昨晩は宿直明けで9時間も寝ました。
夜中に二度も起こされて寝付かれなかったのが影響したようです。(苦笑)
10月18日の夕刊に内科医 中村仁一さん(73)という老人ホーム付属診療所長さんの記事が載っていました。
この方をご存知の方は多いと思いますが、中村さんは「死ぬのはがんがいい」と宣言されているお方です。
人間は必ず死にます。いわば未決の死刑囚。だけど執行日は分からない。しかし、がんというのは執行日が近未来に決まる。人生の整理ができます。私たちはいろいろな人との関係で生きてきた。そういう人にお別れとお礼が言える。
がんで死ぬのが嫌がられているのは、痛みでのたうち回って死ぬと信じられているからでしょうね。でもがんは放置して何もしないと、かえって痛まないことがほとんど。
これは私が勤務する老人ホームで長年見ていて分かったこと。
徹底的に延命治療すると、結果的に非人間的な状態で亡くなります。
昔はがんに限らず、皆穏やかに自宅で死んでいったんです。
死後どうなるかについては、私は考えない。お釈迦さんは弟子に「考えるな。分からないんだから考えても仕方ないだろう」と言ったみたいですよ。あの世はあるかもしれないし、ないかもしれない。それよりも、死ぬまでちゃんと生きることが大切でしょう。
今、日本人は死ぬことをほとんど忘れている。百歳近い親に対しても「そろそろですよ」と言うと、七十歳前後の子が延命治療に走ることもある。普段から死はまだまだ先だと思っている。周囲から死を遠ざけている。
人間は繁殖期を終えたら、親なり周囲の人間が死ぬことを念頭に置いて関わることが大切じゃないか。
例えば親が余命六ヶ月と言われたら、何をしてあげたいか書き出してあげる。母の日にはカーネーションなんてあげていないで、そういうことを考えた方がいい。父の日には父の、結婚記念日には配偶者の、そして誕生日には自分の死を考える。そうすれば年に一回は考えることができる。
お釈迦さんは生老病死を四苦と言った。苦は思い通りにならない。という意味。それを思い通りにしようとするから苦しい。
死に方にいい悪いはなく、巡り合わせがある。私は普段から救急車を呼ばないと言っているけど、講演先でひっくり返ったら、そら、呼ばれますよ。集中治療室に入れられて延命処置される。阻止できない。でもそんなことはどうでもいいんであって、それまでどう生きるかを考えようと。ただ、がんはほかの病気に比べて、死ぬときに自分の思いが達成しやすいだろうから、がんで死にたいと言っている。
家族の希望で、体が受け付けないのに胃に穴を開けたとして栄養を無理に入れることもある。本人にすればつらかろうと思う。後悔したくないというが、それは家族のエゴだと思う。自己満足のために親を犠牲にしていいのかと。でも家族はいいことをしていると信じて聞く耳を持たない。親の死が考えられない。そうならないためにも、普段から死ぬことを考えることが大切です。
私のあごの下にこぶがあるでしょ。腫瘍なんです。少しずつ発達している。おかげで、しゃべっているとつばの出が悪くなる。検査はしていない。手術する気がないのに検査してもしょうがない。良性と悪性が混ざっている混合腫瘍なんでしょうね。悪性としてもどれくらい生きられるかは分からない。ただ、何も治療しない方が、するよりも長生きできると思っています。
抗がん剤を打ったりすると、毒(副作用)で生きる時間が短くなる。抗がん剤でがんを小さくすることはできても撲滅は難しい。
私はほとんどのがんは治療しなければ痛まないと思っている。もしがんが痛むのなら末期になるまでなぜ見つからないのだと。初期に痛みでがんが見つかる例は多くないでしょ。
父親は二十歳のとき、眼科病院で目薬と劇薬、塩酸か硫酸か分かりませんが、間違えて両目に入れられた。一瞬でじゅっ、といって失明した。その後何度も自殺を図ったみたいです。そして鍼灸院を開業した。
私が高校二年の時に心筋梗塞で亡くなったが、死ぬ半年前から発作があってね。食道がねじれたかと思うくらい痛いらしい。翌朝はまた仕事。でも弱音、ぐちを言わなかった。発作が起きるともうだめだ、という絶望感を味わうらしい。そういう発作を週に何回もした。でも外には言わない。失明と自殺を何度も図った経験から、これは誰にも代わってもらうことはできないと知っていただろうね。その死にざまは」おやじからの無言の遺書として受け取っている。
私も四十歳を過ぎて不整脈になって発作があった。よりどころを宗教に求めた。医療は頼りになるとは思わなかった。医療から生き方は出てこない。
で、聖書を読んだけど私には合なかった。だから仏教の本を読み出した。生老病死は四苦、といわれても「楽しいこともあるぞ」と思い、ピンとこなかった。だけど「苦」は苦しいのではなく、思い通りにならないことだと知って、よく理解できた。
老いには寄り添う、病には連れ添う。健康には振り回されない。死ぬ時期が来たら、まだ早いかと言って悪あがきせずに、はい、はいと素直に従う。医療を使って楽になるのなら、回復の見込みがあるのなら使ったらいい。しかし限界がある。年を取ったものを若返らすことはできない。年寄りは具合が悪くて当たり前なんです。
悩みますね!
