まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

善光寺朝事、お数珠頂戴

2015年08月30日 | 旅行記C・関東甲信越
旅の最終日、18時は朝3時に起床。まだ暗い4時過ぎにホテルを出る。

こんな朝早くに出る理由は、善光寺である。

善光寺は毎朝、日の出の時間に合わせて「お朝事(あさじ)」がある。善光寺の僧侶たちが本堂で行う朝のお勤めである。日の出の時間に合わせるので季節によって時間は異なるのだが、夏のこの時季は5時30分から行われる(実際の日の出はもう少し早いのかもしれないが、さすがにそれ以上早いと僧侶たちの「出勤」がしんどいのだろう)。

昨年から西国三十三所巡りを行っているが、歴史的に関東からの巡礼は伊勢、熊野詣での後で青岸渡寺から近畿一円を回り、岐阜の谷汲山華厳寺で三十三所を結願して、お礼参りとして信州の善光寺に訪れるのが多い。このため「西国三十三所巡りの締めは善光寺」というのが定着し、今や関西発の巡礼バスツアーでも最後はわざわざ善光寺に行くコースを組んでいる。

ということで善光寺は三十三所を巡り終えてから行くのが流れなのだろうが、どうせサイコロで次の行き先を決めるように順序にはこだわっていないし、今回北陸新幹線に乗るために長野に行くことを決めた。それならばと西国の朱印帳と納経軸も今回荷物の中に入れた。私が両親から託された納経軸には「番外」の欄が5つあり、法起院、元慶寺、花山院のいわゆる「公式番外」の3つ以外のあと2つをどこに入れるかと考えていたが、それなら先に善光寺も入れてしまうことにする。

善光寺の本尊阿弥陀如来像は日本の仏教伝来とともに百済から伝えられたが、当時仏教受け入れに反対した物部氏により難波に捨てられた。後に本田善光という人物により信濃に連れられ、最初は飯田、そして皇極天皇の時代に今の地に安置されたという。その名を取って善光寺と呼ばれるようになったが、言わば日本の仏教の最初というところ。特定の宗派に属さず、幅広く民衆の信仰を集めてきた歴史がある。

とはいうものの善光寺に付属する寺院はいろいろとあり、代表的なのが天台宗の「大勧進」と浄土宗の「大本願」。朝事はそれぞれの宗派のスタイルで行われるが、大勧進の貫主と大本願の商人が本堂に上がる際と本堂から戻る際に、参道で行われるのが「お数珠頂戴」である。参拝者が
参道にひざまずくと、手にした数珠で参拝者の頭に触れて功徳を授けるというものだ。今年は7年に一度の御開帳ということで春先はものすごく大勢の参拝者が訪れて参道も大混雑だったそうだが、そんな時にも一人一人の頭に触れるのも結構大変そうだ。

私もせっかくなのでお数珠頂戴を体験し、本堂でのお朝事にも参列することにする。ただ長野駅からは徒歩30分はかかるということで、朝4時過ぎにホテルを出た。

参道に入る。さすがに人の姿はほとんどないというものの、地元の人たちだろうかジョギングやウォーキングをする人が結構いる。本堂の提灯にも灯りがついている。

早い時間だが本堂も開いている。まずは外陣から手を合わせる。また納経所も5時から開けており、お朝事の前に西国の朱印帳と納経軸に朱印をいただく。

お朝事が5時30分からということで、お数珠頂戴は5時20分くらいという。その時間が近づくと自然に列ができる。警備の人が「だいたいこの辺りで列を作ってください」という。この時間には観光客の姿も目立ってきたが、地元のウォーキング姿の人たちも慣れた感じで列に加わる。この人たちは朝のルーティンのようにお数珠を受けているのだろうか。並んでいる間にも僧侶の人たちが三々五々やってきて、参拝者に「おはようございます」に声をかける。まずこの人たちが「出勤」し、先に内陣に入って貫主の到着を待つ。

前方に赤い傘が見えると参拝者はひざまずく。やがてやって来たのは貫主。私も頭に触れていただく。強すぎず弱すぎず、確かに数珠の感触が残る。

予め内陣券を買い求めていたので内陣に上がる。中に入った参拝者は20人くらい。まずは天台宗のお勤め。両側に10数名の僧侶が並び、声明を唱えたり読経を行う。本堂に響く僧侶の声や巨大な木魚の音は厳かだ。途中で前方の御簾がスルスルと上がり、厨子が姿を現す。最後に般若心経が読まれる。

引き続いて浄土宗の上人が内陣に入ってきた。読経の声が高いなと思ったら尼僧さんであった。こちらは「南無阿弥陀仏」。これを10回続けて唱えるのが二度あったが、こちらもありがたい、優しいものを感じる。

天台宗と浄土宗合わせて40分くらいお勤めがあり、この後は祈願を行う人がさらに中へ通される。安産や家内安全を願う。その住所や名前が呼び上げられている間の時間で、本堂下の戒壇巡りに行く。戒壇巡りも大学生の時の旅行以来である。あの時は友人と一緒で暗闇の中で声もかけあって「錠前そこにあるで」などと言っていたのだが、今は一人である。十分背は立つとわかっていても、全くの暗闇で目が慣れることもなく、背中が丸くなる。壁に手を擦らせながら行くと右手に金属の感触を確かめた。錠前である。これをガチャガチャとやり、少し回ると外への階段に出た。

これで本堂を後にする。「もう少しで上人さまも本堂を出るので、またお数珠を受けてください」と言われ、また本堂前に並ぶ。何だか、スポーツ選手の「出待ち」をやっているようだ。そしてまた赤い傘が見え、上人の退出である。ここでお数珠を受けたのは20人ほど。天台宗、浄土宗それぞれのお数珠を受けることができ、何だか功徳を授かったように思う。早起きしだだけのことはあった。

時刻は7時前になっていた。参道を戻る。来た時には気付かなかったが、ドローンの使用を禁止する看板が出ていた。確か御開帳時期の法要の最中にドローンが落下するトラブルがあったなあ。あの騒ぎを起こした少年、今はどうしているのやら。

長野駅まではバスが出ている時間であり、善光寺の大門も経由する。行きは歩いて来た道を通勤客に混じってバスで駅まで戻った。

宿泊した長野第一ホテルは、朝食としてかけそばといなり寿司の無料サービスがある。朝食会場は中華レストランなのだが、ホテル内には製粉会社直営のそば屋も入っており、そのサービスである。こちらで朝食とし、また歩いて汗をかいたのでもう一度屋上の露天風呂に向かう。また新幹線を眺め、この日の行程をどうするか考える。

チェックアウトしたのは8時過ぎ。再び、しなの鉄道に乗って東に向かうことに・・・・。
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