まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

俣野別邸 

2024-11-30 08:53:13 | 建築物

今日もいい天気。
雨戸を開ける。朝の空気は冷たくピリッとして気持ちいい。
まだ6時過ぎというのに、オクガワサンは玄関ドアを開け放して外掃除。

さて俣野別邸。

林を抜け内苑の芝庭へと来て。

中を拝見。シニア料金350円、シニアか否かは自己申告で通用したわ。

俣野別邸は、住友家16代当主の私邸で、建築家 佐藤秀三の設計施工により昭和14年に建てられました。
昭和初期のモダニズム影響下における、ハーフティンバー・スタイルを取り入れた和洋折衷住宅建築
として評価され、平成16年7月に国の重要文化財に指定されました。
(平成21年に焼失し、平成23年に国指定重要文化財が解除)
現在の建物は、既存建物の主要部分の焼失後、横浜市が公園施設として再建したものです。
公園施設としての公開にあたり、一部改変、付加した部分はありますが、
主な部屋の造りや仕上げはオリジナルのものを忠実に再現しています。
平成29年2月10日、横浜市認定歴史的建造物となりました。(HPより)
ハーフティンバー様式とは、壁と木造の部分が半々であることが名称の由来だそうだ。

ま、ともかくおじゃまする。まずは二階へと。

 

 

広い窓で眺望が開ける

富士山が見えるはずなのに・・・

 

 

凝った造りの天井と照明

どの部屋もさんさんと光が差し込む

 

 

テラス席ではお茶を楽しめる

 

 

 

 

和室もあって。
私、洋館はあまり馴染めないのだけれど、俣野別邸はどこかあたたかく懐かしい感じがして、
またおじゃましたい気になれたのよ。

 

 

 

 

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再び『俣野別邸庭園』へ

2024-11-29 08:50:10 | 公園・庭園

いやあ、今朝のオリオン座の(って、この星座しか見つけられない)
美しかったこと。シリウスがいちだんと冴えて冷たく光っていた。
なにしろ、昨日は1日中風が強く吹いていたからね。

初めて「俣野別邸庭園」を訪れてから10日経つ、25日。
もみじ谷、もみじ坂、なんて小径があるんだからね、さぞやモミジの美しい紅葉が
見られることを期待したわけよ。わくわくして訪れたのよ。
青空で絶好の紅葉狩り日和。ああ、それなのに・・・
途中でお会いした方が「地元の方が、例年今頃が真っ盛りなのに、今年はこのまま茶色に
なって終わるんじゃないかしら」とおっしゃってたとのこと。あらまあ、仕方ない。

もうさっさと行きます。いつにも増して写真多々です。はい。

中に入ると シャクナゲが

何の木でしょう 黄葉がきれい

ほんの一画の1本だけ

さてと と もみじ谷の方へと歩いた

もう モミジ青々の証拠写真

シロヨメナ

この日の一番の収穫 濃い紫色がほんとに素敵で ムラサキシキブ

先日とは別の 山野草の径を歩く もちろんのこと 今咲いている花はない 春待ちだわ

芝生広場に出て 帰りは先日の四季の花苑を通る

ノジギク

スイセンの葉が行儀よく並んで

フウチソウの彼具合(この方がいいか)枯れ具合も最高

すっかりツワブキが好きになった。冬にツワブキはよく似合う。
この日は本邸見学しました、それはまた。

 

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幹線道路の街路樹 ユリノキ

2024-11-28 08:32:31 | 街・風景

今朝の暖かいこと。
6時前に起きてパジャマでうろうろしていてもストーブが要らない。
いつもは朝食中1時間くらいストーブを付けている居間も今朝はなし。
11月も終わりよね、と一瞬疑う。
パソコンが置いてあるこの部屋は16度。ひざ掛けだけで済んでいるわ。

