どよよん気分で寝床に入ったわたしが、ありがとうのお祈りをしてものの1時間も経っていない頃、息子Kは、とても危険な目に遭っていました。
クラウンヴィクトリアが、三車線ある高速道路の追い越し車線を走っている最中に、ギュルギュルという嫌な音を立てた直後に停止してしまったそうです。
息子Kの横には、友人のケニーが乗っていました。車のすぐ後ろには大型トラックが続いていたそうです。
音を聞いた瞬間、これは尋常ではないと判断したKは、急ハンドルをきって二車線向こうの路肩に車を向けました。
その時に、たまたま他の車がその二車線を走っていなかったのは奇跡でした。
携帯が故障しているKは、ケニーの携帯を借りて旦那の携帯に連絡をし、旦那は夜中の1時半に現場に駆けつけ、そのまま4時頃までそこに居たそうです。
すべては、わたしの知らない間に起こっていました。
今朝起きたら、キッチンテーブルの上に恐ろしい内容の置き手紙が置かれていて、ほとんど寝ていない旦那とKが、昨日の続きの手続きの電話に追われていました。
夜中に車を牽引してくれる所が見つからず、その場に車を放置、ひとまず家に戻ってきたものの眠れなかったふたり……。
車の保険会社の無料サービスを使えるのだけど、距離が長いので、最寄りのフォードのディーラーだと無料だけど、我々が指定するこの町の修理工場までだと80ドル払わなければならない……でも、きっとディーラーよりもエリックの方が絶対安心だし安いはず……ということで80ドルを払うことにしました。
一週間前ぐらいに、なんか変な音がする、と言っていたK。
調べてもらった方がいいのとちゃう?と心配していたわたし。
キュルキュルという音がして、とても危ない目に遭った(多分間が悪かったら死んでいたか、誰かを傷つけていた)わたしの予感でした。
その時わたしが乗っていた車も、古い古いフォードなのでした。
とても暮らしがキツくて、車を買い替えることなどもっての他、修理に出すことすら不可能な状態の中、大丈夫かなあ、と乗るたびに心配しながら運転していました。
その時は、長い長い上り坂を走っていて、わたしは青信号を左折するところでした。日本でいう右折。対向車線には、遠く向こうから坂を降りて来る車が1台見えていました。
車が左に向かって、丁度対向車線に全体が入った時、突然すべてが停止してしまいました。
運転席のわたしの右側の視覚に、わたしがそこから動き去るのを疑いもせず、従ってスピードを上げたままの車が、こちらに向かってぐんぐん近づいてきます。
赤信号で停まっている車、横断歩道を渡ろうとしている人達、そして対向車を運転している人の、すべての顔が見えたような気がしました。
ものすごいクラクションの音、人々の悲鳴、そして、最後までその光景から目を離さなかったわたし。
対向車のドライバーの機転のおかげで、誰も傷つかず、パニックに陥った現場も数分後には何も無かったような顔に戻りました。
でも、そのことが起こった後、わたしはとても哀しかったのです。
お金が無いからといって、こんな危険な車を運転させられていた自分が哀れでなりませんでした。
もう少しで殺されるところだった。誰に?怒りの矛先は旦那に向かいました。その時たまたま家に電話をかけてきた旦那の母にわたしは声を荒げてこう言いました。
「わたしはもう少しのところで、あなたの息子に殺されているところだった!貧乏に殺されるところだった!」
それまで声を荒げたことも、そんな激情をぶつけたこともない義理の娘の異常な様子に驚いた母は、まだ乗り続けるつもりだった自分の車を譲ってくれたのでした。
「なあ、おかあさん、なんかおかしくない?なんでボクが、あの一番危なっかしい車を運転させられてるのか……一番経験の少ないボクが」
「……」
「ほんまに、あの時のボクは死んでもおかしくなかった。冗談抜きで。ほんで、隣りのケニーを殺してた。なんでなん?なんであの車を乗らせてるん?」
きっとKは、心底恐い目に遭って、実際に命を失いかけて、落ち着いてから考えてみると、冗談じゃないよ、まともな車に乗らせろよ、と黒々とした怒りが溢れているのだと思います。その怒りが目に見えるようです。
無事に戻ってきてくれてありがとう。たまらなくなって、彼の体をギュッと抱きしめました。
それが、見知らぬ病院の集中治療室などではなくて、家の台所でできたことを、泣きたいほどに感謝しながら。
家を買わなければならなかったから。他の車が全部故障していて、入れ替えが激しかったから。ローンを組んでいる最中だったから。
そんなことのために、我が子の命が奪われてしまっていたら、わたしはどんなに自分を責め、悔やみ続けることか。
でも、だからといって、今すぐに、誰もが喜ぶ、誰もに安心な素晴らしい解決策を見つけることもできません。
生きるということは、実に多くの物事が重なり合っていて、あやとりをしながら迷路の中をぐるぐる歩き回っているような気がしてなりません。
どちらがいいのか、どれが正しいのか、毎日毎日決めたり思案したり迷ったり諦めたり。
