佐渡には竹林がたくさんあります。
ありますが・・私が見ている範囲では整備されていなくて荒れ放題。そんな竹林は竹がなきます、一人でその音を聞いていると、怖くなります。
そんな中で、この竹林を見た時は、おっ京都ジャン、嵯峨野に行かなくてもその気になれるじゃないの、なんて。
これを見たら尾形光琳の「紅白梅図屏風」をすぐに思い浮かべました
もちろん紅梅ね
これを白梅に見たてたら
光琳さん、光琳さんファンにどやしつけられるよね、ごめんなさい、でも載せたいの。
佐渡には竹林がたくさんあります。
ありますが・・私が見ている範囲では整備されていなくて荒れ放題。そんな竹林は竹がなきます、一人でその音を聞いていると、怖くなります。
そんな中で、この竹林を見た時は、おっ京都ジャン、嵯峨野に行かなくてもその気になれるじゃないの、なんて。
これを見たら尾形光琳の「紅白梅図屏風」をすぐに思い浮かべました
もちろん紅梅ね
これを白梅に見たてたら
光琳さん、光琳さんファンにどやしつけられるよね、ごめんなさい、でも載せたいの。
昨日はこの防波堤を大波が乗り越えていたのです。もちろん大あらし。それが打って変っての今日の天気で。
夕方からの雨、という天気予報ですから、今日のうちに散歩しなくては、といつもとは違って、実家前の防波堤に。海関係の道を歩くのは初めてです。風がなく暖かく気持ちがよかった。あまりにきれいで・・・
両津湾防波堤内の海 左 金北山 右ドンデン山 太公望たちが思い思いに
大佐渡東端
小佐渡東端
海に囲まれ、山を望み、川で遊び、田園風景に心和みの佐渡ですが・・・
重苦しい曇天の日々が続くこれから、ほんの束の間の晴れ間が、いっそう貴重で。
雨が横殴りで降っています。
夜中からの暴風雨はおさまりそうもありません。
防波堤には波が砕け散っています。
目の前の海に繋がれている漁船は大揺れです。
今日東京に帰るいとこから、どこの船室に乗ったらいいか電話が来ました。
「ビニール袋用意するね。」というから大笑いしました。
「昼ご飯抜けや。」とアドバイスすると、余計酔うよって。
ああ、佐渡の冬に本土往復は命がけです。(おおげさか?)
で、写真はよく晴れた水曜日に撮影したもの。
おそらく佐渡に住む人にとってのシンボルだと思います、金北山。
佐渡の東側からみている私にとっては、この形が一番きれいだと思うのです。
(真野湾側の西に住んでいる人、大佐渡の北側に住んでいる人、国仲に住んでいる人たちにとっては、また違う形で見えているのでしょうけれど)
ほんと、どこから見てもきれいだなあとしみじみ思います。
加茂湖の向こうに 頂上は雲に隠れて 夷から
柿の木の向こうに きっぱり晴れてきました やや国仲よりのから
上の場所から下りて平地に来たところで 絶景
もう少し歩いて林の向こうに 右の山 上3枚は夷から見ると南に
似た形に見えるかもしれませんが、ここは老女3人が談笑していたのはずれ
初めてのところで感激 夷から見るとやや西北
四季折々、お山は様々な表情を見せてくれます。
タソガレ気分にはなりませんが、清々しくさせてくれます。
2時間近くも前に出かけた父がまだ帰って来ません。
母のところに行くと言って出かけたのに・・・
いったいどこに行ったのでしょう。
「今日、母さんとこ、俺が行ってくる。」と立派に夫の役割を果たしているのですが、いざ玄関で靴を履いて出かける算段をすると、「母さんとこに行くんだったな。」と念押しするので、それが続いているので、弱っています。そのたびに、
「他に行くとこないでしょ、それとも別にあるのんか。」と笑い飛ばしているのですが、大丈夫かしら。
台所の電気が点けっぱなしになっているので、そう言うと、
「お前じゃないか?」だって。
「父さんが最後まで飲んでるんだから、私じゃないよ。」と言い聞かせます。
ぼろっちくなった実家なので、あちらこちらが傷んでいます。
壁などぽろぽろはがれて中の土壁が見えています。
すごいことになっているね、と言うと、
「お前じゃあないか!」だって。
ったく、2年住んでいるといえど、そんな壁がはがれて中の部分まで見えるくらい蹴っていないというの。それなのに、そんなことするのはお前しかいないって。
外水道のゴムホースが短くなっていることが気になるらしいのよ。
取り替えたのは父なのに、私に長さはこれでいいかって聞いたのにね、私は少し短いなと思ったけれど、切ってしまったものは仕方がないから、
