昨日の夜は宿直でした。
巡回作業も終わり、留守番もかねて玄関先でNHKテレビの「とんび」後編を視ていました。
ドラマの終盤近くで主人公が幼い頃別れた父親が危篤ということで、東京の病院を訪ねる
シーンがありました。
それを視ていて、なぜかしら私の父親の事を思いました。
母親の死に顔はなんとなく覚えているのですが、父親の死に顔がどうしても思い出せません。
「俺って、父親の死に顔を見たのかなぁ?」と、自分自身に呼びかけました。
家内の母親が亡くなった時、義父にお棺の中に入っている義母の顏を見るように促されたのですが、
死んだ顔の方が忘れられなくなってしまうと思い、祈りをささげただけで顔はあまり見なかったように
思います。
今にして思うのは、不思議なんですが死に顔は覚えていないものです。
生前中の顏を思い出すものだと実感しています。
今朝、宿直を終えて家に帰った際、家内に「俺、父親の死に顔見たかな?」と話しかけたところ、
「見たわよ!」との返答でした。
テレビ・ドラマから、とんでもない事を思うものです。
巡回作業も終わり、留守番もかねて玄関先でNHKテレビの「とんび」後編を視ていました。
ドラマの終盤近くで主人公が幼い頃別れた父親が危篤ということで、東京の病院を訪ねる
シーンがありました。
それを視ていて、なぜかしら私の父親の事を思いました。
母親の死に顔はなんとなく覚えているのですが、父親の死に顔がどうしても思い出せません。
「俺って、父親の死に顔を見たのかなぁ?」と、自分自身に呼びかけました。
家内の母親が亡くなった時、義父にお棺の中に入っている義母の顏を見るように促されたのですが、
死んだ顔の方が忘れられなくなってしまうと思い、祈りをささげただけで顔はあまり見なかったように
思います。
今にして思うのは、不思議なんですが死に顔は覚えていないものです。
生前中の顏を思い出すものだと実感しています。
今朝、宿直を終えて家に帰った際、家内に「俺、父親の死に顔見たかな?」と話しかけたところ、
「見たわよ!」との返答でした。
テレビ・ドラマから、とんでもない事を思うものです。