17日の中日新聞朝刊に、
「原発逃れたのに・・・」
サブタイトルに福島の夫婦 また被災
という記事が載っていました。
余震が続く熊本市内の小学校に開設された避難所に、福島で東日本大震災と原発事故で被災し、
熊本に避難してきた夫婦がいた。
酒井智明さん(48)と妻の孝代さん(60)。
五年前の震災で二人とも職を失い、大病を患った。
「こんな災害に二度も遭うなんて」。
智明さんは天を仰いだ。
十六日午後、教室の床に敷いた布団にぐったりと横たわる孝代さんの傍に腰を下ろし、
体調を気遣う智明さんの姿があった。
「二日間ほとんど寝てなかったので、疲れがたまったんだね」。
未明に起きた激しい余震で、住まいの県営住宅がある市中心部でも建物の倒壊が相次いだため、
夜明けを待って避難してきた。
東日本大震災当時は、智明さんが育った福島県いわき市で暮らしていた。
運送業を営んでいた智明さんは、沿岸部の駐車場に置いていたトラック二台を流出。
美容師だった孝代さんは地震発生時に転倒して、腕の神経を痛め、
はさみを握れなくなった。
追い打ちをかけるように東京電力福島第一原発事故が起きた。
自宅は原発から三十六キロにあり、屋内退避を迫られた。
半壊した家に閉じこもり、残っていた冷やご飯で空腹をしのいだが二週間が限界。
孝代さんの故郷の熊本に向かった。
三ヶ月後、孝代さんが倒れた。
甲状腺がんだった。
放射能汚染との因果関係は分からない。
首元の腫瘍を摘出する手術を受け、
か細い声しか出なくなり、
左側に顔を向ける首の動きもできなくなった。
「妻の医療費を稼がなくては」と、智明さんは復興作業の仕事に就いたが、
翌年、腰に激痛が走る椎間板ヘルニアを発症し、力仕事はできなくなった。
遠く離れた土地で、被災者の気持ちを理解してくれる人は多くなかった。
「東電から多額の補償金をもらっていると思われている」
「福島ナンバーの車に汚い物を見るような目を向けられた」。
二人で闘病生活を送りながら、福島から同じように
熊本に避難してきた人たちの集いに参加した。
つらい思いを打ち明けると心が和らいだ。
昨年春、がんや腕のけがが快方に向かった孝代さんは、
美容師の仕事を再開。
美容院を開く資金はなく、病院や福祉施設でお年寄りや
障害者の髪を切る訪問営業だが、頼りにしてくれる人が増えてきた。
夫婦の人生にわずかな光が差し始めたと思ったところで、
今回の地震に見舞われた。
「何のために熊本まで来たのかなと思ってしまうけど、生きるしかない。
食欲もないけど、食べられる時に食べないと」。
二人はこの日の夕方、市が配布を始めた水と惣菜パンを受け取る列に並んだ。
以上が新聞記事の内容です。
聖書に下記のような事が書かれているようです。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙一10・13)
酒井さんご夫妻にとっては、この試練が耐えられるような試練なんでしょうか?
私なら無理です。
これほどの試練が次から次へと続くのは、あまりにも酷いです。
先日ラジオのテレフォン人生を聞いていましたら、
加藤先生が、
「どうにもならない運命を乗り越えたら、人間として最高の価値がある。」と語っていらっしゃいました。
酒井さんご夫妻が、この過酷な運命を乗り越えられて、人間として最高の価値を手に入れていただくよう願っています。
竹内まりや & 松たか子 元気を出して
「原発逃れたのに・・・」
サブタイトルに福島の夫婦 また被災
という記事が載っていました。
余震が続く熊本市内の小学校に開設された避難所に、福島で東日本大震災と原発事故で被災し、
熊本に避難してきた夫婦がいた。
酒井智明さん(48)と妻の孝代さん(60)。
五年前の震災で二人とも職を失い、大病を患った。
「こんな災害に二度も遭うなんて」。
智明さんは天を仰いだ。
十六日午後、教室の床に敷いた布団にぐったりと横たわる孝代さんの傍に腰を下ろし、
体調を気遣う智明さんの姿があった。
「二日間ほとんど寝てなかったので、疲れがたまったんだね」。
未明に起きた激しい余震で、住まいの県営住宅がある市中心部でも建物の倒壊が相次いだため、
夜明けを待って避難してきた。
東日本大震災当時は、智明さんが育った福島県いわき市で暮らしていた。
運送業を営んでいた智明さんは、沿岸部の駐車場に置いていたトラック二台を流出。
美容師だった孝代さんは地震発生時に転倒して、腕の神経を痛め、
はさみを握れなくなった。
追い打ちをかけるように東京電力福島第一原発事故が起きた。
自宅は原発から三十六キロにあり、屋内退避を迫られた。
半壊した家に閉じこもり、残っていた冷やご飯で空腹をしのいだが二週間が限界。
孝代さんの故郷の熊本に向かった。
三ヶ月後、孝代さんが倒れた。
甲状腺がんだった。
放射能汚染との因果関係は分からない。
首元の腫瘍を摘出する手術を受け、
か細い声しか出なくなり、
左側に顔を向ける首の動きもできなくなった。
「妻の医療費を稼がなくては」と、智明さんは復興作業の仕事に就いたが、
翌年、腰に激痛が走る椎間板ヘルニアを発症し、力仕事はできなくなった。
遠く離れた土地で、被災者の気持ちを理解してくれる人は多くなかった。
「東電から多額の補償金をもらっていると思われている」
「福島ナンバーの車に汚い物を見るような目を向けられた」。
二人で闘病生活を送りながら、福島から同じように
熊本に避難してきた人たちの集いに参加した。
つらい思いを打ち明けると心が和らいだ。
昨年春、がんや腕のけがが快方に向かった孝代さんは、
美容師の仕事を再開。
美容院を開く資金はなく、病院や福祉施設でお年寄りや
障害者の髪を切る訪問営業だが、頼りにしてくれる人が増えてきた。
夫婦の人生にわずかな光が差し始めたと思ったところで、
今回の地震に見舞われた。
「何のために熊本まで来たのかなと思ってしまうけど、生きるしかない。
食欲もないけど、食べられる時に食べないと」。
二人はこの日の夕方、市が配布を始めた水と惣菜パンを受け取る列に並んだ。
以上が新聞記事の内容です。
聖書に下記のような事が書かれているようです。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙一10・13)
酒井さんご夫妻にとっては、この試練が耐えられるような試練なんでしょうか?
私なら無理です。
これほどの試練が次から次へと続くのは、あまりにも酷いです。
先日ラジオのテレフォン人生を聞いていましたら、
加藤先生が、
「どうにもならない運命を乗り越えたら、人間として最高の価値がある。」と語っていらっしゃいました。
酒井さんご夫妻が、この過酷な運命を乗り越えられて、人間として最高の価値を手に入れていただくよう願っています。
竹内まりや & 松たか子 元気を出して