今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは目的地である第46番・峰浄寺、第48番・薩摩薬師寺を回り、鹿児島県内の札所をコンプリートした。この後はレンタカーの返却地である出水に向かうのだが、まだ昼前。もう少しこのエリアを回ることにしよう。
先ほどから触れている国鉄宮之城線。薩摩薬師寺を出発して国道267号線を行くと、「求名駅前」というバス停を過ぎる。一応、薩摩薬師寺の最寄りのバス停と言っていいのかな。
さつま町役場の薩摩支所の前を過ぎ、カーナビに案内されるままさつま広瀬インターから北薩横断道路に乗る。鹿児島空港から県北を結ぶ道路である。向かうのは出水とは正反対の方向だが・・。
2つ先の永野インターで下車。書いていなかったが、これから向かうのは宮之城線の薩摩永野駅である。永野鉄道資料館というのが残っているので行ってみることにする。
薩摩永野は、宮之城線の宮之城から延伸して1935年に開業した駅で、スイッチバックの構造を持っていた。これは木次線の出雲坂根のように勾配を克服するというよりは、薩摩大口に向かうに当たり、大きな集落があった薩摩永野を経由させるために取られた方策という。
駅跡に到着。現在の駅舎は当時のものではなく公民館を兼ねて建て替えられたものだが、往年の駅もこんな感じだったのかなとイメージさせる。スイッチバックということで、駅名標の次の駅名である広橋と針持が同じ側に書かれている。また壁にはかつての写真や、沿線を描いた絵画が掲げられている。そして改札口も木造駅舎らしく復元されている。
展示コーナーの扉には鍵がかけられている。見学希望の方はこちらへと、管理人らしき方の携帯電話番号が書かれているが、わざわざ一人のために開けていただくのも申し訳ないので、ガラス越しに見ることに。
さて、外である。まず目につくのはスイッチバック駅らしくクロスした線路跡。ここに腕木式信号機、かつての車掌車が安置されている。線路脇に並ぶのは桜の木で、春は花見の名所ともなるようだ。
しばらく構内をぶらつく。薩摩の奥地といえば失礼だが、宮之城線の沿線にここまで多くの駅跡が記念に残されているとは、地元の人たちの思いが感じられる。
さてこの後は薩摩大口を目指すのだが、構内にある看板に「永野金山」という文字が見える。永野(山ヶ野)金山は江戸時代に発見されて以降、薩摩藩の手により金や銀が採掘され、藩の貴重な資金源となった。明治以後も近代化され採掘が続けられたが、戦後の1965年に閉山となった。宮之城線が薩摩永野まで伸び、スイッチバックする構造になったのも、この金山に従事する人たちで賑わっていたからと言われている。
金山といえば先日佐渡金山が世界文化遺産に登録されたが、ここ永野金山は一時期佐渡をしのぐ産出量を誇っていたそうである。その遺構もあるというので行ってみることにしよう。
しばらく行くと「永野金山 鉱事場地区 鉱業所跡」の案内標が見える。明治以降、大規模な精錬所と金山の本部事務所にあたる鉱業館があったところという。この鉱業館の館長を一時務めていたのが、西郷隆盛の長男・菊次郎である。台湾の宜蘭庁長や京都市長などを歴任した後、鹿児島に戻りこの金山の経営に携わった。夜間学校を建てたり、職員クラブや娯楽場を開いたりと、金山で働く人たちに対する当時ではまだ珍しかった福利厚生の充実に力を注いだという。
掘り出した金鉱を輸送するトロッコの橋脚跡に向かう。鹿児島の市電よりも前にポール式の「電車」で運搬されたことが特筆されている。
ここで掘り出された金鉱をその後どのようにして運ぶのか・・と考えた時に、先ほど訪ねた薩摩永野駅が登場する。この金山からの貨物、あるいは金山で働く人やその家族を運ぶため、ここまで線路を延ばしたといえる。そして、地形の関係もあって薩摩大口へはスイッチバックで向かうことに・・。
今も集落が残る。その中で「金山」の名前がつくものとして「永野金山郵便局」。閉山後も唯一残る公共インフラと言えるだろう。
この先の胡麻目坑口跡に着く。明治以降に整備された坑道で、鉱石の搬出や人員輸送には電車が使われ、先ほど見た鉄橋を渡り精錬所に運ばれていったと紹介されている。坑道入口の上に薩摩藩の家紋があるのは歴史の名残である。
同じ敷地には、永野金山を発見した内山与右衛門の石碑と、坑夫専用の風呂の跡が残る。風呂があるとは福利厚生の一環に見えるが、これは苦肉の策だったという。ある年、自然金がたくさんついた鉱石を鉱夫が勝手に持ち出し、密売して利益を上げるという事件が続発した。そこで風呂を造り、入浴している間に持ち物の検査をするという方法が取られたという。
これで永野金山跡を見たことにする。このすぐ先は霧島市、かつての大隅国に入る。地図を見ると肥薩線の大隅横川駅までさほど遠くなく、宮之城線も薩摩永野から先、薩摩大口ではなくそのまま東の大隅横川に向かっていればどうだっただろうか。
ここでUターンして、先ほどの薩摩永野駅跡を通過。この先、かつての薩摩大口駅を目指すことに・・・。
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