ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

車窓から

2011年04月26日 | ひとりごと
ピラテス帰りに、信号で止まるたびに、近くでにぎやかに笑ってる春を写してみました。

運転しながら、あるいは慌てて撮ったので、あまりピントが合っていません。
でも、やっとここにも春がどっしりと腰を降ろしてくれたのが嬉しくて、ついつい窓をあけてパチパチ。

ケラケラと、肉厚の花びらを地面に落とし始めたマグノリア。


自分ちのリスの額ほどの前庭が、いつかこんなふうになったらいいな、と思いながら。
 

こちらに越してすぐに、ちょこっと演奏バイトに行った教会。


秋に素晴らしい紅葉を見せてくれた大通りの突き当たり。


うちの前の通りを上っていくと、突き当たりに見える牡丹桜。顔を真っ赤にしたつぼみがウズウズとうごめいています。

 


こんな美しい声を聞いたことがない

2011年04月26日 | ひとりごと
55才で幕を閉じなければならなかった彼女の思いは、無念、哀しみ、虚しさなどの言葉を使うことも許されないような気がします。
同じ世代の、同じ時代を生きた者として、環境は全く違えど、今この時に命を終えなければならないことの意味を、考えずにはいられません。

それでも、この肉声を聞くまでは、まだ他人事でした。
彼女が長い長い間、重大な病と闘いながら、それを公言することなく、最後の最後まで周りに気を遣わせたり心配させたりしないよう頑張っておられたことを知り、こんな強さは可能なんだろうか、などと思ったりしていました。
わたしなど、周りに言いふらして、それをまたブログなどに書き連ねて、ああでもないこうでもないと大騒ぎをした挙げ句に、とうとう危ない時が近づいてきたらもう、どんなことをしでかすだろうか……家族や友達を巻き込んで迷惑をかけまくるに違いありません。

息苦しそうな、か細い声が聞こえてきた時、胸がドキンと打ちました。
そんな苦しさの中で、震災で被災した人達のことを思いやり、役に立ちたいと願い、それが努めだと断言している彼女。
こんな早くに死にたくはないけれど、それでも幸せだったと言い、恩返しのために復活すると宣言した彼女。
もう彼女は、3月29日の時点で、天使になっていたのでしょうね。
切ないです。




「こんにちは。田中好子です。
今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆さまの事を思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私のつとめと思っています。
今日お集まり頂いている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間、お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。
心の底から感謝してます。
特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。
テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹夏目雅子のように、支えてくださった皆様に、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思ってます。
カズさん、よろしくね。
その日まで、さようなら」