「それでいい!」と気遣いして答えたのに。
「お前が切ったんじゃないか?」だって。
(電気のコードをきっちり巻いて片付ける人です。こうしないと気持ち悪いそうです)
ああ、いよいよ始まったのかしら。恐ろしい。
でも、私だって負けていられないから、宣言したね。
「とうさん、そのうちにお金がなくなったのも私だって言わないでよ。そんなこと言ったら、私は横浜に帰ります!」って。
父はまだ帰って来ません。
朝、私の頭頂部白髪を指摘して、自分も床屋に行こうかな、と言っていたことを思い出しました。お腹すいたけれどもう少し待ちます。
写真をアップしていたら、帰って来ました。お騒がせしました。
「夷町中、探すとこだったよ。」と檄を飛ばしました。
昨日までの「弁当持たずも傘忘れるな」の天気から一変して・・・
今日は束の間の青空が広がっています。
いつも利用している図書館の上の道をぶらぶら散歩
風もない穏やかな日だまりで老女たち3人が集まって
「どこんもんだえ、見たことねえ顔だな。」とガン見されました。
佐渡では見たことない人は、それはそれはじろじろガン見されます、覚悟のほどを。
「町んもんかあ」と。ここも十分町なのですが、夷町がお年寄りには町なのです。
「じゃあ、今度アップでいきますね。」
「アップだって!」
うははは
あははは
こんななりして、恥ずかしいが・・・ と、老女たち
横浜友よ、こういきましょう!
年輪を重ねた素敵な方たちでした。さよならすると、後ろから、
「そんならお地蔵さんとこまで行かんかっちゃ。」と、声が聞こえました。
園芸店から春夏のカタログが届いた。
カタログ雑誌は見るのが楽しい。
園芸関係は、お世話できない今では、はなからあきらめているから、これ買いたいなという気が起らず、心穏やかに見ていられる。
(11月というのに・・・)
インテリアから洋服関係までの総合カタログ雑誌は心動かされる。
インテリアは、洒落てるなあというごく簡単な感想でパスできるから、ここも楽しむだけで終わることができる。
ところがところが、あろうことか、洋服で引っ掛かった。今でもあの心境は理解不能。
注文したの。届いたそれを早速試着したら、サイズが小さい。返品に出してLLに取りかえってもらったけれど小さい。小さいというほどではないけれど、私の中では小さい。よく見ればモデルは若いお嬢さんだものね、身の程知らずだったわ。
懲りて、もう絶対買わない!と決めたからいい勉強だった。けちだから元を取ろうと小さくても何回か着たからよしとする。負け惜しみね。
困るのは今取っている雑誌のカタログ関係。
年代がちょうどぐらいだから、心をくすぐられる商品が載っているのよ。これは困る。
洋服は好みじゃあないから、ふーんで済むけれど、インナーとか化粧品が困る。
締め付けない、着て楽です、とか、これ1本でファンデーションをつけている効果があるとか読むと、顔を洗うのも面倒がるのに、買おうかなとか一応思うから厄介だ。
それが毎号毎号、これでもかというように宣伝するんだから、そのたびに心は揺れて。はあああ・・・
そしてこういったカタログは必ずと言っていいほど、この時期お節料理の見本が出るのよね。
材料は全部国産です、とか、読者のみなさんで味見をして、とか講釈が付いていると、この一番安いのを買ってみようかな、なんてちらっと思ったりして・・・
そして締め切り期限が過ぎるのを待って、やっぱいっかなんて自分で納得させて。
暇つぶしに眺めるカタログ雑誌も、結構罪作りだわ。
「どこそこの焼鳥屋を借り切って食事したんだって」
「あそこの洋食屋を借り切って食事したんだって」
「誰だか釣りをしていた人の竿を借りて、釣りしたんだって」
「山荘に泊まったんだってよ」
昨日行った床屋でのいろいろ話。
フクヤマロケは、あちらこちらで見たような話が飛び交っているようで・・・
ま、薬屋と床屋は噂話の温床ね。
横浜に行く前に、ロケ隊怒鳴った鞄やご主人に偶然会ったので、
「フクヤマ怒鳴ったんだって?」とミーハーな私は冷やかし半分早速聞いた。
「ああ、あれか。」ってご主人は事の顛末を話しする。するけれど、いまいち何のことか分からないから、適当に、はあはあだのふんふんだの相槌を打つわけよ。