Kを守ってくれたすべての人達に、心の底の底からお礼を言います。
クラウンヴィクトリアが、三車線ある高速道路の追い越し車線を走っている最中に、ギュルギュルという嫌な音を立てた直後に停止してしまったそうです。
息子Kの横には、友人のケニーが乗っていました。車のすぐ後ろには大型トラックが続いていたそうです。
音を聞いた瞬間、これは尋常ではないと判断したKは、急ハンドルをきって二車線向こうの路肩に車を向けました。
その時に、たまたま他の車がその二車線を走っていなかったのは奇跡でした。
携帯が故障しているKは、ケニーの携帯を借りて旦那の携帯に連絡をし、旦那は夜中の1時半に現場に駆けつけ、そのまま4時頃までそこに居たそうです。
すべては、わたしの知らない間に起こっていました。
今朝起きたら、キッチンテーブルの上に恐ろしい内容の置き手紙が置かれていて、ほとんど寝ていない旦那とKが、昨日の続きの手続きの電話に追われていました。
夜中に車を牽引してくれる所が見つからず、その場に車を放置、ひとまず家に戻ってきたものの眠れなかったふたり……。
車の保険会社の無料サービスを使えるのだけど、距離が長いので、最寄りのフォードのディーラーだと無料だけど、我々が指定するこの町の修理工場までだと80ドル払わなければならない……でも、きっとディーラーよりもエリックの方が絶対安心だし安いはず……ということで80ドルを払うことにしました。
一週間前ぐらいに、なんか変な音がする、と言っていたK。
調べてもらった方がいいのとちゃう?と心配していたわたし。
キュルキュルという音がして、とても危ない目に遭った(多分間が悪かったら死んでいたか、誰かを傷つけていた)わたしの予感でした。
その時わたしが乗っていた車も、古い古いフォードなのでした。
とても暮らしがキツくて、車を買い替えることなどもっての他、修理に出すことすら不可能な状態の中、大丈夫かなあ、と乗るたびに心配しながら運転していました。
その時は、長い長い上り坂を走っていて、わたしは青信号を左折するところでした。日本でいう右折。対向車線には、遠く向こうから坂を降りて来る車が1台見えていました。
車が左に向かって、丁度対向車線に全体が入った時、突然すべてが停止してしまいました。
運転席のわたしの右側の視覚に、わたしがそこから動き去るのを疑いもせず、従ってスピードを上げたままの車が、こちらに向かってぐんぐん近づいてきます。
赤信号で停まっている車、横断歩道を渡ろうとしている人達、そして対向車を運転している人の、すべての顔が見えたような気がしました。
ものすごいクラクションの音、人々の悲鳴、そして、最後までその光景から目を離さなかったわたし。
対向車のドライバーの機転のおかげで、誰も傷つかず、パニックに陥った現場も数分後には何も無かったような顔に戻りました。
でも、そのことが起こった後、わたしはとても哀しかったのです。
お金が無いからといって、こんな危険な車を運転させられていた自分が哀れでなりませんでした。
もう少しで殺されるところだった。誰に?怒りの矛先は旦那に向かいました。その時たまたま家に電話をかけてきた旦那の母にわたしは声を荒げてこう言いました。
「わたしはもう少しのところで、あなたの息子に殺されているところだった!貧乏に殺されるところだった!」
それまで声を荒げたことも、そんな激情をぶつけたこともない義理の娘の異常な様子に驚いた母は、まだ乗り続けるつもりだった自分の車を譲ってくれたのでした。
「なあ、おかあさん、なんかおかしくない?なんでボクが、あの一番危なっかしい車を運転させられてるのか……一番経験の少ないボクが」
「……」
「ほんまに、あの時のボクは死んでもおかしくなかった。冗談抜きで。ほんで、隣りのケニーを殺してた。なんでなん?なんであの車を乗らせてるん?」
きっとKは、心底恐い目に遭って、実際に命を失いかけて、落ち着いてから考えてみると、冗談じゃないよ、まともな車に乗らせろよ、と黒々とした怒りが溢れているのだと思います。その怒りが目に見えるようです。
無事に戻ってきてくれてありがとう。たまらなくなって、彼の体をギュッと抱きしめました。
それが、見知らぬ病院の集中治療室などではなくて、家の台所でできたことを、泣きたいほどに感謝しながら。
家を買わなければならなかったから。他の車が全部故障していて、入れ替えが激しかったから。ローンを組んでいる最中だったから。
そんなことのために、我が子の命が奪われてしまっていたら、わたしはどんなに自分を責め、悔やみ続けることか。
でも、だからといって、今すぐに、誰もが喜ぶ、誰もに安心な素晴らしい解決策を見つけることもできません。
生きるということは、実に多くの物事が重なり合っていて、あやとりをしながら迷路の中をぐるぐる歩き回っているような気がしてなりません。
どちらがいいのか、どれが正しいのか、毎日毎日決めたり思案したり迷ったり諦めたり。
Kを守ってくれたすべての人達に、心の底の底からお礼を言います。