三浦正雄さん、矢原秀人さんの共著「あの世はあった 文豪たちは見た!ふるえた!」という本を読んでいます。
私は幽霊というものを信じていませんでしたが、この本を読むとどうも存在するらしい。この本は有名な作家の遠藤周作さん、三浦朱門さん、佐藤愛子さん、菊地寛さんたちの異常体験について記述されています。
佐藤愛子さんの例では、佐藤さんが異常体験をするようになったのは北海道の浦河という町の人里離れた土地に別荘を建てたことに始まります。家が建った昭和50年には、まだちょっとした怪奇現象しか起こらなかったが、2年目になると別荘で家事手伝いしている女性が真夜中午前3時頃に屋根の上で歩く足音がして、恐くて警察を呼ぶほどになったとのこと。それからは佐藤さん自身も「ノッシノッシ」「ズッシーン、ズッシーン」という音が聞こえるようになります。どうも佐藤さんが建てた別荘の場所は日本人に滅ぼされたアイヌの集落であり成仏できない霊が地縛霊となってうようよしているらしい。霊能者で有名な美輪明宏さんに電話で相談すると「佐藤さんに霊が背中に重なりあっているのが見えるわ」といわれたとのこと。
その後、次から次へとさまざまな怪奇現象に見舞われ続けた佐藤さんはしだいに「騒がず、失望せず、成り行きを見守る」という心境になっていきます。そうした中で何人もの霊能者と出会います。佐藤さんの回りに現れる霊能力者は親しみやすく、私心のない慈愛に満ちたひとばかりでした。佐藤さんがその後30年間苦しめられた超常現象を乗り越えられたのはこの人たちとの出会いのおかげと佐藤さんは考えられます。そしてまた、大いなる者の意思(神)の存在を人々に悟らせる使命を自分に課したのだ、と思われます。
大半の人は、死んだら無になると思っています。そう思うと人は傲慢になり、低い次元に傾いて行きます。でも死後があると思うと人は違ってきます。それを多くの人々に知らせるのが自分の使命ではないかと・・・。
「作家であり書く力があるから選ばれたかもしれない。でも他にも作家はいろいろいるのになぜ私が・・・・とも思うんですけど、それは先祖の因縁が積もっていたからという気がするのです」。といわれています。
佐藤愛子さん記述の中の「大半の人は、死んだら無になると思っています。そう思うと人は傲慢になり、低い次元に傾いて行きます。でも死後があると思うと人は違ってきます。」のこの言葉は自分にとって勉強になりました。
私は幽霊というものを信じていませんでしたが、この本を読むとどうも存在するらしい。この本は有名な作家の遠藤周作さん、三浦朱門さん、佐藤愛子さん、菊地寛さんたちの異常体験について記述されています。
佐藤愛子さんの例では、佐藤さんが異常体験をするようになったのは北海道の浦河という町の人里離れた土地に別荘を建てたことに始まります。家が建った昭和50年には、まだちょっとした怪奇現象しか起こらなかったが、2年目になると別荘で家事手伝いしている女性が真夜中午前3時頃に屋根の上で歩く足音がして、恐くて警察を呼ぶほどになったとのこと。それからは佐藤さん自身も「ノッシノッシ」「ズッシーン、ズッシーン」という音が聞こえるようになります。どうも佐藤さんが建てた別荘の場所は日本人に滅ぼされたアイヌの集落であり成仏できない霊が地縛霊となってうようよしているらしい。霊能者で有名な美輪明宏さんに電話で相談すると「佐藤さんに霊が背中に重なりあっているのが見えるわ」といわれたとのこと。
その後、次から次へとさまざまな怪奇現象に見舞われ続けた佐藤さんはしだいに「騒がず、失望せず、成り行きを見守る」という心境になっていきます。そうした中で何人もの霊能者と出会います。佐藤さんの回りに現れる霊能力者は親しみやすく、私心のない慈愛に満ちたひとばかりでした。佐藤さんがその後30年間苦しめられた超常現象を乗り越えられたのはこの人たちとの出会いのおかげと佐藤さんは考えられます。そしてまた、大いなる者の意思(神)の存在を人々に悟らせる使命を自分に課したのだ、と思われます。
大半の人は、死んだら無になると思っています。そう思うと人は傲慢になり、低い次元に傾いて行きます。でも死後があると思うと人は違ってきます。それを多くの人々に知らせるのが自分の使命ではないかと・・・。
「作家であり書く力があるから選ばれたかもしれない。でも他にも作家はいろいろいるのになぜ私が・・・・とも思うんですけど、それは先祖の因縁が積もっていたからという気がするのです」。といわれています。
佐藤愛子さん記述の中の「大半の人は、死んだら無になると思っています。そう思うと人は傲慢になり、低い次元に傾いて行きます。でも死後があると思うと人は違ってきます。」のこの言葉は自分にとって勉強になりました。