ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

橘小学校ペットボトル放射線遮断作戦

2011年06月08日 | 日本とわたし
橘小学校ペットボトル放射線遮断作戦を紹介したいと思う。

この小学校では、校内の線量を自発的に計り、4/11には校庭の線量が3.63にもなっていた。
学校と父兄が一体となり、洗浄や土の入れ替えなどをしながら、
もっと効果的な方法はないものかと模索しているうちに、考えついた作戦だった。



≪ペットボトルによる放射線の遮断作戦は効果があったのでしょうか!≫

1年生の教室を、できるだけ涼しく砂ぼこりの影響の少ない北校舎に移動することはお知らせした通りです。
ただ、北校舎の1階は中庭からの影響で他の教室に比べて線量が高くなっていました。
そこで、水による放射 線の遮へい効果を利用し、水を入れたペットボトルを壁のように並べて、教室に侵入する放射線をさえぎろう、と計画しました。(職員の間では「新ヤシマ作戦」と呼んでいます。)
皆様のご協力により、おかげさまで、約500本!のペットボトルが集まりました。
さっそく、ペットボトルに水を入れて水の壁を作ったところ、以下のような効果が表れました。

*実施前の教室線量   

高さ70cmで測定 (測定日5月30日)    

窓側1m 0.31  
中央 0.17  
廊下側1m 0.13

3箇所平均 0.20


*実施後の教室線量

高さ70cmで測定 (測定日6月3日)

窓側1m 0.12  
中央 0.09   
廊下側1m 0.10        

3箇所平均 0.10


このように教室平均で約50%の低減効果が表れました。
特に窓側では約3分の1に!
確かな効果が表れました。
皆様のご協力に感謝いたします。
中庭の表土を入れ替えるのが最も効果的なのでしょうが、実現までにはしばらく時間がかかりそうです。
現在できることを工夫しながら、少しでも放射線量を少なくしていきたいと思います。



この学校のように、学校、教師、父兄、地域の皆さんが一体となり、子供を放射能被害から少しでも守ろうと懸命に取り組んでおられるところの生徒は、後々になってしみじみと、自分の幸運を感謝するだろう。
その親はもちろんのこと、守るべき立場にあった教師も、後々後悔したり、罪の意識に苛まれることもなく、誇りと懐かしみをもって、今の毎日を思い出せるだろう。
我々外側の者は、逃げろ逃げろ!と騒いでいるが、その地域で人生を歩まれていた方々にとって、遠くに逃げることは大変なことなのだ。
だから渋々残っている。本当は逃げた方がいいことをわかっていながら、どうしようもなく残っている。
幸いにして、橘小学校は、そういう家族の思いをきちんと受け入れ、できることをコツコツと、実に迅速に行動に移している。
その様は、不安につぶされそうになっている人々を励まし、元気づけ、きちんと気をつけるべきことを無言で教えてくれている。

ペットボトルをどのように配置したかは、PDFに掲載されている写真を参照して欲しい。
この方法が、一般家庭でも効果を表すことができることを願っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『フクシマの明日』ではなく、『東京の明日』である可能性

2011年06月08日 | 日本とわたし
ジュノーの会
『ヒロシマ・ジュノーの会』のチェルノブイリ&フクシマ被災者支援の、情報提供のためのブログを紹介します。

『いま、私たちは何をすべきか。 

大筋だけをズバリと言わせていただく。
まず、初期の医療空白の時代には、呆然と待っていたりせずに、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリで効果があったと伝えられる療法を、可能な限り試みることである。
次に、政治方面の努力を急いでもらって、一日も早く「全科無料定期検診制度」と「全科無料治療制度」を確立すること、そしてそれを守り抜くことである。
そのとき、初めて、現代医学は力を発揮するのである。

『晩発性障害』は単にがんの罹患率やDNAへの影響云々だけの問題ではありません。
『人間が人間であること』『わたしがわたしであり、あなたがあなたであること』全体に重大な影響を及ぼす
のです。

「毎日放射能を食べているようなものです」「子どもたちの記憶力がとくに悪くなりました」
――爆発事故から6年後、チェルノブイリ原発の風上60キロの学校にて――


ところで、本ブログにしばしば紹介するこの地域やキエフ市の状況は、『フクシマの明日』ではないように私には感じられてなりません。
20~25年前のソ連で正確な線量測定ができたとは思えませんので、真実はなお霧の中にありますが、
公表されている大気中放射線量の数値だけを単純に比較してみますと、この地域やキエフ市の線量は、現在の新宿や川崎あたりに近いように思われるのです。
これは『フクシマの明日』ではなく、『東京の明日』である可能性があります。

事故発生からまだ間もないと言えるかもしれない今のうちにこそ、早急に『解毒』をする必要があるのです。
みなさん、今すぐ、ただちに『解毒』に努めてください。


「人の年間被曝線量は1ミリシーベルトを超えてはなりません」

毎日1個の梅干し、毎日1杯のドクダミ茶(ウーロン茶とのブレンドで2~3杯)、毎日1杯の味噌汁――これが最低ラインの目安です。
これを毎日続けること。
(ドクダミ茶については、①飲みすぎに注意してください。おいしいと感じることが目安です。②妊娠中、授乳中の方は、医師か薬剤師にご相談ください。)

