団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「君が僕の子どもで幸せだった。でも、君はたまたま僕たちの子どもで生まれてきただけだよ。  一人の個人だから、自由に生きていいんだよ」と言われました。

2022-10-11 02:07:40 | 日記
 中日新聞の「家族のこと話そう」というコーナーに、音楽プロデューサー 武満真樹さんのインタビューが載っていました。

↓の写真は、音楽プロデューサー 武満真樹さん

「人間好きだった『徹さん』」


 父は作曲家の武満徹です。

 私は一人娘で、大学を卒業して家を出るまで両親といつも一緒でした。
 
 父は早起きで、たっぷりの朝食を3人そろって食べました。

 仕事が忙しくても午後7時できっぱりとやめ、夕食を3人で食べ、後はビールを飲んだりテレビで野球を見たり。

 よく父の(前衛的な)曲を聴いた人から「仕事中は怖くはなかった?」と聞かれますが、まったく怖くはなかったです。

 父はひょうきんな性格で、人間好きだったんです。

 小学校低学年の時、父は自宅でふすまを開ければ一間という部屋にグランドピアノを置いて仕事をしていました。

 その下で遊んでも、外から子どもの遊び声が聞こえても文句を言いません。

 飼っていた猫が仕事中にピアノの鍵盤の上を歩いても怒るどころか、その音に耳を傾けて「なるほど」と納得していました。

 小、中学生のころ、家に友だちを連れて来ると、父は小さな客がうれしくて、もてなす気持ちが高じてか、突然踊り出したりして。恥ずかしくてたまりませんでした。

 大学でも友だちを連れて来ました。

 酒好きの父はいつの間にか飲み仲間になり、帰宅すると、友だちと飲んでいてびっくりです。半端なく飲むので、時には朝まで。

 曲の構想を練るときは、長野県の山小屋風の家にこもりました。

 時には3カ月も。構想を練るには緑が豊かな自然環境が必要だったのでしょうね。

 構想がまとまれば、東京の自宅に戻り譜面に書き写します。

 山小屋と自宅、切り替えがうまかったです。

 あと、私は「勉強しろ」と言われたことは一度もありません。

 父は映画好きで年に150~300本を見ていました。

 どんな映画でも「あのシーンはよかった」「カメラワークがよかった」「音楽がよかった」など必ず褒めます。

 良いところを探しながら見ていたのでしょう。「映画を見る楽しさを知らないのは、人生で損をしている。映画を見ろよ」とよく教えられました。

 父は1996年、病気で65歳で亡くなりました。

 危篤の知らせで病院に駆けつけると、すでに言葉を発することはできなくなっていました。

 私は普段から父を「徹さん」と呼んでいたので、「徹さん」と呼び掛けたら、父の目に涙が浮かびました。私と母に看取みとられて旅立ちました。

 そういえば、子どものころ父から「君が僕の子どもで幸せだった。でも、君はたまたま僕たちの子どもで生まれてきただけだよ。
 一人の個人だから、自由に生きていいんだよ」と言われました。

 意味を理解するのに長い時間がかかりましたね。

 父は間違いなく友だちにも、仕事にも恵まれた幸せな人生だったと思います。

 そう思えるのは娘としてもとても幸せです。


たけみつ・まき 1961年、東京都生まれ。父は作曲家の武満徹さん、母は俳優の若山浅香さん。上智大卒。外国映画の字幕や吹き替え版の台本の制作に従事した後、音楽プロデューサーに。本人が制作にかかわったCD「波の盆 武満徹 映像音楽集」が発売中。CDの詳細はHP(CD名で検索)で。


 作曲家の武満徹さんは加山雄三さんが尊敬されている作曲家なので、名前だけは知っていました。 

>よく父の(前衛的な)曲を聴いた人から「仕事中は怖くはなかった?」と聞かれますが、まったく怖くはなかったです。

 有名な作曲家でしたので、阿川佐和子さんの父親のように気難しい方かなと思っていましたが、まったく違ってひょうきんな性格で、人間好きの方だったようです。



Perry Como - And I Love You So (Year 1993)
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私もかみさんも疲れ切りました。😅

2022-10-10 04:18:40 | 日記
 昨日の午後 名古屋市国際展示場 ポートメッセなごやへ、小田和正さんのコンサートを観に行きました。

 6月にも日本ガイシホールでのコンサートを観に行ってますので、今年2回目のコンサートです。

 年内に2度見るのは、初めてです。

 次にコンサートをされるとしたら2年後だと思いますが、私が元気でいるかどうか自信がないので今回2度も行くことにしました。

 あおなみ線・金城ふ頭駅で降りました。






 わたしたちが乗ったあおなみ線の車内の絵です。







 私たちが降りた電車の外の絵です。

 金城ふ頭駅から会場まで歩いて10分ぐらいでしたが、雨がザザぶりに降っていました。

 駅に立っていた小田和正さんコンサートの案内係の方が3時半からしかコンサート会場へ入れないということなので、近くの家具屋さんのトイレに行くことにしました。

 小田和正さんのコンサートへ行く方ばかりが、この家具屋さんで待機していました。

 女子のトイレは、列をなすほど満員でした。

 コンサート会場へ入ったら、トイレが満員で泣かされました。

 なんと男子のトイレも、列をなしていたのです。

 今までコンサートで、男子トイレで用を足すのに20人近くも列をなしているのは初めてでした。😅


 


