ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

村上春樹氏「原発批判」演説(11/06/10)

2011年06月10日 | 日本とわたし
村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット1/4(11/06/10)


村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット2/4(11/06/10)


村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット3/4(11/06/10)


村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット4/4(11/06/10)
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日本メディアの、脱原発ドイツについての誤った質問、そして間抜けすぎて笑えない質問について

2011年06月10日 | 日本とわたし
ドイツの脱原発政策についてという、環境先端都市ドイツ・フライブルク市在住の環境ジャーナリスト村上敦氏のブログ記事を紹介します。

どうしてこの記事を紹介したくなったかというと、わたし自身も、脱原発を声も高らかに宣言したドイツに対し、『間抜け過ぎて笑えない質問』を持っていたからです。

彼の言う、勉強不足の日本メディアから、彼に投げ掛けられる質問というのは、こういうものです。

「ドイツ政府は脱原発を決めましたが、それに対する市民の反応はどうですか?」

この質問の中に、誤りが1点、そして間抜けすぎて笑えないポイントが1点あるのだそうです。
その点について、おおまかに少しだけ抜粋させてもらいます。

ドイツ政府は、2000年に電力事業者との協議の末、契約書を交わし、その後、2002年には原子力法を改正する形で、すでに脱原発を決めている。
このときの脱原発期限は2021~23年。
その後、いろいろな政局の変化が起こり、いろいろな駆け引きがあり、福島事故の当時のドイツであっても、2035年前後に脱原発という政策を保持脱原発をしないとは全く言っていないわけだから、いまさら、脱原発を決めたというのは事実ではない。

そして、間抜けすぎて笑えないポイントというのが、市民の反応についてで、

「ドイツ市民は一刻も早い脱原発を訴え続け、その力に政府は屈服する形で脱原発期限の短縮を余儀なくされましたが、ドイツ政府の反応はどうですか?」であるべきだということ。

なんでも自分の国の、自分の知識範囲だけの、自分の認識だけの世界に留まったまま、
少なくとも、ジャーナリストとして、それで飯を食っている人間が、
いくら邦人のよしみとして油断があったにせよ、下調べも勉強もせずに、まるで金太郎飴のように、来る人来る人が同じことを聞いてくる。

これが今、辛口の人達から、マスゴミと揶揄されている理由のひとつなのかもしれません。

知らないことが山ほどあって、わくわくドキドキの毎日です。
これからもどんどん、知らなかったことが出てくるだろうけど、生涯学べることは幸せなのだから、おおいにびっくりしていこうと思います。
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テツガクな金曜日

2011年06月10日 | 家族とわたし
もうすぐ23才になる次男、初めてひとりで航空券を買い、ひとりで空港まで行き、ただ今乗り換えの飛行機待ちをしている。

急に「フロリダで行われるゲームトーナメントに行く事にした」、と言い出したのが一昨日。
このところ、ずうっと一緒に居るニーナちゃんが、フロリダ行きを一ヶ月も前に決めていたこともあって、そう決めたんだろう。

彼らはほんとに仲がいい。
たまに、ちょっと険悪なムードが漂っていることもあるけれど、仲直りが早い。
旦那もわたしもニーナちゃんが大好きなので、うちに彼女が居ることが楽しい。

最近、ずっと黒髪だったのを、気分転換だったのか脱色した彼女。
でもやっぱり、こんな不毛なことを続けていられない、と思い直し、恭平に手伝ってもらいながら染め直した。
それは夜中で、熱がこもった二階では寝られないわたしが、たまたま一階のお客部屋に避難して眠っていた晩だった。
彼らが大騒ぎをしているシャワールームは、わたしの寝ている部屋のすぐ隣。
暑かったので、ドアを開けたままにしていたこともあって、しっかり起こされてしまった。
ボォ~ッとしながら、朝起きてトイレに入ると、焦げ茶色のシミがあちこちについている。
毛染めの染料のシミは、プラスティックにつくと二度ととれない。
床に敷いてあったラグとマットをひっぺがし、ダメもとで洗濯機に放り込んだ。
これ見よがしに、汚れがついた汚物用のゴミ箱のフタを洗面器に置いておいたら、起きてきたふたり、「やばっ!」と慌てている。
「うちのオカン、こういうのいっちゃん嫌いやねん。そやし、めちゃ怒ってるで」と、恭平がニーナちゃんにゴソゴソ伝えている。
それが可笑しくて、黙って机の前に座っていると、ふたりで恐々やって来て、
「恭平が手伝ってくれながら、手をこんなふうにして……だから汚れたの」
「なぬぅ~!人のせいにすんな!おまえが悪い!ボクは悪くない!」
「だってほんとだもん!わたしは気をつけてたもん!」
ああ、だから好きだよニーナちゃん!もちろん許してあげた。
「アンタ達ももう、いっぱしの大人なんやから、ちゃんと考えて行動しなさい」、と小言も付け加えて。