昨日書いた横浜での元同僚定例会、今年の締めの会。
5人が元気に顔を合わせて「よかったわね」って。全員介護の時を過ぎ、
心配事は我が身の老化あれこれだけになった。
ひとりが来月白内障の手術をする、と話題提供。
私がかかっている眼科医が「あなたの判断に任せます、自分で決めてください」
って言うけど、それってどういう意味かね、と聞いたら、まあ好き放題言われた。
「まだ手術しなくてもいいってことじゃないの、良心的な先生じゃないの」
「あなた早くしなさい、それ以上歳取ってからじゃ大変よ」
「そうよ、書類読んで理解するだけでも容易じゃないんだから」
「認知症になったら、何回も違う目薬を点眼するのなんてできなくなるわよ」
あれしちゃだめこれしちゃだめっていろいろ面倒なんだから、云々かんぬん。
認知症になったらって話題拡大。そんなこんなを聞いていたおひとりが、
「ね、認知症になったらもっとよく見えるようになりたいって思うかしら」
と言うから、みんなして絶句。どうなのかしら、ね。

定例会終わり。みんなして横浜駅の喧騒から逃れるように、
いなかの我が街がいちばん、駅に着くとほっとするわなんて言って別れた。
その我が街、幹線道路の街路樹はユリノキ。用足しするたびついでに撮った。

16日

 17日 バス停近くの近所の家から拝借

 レモン

 オリーブ

 レモン

また違う公園

いちばん最近26日 駅前の幹線道路のユリノキ 今が盛り

バス待ちの間に 団地建築中現場を眺める ここのユリノキは葉を落としている
同じ26日なのに 真ん中の写真 ミニバスこまわりくん通過

  

反対側の児童公園

なんとなく焦る日々。

 

 

 

 

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横浜公園から日本大通りを大さん橋まで

2024-11-27 09:01:34 | 街・風景

昨夜はすごい雷だったんだって、夫が言う。
私「知らない」寝てしまえば何があろうとも目が覚めない、ってトイレは別。
1時過ぎに起きた時は雨音だけだったのに、いつの雷だろうね。

22日、元同僚5人定例会。
11時過ぎに横浜集合だから、行きのルートを考える。
極上の天気だから外を歩きたい、関内ーみなとみらい駅ー横浜だなと決めて家を出る。

地下鉄関内駅を下りて地上に出ると、目に飛び込んできた。

 元の横浜市役所が ひゃあだわ

 

ハマスタ 遅ればせながらベイスターズ日本一 おめでとう
30日はパレードかな 日本大通り交通規制の看板

 

 

帰りは立ち寄れないから先に「彼我庭園」に

午前中早くの光では 彼我庭園の紅葉はまだまだに見える

まっすぐのびる日本大通り 右側のイチョウ黄葉はまだ 左側が黄葉

中には見事に染まっているのもある

ハマスタ方向へ振り返って

開店前の準備作業

本当の目的は大さん橋だったのに 掛かる時間を読み間違えてほんの入り口までしか
行かれない 集合時間に間に合わない

風がなく暖かく空は隅渡って 絶好の大さん橋ぶらり日和だったのに 無念 引き返したわ

 

 

山下公園方面をちらり うーんこちらの方がイチョウの黄葉は進んでいるのね
しょうがない みなとみらい駅へ行こう

日本大通りを

 

集合時間までたっぷり時間を見たつもりが、このみなとみらい線横浜駅ですっかり迷子に
なってしまって、東口そごう前にはぎりぎりで到着。待たせてしまった。
ほんと、みなとみらい線嫌い。

はい、そうなの、顔を合わせるなり4人とも「すごい人だわね。もう疲れる」と開口一番よ。

 

 

 

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挂甲の武人 国宝指定50周年記念『はにわ』 東京国立博物館平成館

2024-11-26 08:43:58 | 展覧会

せっかく ―挂甲の武人 国宝指定50周年記念『はにわ』―と銘打った展覧会なのに、
かわいい方が優先して、武人5人衆の紹介が最後になってしまったわ。いかん。

ずらり並んだ武人たち5人、なかなかにかっこよい勇ましい、リアルだ。
ガラスケースに収まっていておまけに人も多いから、その場ではなかなか違いが分からない。
が、こうやって写真トリミングして並べてみると正面からだけでも少しづつの違いが分かる。

