ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

せめて子供たちを守れ!

2011年04月23日 | 日本とわたし
日弁連より出された、文部科学省への声明から、一部抜粋させていただきました。


『当連合会は、文部科学省に対し、以下の対策を求める。

1 かかる通知を速やかに撤回し、福島県内の教育現場において速やかに複数の専門的機関による適切なモニタリング及び速やかな結果の開示を行うこと。

2 子どもについてはより低い基準値を定め、基準値を超える放射線量が検知された学校について、汚染された土壌の除去、除染、客土などを早期に行うこと、あるいは速やかに基準値以下の地域の学校における教育を受けられるようにすること。

3 基準値を超える放射線量が検知された学校の子どもたちが他地域において教育を受けざるを得なくなった際には、可能な限り親やコミュニティと切り離されないように配慮し、近隣の学校への受け入れ、スクールバス等による通学手段の確保、仮設校舎の建設などの対策を講じること。

4 やむを得ず親やコミュニティと離れて暮らさざるを得ない子どもについては、受け入れ場所の確保はもちろんのこと、被災によるショックと親元を離れて暮らす不安等を受けとめるだけの体制や人材の確保を行うこと。

5 他の地域で子どもたちがいわれなき差別を受けず、適切な教育を受けることができる体制を整備すること』


この声明が文部科学省に提出されたのが昨日22日のことです。
これを政府がどういうふうに受け取り、対策を練り直すのかどうか、今後の動向を見守りたいと思います。


それからもうひとつ。
読売新聞のウェブニュースで、なんだか淡々と、別にどうってこともないような調子で、こんなことが伝えられていました。

『内閣府原子力安全委員会は23日、東京電力福島第一原子力発電所から大気中に放出された放射性物質の量が、放出量が落ち着いた今月5日の時点でも、1日あたり154テラ・ベクレル(1テラは1兆)に達していたことを明らかにした』

これはいったいどういう意味なんでしょうか?
しかも、この安全委員会は、5日の発表時、「毎時約1テラ・ベクレル以下」と低く見積もっていた、とのこと……。

このいい加減さと無責任さはいったい……。
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プロパガンダの罠

2011年04月23日 | 日本とわたし
微量放射能による被害は10年後にやってくる…鎌仲ひとみ監督、「東京も汚染地域」放射能の恐ろしさを訴える - シネマトゥデイ

今朝、この記事を見つけて仰天しました。

以下は記事からの抜粋です。

『アメリカ最大の核施設であるプルトニウム製造工場があるハンフォードは、原爆を製造したときから何十年もの間、放射性物質が環境にばらまかれ、放射性ヨウ素131を、気象観測用の風船をつかってばらまく実験まで行われていた。
風下に広がる広大な農村地域の人々は被ばくした。
反対運動を続ける住民トム・ベイリーが、鎌仲監督を車に乗せ、ハンフォードの“死の一マイル”と呼ばれる地域を案内するシーンでは、一家全員がガン、奇形児を出産後に自殺、甲状腺機能障害……。
延々と続くトムの説明に鎌仲監督も絶句する。
一マイル四方に住む28家族ほとんどの家族の女性は甲状腺障害があり、みなが流産を経験していた。

微量の放射性物質を浴び続けるとどうなるのか、悲劇はすでに始まっている。
「一刻も早く、福島から、子どもたち、妊婦たちを避難させたい」、と訴えた鎌仲監督は、東京も例外ではないと警告した。
「風や、雨に乗って半減期30年の放射線セシウムが東京に降り注いでいます。
土壌は汚染され、小学校のグラウンド、公園の砂場も汚染されます。
東京だって、汚染地域です。ハンフォードと同じ、風下の人間たちになってしまったんです」

反原発デモに、16,000人が集まっても、ほとんどのメディアが報道しない。
電力会社は、大手メディアにとっての最大のスポンサーだからだ。
鎌仲監督は、「プロパガンダの罠にはまらず、自分で調べて、考えて」と訴えた。