こちらに引っ越してきた時に、学年を一年引き下げた恭平。
日本で居たら、もうとっくに卒業して、社会人になっているはずの年だ。
そこに加えて、「あと一年、別の専攻を加えて勉強させて欲しい」と言ってきた。
大学がうちから車で30分ぐらいの所にあるので、高い寮費を払うのもバカバカしく、うちから通っている。
食事はほとんど一緒にしない。
洗濯はさせている。

けれども彼は、23才の立派な大人になっているにも関わらず、ガソリン代と食費以外、学費はもちろん、家賃も健康保険も携帯電話もケーブル代も光熱費も払わなくてもいい、実に呑気な暮らしを続けている。
旦那とわたしが身を粉のようにして(かなり大げさ?)働き、毎月ひいひい言いながらローンを払っているこの家に、居候しているのだから、
居候には居候の正しい過ごし方というものがあることを知ってもらいたく、わたしはだから、口うるさく注意する。
あんたの部屋はもうええ。あきらめた。好きなように使いなはれ。
けども、公共の場だけはそれは通用せえへん。
洗面所、トイレ、階段、あんたの部屋までの通路、それからあんたの部屋以外の三階の空間。洗濯部屋。風呂場。台所。居間。
どうしてもちょっとの間置いておきたい物がある場合の置き場所を決め、汚したら即掃除するなり洗うなり、好き勝手に使えない場所があることをしつっこく伝えている。

そんな幼稚なことを今だに教えているのか……と呆れて仰け反っておられる方がいるかもしれない。
生きるとは、理想と現実の狭間で、根気良く、適度のあきらめと適度の希望を胸に、前に向かって歩くことである。
などと、急に哲学をしている金曜日の午後。
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うちの緑の党メンバー

2011年06月10日 | ひとりごと
昨日はなんと、101℉(38℃ちょっと)までに気温が上がった。
ほんの1週間ちょっと前には、これが6月といえるのだろうか、という程の冷え込みだったのに、
ここ数日は、これが6月をいえるのだろうか、という程の猛暑だった。
昨日は40℃近くになった気温も、夕方からの雷雨でビューッと下がり、昨夜は熱帯夜からは脱出できた。
今は29℃、℉に換算すると84℉、まあそんなに悪くはない。

毎朝、夜のうちにどんな事件が起こったか、畑を点検する。
三度豆隊のうち、唯一の生き残りだった希望の星くんが、程よくぶっとくなった茎をポキンと折られて萎れていた。
ちょいと涙ぐんでしまった。

チビピーマンをいっぱいつけた日本ピーマンの木(木というには小さ過ぎ!)。でも、この茎のおかげで、花も実も守られている。


ここまでグルグル巻きにならんでも……。でも、あんたも必死やわな。がんばれ!


と思いきや、隣のシュガースナップさんは、どこに巻き付いたらええの~とオロオロ。そこやん!


おぉ~、いよいよブルーベリーらしく色づいてきた実。鳥さん、お願いやし、突かんといて!


咲く気満々のつぼみ。鼻息が聞こえてきそう。


葉っぱが好き。命が脈打っている。


あ~あ、また日焼けしたっ!
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日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった

2011年06月10日 | 日本とわたし
人文科学の分野で活躍した人に贈られる、スペインのカタルーニャ国際賞を受賞した、作家の村上春樹氏による、現地授賞式でのスピーチの要約。

『東日本大震災で、全ての日本人は激しいショックを受けた。
今なおたじろぎ、無力感を抱いている。

だが、われわれは精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくだろう。
われわれはそうやって、長い歴史を生き抜いてきた。

日本は唯一、核爆弾を投下された国だ。
放射能が世界や人間の身にどれほど深い傷痕を残すか、われわれは被爆者の犠牲の上に学んだ。

福島第1原発事故は、日本人が体験する2度目の大きな核の被害だが、今回は爆弾を落とされたわけではない。
自らの手で過ちを犯した。
理由は「効率」だ。
原子炉は効率が良い発電システムだ、と電力会社が主張し、政府も国策として推進した。
地震国の日本は世界第3の原発大国となり、原発に疑問を呈する人には『非現実的な夢想家』というレッテルが貼られた。

だが原発は今、無残な状態に陥った。
今や原子炉が地獄の扉を開けた。
原発推進派の『現実』とは『便宜』にすぎなかった。
論理をすり替えていたのだ。

福島事故は、すり替えを許してきた日本人の、倫理と規範の敗北でもある。
われわれは自らも告発しなければならない。

日本人は、核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。
技術力を結集し、持てる英知を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった。
それが、広島、長崎の犠牲者に対する、集合的責任の取り方となったはずだ。
われわれは、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉『安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから』を、再び心に刻むべきだ。

損なわれた倫理や規範は、簡単に修復できないが、それはわれわれ全員の仕事だ。
新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはならない。

夢を見ることを恐れてはならない。
『効率』や『便宜』という名前を持つ、災厄の犬たちに追い付かせてはならない。
われわれは力強い足取りで前に進んでいく、『非現実的な夢想家』でなくてはならない』
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