『挂甲の武人』は6世紀後半に作られたもの。
ちなみに挂甲とは、上半身に表現されている小さな鉄板を綴じ合わせた防具のことを指すそうな。
頭から足先まで全身を防具で覆い、左手に弓を、右手に太刀を持ち、背には靫(ゆぎ/矢入れ具)
を背負った姿だ。

左端55が埴輪としてはじめて国宝に指定された武人 あとはお仲間
各地から集結して一堂に会したとのこと、中にはシアトルから来た武人も(59) 

国宝の「挂甲の武人」を前から後ろから横から

  

頭から足まで甲冑着用
頭の兜(?)なんかすごいわね、がっつり覆っているもの。足は他の武人が布なのにこちらは
甲冑。後ろのリボン飾りがかわいい。細部まで立体的、かつ精巧な造りをしているってほんと。
背中の矢入れもしっかりと。

図録も何もないなか、脳みそ使い切ったから私も力尽きた。後はざざっといきます。

 《船形埴輪》

 《円筒埴輪》いやあ大きい 2mもあるんですって

 《椅子形埴輪》

 《馬形埴輪》

 《旗を立てた馬形埴輪》

 《子馬形埴輪》

 《馬形埴輪》

 《馬形埴輪》

 

《鹿形埴輪》「見返りの鹿」と言われているんですって

 

《犬猿の円筒埴輪》  拡大してみると いやあおもしろいわ

 《猿形埴輪》

お猿さんの顔は昔からお猿さんだとわけのわからない感想 子どもを背負っていたとの説あり
お持ち帰りしたいひとつ

今まで土偶一筋だったけれど、埴輪も大好きになったわ。

「東京都美術館」

上野まで来たからには、と、こちらも鑑賞して帰りました。

 

 

 

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 かわいい!その2『はにわ』東京国立博物館平成館

2024-11-25 08:53:00 | 展覧会

 

「はにわ」展

いちばん楽しかったのが第五章「物語をつたえる埴輪」のコーナー
私のように歴史を踏まえないものは、ただかわいいだのあらあだの言って鑑賞している
から、単純に面白がっているだけ。自分としては充分だけれど怒られるかしらね。

埴輪は複数の人物や動物などを組み合わせて、埴輪劇場とも呼ぶべき何かしらの物語を表現します。
ここではその埴輪群像を場面ごとに紹介します。例えば、古墳のガードマンである盾持人(たてもちびと)
古墳から邪気を払う相撲の力士など、多様な人物の役割分担を示します。

そう読んでみると、ひとつひとつがまたいちだんと味わい深くて。

  

《力士》四股を踏んで古墳が築かれる土地の邪気を払う もうひとりいたのに写し忘れ
ふーん、相撲取りって古墳時代にすでに存在していたのね。
まわしをしっかりつけているわ。

いろいろなお仕事の人がいたんだ。それぞれの人物の表情が豊かだ。

    

《鍬を担ぐ男子》     《馬子》         《杯を捧げる女子》  

    

《鷹匠》         《琴をひく男子》     《あぐらの男子》                             

    

《正座の女子》     《笑う男子》      《首飾りをする女子》      

   

《乳呑み児を抱く女子》            《子を背負う女子》  

母の愛情 命の営みはそんな昔から綿々と続いているのね ちょっと胸が熱くなる

 

《踊る人》もう顔がニヤついてくるのよ 佐渡おけさの振りが見えてくるのよ

 

《帽子をかぶる男子》 超絶細目が親しみを感じるの 
君は何をそんなに憂えているのか やけに哲学的な男子だ      

 

 

 

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『はにわ』 かわいい! 東京国立博物館平成館

2024-11-24 08:45:00 | 展覧会

いやいやいや昨日のブログで、私、古希だなんて書きましたが大間違い。
7つもさばをよんでいました、ほんとうは喜寿です、正真正銘の喜寿です。
その一文ちゃっちゃと削除しました、はい。喜寿です、これにてです。

 

さてと『はにわ』展。
いやあかわいい!もうかわいいの言葉しか出てこない、主に人物だけど。
日曜美術館で教えてもらったわ。
「埴輪」の埴は「赤い土」という意味で、輪は「取り囲む」という意味。
「埴輪」赤い土で取り囲むということになるのね。そっか。

