中で、一番幸せなはずなんです。
そうかい?それ以外が全部満ち足りてるわけだってことか。
ふーんそういうことか。
この世はすべてねむくなるまで
ってなことを毎日ぐじぐじぐじぐじ考えて、ねむくなってきて、ああ、もうねむい、
おしまいって感じです。
何かもう世の中いろいろあるけれど、結局ねむってしまえば、一回終わる。
だからどんなことも、所詮は、もうねむくなるまでの話なんじゃないかと思えば、
ちょっとだけ楽になる。一晩寝ると、だいぶ変わりますからね。何もかもがね。
だから結局、この世はすべてねむくなるまでの空ぶかしのようなものなんだろうなと。
一晩寝ればなんとかなる、ということは大好きな草彅剛さんもよく言います。
私もそうなればいいけれど、そうは問屋が卸さない。ままま。
そんなこんなのお考えがイラストと一緒に書かれていまして。
鬱々としたときにひっくり返って読むと、なんだかとても緩くなってしまします。
ヨシタケシンスケ『思わず考えちゃう』