先週の日曜日の中日新聞に『新貧乏物語 第3部 非正規スパイラル』
今回のサブタイトルは「⑦親の不安」という記事が掲載されていました。
三人の孫は目に入れても痛くない。
でも、将来を考えると心配でたまらない。
金沢市に住む神野政信さん(64)=仮名は、実家を離れて関西地方で暮らす長男(37)の
ため息が忘れられない。
「このままだと、この子らを大学に行かせられない」
七歳、五歳、二歳。
三人の男の子を持つ長男の仕事は、日雇いの土木作業員。
妻(32)も働いているが、正社員ではなく介護施設のパートだ。
非正規同士で結婚した長男夫妻の収入は、月に二十五万円ほどと聞いている。
孫はかわいい盛り。甘やかしたつもりはないが、神野さんは昨年、
家計を預かる長男の妻に将来への「援助」を切り出した。
自分は夫婦合わせて月に約三十万円の年金をもらっている。
そこから、孫三人で月六万円になる学資保険を積み立てる。
話を聞いた妻は「ありがとうございます」と頭を下げた。
長男は年に二度、孫の顔を見せるために金沢の実家に帰ってくる。
ただ、片道約二万五千円かかる家族五人の交通費を払う余裕は無く、
神野さんが負担している。
一九五一(昭和二十六)年生まれの神野さんが大学を卒業したのは、
日本が安定成長に入った七五(同五十)年だった。
事務員として医療関係団体に就職し、初任給は七万円。
仕事がうまくいかずにしかられることはあったが給料が下がったことはない。
当時はまだ、年功序列と終身雇用に守られている安心感があった。
二十五歳で労働金庫から七百五十万円を借りてマイホームを購入した。
看護師だった妻(64)と共働き。
長男と長女(35)、次男(30)の子ども三人に恵まれた。
「頑張れば頑張った分だけ良い暮らしができる」。
そう思うことができた。
「大学卒業まで面倒を見れば、子どもたちは自立する」と信じていた。
「ところが・・・」。
大阪の私立大に進んだ長男は、新卒での就職活動が氷河期と呼ばれた
二〇〇〇年に重なった。
唯一の内定先だった医療系の協同組合に正規の事務員として就職したが、
職場の空気にどうしてもなじめず、三年ほどで退職した。
神野さんは「怠けて辞めたわけではない」と信じ、
詳しい理由は聞かずにいる。
退職後に就いた日雇いの仕事は組合勤務のサラリーマン時代とは違い、
毎月の年金を自分自身で納めなければならない。
日々の暮らしで精いっぱいの長男をふびんに思い、
神野さんはこれまでに六十万円以上の支払いを立て替えた。
東京の私立大を出た長女、金沢の専門学校を卒業した次男も、
一時は非正規で働いていた。
長男を含めて三人分の年金の立て替え額は、計約三百万円。
それ以外に、長女が大学進学で借りた奨学金三百万円の
返還も神野さんが肩代わりしている。
「これ以上の手助けはできない」。
夫婦ともに仕事を辞め、暮らしの頼りは年金だけ。
子どもたちへの援助で蓄えは減っている。
この先、自分たちが倒れて介護が必要になったら・・・。
長女は映像製作会社の正社員、次男は行政書士の資格を取ったが、
不惑の長男は正社員になれるのか。
昔の職場の同僚にそんな不安を打ち明けると「うちも同じだ」と言われた。
「私たちの世代は親の老後の面倒を子どもが見るのが普通だった」。
神野さんはそう振り返るが、今年六十五歳を迎える自分は今も息子の将来を
案じ続けている。
=終わり
親なら神野さんのように子供達が苦労していれば、できるだけの援助はしてやりたいと思います。
でも神野さんのように、ここまで出来る親は少ないでしょうね。
この話が事実なら、私なら長男一家を自宅へ呼び戻します。
まずはご長男が安定した職業に就かないとなんともならないと思います。
日雇いの土木作業員でしたら、関西地方に住む意味合いがないと思いますし、
奥様も介護のパートのお仕事ですので、金沢でも見つかると思います。
いろんな事情があるでしょうけど、まずは家賃を減らす。
長男のお嫁さんもまだお若いから、神野さんの自宅でしたら
お子様を神野さんご夫婦に預け1日働けるのでは。
孫たちに学資保険をかけるより、ご長男に資格を取ってもらい、
日雇いの土木作業員ではなく、安定した職業に少しでも近づいてもらうように
就職活動していただいたらどうかなと思います。
まずはご長男が一家の大黒柱になることが、一番の方法ではないかと思うのですが。
資格を取ったからといって、就職につながらないかもしれませんが、ないよりは
あった方がと思います。
親はいつまでも子供達の面倒を見ることはできません。
Perry Como - And I Love You So