砂糖は摂らないようにしてください。
黒ゴマ、自然塩(天日塩)、柿の葉、ニンジン、ハブソウ、ほうじ茶(緑茶は避けたほうがいいのです)などを摂るとよいのです。
プレーン・ヨーグルトにも排毒の作用があります。
あと、免疫力を高める強力な作用のあるのが「青のり」。青のりを天日塩でうすい塩味にして、ふりかけのようにして食してください。 

みなさん、ジュノーの会・『梅ドみ募金』に力を貸してください。
たくさんの放射能被災者の方々が『梅ドみ』『解毒』を求めておられます。
国や県、行政の支援は望めないでしょう。待っているわけにはいかないのです。
ただちに『解毒』を! 
遅れれば遅れるだけ危険が増します。
 
どうか、全国の非被災地のみなさんの力で、より多くのフクシマの人々に、『梅ドみ』に代表される『ヒロシマの知恵』を届けてあげてください』


このブログには、全国から送り届けられた募金と、物資、食料の明細が、きちんと載せられています。
非被災地にお住まいの皆さん、どうかよろしくお願いいたします。
福島原発の、今だに途方もない量の放射能汚染を続けている実態について、どこの新聞も興味が無くなったようです。
もうすっかり終わってしまったのでしょうか?
日本の各地で、点検や修理をしている原発施設では、小さな事故や不備が見つかっているけれど、
そのことについても、ほんの数行のお知らせ程度。鼻で笑っているようなお粗末な記事です。
日経で、来年のいつだったかに、今停止している原発を含め、定期点検などに入る原発が数基あり、日本の原発すべてが動かない状態になるそうです。
プチ全原発廃炉ですね。
なぁ~んだ、大丈夫やん。
もしフクシマ事故が無かったら、電力会社は素知らぬ振りをして、秘密裏に、原発発電ゼロの日々を実施していたのでしょう。
そしてもちろん、その時には、計画停電を大々的に行い、原発が無かったらこんなにも日本は混乱しちゃうもんね~キャンペーンを派手にやってたんでしょうね。

吉本もビックリ!のお笑いです。
原発党議員と、地下原発を真剣に考えている阿呆議員と、今もって原発再開に熱意を示す阿呆市長と、原発大好きな阿呆学者。
どこかにこの、類い稀なる阿呆達を顔写真つきで永遠保管できる機関ができないものか……ブラックリストっぽく……。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さき者へ

2011年06月08日 | ひとりごと
『小さき者へ』有島武郎より抜粋。



『世の中の人は私の述懐を馬鹿々々しいと思うに違いない。
何故なら妻の死とはそこにもここにも倦(あ)きはてる程夥(おびただ)しくある事柄の一つに過ぎないからだ。
そんな事を重大視する程世の中の人は閑散でない。
それは確かにそうだ。
然しそれにもかかわらず、私といわず、お前たちも行く行くは母上の死を何物にも代えがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ。
世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。
それは恥ずべきことじゃない。私たちはそのありがちの事柄の中からも人生の淋しさに深くぶつかってみることが出来る。
小さなことが小さなことでない。
大きなことが大きなことでない。
それは心一つだ。
 
何しろお前たちは見るに痛ましい人生の芽生(めば)えだ。



泣くにつけ、笑うにつけ、面白がるにつけ淋しがるにつけ、お前たちを見守る父の心は痛ましく傷つく。
然しこの悲しみがお前たちと私とにどれ程の強みであるかをお前たちはまだ知るまい。
私たちはこの損失のお蔭で生活に一段と深入りしたのだ。
私共の根はいくらかでも大地に延びたのだ。



人生を生きる以上人生に深入りしないものは災(わざわ)いである。


十分人世は淋しい。
私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。



 
お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。



行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。
私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。それはお前たちから親としての報酬を受けるためにいうのではない。
お前たちを愛する事を教えてくれたお前たちに私の要求するものは、ただ私の感謝を受取って貰いたいという事だけだ。



お前たちが一人前に育ち上った時、私は死んでいるかも知れない。
一生懸命に働いているかも知れない。老衰して物の役に立たないようになっているかも知れない。
然し何(いず)れの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。
お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩(わずら)わされていてはならない。
斃れた親を喰(く)い尽して力を貯える獅子(しし)の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。



小さき者よ。
不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。
前途は遠い。
そして暗い。
然し恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。
勇んで。
小さき者よ』





小さきものを目にするたびに、この、有島武郎の心の叫びをよく思い出します。
久しぶりに良く眠れたので、今朝は早くから目が覚めました。
朝日の前のミニ畑は、しんと静かです。
よく見ると、小さなものたちがまたひとつ、小さな成長を遂げてくれているのがわかりました。
倒れている芽をそぉっと起こし、枯れ木の枝を横に刺して支えにし、雑草や石ころを除きながら、
毎日なにかしら小さな問題が起きている小さな畑は、まるで赤ん坊の子育てのようだと、ふと思いました。

小さなピーマンの赤ちゃん。


ししとうの花。


少しだけ紫色になってきたブルーベリーの実。
 

そしてうちの小さき者。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする