一昨日の中日新聞朝刊の「妻と夫の定年塾」という西田小夜子さんのコラムに、
「私のために」というタイトルの文章が載っていました。
「六十過ぎたし、これからは私のために生きようって決めたの。
夫や息子のためでなく」
いつも口数の少ない響子さんの言葉に、
真弓さんは「何かあったのかしら」と心配になった。
響子さんは良妻賢母の見本みたいな女性だ。
定年後、ほとんど家から出ない夫のため、あれこれ気遣い、
結婚しない三十八歳の息子にはお弁当を作り続けている。
こんな女性もいるのかと、真弓さんは感心していたのだ。
「ふーん。私、響子さんのご家族は幸せだなあと思ってたのよ。
うちの場合、夫とは年中けんかしてるし、ごはんを作るのがどうにもいやな時は、
逃げ出して夜遅く帰ったり、精いっぱい抵抗するの」
響子さんの実家には、九十歳の父と八十七歳になる母が二人で
暮らしていた。
病気ではないが、年相応に両親を見ているうちに、
急に怖くなったらしい。
「母がね、お父さんいつまで生きてるのかしらって、ボソッとつぶやいたの。
六十年以上も母は父のために尽くしてきたけど、これからも
限りなく続くわけでしょ。
母を見てると、忍耐が美徳だとは思えない。
がまんを続けて、老いて死ぬ人生なんか無意味だわ」
一週間後、響子さんは社交ダンスとピアノ教室に通い始めた。
息子には家を出て自活するようすすめ、
夫の食事も適当に手をぬく。
明るく快活に変身した友達を見て、
真弓さんも「そうね、私のために生きなきゃ」と元気が出た。
(作家・夫婦のための定年塾主宰)
偶然にもこの記事と同じような女性が、昨日のテレフォン人生相談の相談者でした。
「私の為の人生がない」と70歳の女性相談者が話されました。
加藤先生が「幸せになるに遅すぎることはありません」と諭されました。
今の時代でも自分の人生を、自分の為に使うことができない人がいるんですね。
夫の為、家族の為に生きる、それだけでは自分がこの世に生まれてきた意味がないように思います。
まずは、1度しかない自分の人生を楽しまなくっちゃ。
春だったね by 吉田拓郎 2002 2/19
「私のために」というタイトルの文章が載っていました。
「六十過ぎたし、これからは私のために生きようって決めたの。
夫や息子のためでなく」
いつも口数の少ない響子さんの言葉に、
真弓さんは「何かあったのかしら」と心配になった。
響子さんは良妻賢母の見本みたいな女性だ。
定年後、ほとんど家から出ない夫のため、あれこれ気遣い、
結婚しない三十八歳の息子にはお弁当を作り続けている。
こんな女性もいるのかと、真弓さんは感心していたのだ。
「ふーん。私、響子さんのご家族は幸せだなあと思ってたのよ。
うちの場合、夫とは年中けんかしてるし、ごはんを作るのがどうにもいやな時は、
逃げ出して夜遅く帰ったり、精いっぱい抵抗するの」
響子さんの実家には、九十歳の父と八十七歳になる母が二人で
暮らしていた。
病気ではないが、年相応に両親を見ているうちに、
急に怖くなったらしい。
「母がね、お父さんいつまで生きてるのかしらって、ボソッとつぶやいたの。
六十年以上も母は父のために尽くしてきたけど、これからも
限りなく続くわけでしょ。
母を見てると、忍耐が美徳だとは思えない。
がまんを続けて、老いて死ぬ人生なんか無意味だわ」
一週間後、響子さんは社交ダンスとピアノ教室に通い始めた。
息子には家を出て自活するようすすめ、
夫の食事も適当に手をぬく。
明るく快活に変身した友達を見て、
真弓さんも「そうね、私のために生きなきゃ」と元気が出た。
(作家・夫婦のための定年塾主宰)
偶然にもこの記事と同じような女性が、昨日のテレフォン人生相談の相談者でした。
「私の為の人生がない」と70歳の女性相談者が話されました。
加藤先生が「幸せになるに遅すぎることはありません」と諭されました。
今の時代でも自分の人生を、自分の為に使うことができない人がいるんですね。
夫の為、家族の為に生きる、それだけでは自分がこの世に生まれてきた意味がないように思います。
まずは、1度しかない自分の人生を楽しまなくっちゃ。
春だったね by 吉田拓郎 2002 2/19