goo blog サービス終了のお知らせ 

ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

子どもの喉にしこりが、福島だけやなく青森や長崎でもっと見つかった事が、なんで不安の解消になるん?

2013年03月11日 | 日本とわたし
これ↓は、3月8日の午後9時44分に、NHKで報じられたニュースです。

子どもの甲状腺検査 福島県以外と同じ
3月8日 21時44分

原発事故を受けて、福島県が子どもを対象に行っている甲状腺の検査で、小さなしこりなどが見つかった割合が、福島県以外で行った検査の結果と同じ傾向だったことが分かり、
環境省は、福島県での検査結果は、原発事故の影響によるものとは考えにくい、としています。

原発事故で放出された放射性ヨウ素は、子どもの甲状腺に蓄積してがんを引き起こすおそれがあり、
福島県は、当時18歳以下だったすべての子どもを対象に、甲状腺の検査を行っています。
福島県などによりますと、ことし1月下旬までに検査を受けた13万3000人余りのうち、41.2%の甲状腺に、5ミリ以下の小さなしこりなどが見つかりました。

環境省は、見つかったしこりなどは、ほとんどが良性のものだとしていますが、
福島県の保護者などから、事故の影響が大きいのではないか、と不安の声が上がっていたことから、
原発事故の影響が小さい青森県の弘前市、甲府市、それに長崎市の3か所でも、同じ検査を行いました。
その結果、検査した3歳から18歳までの、合わせて4365人のうち、福島の検査で確認された小さなしこりなどが、56.6%で見つかり、福島県とほぼ同じ傾向だった、ということです。
これについて、環境省は、
「福島の結果が、原発事故の影響によるものとは考えにくいことが分かった。この結果が、不安の解消につながることを期待したい」と話しています。

専門家「過剰に心配する必要ないと思う」

放射線が人体に及ぼす影響に詳しい、放射線影響研究所の長瀧重信元理事長は、
「最近の甲状腺の検査は、精度が高く、福島以外の地域でも、一定程度の人から、甲状腺の小さなしこりなどが見つかることは、これまでも国内外のデータから予想されていた。
福島と、福島以外の検査結果が同じ傾向だったことは、今、福島で報告されている甲状腺のしこりなどは、原発事故による被ばくの影響とは考えにくいことを示している。
甲状腺にしこりなどが見つかった子どもやその保護者は、過剰に心配する必要はないと思う」と話しています。

以上、転載おわり


これを読んだ時、いやもうこれは、大変な誤摩化しやと思た。
わたしはこういう記事を読む時、自分がその当事者ならどう思うやろ、どう捉えるやろと想像しながら読むのやけど、
今のところの立ち位置としては、報道や政府の在り方をかなり疑うてかかってる方にあるので、そういう色眼鏡をかけて(疑いをもって)読んでるのは事実。

そういうわたしからすると、この記事に書かれてあることは、めちゃぶっ飛んでる。

18才までの子どもの甲状腺に、バンバン見つかってるしこりは、原発事故の影響によるものとは考えにくい。
なんでっちゅうたら、北は青森から南は長崎まで(というても、たったの3県やけど)の子どもらに、福島の子どもらよりももっとぎょうさんのしこりが見つかったから!

ど~ん!とばかりに、どちらかというとホッとしたような口調で、どうじゃ~!わかったか!とでも言わんばかりに、環境省やら専門家が、過剰に心配すんなと話してる。

これって……日本中の子どもが、甲状腺にしこりがぎょうあんあるっていう、世界でも稀に見る異常事態なんとちゃうの?
インフルエンザが流行っても大騒ぎするくせに、この一大事は安心してええん?

どこが安心なん?
どこが過剰に心配する必要が無いん?

こんな結果が出て、それを、心配すんなって垂れ流す環境省に、他の省も学者も医者も、それから報道機関も、
「アホ抜かせ!ボケなす!」って叱り飛ばすもんはおらんのか?

なにが原因であれ、甲状腺にしこりがこんだけ多いのは異常事態で、緊急に、全国の子どもを調べて、対処したらなあかんのとちゃうの?
そんなことも思い浮かばん、もしかして思い浮かばんようにどっかで圧力かけてるのか、日本の異常者らは。

親なら立ち上がれ!
自分の子どもぐらい自分で守れ!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「私達一人一人が勇気を持ちこれまでの生活をぬぐい捨ててゆく事から始めなければ、何も解決はしない」

2013年03月11日 | 日本とわたし
今から紹介させていただくこの記事は、『親子のための防災ノート』というサイトに掲載されていたものです。

時は2011年3月21日。
震災と津波が東北地方大平洋沿岸を襲った日から10日、原発事故から6日しか経っていない、混乱を極めていた時のことです。

それらの状況をふまえた上で、読ませていただいたのですが、2年経った今、わたしの心の中に一番強く根づいていることが書かれていて、
そのことに驚き、考え、2年前となんら変わらない状況でいることに、歯ぎしりしています。