大体声だけでかくて、しかもご自分は思い込みが激しくあるから、なかなかことの趣旨は見えてこない。私は別にフクヤマファンじゃあないけれど聞きたい一点だけがあるから、我慢したね。薬局ご主人もマサチャンママも鞄や話にはみんな知らん顔。
で、一区切りついたところで我慢ならず聞いたわ。
「フクヤマ、すぐわかった?」
「そんなもん分からせん、皆ダウン着とったし、80人ぐらいもおったが。そのもんたちがみんな俺の方見とったがさ。」だと。
横浜から帰ると、薬局にレポートが預けてあると聞いていたので取りに行った。
地図を見ながらよくよく読んだ。繰り返し読んだら、ははあーっと頭下げなくてはならないことがわかったわ。これでは怒るわけだわ。
要するに、1年前から、木道や丸太階段の設置の中止やすでに落ち着いている石畳等の掘り起こしの中止等、ドンデン山の改修工事に伴う作業道の敷設や工事方法についての嘆願書を県に提出して陳情していたのね。
ドンデン山の景観をなすシバ草原や放牧牛、特有の植物群を保護維持するために、重機を入れた改修工事をしないでほしいと嘆願していたことがよくわかった。
それがようやく通ったというのに、ロケ隊が重機を入れて撮影していたんでは、頭に血が上ろうというもの。でも、撮影隊は観光課にきちんと許可を取っていたというから、そこは分かったとなって、怒りの矛先は佐渡市に行ったんだ。それは当然だ。
「あんた、感想を述べよって必ず言われるからね。覚悟しとけや。あのもんは必ず聞くんだから。」とマサチャンママ。
分かりました、しっかり感想を述べます。佐渡の自然のあり方についても縷々述べます。そりゃあ私だって、一家言持っているんだから。
ただ言うだけで、行動しないという負い目があるだけで・・・
今朝は、大雨洪水強風波浪雷、のフルセット注意報発令。
午後には強風は消えたけれど、そうかな?という天気で得した気分。
冬になると君に出ていただきたい。
そりゃ、春夏秋も存在感ありの君だけれど、
トンビもピーヒョロピーヒョロ鳴いているけれど、
私の中ではこの季節、君が一番。
ほんとはあまり好きじゃないの、なんてこの際言わないことにするわ。
佐渡での日常が戻って来ました。
朝7時はこのような空でも、小雨が降っているのです。
冬の空は猫の目のように変わります。
父は掃除機をかけ、私は大嫌いなその他の掃除、洗濯、仏さん関係の仕事。
朝食を食べ終え、洗濯物を干しても、父はまだ食べています。
「かあさんとこ、行ってこようかな。」と、晴れているすきに父は出かけました。
昨日、母が眼をパッチリ開けるようになったことを報告しておいたので、張り切って行きました。じっと見つめておったとの報告を受けました。
昼前、こんな空になったので、急いで、土曜市に行き、うまいもんやに行き、スーパーに行き、食料を調達してきました。
午後から4本足に潜り込むために、図書館で本を借りてきました。
これで、今日明日、心おきなくだらりんとします。
このブログを書いているうちに、もう空が怪しくなりました。
洗濯物は1時間も外干ししただけで、室内に取り込むことにします。
午後はなーーーんもしません。
昼寝して、相撲を見て、今夜は牡蠣鍋に決めたので、食べて寝るだけです。
佐渡での基本日常はこんなものです・・・
昨日、トンネルを超えると越後湯沢はうっすら雪模様。
山も田んぼも雪が・・・
雪は浦佐、長岡、燕三条まで続いていました。
どこから雪がなくなるんだろう、と思った時新潟は雨。
信濃川を過ぎると船はとたんに揺れ始めました。
私は薬を飲んで酔わないようにしました、液体を飲んで酔うようにしました。
私の体はどう判断したのでしょう、酔ったようでもあり、酔わなかったようでもあり・・・
長かったあ、日本海1時間半。右に揺れ左に揺れ、上へ下へ揺れ。
メールが来たけれど、そんなの見ていられない。ごめんね。
両津湾に入ってようやく一息ついて、揺れは感じなくなりました。あとは着岸を待つだけ。船外に出たとたん横殴りの雨、雷。大変なお迎えがありました。
で、今日。朝の佐渡の注意報、大雨、雷、強風、波浪、もう一つあったけれど忘れました。4本足にすがる以外ありません。
フクヤマ事件ドンデン山にも初冠雪
タンクの向こうに見えるはずの小佐渡の山々が見えません
母の施設に行く途中の神社で、証拠の雪を見ました
保育園の園庭の落ち葉も濡れそぼって
横浜に行っている間に佐渡の季節は一気に初冬に変わって・・・