 開演予定5時より15分ぐらい遅れてコンサートが始まりました。

 この会場は体育館のようで、コンサートにはあまり向かない会場のように思いました。

 ほとんどがアリーナ席ばかりでした。

 観客は1万人ぐらい入っていたと思いますが、びっしり詰まっていました。

 私と同じ年齢ぐらいの夫婦が多かったです。

 女性が8割ぐらい占めていたように思います。

 若い方も1割ぐらい、いらっしゃったようです。

 場所が場所だけに、小田さんのコンサートの割に花道が少なかったです。

 花道が少ないので、小田さんは歩き回ったり、時に走ることも出来ませんでした。

 歌は相変わらず綺麗な高音でした。

 歌には満足でしたが、やはり小田さんも顔は老けられましたね。

 私と同じ後期高齢者だと思いました。
 
 小田さんの「御当地紀行」が始まったので、急いでトイレに向かいました。

 またまた男子トイレが、列をなしていました。😅

 後半の歌も私のお気に入りの歌を、多く歌われました。

 ↓に添付した「Yes - No」も歌われました。

 アンコールの時間に入りました。

 いつもアンコールは、3回あります。

 私は2回目のアンコールの時間にトイレに行きたくなり、会場を抜け出しました。

 トイレ近くで急いでいた為転んでしまい、若い係員の方に「大丈夫ですか?」と声をかけられました。

 「大丈夫です」と返答したものの、格好悪かったです。😅

 アンコール途中で、コンサートを抜け出したのは初めてです。

 かみさんは最後までコンサートを観るようでしたので、トイレの近くの椅子に座って待っていました。

 まだ終わっていないと思えるのに、次から次へと観客が足速にあおなみ線の駅に向かって歩かれていました。

 2回目のアンコールが終わったから、駅で満員になるのがイヤで会場を後にされたように思いました。

 かみさんが3回目のアンコールを終えて出てきましたので、駅まで向かいました。

 雨の中 満員で駅までなかなか着きません。

 普通なら10分ぐらいで着くところ、30〜40分ぐらいかかりました。

 コンサートは8時少し前で終わりましたが、家に着いたのは10時を過ぎていました。

 もう二度とあの会場でのコンサートは観に行きません。

 私もかみさんも疲れ切りました。😅

 会場で買った土産

 私はキーホルダー



 かみさんはマグカップ







[オフコース] ♬Yes - No [HD]
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私もあまり注文したものが運ばれてこないと、手を挙げて「まだ」と言いますね。

2022-10-09 01:27:04 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「格好つける人 格好悪い」というタイトルで、15歳の女子中学生が投稿されていました。


 私の偏見かもしれないが、苦情を口にするのは男性が多い気がする。

 ファミリーレストランに行けば、いろいろな客がいる。

 異性と来店したカップルの場合、注文したものが運ばれてこないと、たいてい男性が手を挙げて「まだ」と言っている。

 傍の女性は気をつかってか、黙ったまま頭を下げるというのが一般的だ。

 こんな光景がよく見られるのはなぜだろう?

 私は不思議に思って周りの男子に聞いてみた。

 すると返ってきた答えの多くは「女性の前で格好つけたいからでは」だった。

 えっ! 私は格好つけたがる男性の方が格好悪いのではないかと思った。

 だって心の余裕が感じられず、全然スマートじゃないから。

 性別に関係なく、心に余裕があれば周囲の様子もつぶさに分かり、この先起こるだろうこともきっと良い方向に作用するはず。

 私はそう考えるが・・・。


 以上です。

>異性と来店したカップルの場合、注文したものが運ばれてこないと、たいてい男性が手を挙げて「まだ」と言っている。
 傍の女性は気をつかってか、黙ったまま頭を下げるというのが一般的だ。

 私もあまり注文したものが運ばれてこないと、手を挙げて「まだ」と言いますね。

 格好つける訳ではなく、注文を忘れられているのが恐いからです。

 せっかくのデイトが、楽しくなくなるからです。

 女性に「まだ」なんて言わせないのが、男の役目だと思っています。

 男は気を利かせなくちゃ。😁


<コメント欄は、閉じています>




(歌詞対訳) Can't Help Falling In Love - Elvis Presley (1961)
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私は関西圏に所属しますので、結婚するまで納豆なんて食べた事がありませんでした。