『電力会社や政治家を責めるだけではなく、
私たち一人一人が勇気を持って、これまでの生活をぬぐい捨ててゆくことから始めなければ、何も解決はしないのだ』

『今、この国の原子炉が抱えている恐怖が、たとえ片付いたとしても、それで忘れることなく、
私たち一人一人が議論し、運動を起こさなければならないはず』

今だ、子ども達に、少しはマシな未来を作れないでいるわたし達。
これまでの生活をぬぐい捨てる勇気を、相方とももっと真剣に話し合い、本気で実現する一年にしたいと思います。


子どもたちに未来はあるか ~真弓定夫先生に聞く、震災と原発事故後のこと~





●はじめに

3月11日に起こった大地震の直後から、福島第一原発を発端とする複数の原子炉で、次々と明るみになったメルトダウンへの危機を知るにつれて、
私はこの事態を前にして、小児科医・真弓定夫は、どんな感想を抱いているのかを知りたいと思いました。
私たち子どもを持つ親に、先生がどんな提言をして下さるのかを聞きたくて、会いに行きました。

真弓先生とのおつきあいは、私の二人の子どものかかりつけの小児科医として、15年近いおつきあいがあります。

最近では、自然育児友の会が発行する『ナチュラルマザリング』の創刊号から3号にかけて、
私は、「小児科医真弓定夫の肖像」と題した文章を書かせていただきました。
ご興味のある方は、『ナチュラルマザリング』No.1, No.2, No3も、合わせてお読み下さい。

今回報告する文章は、後日、加筆・訂正をした上で、自然育児友の会・会報の次号なつ号に掲載する予定です。

十分な推敲のないままの下書きですが、この危機的な状況におかれたみなさんの、生きる知恵や指針として、わずかでもお役になればと思い、
未完成のままの原稿を、アップさせていただきます。

================

地震大国日本においても、また世界の歴史においても稀な、未曾有の大地震と津波による被害が起きた、2011年3月11日。

最初に、真弓先生にお会いする約束をした3月15日は、交通機関がまだ混乱したままで私は出かけられず、
地震から1週間後の18日(金)に、ようやくお会いすることができました。

吉祥寺駅北口から、サンロードのアーケード街を突っ切って、通い慣れた小さなビルの階段を登り、二階にある真弓小児科医院を訪れました。

ここから、当日、真弓先生にうかがった話をレポートします。

関 良一
(元テレビ番組制作者。現在は自主グループ
「親子山学校」を主宰)


●子どもたちに未来はあるか
~真弓定夫先生に聞く、震災と原発事故後のこと~


午後1時。
真弓先生を訪ねました。
「お昼はまだですか?一緒に食べましょう」

先生がいきつけのお昼を出す居酒屋は臨時休業で、かわりに、近くの古い雑居ビルにある喫茶店に入りました。

昭和50年代に建てられたその雑居ビルは、5階建てですが、老朽化や不況のせいもあってか、3階から5階のフロアには一軒の
テナントも入っていません。
1階のゲームセンターと、2階に喫茶店があるだけです。

壁に貼られた紙には、500円台から600円台の食事メニューが、手書きの文字で書かれています。
吉祥寺でも安い値段です。

私が、一番安そうなドライカレーを頼むと、真弓先生もそれにならって、「ドライカレーを二つ。それから珈琲も二つお願いします」と、マスターに注文しました。

食事をとりながら、私は質問を始めました。

最初に先生に聞きたいことは、大震災もさることながら、
その直後に起こった福島第一原発の冷却装置が、制御不能に陥ったことから始まった放射能漏れの緊急事態を、どのように受け止めているかでした。
むろん、先生は、地震の研究者ではありませんし、原子力の研究者や技術者でもありません。
一人の小児科医です。

私は、
「今度の事故で、日本人の多くが、原発は二度とごめんだ、原発停止や廃止の方向にシフトするのでは」と、語気を強めて尋ねました。

先生は、これに同調することもなく、静かにこう答えました。

「相手(東電や国)を責めるのは簡単です。今は自分を責めなければいけません」

自分とは、原子力政策に対して大きな疑問も反対も持たずに、何十年とその恩恵を享受してきた、私たちを指しています。

「食べ物や水の浪費もさることながら、それ以上に、電力を無駄遣いしてきたことを、自覚しなければいけません」

私たちが、電力に依存する生活や社会を受け入れてきたことの方が、放射能や放射性物質の恐怖を語るよりも前に、振り返る必要がある、ということです。


電気に頼ってきた私たちの暮らしに触れる前に、私たちはなぜ、この狭い日本に、54基もの原子力発電所を建設することになったのか、
推進する側と反対する側との考え方も含めて、その経緯や歴史を知っておく必要があります。

