まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第18回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~水俣病資料館

2024年10月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

ちょっと間隔が空きました。

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは宮之城線~山野線をたどるルートとなり、いったん熊本県に入り、水俣に到着。これまで鉄道で通ったことはあっても、街中に入るのは初めてである。

そして、水俣といえば・・とは失礼かもしれないが、連想されるのは水俣病である。小学校の社会科で「四大公害病」として習ったのがはじめで、水俣病、新潟(第二)水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく・・・というのをセットで覚えたかな。

ただ、小学校の頃のそうした地名の刷り込みというのはある意味恐ろしいもので、「水俣=公害の町」というのが私の頭の中でインプットされてしまった。大学生になって初めて九州を訪ね、鹿児島線の水俣も通過したが、町もくすんだ様子だったし、今も病気にあふれているのかなという勝手な印象を持った覚えがある。いや、振り返ると失礼な限りなのだが・・。

その後、石牟礼道子著「苦海浄土」で地域の人たちの苦悩を知ったり、また水俣市も日本で初めて「環境モデル都市づくり宣言」を出して、環境保全の最先端を行くようになったというのを知ったことで、見方も変わった。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは札所以外のスポットを回ったり九州の鉄道に乗ったりとある中で、札所とは関係ないが水俣には立ち寄ろうと思っていた。

さてレンタカーは道の駅を含む「エコパーク水俣」に入る。現在は道の駅のほか公園やグラウンドが広がり、「恋人の聖地」スポットもある。元々このエリアは水俣湾で、それこそ水俣病の原因物質であるヘドロが溜まっていたところであるが、これを埋め立て、環境と健康をテーマにした公園として整備されている。

その一角にあるのが水俣市立水俣病資料館。入館は無料である。

まず紹介されるのは水俣の歴史。もっとも戦国武将がいたわけでもなく江戸時代に城下町だったわけでもないが、半農半漁といいつつ目の前の不知火海は天然の漁礁として古くから漁業が盛んだったところ。

その水俣の歴史を変えたのが日本窒素肥料の水俣工場(資料館の展示では現在水俣病患者の補償などを行う「チッソ」で統一されている)。日本の化学工業をリードする企業に成長し、工業都市・・というか別の見方では「企業城下町」となった。その一方で、目の前の海でいくらでも獲れる魚のおかげで日々の生計を立てていた家も多かった。

昭和31年、原因不明の脳症状があらわれた患者について診察した結果、これが初めての水俣病の公式確認となった。チッソの工場から海に排出されたメチル水銀が食物連鎖や体の表面からの取り込みで魚介類に蓄積され、その魚を捕食する大きな魚に吸収され、最後は人間がいただいて・・。

石牟礼道子「苦海浄土」の直筆原稿、本人による朗読にも触れることができる。

漁業で生計を立てていた家は収入が途絶え、医療費の負担もあってたちまち困窮に陥った。患者たちはチッソに対して補償を求め、チッソとしてもそれなりに対応はしたとはいえ、水俣では地域社会の分断ともいえる社会的被害を受けた。水俣病は伝染病であるとして患者や家族への差別、中傷も多数あった(水俣病は伝染しないというのは科学的にも証明されているそうだ)。これには水俣の大きな産業としてのチッソとの関わり度合にもよるだろう。

・・こうした相互理解の不足による地域社会の分断・・。水俣病に限らず、その前の広島、長崎の原爆でも被爆者に対する地域社会の扱いもそうだったし(「ピカ」がうつるというやつね)、それから数十年経った現代でも新型コロナウイルスに対して(こちらはうつるけど・・)地域社会からの差別、偏見、中傷があったことは記憶に新しい。結局、人間の根っこはそういうものなのだろう。

ただ現在の水俣は、「もやい直し」という環境復元に力を入れ、環境モデル都市としてさまざまな情報発信を行っている。また、タレントで魚類学者のさかなクンも、水俣の海のPR大使を務めている。

水俣病資料館に隣接して、環境省の水俣病情報センターがある。こちらは水俣病や水銀についてもう少し学術的に踏み込んだ紹介が中心である。さまざまなアプローチから水俣病について知ることができる。この屋上からは目の前の恋路島、不知火海を望むことができる。

景色を見れば風光明媚なところで、現在はかつての「豊穣の海」を取り戻しているとされている。数十年前にそうした公害があったことも教科書の中の過去の話かもしれない。ただ、こうした資料館を中心に情報発信することは有意義なこと。広島には原爆被害を伝える広島平和記念資料館があるし、阪神淡路大震災、東日本大震災も関連の資料館が後世に伝える役割を果たしている。この水俣病資料館も、近代の産業発展の裏の面を知る、そして現在の環境保全につながる取り組みを知るところとして、一度訪ねる価値があると感じられた。

この後はしばらく海岸べりをぶらつく。今は地元の人の憩いの場である。

そろそろ、レンタカーの返却場所である出水に向かうことに・・・。

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