ネットでもお勉強。
古墳時代の3世紀から6世紀にかけて盛んに作られた埴輪は、王などの権力者の墓である古墳に
並べ置かれた素焼きの造形物。
初期は簡素な筒形でしたが、時代が下ると人物埴輪をはじめ、馬や鳥などの愛らしい動物埴輪、
精巧な武具や家を模した象形埴輪など個性豊かに発展。
古代人の生活や風習を現在に伝える貴重な資料ですって。

 

 

 

展示室正面にこちらの方々 もうすでに「かわいい!」なんだ このとぼけ具合

《踊る人々》 「踊っているのではなく、じつは馬を曳いている姿では?」
という説も有力視されているとか  ん?踊る人でいい

 

《捧げものをする女子》

  

《天冠をつけた男子 》                《あごひげの男子》   

 

《挂甲の武人》 こちらはずいぶん素朴な武人

   

《盾持ち人》 古墳時代のガードマン ね 中には役目を果たせるのかのお顔の人もいるわ

《ひざまずく男子》

《二人童女》

とても収まりません、続きます。

 

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東京国立博物館 1本のユリノキ

2024-11-23 08:50:49 | 植物

なんたって近ごろは、どこかに出かけるのがめんどくさくて。
行きたいんだけど・・・上野か、うーんちょっと遠いわね、どうしようかな
なんて言ってるうちに日が過ぎてしまう。えいっと掛け声かけなければ立ち上がれない。
前はそうでもなかったな、と遠い眼。
行こうと思えば天気予報だけ見て、夫に「行って来るわ、昼は各自」と予告して
おいてさっさと出かけたのにね。それがね歳というものか、出不精になって、困ったもんだ。

で、行きたかった展覧会はこちら。

はい、そういうことで。上野のお山に出かけたのは19日、秋晴れの素晴らしい日。

 

 


博物館前のユリノキがお見事で。たった1本なのに迫力満点、存在感抜群。
四方八方から愛でましたよ。

 

ユリノキ、漢字で書くと百合の樹

明治8、9年(1876~77)頃渡来した30粒の種から育った1本の苗木から明治14年
(1882)に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている
そうだ。
約150年も生き続けているのか。

 

 

 

 

 

 

帰り道

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野毛山動物園でキリンを見た

2024-11-22 08:45:43 | 公園・庭園

青空、たった2日見ないだけなのにうれしい。
それほど秋の雨ってうっとおしい。

トイレに立ったとき、時計を見たらなんと5時ちょい前。
えっ?一度も目が覚めず5時まで寝ていたんだとびっくりよ。
そんなことないない、ないから嬉しくなってついでに窓の外を見たら、
きれいにオリオン座が見えた。ほんと、得した気分。

このところ中央図書館を利用していたけれど、この後、忙しないからと
今年の利用は終わりにして返却だけだなと。とは思ったけど前から気になって
いたから、野毛山動物園に寄って帰ろと決めた。ここまで来てもったいないものね。
いつ訪問したか覚えていないのよ。そもそも行ったことがあるのかというくらいなの。

野毛山公園を通っていく道をとる。

 

近そうなのに見えてこないから ちょっと不安になったりして

案内板見て この道でいいんだな なんて

励まされたけど 私には遠かった

すれ違ったから 帰りはあのバスに乗ろうと決めた

 

入園料は無料 

野毛山動物園のコンセプトは「誰もが気軽に訪れ、楽しめる動物園であり、小さな子どもがはじめて
動物に出会い、ふれあい、命を感じる動物園」

時代の流れとともに動物園の役割も大きく変わり、開園当時は遊園地と併設され、サルの電車や
インドゾウが芸などを行い市民の楽しむ場として大きく貢献していましたが、現在は環境教育を
学べる教育施設としての役割や希少動物の保全調査・研究を行う施設へと変化しております

とはHPの園長さんのお言葉

回った後に 充分納得しました

 

