ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

平成維新はエネルギーから始まる!主役は生活者一人ひとり!

2011年06月26日 | 日本とわたし
ECO JAPANという日経BP社の環境系情報ポータルサイトに、村沢義久さんという方の論説が載せられていました。
とても簡潔に分かり易く、エネルギーのことが書かれています。ぜひみなさんも全文を読んでみてください。

『主役は生活者の平成エネルギー維新』

部分的に転載させていただきます。

『「上から経済」の電力事業

多くの人たちが、日本が大きく変わり始めたと感じている。
21世紀になって、徐々に変化は始まっていたのだが、震災と原発事故が引き金となって一気に表面化したと考えるべきだろう。

変化の1つは政府、大企業、中央主導の「上から経済」から、個人、中小企業、地方主導の「下から経済」へのシフトである。
端的に現れつつあるのが電力事業である。太陽光発電は個人による電力事業であり、原発政策を決めるのも国民一人ひとりである。

原発は「上から電力」の象徴である。
大企業・大資本で、しかも国の支援体制がないと実現できないからだ。
これは、海外でも共通している。今回の事故まで、発電量(kWh)ベースで原子力が日本の電力総需要の30%弱を賄ってきた。

「原子力は安全・安心コストを含むと高コストになり、ひとたび事故が起きるととてつもない被害をもたらす」。
これが原発に対する新しい認識だ。とは言うものの、日本のエネルギー事情とCO2削減の問題を考えると、急激に減らすのは現実的ではない。

1つのやり方として漸減方針を提言する声もある。
原発の「定年」を40年とし、新たに建設しなければ、少なくとも40年以内に原発はなくなる。
現存する54基の中で、最後に定年を迎えるのは北陸電力志賀2号機(2046年3月14日)になる。

しかし、現実問題として、もっと早く減っていく可能性もある。
原発は13カ月ごとの定期検査が義務つけられており、再起動には、保安院からの許可以外に県知事をはじめとする住民の了解が要るからだ。

今回の事故を受けて、原発をどうするかについては様々な議論が出てくるだろう。
リスクやコストに関する評価を再度詰めて、そのうえで「今後も必要」と判断することもあるかも知れない。

ここで重要なことは、判断するのは政府や電力会社、経済団体ではなく、私たち国民一人ひとりであるということだ。
国民主権は原発にも当てはまるのである。

東電の総発電量のうち、東北での発電が3分の1を占めている。
福島第1原発、同第2原発、広野火力発電所が福島県の浜通り、それも全て双葉郡にある。
今は3つとも止まっているが、これまではこれらで発電した電力はすべて関東へ運ばれ、首都圏で使われてきたのである。

原発の問題の1つは、受益者と負担者が異なることだ。

受益者は東電管内の企業や住人で、負担者は東北の人たち、とりわけ今回避難された方々などである。
受益者にとって「危険なもの」を他人に押し付けていることがそもそもの間違いだろう』

以後、
『自産自消のソーラーハウス』、『電気は貯められる』、『深夜余剰電力は隠れたエネルギー資源』、『家庭用バッテリーにもなるEVの改良』と項目が続きます。
そしてまとめとして、

『20世紀は、政府、中央、大企業主導のサプライサイド・エコノミー(「上から経済」)の時代であった。
その代表が電力事業である。
豊かな電力は国民に多大な恩恵をもたらしてきたが、原発問題で綻びが目立つようになってきた。
明治維新から140年後の「平成維新」はエネルギーから始まる。主役は生活者一人ひとりである
』と結ばれています。


維新……維(こ)れ新(あらた)なり、すべてが改まって新しくなること。特に、政治や社会の革新。

維新には痛みや戸惑いや伴い、それはきっと、ドラマや映画などを眺めているようなわけにはいかない、生身を傷つけるものになると思います。
ここアメリカは、オバマ政権への切り替わりが小さな『維新』でした。
人々は『変化』を叫び、獲得しようと興奮し、躍起になり、大勢の人達の草の根的な努力がそこらかしこに存在していました。
オバマ氏は、演説で『変化』を口にするたびに、それに伴う痛みと、それを受け止める強い意志と辛抱を説きました。
聴衆は、「もちろんだ!」「大丈夫だ!」と大声を張り上げて賛同していました。
けれども、一年も経たないうちに、「なにも変わらないじゃないか」「どうしてくれるんだ」と文句や愚痴が増えてきて、
今や、「やっぱり彼ではだめだ」などという意見もあちこちで聞かれます。

いよいよ自分の周りの世界が変わろうとする時は、それを望んだ人にも、それにただ巻き込まれた人にも、それを望んでない人にも、まんべんなく平等に、衝撃と痛みが降り注いできます。
今はその、衝撃と痛みに負けない、もしかしたら長く続く辛抱の時間を耐えきれるよう、心を鍛えておく必要があるかもしれません。
被災された方々以外の、とりあえず身体が健康で、そこそこ人並みに暮らせている皆さんの、ひとりひとりの心の中に、
静かに、密かに、けれども決して消えることのない『平成維新の炎』が灯りますように。
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