今回のサブタイトルは「⑦親の不安」という記事が掲載されていました。
三人の孫は目に入れても痛くない。
でも、将来を考えると心配でたまらない。
金沢市に住む神野政信さん(64)=仮名は、実家を離れて関西地方で暮らす長男(37)の
ため息が忘れられない。
「このままだと、この子らを大学に行かせられない」
七歳、五歳、二歳。
三人の男の子を持つ長男の仕事は、日雇いの土木作業員。
妻(32)も働いているが、正社員ではなく介護施設のパートだ。
非正規同士で結婚した長男夫妻の収入は、月に二十五万円ほどと聞いている。
孫はかわいい盛り。甘やかしたつもりはないが、神野さんは昨年、
家計を預かる長男の妻に将来への「援助」を切り出した。
自分は夫婦合わせて月に約三十万円の年金をもらっている。
そこから、孫三人で月六万円になる学資保険を積み立てる。
話を聞いた妻は「ありがとうございます」と頭を下げた。
長男は年に二度、孫の顔を見せるために金沢の実家に帰ってくる。
ただ、片道約二万五千円かかる家族五人の交通費を払う余裕は無く、
神野さんが負担している。
一九五一(昭和二十六)年生まれの神野さんが大学を卒業したのは、
日本が安定成長に入った七五(同五十)年だった。
事務員として医療関係団体に就職し、初任給は七万円。
仕事がうまくいかずにしかられることはあったが給料が下がったことはない。
当時はまだ、年功序列と終身雇用に守られている安心感があった。
二十五歳で労働金庫から七百五十万円を借りてマイホームを購入した。
看護師だった妻(64)と共働き。
長男と長女(35)、次男(30)の子ども三人に恵まれた。
「頑張れば頑張った分だけ良い暮らしができる」。
そう思うことができた。
「大学卒業まで面倒を見れば、子どもたちは自立する」と信じていた。
「ところが・・・」。
大阪の私立大に進んだ長男は、新卒での就職活動が氷河期と呼ばれた
二〇〇〇年に重なった。
唯一の内定先だった医療系の協同組合に正規の事務員として就職したが、
職場の空気にどうしてもなじめず、三年ほどで退職した。
神野さんは「怠けて辞めたわけではない」と信じ、
詳しい理由は聞かずにいる。
退職後に就いた日雇いの仕事は組合勤務のサラリーマン時代とは違い、
毎月の年金を自分自身で納めなければならない。
日々の暮らしで精いっぱいの長男をふびんに思い、
神野さんはこれまでに六十万円以上の支払いを立て替えた。
東京の私立大を出た長女、金沢の専門学校を卒業した次男も、
一時は非正規で働いていた。
長男を含めて三人分の年金の立て替え額は、計約三百万円。
それ以外に、長女が大学進学で借りた奨学金三百万円の
返還も神野さんが肩代わりしている。
「これ以上の手助けはできない」。
夫婦ともに仕事を辞め、暮らしの頼りは年金だけ。
子どもたちへの援助で蓄えは減っている。
この先、自分たちが倒れて介護が必要になったら・・・。
長女は映像製作会社の正社員、次男は行政書士の資格を取ったが、
不惑の長男は正社員になれるのか。
昔の職場の同僚にそんな不安を打ち明けると「うちも同じだ」と言われた。
「私たちの世代は親の老後の面倒を子どもが見るのが普通だった」。
神野さんはそう振り返るが、今年六十五歳を迎える自分は今も息子の将来を
案じ続けている。
=終わり
親なら神野さんのように子供達が苦労していれば、できるだけの援助はしてやりたいと思います。
でも神野さんのように、ここまで出来る親は少ないでしょうね。
この話が事実なら、私なら長男一家を自宅へ呼び戻します。
まずはご長男が安定した職業に就かないとなんともならないと思います。
日雇いの土木作業員でしたら、関西地方に住む意味合いがないと思いますし、
奥様も介護のパートのお仕事ですので、金沢でも見つかると思います。
いろんな事情があるでしょうけど、まずは家賃を減らす。
長男のお嫁さんもまだお若いから、神野さんの自宅でしたら
お子様を神野さんご夫婦に預け1日働けるのでは。
孫たちに学資保険をかけるより、ご長男に資格を取ってもらい、
日雇いの土木作業員ではなく、安定した職業に少しでも近づいてもらうように
就職活動していただいたらどうかなと思います。
まずはご長男が一家の大黒柱になることが、一番の方法ではないかと思うのですが。
資格を取ったからといって、就職につながらないかもしれませんが、ないよりは
あった方がと思います。
親はいつまでも子供達の面倒を見ることはできません。
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