団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私はサユリストを卒業しましたが、彼はいつまでもサユリストでした。

2024-12-21 03:23:43 | 日記
 昨日の続きです。

 彼の会社に電話してもお墓の場所を教えてもらえませんでしたので、地元の多治見にいて私よりT君と親しいM君に電話しました。

 ところが彼は「え〜、知らなかった」との返答。

 20代はよく付き合ったが、それ以降は仕事が忙しくて会っていなかったと言いました。

 私の結婚式の司会は、M君にお願いしました。

 初めは亡くなったT君にお願いしましたが、彼が「M君の方がいいだろう」と言いましたのでM君にお願いする事になりました。

 以前のブログにも書きましたが、T君が手伝っている喫茶店でかみさんを紹介した時彼がかみさんを一眼見るなり「え〜、こんな奴にこんなキレイな子が・・・」と、言って、怒って帰ってしまいました。

 やむを得ず、かみさんとT君と3人で話をしてから帰りました。

 T君がM君を再度説得して、M君が結婚式の司会をやってくれました。

 という訳で、彼もお墓の場所を知りませんでした。

 M君とは最近年賀状だけの付き合いになっていました。

 50年ぶりぐらいに話をしました。

 彼は商売を息子に譲って、近くに住んでいる自分の娘の孫をよく世話していると話しました。

 1時間ぐらい長話をしました、こんなにM君と話すとは思いませんでした。

 まあそういう訳で、彼のお墓の場所は分かりませんでした。

 かみさんに「落ち込む」と言ったら、「だからもっと早く連絡しなさい!」と、言ったでしょと言われてしまいました。

 かみさんが「もし11月に亡くなったとしたら、もっと落ち込むでしょ」と、言いました。

 その通りだと思いました。

 私は人との付き合いは受け身です。

 自分から声をかけないので、どうしても友達が出来ません。

 友達が出来ないのは構わないですが、友達を失くしてはいけないですよね。

 今更どうする事も出来ないと思うと更に落ち込みました。

 コロナ禍の前に彼に会って車に乗ると、いつも吉永小百合の歌が流れていました。

 高校時代 彼と吉永小百合の映画をよく見に行きました。

 私はサユリストを卒業しましたが、彼はいつまでもサユリストでした。



吉永小百合/「寒い朝」  /マヒナスターズ
コメント (4)
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