中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「暮れの憂い」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。
年の瀬になると、なぜかおじさんは天下国家への憂いが湧きたってくる。
たとえば・・・「検察庁が某事件を不起訴とした。その理由は明らかにしていない」と報道される。
「証拠不十分だった」のか、「人権上の問題があって」なのか。
もしそうだとしたら、なおさらそのことを明らかにすべきではないのか。
納得はできなくとも、「へぇー、そうなんだ」と了解はできる。
しかし、たいていの場合、それっきりで、二度と報道されない。
日本は、公正で開かれたすばらしい国と思っていたら大間違いですぜ。
ある政治家の疑惑に関して、求めに応じて当局がやっと出した証拠の公文書は黒塗りだらけだった。
また、外国人が死に至った入管の処遇ビデオを、被害者側親族になかなか見せなかった。
検察庁の「不起訴の理由は明らかにしていない」と同じことが平然と行われているのだ。
まさしく「よらしむべし、知らしむべからず」ではないか。
都合の悪い事実を隠そうとするのは、後ろめたい人間の常だ。
しかし、国家がそれをやってはいけないのだ。
日本は腐りきった独裁国家ではない。
堂々たる国民主権の国なのだ。
以上です。
>日本は腐りきった独裁国家ではない。
堂々たる国民主権の国なのだ。
独裁国家ではないと思いますが、堂々たる国民主権の国とも言い難いのでは。
政治家、権力者は国民を馬鹿にしていると思います。
政治家などは、選挙の時だけ甘い言葉を投げ掛ければいいと。
自分達で勝ち取った国民主権でないので、日本人の意識は低いように思います。
やはり権力と立ち向かい、国民主権を勝ち取った国民は強いと思います。
FRED ASTAIRE DANCING TO PITBULL (Timber)