まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第18回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第46番「峰浄寺」(宮之城にて八十八ヶ所めぐり)

2024年10月22日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

レンタカーで薩摩川内市からさつま町に入る。

先ほど、かつての国鉄宮之城線の入来駅跡(入来鉄道記念公園)を通った。宮之城線では廃止後も広場や記念碑等を設けて歴史を伝えるスポットとして整備された駅跡がいくつもあるそうだ。今回は札所めぐりがメインということで、国道や県道から外れてその全てに立ち寄ることはできないが、単調になるかもしれないと思われたドライブも一気に楽しみが出てきた。廃線、廃駅跡めぐりについては他の方がブログ等で詳しく書いてらっしゃるので、それらを読むことにしよう。

国道328号線から国道267号線に入り、宮之城を目指す。宮之城は現在のさつま町の中心で、周りの商店や人家も少しずつ増えてきた。

いったん宮之城の中心を過ぎ、川内川を渡る。やがてこれから目指す第46番・峰浄寺の看板が現れ、脇道に入る。そして広い駐車場にレンタカーを停める。

特に山門はなく、開放的な雰囲気である。一枚石の手水場で手水を使い、修行大師像に一礼して本堂へ。

峰浄寺の歴史は九州八十八ヶ所百八霊場の中では新しく、1942年に高野山の教会支部を開いたのが始まりで、現在の寺の称号を得られたのが1982年。本堂や庫裏はそれよりもさらに新しく、平成になってからの建物に見える。

中に入ってのお勤めとする。本尊は聖観音。

朱印をいただく前に、境内の他のお堂も回ってみる。まず隣には十二支えと地蔵像が並ぶ。その奥には大師堂がある。

さらに進むと「宮之城八十八ヶ所入口」の石碑があり、その奥の祠は四国第1番・霊山寺である。地元の方が、四国に巡礼に行くことができない人たちのためにと四国八十八ヶ所の本尊を勧請して整えられた写し霊場である。

ならば行ってみよう。特に険しい坂があるわけでもなく、札所も近い間隔で並んでいる。不動明王を祀るお堂もある。第36番・青龍寺の不動明王が折り返し点にあたる。

鹿児島といえば廃仏毀釈のイメージが強く、仏教には縁が薄い地域かなと勝手に思っていたのだが、八十八ヶ所百八霊場めぐりで実際に訪ねるとそれは昔の話で、他の地域と同じく篤い信仰心を持った方がいらっしゃるというのを感じる。寺としての歴史は浅いとはいえ、地元の人たちに支えられていることがうかがえる。

最後は第88番・大窪寺に到着。

寺務所にて朱印をいただく。寺務所の奥には信徒会館があり、絵画展や講演会などのイベントも定期的に行っているそうだ。

さて、次の第48番・薩摩薬師寺に向かう前に、かつての宮之城駅跡にある宮之城鉄道記念館に立ち寄ることにする。宮之城の中心に戻り、さつま町役場にほど近いところにある。

かつての映像を見ると、ちょうど駅前にロータリーができていたが現在もその形は変わっていない。ただ駅舎は取り壊され、現在はバスターミナル、そして「さつま物産館」の建物である。

そのロータリー内の駐車スペースにレンタカーを停め、まず外を見る。記念碑のほか、腕木式信号機、ポイント、動輪、かつての蒸気機関車の先頭部分が残されている。

建物の中はバスの待合所であり、物産コーナーには地元の産品や、地場産業である竹細工の工芸品が並ぶ。その一角が宮之城線関連の展示コーナーである。

運賃表や行先標、タブレット閉塞機などが並ぶ。また、「国鉄宮之城線廃止日の各駅長印」として、昭和62年1月9日限りの楠元、入来、宮之城、薩摩永野、大口の各駅長印が押された色紙が飾られている。

それぞれの開業日を見て、川内から少しずつ路線を伸ばしたことがわかるが、宮之城までが大正15年なのに対して、薩摩永野までは昭和10年、さらに終点・大口までは昭和12年と時間を要している。まずはこの辺りの中心である宮之城まで鉄道を建設することが目的で、薩摩大口まではその延長・・という構想だったようだ。

この後はもう少し奥に進む格好で、第48番・薩摩薬師寺を目指すことに・・・。

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