福島が泣いています。
福島の親御さんが、大切に大切に育ててきた子供達。
福島の農家の方々が、大切に大切に育ててきた農作物。
福島の酪農の方々が、大切に大切に育ててきた家畜。
なによりも、存在そのものが美しかった福島の自然。
あの忌々しい原発が、どうして福島に建てられることになったのか。
どのようにして誘致にこぎ着けたのか。
どのようにして建設が進み、どのような利権があったのか。
どのようにして事故が起こり、どのようにして隠し通してきたのか。
見えない放射能が、今までに、すでに、どれくらい散らばってきたのか。
なにも知らずに生きていました。
なにも知ろうとせずに生きていました。
知らないまま日本を離れ、日本よりもさらに、原発に依存し、この政策を変える事は日本以上に難しいと思われる国に暮らしています。
起こってしまった今、なにを後悔してもすべては遅く、意味もありません。
けれども、起こってしまってからの処置を、知恵を集め、人手を集め、できるところから迅速に、きめ細やかに、しかも正しい方法でしなければなりません。
初めてのことなら、初めてではない人を。
わからないことなら、わかる人を。
縦横、関係がどうのこうの、政局がどうのこうの、役所がどうのこうの、
もうそんなことを言っている場合ではないのです。
福島が泣いています。
人の心を戻して欲しいと泣いています。