キリン舎に来てじっと見る
2頭のキリンは隅の一画にある柵の周りをぐるぐるとひたすら回っていた

後はチンパンジーの母子がかわいらしくじゃれ合っているのを見て。
抱きしめたりさすったり舐めたりしているのを見てニヤついて。

私はソフトクリームを舐めて動物園バスを待った。
よかったんだかよけいさびしくなったんだか。
やっぱり動物園は合わないな、なんての感想。いいのか。

 

 

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食いしん坊エッセイ傑作選『メロンと寸劇』向田邦子著

2024-11-21 08:58:41 | 

あれっ?向田さん、こんな本書いていたっけ?と。
食エッセイだったのね。食いしん坊エッセイ傑作選とある。
食べものと、それにまつわる人間を見事に描いた珠玉作品を厳選収録か。

向田さんのエッセイにたびたび出てくるお父さんのエピソード。
お父さんは、家庭的に恵まれず、高等小学校卒の学歴で、苦労しながら保険会社の
給仕に入り、年若くして支店長になった方。
それだけに家族の中で特別扱いされないと機嫌が悪くなる。

「昔カレー」の中でもその性格はいかんなく発揮されている。

お父さんには別ごしらえの辛いカレー、コップの水、金線の入っている大ぶりの
西洋皿。
今から考えると、よく毎晩文句のタネがつづいたものだと感心してしまうのだが、
夕食は女房子供への訓戒の場であった。

そんな夕食だから昔ながらのうどん粉とカレー粉で作ったカレーは、
お母さんが給仕の世話をしていると、お母さんの前のカレーが冷えて皮膜を
かぶりしわが寄る。向田さんはそれが悲しかった。

父が怒りだすと、匙が皿に当たって音をたてないように注意しいしい食べていた。
という光景が目の前にありありと浮かんでくる。

カレーをご馳走だと思い込んでいた。
しかも、私の場合カレーの匂いには必ず、父の怒声と、おびえながら食べたうす暗い
茶の間の記憶がダブって、一家だんらんの楽しさなど、かけらも思い出さないのに。

思い出というものはなかなかに厄介なものだ。

「父の詫び状」
今までも何回も読んでいる、そして何度読んでもやはり心の機微に胸を打たれる。

お父さんは仕事柄代理店や外交員の人たちをもてなす。家に連れてきてもてなす。
ある朝、お母さんが玄関のガラス戸を開け放して、敷居に湯をかけている。
酔いつぶれて明け方帰って行った客が粗相した吐瀉物が、敷居のところにいっぱい凍り
ついているその始末をしていた。見かねた向田さんが、
「あたしがするから」と敷居の細かいところにいっぱいつまったものを
爪楊枝で掘り出し始めた。家族はこんなことまでしなくてはいけないのかと思いながらね。

気がついたら、すぐうしろの上がりかまちのところに父が立っていた。
寝巻に新聞を持ち、素足で立って私が手を動かすのを見ている。「悪いな」「すまないね」
労いの言葉なし。黙って、素足のまま、私が終わるまで吹きさらしの玄関に立っていた。

三四日して東京へ帰る日、小遣いの額はそのまま。
仙台駅まで送ってきたお父さんにねぎらいの言葉はなかった。

東京に帰ったら、父の手紙が来ていると祖母が言う。
巻紙に筆で、いつもより改まった文面で、しっかり勉強するように書いてあった。
終わりの方に、「此の度は格別の御働き」という一行があり、そこだけ朱筆で
傍線が引かれてあった。
それが父の詫び状であった。

なんというかほんとうにしみじみするわけよ。
向田父娘の表に出さない感情のやり取りが伝わってきて切なくなる。
自分のように、短絡的にしか相手の気持ちを読み取れないものにはとてもできない。
なんて比べるのもおこがましいわね。

他にも、そんなこんなのいろいろなエピソードがあって、昭和の情景が鮮やかに
浮かんでくる。本当に久しぶりに読んだ向田作品、一気に向田さんの世界に
連れて行ってもらった気がする。

舌の記憶(昔カレー、昆布石鹸 ほか)
食べる人(拾う人、いちじく ほか)
鮮やかなシーン(父の詫び状、ごはん ほか)
到来物・土地の味(メロン、寸劇 ほか)
シナリオ 寺内貫太郎一家2より 第三回

 

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