無知だった自分。
けれどもここまでひどいとは想像できませんでした。
このアメリカにだって、こんなに惨たらしい事が起こっていて、その反対運動も含めて、ほとんど世の中に知らされていません。
自分の意思で情報を集め始めたら、この世界の中には、今の今まで知らなかった現実が、こんなにもたくさん存在していました。
情報を発信し続けていた人達は、いろんな制約や迫害や抵抗を受け、そのために充分に伝えることができなかったのかもしれません。
でもなによりも、呑気に、平和に、まあええんとちゃうのこんなんで、とのうのうと生きていたわたし達だからこそ、伝わらなかったのかもしれません。
「無知だったことはしょうがない。けれども、知って行動せざるは罪である」というのは、『自然エネルギー財団』設立に向けての講演の中で、孫氏が言われた言葉です。
自分で調べて、考えて、そして行動しなければならない時がきた。
それは本当に大変で、とてつもなく大きな決心と覚悟が入り、先には苦労が待っているかもしれないけれど、
「政府は安全だと言っていたのに」と声をあげたところで、時すでに遅く、2011年の福島原発による放射性物質の被爆によってガンになったという因果関係は立証できないのだし、怒りを向ける矛先も無く、我が子の、そして我が孫の病が進行するのをただ見守るしかない。
などという毎日を送りながら、人生を終わってもいいのでしょうか。

とにかくまず自衛に全力を尽くしてください。
自分と自分の家族を守る。
国はもうあてにしないで。
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オヤジの出番!

2011年04月23日 | 家族とわたし
昨夜から我が家はまたまた4人家族。うっほぉ~い
なんて喜んでいる場合では全然ないのである。

恭平が二日前から弱っている。
ストマック・フルーにかかってしまったようだ。
酷い下痢がもう丸二日続いていて、フ~ラリフラリと階段を降りてくる様はもうまるで、妖怪『一旦もめん』のようだ……などと冗談を言っている場合ではないのだが……。
下痢に伴う腹痛と頭痛、熱と関節痛。悲惨である。ものすごく気の毒である。
けれども、わたしは代わってやることもできないし、代わりたいとも思わないので、せっせとお粥やら葛湯やらを作っては食べさせるだけ。
あと、できるだけ殺菌してやりたくて、薄い緑茶に梅干しを入れて飲ませるのだけれど、ヤツはその梅干しを、いつも丸ごと残す。
こっちで買うこの梅干しがどんだけ貴重で高いか、それを思うともったいなくて、つい箸でつまんで口に入れてしまいそうになるのだが、そんなバイオハザードを食うだけの勇気も無く、ブツブツと独りゴチながらくず入れに捨てる。
「あ~腹減った……死ぬ」と言いながら、キッチンテーブルに突っ伏す我が息子。
こればっかりはなあ……ただただ腸の中に入ったウィルスを下痢と一緒に外に出し切るまで待つしかないので、少し食べては出し、また食べては出し、水分だけは充分に補充しながらがんばるっきゃない。
なので、「なにを抜かすか!人間は水分さえちゃんと摂ってたら、2,3日食べんでもどおってことない!母ちゃんを見よ!腸の検査前は3日間、水分以外は絶食しておる!そんなんをもう10回以上もやっとるのだぞ!」と威張ってやった。