たしかに中村先生の仰っていることは納得できます。
私も抗がん剤は信用していません。
ただ何もしないで放っておくなんていうこともできない。
悩んでしまいます。(苦笑)
平井堅 「桔梗が丘」実家にて
夜中に二度も起こされて寝付かれなかったのが影響したようです。(苦笑)
10月18日の夕刊に内科医 中村仁一さん(73)という老人ホーム付属診療所長さんの記事が載っていました。
この方をご存知の方は多いと思いますが、中村さんは「死ぬのはがんがいい」と宣言されているお方です。
人間は必ず死にます。いわば未決の死刑囚。だけど執行日は分からない。しかし、がんというのは執行日が近未来に決まる。人生の整理ができます。私たちはいろいろな人との関係で生きてきた。そういう人にお別れとお礼が言える。
がんで死ぬのが嫌がられているのは、痛みでのたうち回って死ぬと信じられているからでしょうね。でもがんは放置して何もしないと、かえって痛まないことがほとんど。
これは私が勤務する老人ホームで長年見ていて分かったこと。
徹底的に延命治療すると、結果的に非人間的な状態で亡くなります。
昔はがんに限らず、皆穏やかに自宅で死んでいったんです。
死後どうなるかについては、私は考えない。お釈迦さんは弟子に「考えるな。分からないんだから考えても仕方ないだろう」と言ったみたいですよ。あの世はあるかもしれないし、ないかもしれない。それよりも、死ぬまでちゃんと生きることが大切でしょう。
今、日本人は死ぬことをほとんど忘れている。百歳近い親に対しても「そろそろですよ」と言うと、七十歳前後の子が延命治療に走ることもある。普段から死はまだまだ先だと思っている。周囲から死を遠ざけている。
人間は繁殖期を終えたら、親なり周囲の人間が死ぬことを念頭に置いて関わることが大切じゃないか。
例えば親が余命六ヶ月と言われたら、何をしてあげたいか書き出してあげる。母の日にはカーネーションなんてあげていないで、そういうことを考えた方がいい。父の日には父の、結婚記念日には配偶者の、そして誕生日には自分の死を考える。そうすれば年に一回は考えることができる。
お釈迦さんは生老病死を四苦と言った。苦は思い通りにならない。という意味。それを思い通りにしようとするから苦しい。
死に方にいい悪いはなく、巡り合わせがある。私は普段から救急車を呼ばないと言っているけど、講演先でひっくり返ったら、そら、呼ばれますよ。集中治療室に入れられて延命処置される。阻止できない。でもそんなことはどうでもいいんであって、それまでどう生きるかを考えようと。ただ、がんはほかの病気に比べて、死ぬときに自分の思いが達成しやすいだろうから、がんで死にたいと言っている。
家族の希望で、体が受け付けないのに胃に穴を開けたとして栄養を無理に入れることもある。本人にすればつらかろうと思う。後悔したくないというが、それは家族のエゴだと思う。自己満足のために親を犠牲にしていいのかと。でも家族はいいことをしていると信じて聞く耳を持たない。親の死が考えられない。そうならないためにも、普段から死ぬことを考えることが大切です。
私のあごの下にこぶがあるでしょ。腫瘍なんです。少しずつ発達している。おかげで、しゃべっているとつばの出が悪くなる。検査はしていない。手術する気がないのに検査してもしょうがない。良性と悪性が混ざっている混合腫瘍なんでしょうね。悪性としてもどれくらい生きられるかは分からない。ただ、何も治療しない方が、するよりも長生きできると思っています。
抗がん剤を打ったりすると、毒(副作用)で生きる時間が短くなる。抗がん剤でがんを小さくすることはできても撲滅は難しい。
私はほとんどのがんは治療しなければ痛まないと思っている。もしがんが痛むのなら末期になるまでなぜ見つからないのだと。初期に痛みでがんが見つかる例は多くないでしょ。
父親は二十歳のとき、眼科病院で目薬と劇薬、塩酸か硫酸か分かりませんが、間違えて両目に入れられた。一瞬でじゅっ、といって失明した。その後何度も自殺を図ったみたいです。そして鍼灸院を開業した。
私が高校二年の時に心筋梗塞で亡くなったが、死ぬ半年前から発作があってね。食道がねじれたかと思うくらい痛いらしい。翌朝はまた仕事。でも弱音、ぐちを言わなかった。発作が起きるともうだめだ、という絶望感を味わうらしい。そういう発作を週に何回もした。でも外には言わない。失明と自殺を何度も図った経験から、これは誰にも代わってもらうことはできないと知っていただろうね。その死にざまは」おやじからの無言の遺書として受け取っている。
私も四十歳を過ぎて不整脈になって発作があった。よりどころを宗教に求めた。医療は頼りになるとは思わなかった。医療から生き方は出てこない。
で、聖書を読んだけど私には合なかった。だから仏教の本を読み出した。生老病死は四苦、といわれても「楽しいこともあるぞ」と思い、ピンとこなかった。だけど「苦」は苦しいのではなく、思い通りにならないことだと知って、よく理解できた。
老いには寄り添う、病には連れ添う。健康には振り回されない。死ぬ時期が来たら、まだ早いかと言って悪あがきせずに、はい、はいと素直に従う。医療を使って楽になるのなら、回復の見込みがあるのなら使ったらいい。しかし限界がある。年を取ったものを若返らすことはできない。年寄りは具合が悪くて当たり前なんです。
悩みますね!
たしかに中村先生の仰っていることは納得できます。
私も抗がん剤は信用していません。
ただ何もしないで放っておくなんていうこともできない。
悩んでしまいます。(苦笑)
平井堅 「桔梗が丘」実家にて