中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「太閤の城」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
現代に至っても、豊臣秀吉のイメージは明るく開放的で、庶民の人気は高い。
低い身分から「太閤さん」にまで上り詰めた強運の英雄として物語によく登場することにもよる。
英雄には違いないだろうが、おじさんはどうも秀吉は好きになれない。
小説などに書かれた秀吉は陽気でユーモラスな「人たらし」の魅力的な人物として描かれることが多い。
実際にそうだったかもしれない。が、冷酷な”独裁者”だったことを忘れるわけにはいかないのだ。
今春、肥前(佐賀県)の「名護屋城跡」を旅した。
言わずと知れた朝鮮侵攻の前線基地として築かれた城の跡地だ。
実見してその広大さに驚いた。
17万平方メートルもあるという。
諸大名に命じて数ヶ月で造らせたと伝わる、
土木機械などない時代だから、ほぼ全部が人力だ。
どれだけの人が動員されたことだろう。
その権力の強大さは想像を絶する。
今はきれいに整備されているが、この城跡に無数の人々の涙と無念が埋まっている。
ここから、430年ほど前に朝鮮に攻めいった。
遠く美しい入り江の景色を眺めながら、いにしえの秀吉と、ロシアのプーチン大統領との類似を思った。
古今、独裁者は人類の災いだ。
以上です。
本当に独裁者は、人類の災いですね。
今もプーチンだけでなく、世界には独裁者がいっぱいいます。
言論規制が甚だしい、国だらけです。
ひどい国になると、武力に金はかけるが、民の食糧不足には気にはかけない!
ただし権力者は、毎日美味しいものを食べています。
そういえば戦前の日本も、お国の為と言ってろくな物は食べれなかったようです。
もちろんいつの世にも、権力者は食べ物に困りません。
三人の英雄武将のうち、豊臣秀吉が一番評判がいいです。
私も子供の頃は、織田信長、徳川家康より、豊臣秀吉が好きでした。
水呑み百姓から日本一の権力者になった英雄でしたから。
織田信長の足軽の時、懐に信長の草履を温めて渡したという逸話には感心したものです。
考えてみればそれが事実なら、ゴマスリも甚だしいイヤな奴なんですが。苦笑
あまり朝鮮出兵の話は出ませんので、朝鮮に負けたと思っていましたが、事実は秀吉の方が有利に進んでいたようです。
武器や食料の輸送には苦労していたようですが、戦いは秀吉軍の方が優勢だったようです。
戦争を任された武将たちは、どこで停戦をしようか考えていたそうです。
何しろ終わりが見えない戦いで、武器や食料も不足していましたから。
秀吉が亡くなってしまったので、すぐさま停戦に持ち込んだそうです。
その後、家康との関ヶ原の戦いが始まります。
家康は秀吉にあまり信頼されていなかったので朝鮮出兵に行かなかったそうで、それが幸いして体力が落ちることなく、逆に体力が増したそうです。
関ヶ原で、秀頼の味方についた武将は、ほとんど朝鮮出兵に行っていて体力が消耗していました。
結果、家康の方が勝つということになりました。
これで家康は、参勤交代を思いついたのかな?
信頼できない武将は遠くに土地を与え、体力を消耗させる。
それが功を奏して、徳川時代が300年も続いたのかな?
恋 松山千春 1979
早朝からコメントを(・∀・)
私は、織田信長派です。
人間五十年 下天の内をくらぶれば、
夢幻のごとくなり…
>私は、織田信長派です。
人間五十年 下天の内をくらぶれば、
夢幻のごとくなり…
女性は織田信長のファンが多いと思います。
3人の内、織田信長が一番色男のようですし、自画像を見てもオランダ?の服装をしている絵もありますし。
桶狭間の戦いに行く前夜、この歌で歌い舞ったそうですね。