中日新聞の「くらしの作文」に「バナナ」というタイトルで65歳の女性が投稿されていました。
「はい、お駄賃」。
母がニコッと笑って、私にバナナを一本くれた。
私が小さかった頃、バナナはまだ高価だった。
ある時、叔母が私を岐阜市の柳ヶ瀬に連れて行ってくれた。
そこで新聞紙にくるんだバナナを一房買ってもらい、片手に持って叔母と町を歩いた。
そこは威勢のいい掛け声が飛び交う活気のある町だった。
田舎暮らしの私には、何もかも珍しく、夢見心地だった。
ふと気付くと、私の手には新聞紙しか無かった。
慌てて引き返したが、バナナはもうどこにも無かった。
よほど悲しかったのか、今でもそのことをずっと覚えている。
今、バナナはいくらでも買える。
母も好きなので「これはばあちゃんのだよ」と渡しても、忘れて私にくれようとする。
「ばあちゃんのだから、食べやあ」と返すと、少し寂しそうな顔をした。
それから母は、だんだん笑わなくなり、言葉も出にくくなった。
そんなある日、デイサービスから帰ってきた母が、バナナをくれた。
何のお駄賃か分からないが、久しぶりの笑顔がうれしかった。
「ありがとう」と受け取った。
母には小さい頃の私が見えているのだろうか。
そのバナナは甘く、おいしくて、涙が出た。
以上です。
いいお話ですね。
昔のバナナは高かったですね。
昔 子どもの頃 母とバナナを買いに行った事があります。
八百屋さんではなく、バナナ屋さんへ。
当時はバナナ専門のお店がありました。
バナナだけを売っているのです。
おじさんが出てきて地下室からバナナを一房持って来られたのを憶えています。
いかにも美味しそうな台湾バナナでした。
今はスーパーでバナナは安く買えますが、昔の台湾バナナの方が美味しかったように思います。
亜麻色の髪の乙女 ヴィレッジ・シンガーズ