ところが昨日の夕方、わたしの仕事が始まる直前に上から降りてきた恭平の顔を見て仰天した。
土気色とはこのことか?
ものすごく嫌な感じがした。
「やっぱり病院に行きたい。この下痢の酷さと関節痛は普通とちゃう」と言ってピアノの椅子にへたり込む息子を見て、これはやはり病院に連れていくべきかと思い、旦那に連絡をした。
旦那と恭平の主治医とわたしの主治医は違う。しかも、病気にかかったからといって、予約無しには行くこともできない。
この国の医療保険のぼったくり価格と、解き様も無くこんがらがった糸のような制度は、こういう緊急の場合に一番ネックになる。
とりあえず彼らの主治医の連絡先を調べ電話すると、「今ドクターは休暇中で来週の木曜日まで戻って来ない」と言われた。
「じゃあ、彼の代替えの医者の連絡先を教えて欲しい」と粘ると、「緊急で無い限りそれはできない」と言う。
「緊急だからお願いしている」と言うと、「あなたから直接連絡をとることはできない」と、なぜだかため息混じりに言われた。
「じゃあ、いったいどなたにその連絡を取ってもらえるようお願いしたらいいんですか?」と、怒りを抑えて聞くと、「それはわたしです」と言う。
「では、申し訳ないですが、今すぐ連絡を取ってください。二日前からストマック・フルーで苦しんでいる息子の様子がかなり悪化しているので」と頼むと、返事無しでいきなり、電話の呼び出しコールに切り替わった。
そして出てきた事務の女性に「今日は休みです」と素気なく言われ、事情を話しても「休みですから」とまた言われ、「じゃあもう救急で入るしかないのですか」と言うと、「それはあなたが決めることです」と言って電話を切られてしまった。

そんな調子で騒ぐ割には役に立たない母なのだけど、父は違った。
キラリと光る、けれども髪の毛よりも細い鍼を手に大活躍。
今回ばかりは楽になるからか、恭平もまるで断らない。
う~ん……負けた……。

なんて思っていると、昨日のお昼過ぎに拓人からチャットが入り、「今夜帰るし」と言ってきた。
「いや、今うちに近づかん方がええと思うで」
「なんで?」
「ストマック・フルーの菌が三階で蔓延してるから」
「え?」
「恭平がダウンしてる」
「まあ大丈夫やろ。とにかく帰るし」
「あんたがええのやったらどうぞ」

ふふん、先週お祝いで逢うたとこやのに、里心でもついたか?などと密かにニヤニヤしてたら、
「ああ拓人か。背中が痛いのが良くならんから、ボクに鍼してもらいに帰ってくるねん」と旦那。
ナニゲに悔しい母なのであった



追記。

たった今、足音も軽やかに、すっかり甦った恭平が階段を降りてきた。
「信じられへんほどに普通や」
ストマック・フルー、恐るべし……
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自給自足への最初の一歩

2011年04月23日 | お家狂想曲
今日も雨降り、そして明日も明後日も……。
週末の庭掃除&造りを密かに計画していたのに……。

ミツワで買ってきた『ししとう』と『ピーマン』の苗も、まだ地植えできずにいる。
まあ、ぶつぶつ文句言っても始まらないので、友人トモコがくれたたくさんの種の中のひとつ、『ゴーヤ』の発芽の準備でもしようとするか。

この、一見かんぴんたんのカメムシ……とも思えなくもないお姿。これがゴーヤの種である。


種まきは初めてだったので、さっそくネットで調べてみると、尖った方の先端を切り過ぎないよう注意して切る、と書いてあった。
その先っぽを切ったものを、ひたひたの水につけて数日経つと、切った先の穴から芽がニョロリと出てくるそうな……ふふふ、楽しみ楽しみ。


これがホンマのウォーターベッドなり。


今年こそは、野菜を少しでもいいから育てるぞぉ~!と心に決めている。
しかし、うちには我々よりも前からここに暮らしている方々がいる。
灰色や薄茶色の毛皮をまとっておられるその方々は、たいていお腹を減らしていて、ノソノソ、あるいはチョコチョコと姿を現しては、豪快かつ大胆に、わたしがせっせと植えたハーブや野菜を食されるのである。
わたしがそれに気がついて、ドアを開け(この時点では平気で食い続けている)、「おらぁ~!やめんかぁ~!」と怒鳴り(まだ食っている)、パン!と思いっきり手を打つまでは……。

なので、今年は場所を変えることにした。
まあそうしたところで、どんな効果が出るかには全く自信が無いのだけれど……。
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