まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

2011年のまつなる的出来事

2011年12月27日 | ブログ

2011年もあとわずか。日付が変わって28日を境にしてみれば残り4日ということになる。そういえば昨年の今頃はどうだったかなと振り返ってみるに、あれからもう1年が経過したのかと思う。

さまざまな出来事があった2011年、このブログを綴る私自身として印象に残っている出来事は何か。仕事のことはさておくとしてまた「ベスト5」形式で書いてみると・・・・。

(第5位)旭川駅のネームプレートに対面

Dscn707612009年の12月に旭川駅でJR全線(当時)の完乗を達成した後のこと、ちょうど旭川駅の建て替えにあたり、記念に駅構内に掲示するネームプレートを募集していたのが昨年のこと。ちょうどいい記念にということで応募し、ホームから改札口へ降りる途中の階段横に名前が掲げられた。それを見に行ったのが今年の1月のこと。掲示場所も自分の手で普通に触れることのできる高さにあり、1万人の中の一人ではあるが自分として満足した、遠い北の街に自分の足跡を見つけることのできる喜びを感じたものである。

東北新幹線、九州新幹線の新規開業により「JR完乗」のタイトルは失うことになったが、自分の趣味の一区切りということで印象に残る対面だったと思う。

(第4位)SNSの難しさ

今や自分の情報発信源として、またコミュニケーションのツールとして定着したツイッターにフェイスブック。ツイッターについては昨年から登録してあれこれ「つぶやいて」いたのだが、今年の春に登録解除。その後、初夏に始めたフェイスブックもこの年末にきて利用解除。

登録してはやめて・・・の繰り返しとなった理由はあるのだが、要はコミュニケーションの場として活用できなかったことに尽きる。確かにネット上でつい他人を攻撃する書き込みを行ったり、あるいはそういうSNSツールを使用していることについて周りからとやかく言われたりバッシングのようなものがあったり・・・。

せっかく他の人とのつながりのきっかけとなるツールを得たというところであるが、それをきちんと使いこなす、あるいは大々的に交流の幅を広げるということについてはまだまだ勉強不足、いや気構えが足りなかったのかもしれない。しばらくは再開するつもりはないが、次にこういうツールを利用するのであれば、もっともっとそれに似合った人間性を身に着けなければならないなと思うことである。

(第3位)BCリーグが初めて独立リーグ日本一、そしてCS争いは・・・・

今年のスポーツは「なでしこジャパン」がもっとも盛り上がったことであるが、私としてはやはり野球のことを推したい。

Dscn17052007年から行われている独立リーグのグランドチャンピオンシップ。これまでは四国アイランドリーグのチームがすべて制していたのだが、今年は初めて、上信越・北陸のBCリーグ代表の石川ミリオンスターズが徳島インディゴソックス相手に3連勝して見事チャンピオンシップを勝ち取った。地域密着の理念を前面に出し、(個人的には)北陸観光のツールとしても楽しんでいるBCリーグが日本一になったのはファンとしてうれしいところである。これからも両リーグが切磋琢磨して、日本のプロ野球の新たな一面を築き上げてほしいものである。

Rscn0179一方のNPBプロ野球。われらがオリックス・バファローズは阪急、近鉄のユニフォーム復刻など、これまで関西にあって築き上げてきた伝統に敬意を表するイベントがいろいろと行われた。これまでそういうのとは無縁な、むしろそれらを切り捨てるような動きのあった現オリックス球団にあって、この試みは斬新で、その姿勢は見直すに値した。公式戦のほうも「残り1毛差」でクライマックスシリーズ進出は逃したが、最後まで希望を持たせ楽しませてくれたし、この悔しさというのが来年に生きることを期待したい。投手陣の整備、即戦力野手の入団、李大浩や高橋信二といった新戦力にも期待したいところである。

(第2位)6年ぶりの「地元」復帰

今年の3月、それまで住んでいた尼崎の会社施設を離れ、2005年以来となる地元・藤井寺に戻ってきた。改めて「小さな町」ではあるが、何だか安心感というのか、気取らない、飾らない雰囲気というのが昔の記憶を思い起こさせ、「帰ってきた」という気持ちになったことである。

なかなか時間は取れないだろうが、これからは「地元民」として、もし地域貢献で何かできることがあるのなら、仕事以外の活動として取り組んでいくことができればなと思う。

(第1位)東日本大震災

3月11日・・・・この日付は日本人であれば生涯忘れることのできないものになるだろう。関西にいる者としては「ちょっと大きめの地震」というものだったが、その夜からの報道を見るに津波、原発・・・と、それまで考えられなかった規模の被害の大きさに唖然とするばかりであった。そして時間が経つに連れて次々と明らかになる被害。つい先ほどまで町の中心としてにぎわっていた一角が、まるで原爆が投下されたかのごとく一瞬にして廃墟とかした比較映像は強烈である。

Dscn8918私は震災発生から3ヶ月後の6月に気仙沼を歩く機会を得た。高台の住宅は残っており市民会館は避難所として開放されていたが、港に面した一角の被害の大きさ、クルマも船舶も軽く波にあしらわれ、線路や駅舎も見る影もなくなった様子。ヘドロの臭い・・・。もっともっと大きな被害を受けたエリアはたくさんあったはずだが、かつて宿泊したこともある気仙沼の街の変わりようは私としては強烈なものであった。

Dscn8868ただ、「グラウンド・ゼロ」という広場もあり、地元の人たちがそこから復興に向けて立ち上がろうという姿勢も見られた。あれから初めての冬。また暖かくなり、落ち着いた頃を見計らってもう一度あの漁業の街を訪れたいと思う。その時は豊かな海産物を味わいたいところであるが・・・・。

こうした直接の震災被害のことに加えて、人と人との絆であるとか、原発事故の影響による節電取り組みに現れるようなエネルギー問題、その他社会インフラに関することとか、戦後ここまで築き上げてきた価値観の見直しも迫れらるような、大きな転換点となる一年であったと思う・・・・。

さて、新たなる一年というのはどのような年になるだろうか。辰年、龍ということで何とか天に昇るくらいの勢いある一年であればなと思う。一人一人が明るく、前向きに暮らせるような年であってほしいものである・・・・・。

コメント