2022-10-08 01:35:32 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「意外・・・納豆好きが77%も」というタイトルで、15歳の男子中学生が投稿されていました。


 好き嫌いが分かれる代表的な食べ物として皆さんは何を思い浮かべますか。

 僕の場合は納豆。

 例えば母親は大好きなのに、父親は嫌いで見たくもないケースもあろう。

 そこで納豆がどれほど日本人から好かれ、どれぐらい嫌いな人がいるのか調べた。

 ある調査では「好き」と答えた人が77%、「嫌い」が13%。

 地域別にみると東日本で納豆が好きな割合が高く、関西圏を含む西日本では嫌いな人が一定数いた。

 納豆が好きか嫌いかという結果は、僕にとってちょっと意外なものだった。

 日本人にとってまさかこんなにも納豆が受け入れられているなんて思いもしなかったから。

 以上です。


 私は関西圏に所属しますので、結婚するまで納豆なんて食べた事がありませんでした。

 結婚したら食卓に納豆が出ますので、やむなく食べていました。

 最近 思い切ってかみさんに「俺、納豆嫌いなんだけど」と言いました。

 かみさん宅もお父さんが納豆が嫌いで、食卓に出たことなんてなかったそうです。

 「じゃ、どうして納豆を食卓に出すの」と訊いたところ「栄養があるから」との返答でした。

 もっと早く、納豆が嫌いと言えば良かったと後悔しました。

 以前はよく納豆が出ましたが、最近は納豆があまり出ません。

 嫌いなものを、食べなくて良くなって助かりました。











アン・マーグレット ボビーリーデル「ワン・ボーイ One Boy」Ann Margret Bobby Rydell
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真実の報道を伝えるためには男性、女性を書く必要があると思います。

2022-10-07 00:21:17 | 日記
 中日新聞を読んで 堀田あけみ(椙山女学園大教授)さんが「伝えるべきこと」というタイトルで投稿されていました。


 それは9月24日付朝刊社会面の小さな記事である。

 往年のプロ野球の名投手が逮捕されたと知らせている。

 空港の保安検査場で検査員に暴行を加えたとのことだ。

 限られた字数で、ニュースを伝えるのは難しい。

 「暴行を加えた」は別のネット記事から持ってきた表現で、紙面そのものには「女性検査員の左肩を右手で押すなどした」とある。

 それだけで逮捕までされるとは思えないが、これが最も真実に近い書き方なのだろう。

 「暴行」だと、接触との境界が主観になる。

 新聞記事は客観的な事実を書くものだから。

 ネットでは多くの記事で使われていた「女性」という言葉が話題になっていた。

 殊更に被害者を女性であると強調するのは差別的ではないのか。

 私は必要だと感じている。

 それは男性だったらことが起こっていない可能性が十分にあると思われるからだ。

 体力面で弱いだろうから、そして「女のくせに」と思ったから手が出てしまったのではと推測する。

 昭和のころの学校は、教師が子どもに暴力を振るったり暴言を吐いたりするのに肯定的だった。

 愛のむちとか子どもの為だとか教師だから当然だとか。

 私は中学を卒業するまでに三人の教員から今だったら完全にアウトになる扱いを受けたことを、よくネタにする。

 その際にいずれも女性だったと必ず書くから批判される。

 「同性をおとしめるようなことをなぜ書くのか」。

 だが「両腕をつかんで鼻血が出るほど壁にたたきつけた」という表現だけなら男性と判断されそうだ。

 それが「だから昭和の男は」という論調につながる。

 私は夫の主治医と仲良しで何度か一緒に食事しているが「夫を亡くしたばかりで男性と食事に行くなんて」と言われたことがある。

 今時ですら医者と言ったら男性と思われるのだから性別を知らせる必要は常にある。

 同性であることを理由に忖度することこそ差別的だ。

 女性だと書いたことを責めた人は男性だと書いても同じようにしたのだろうか。

 「なぜ書いたのか」という問いの答えは必要だと判断したから、それに尽きる。

 以上です。


>私は中学を卒業するまでに三人の教員から今だったら完全にアウトになる扱いを受けたことを、よくネタにする。
 その際にいずれも女性だったと必ず書くから批判される。
 「同性をおとしめるようなことをなぜ書くのか」。
 だが「両腕をつかんで鼻血が出るほど壁にたたきつけた」という表現だけなら男性と判断されそうだ。

 私も女性教師だと書かれていなかったら、男性教師がやったと思うでしょうね。

 真実の報道を伝えるためには男性、女性を書く必要があると思います。






福山雅治 - 桜坂 (Full ver.)
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