しかし、それは、分厚い本が数冊くらい必要になるほどの、膨大な話になります。
私にはまだ、それをはじめるだけの知識も勉強も足りません。

ここでは、真弓先生から渡された資料と、私の乏しい知識の中から、いくつかの客観的データだけを列記してみます。

1945年(昭和20年)の敗戦から9年後の、1954年(昭和29年)に、時計の針を戻してみます・・・。

●1954年2月27日
日本学術会議 第39委員会において、『原子力に関するシンポジウム』を開催。
これは、日本が、原子力エネルギーを平和目的に限って、調査・研究・利用するための科学者を集めたシンポジウムであった。

●1954年3月2日(上記のシンポジウムから数日後)
改進党(野党)の中曽根康弘、斉藤憲三議員らから、
「修正予算案」のかたちで、「原子炉建設予算」が衆議院に提出された。
なぜか満足な議論もないまま、3日後の3月5日に可決
これによって、日本の原子炉設置が決定された。

予算案の内容:
原子炉建設費 2億3500万円
ウラン資源調査費 1500万円
チタン・ゲルマニウムなどの資源開発費 3000万円
資料費 2000万円
合計3億円

●中曽根康弘代議士(当時)の言葉
「学術会議においては、研究開発にむしろ、否定的な形勢がつよかったようであった。
私はその状況をよく調べて、もはやこの段階にいたったならば、政治の力によって突破する以外に、日本の原子力問題を解決する方法はない、と直感した」



戦後間もない日本が、平和目的とはいえ、原子力発電所が急速に建設された背景には、米ソ冷戦下にあったアメリカの存在があったのは、言うまでもありません。

アメリカが、1941年から始めた原子力研究(マンハッタン計画)の主目的は、核兵器などの軍事目的でした。
その最初の実戦利用が、1945年8月の広島と長崎に投下された、原子爆弾です。

核兵器において、ソ連よりも優位にあった米国でしたが、それもすぐに逆転します。
そこで米国は、それまで手をつけていなかった、原子力の平和利用分野(原発建設)で、ソ連との競争に打って出ます。

米国の配下にあった日本にも、「平和利用」を謳って、原子力発電所の建設を強力に促します。
その急先鋒にいた日本の政治家が、中曽根康弘です。

少し時間を飛ばします。
今、問題になっている福島原発の歴史を、少しだけ記しておきます。


●1971年(昭和46年)3月26日
福島第一原子力発電所1号機の営業運転を開始。
以後、2号機、3号機と運転が始まり、1979年(昭和54年)10月24日6号機の営業運転に至る。



福島第一原発の1号機運転からちょうど40年、
6号機からでも32年の歳月が過ぎようとしています。
福島原発が出来たとき、その耐用年数は
十年と言われていたそうです。だから言ったこっちゃ
ないという話もありますが、そのことを裏付ける
材料は私にはありませんので、耐用年数の問題に
ついては触れません。


真弓先生のお話に戻しましょう。

「原発のことを問うのではなく、私は、電気を使うものすべてを見直すいいチャンスだ、と思っています」

真弓先生が言う、電気を使うものとはもちろん、家庭の中にある多くの家電製品を指しています。
テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、炊飯器、掃除機、電子レンジ、ドライヤー、電気毛布、電気こたつ、照明器具、パソコン、固定電話、携帯電話・・・などなど。
これらの電気製品に囲まれた生活を、思い浮かべて下さい。

「電気製品ごとに、消費電力と出力があります。
その電気製品と人との距離を考え、その電気商品から発する電磁波を(一生の間に)浴びる時間を考えてみれば、家の中にいても危険だ、ということです」

「電磁波を出すような電化製品は使わない。持たない。
買うとしたら、なるべく小さなものにしなければなりません」

いま行われている「計画停電」について、真弓先生はこうおっしゃっていました。

「停電とは、電力会社がコントロールするものです。
停電など、恐れる必要はありません。
大事なことは、私たちがふだんから、電気を減らす生活をすること。
節電を心がければいいのです」

つまり、日本人がいっせいに、節電する生活と社会を選べば、電力会社の都合でしかない停電など、問題ではないということです。

「一家の電気代と医療費は、並行すると言います。
私の家では、毎月の電気代は、もうずっと2千円台ですよ。
高いときでも3千円台まで。
先生の所(診療所)は暗いですね、とよく言われます。
そうじゃないですよ、あなたの家が明るすぎるんですよ、と言っています」

私は、先生のご自宅を訪ねたことがありますが、先生の家にもテレビがあり、朝の食事時は、テレビでニュースや天気予報などを見ていたと思います。
その真弓先生も、「テレビはもう見ないことにしました」と、きっぱりと宣言されました。

情報はどうやって得てゆくのですか?と尋ねました。

「自分で考えることでしょうね。マスコミに乗せられないことでしょう」

被災地以外に住む人々が、お米や保存食、ガソリンなどを、買いあさっていることについて。
利己的な行為をいさめながらも、
「強いて買うとしたら水でしょうか。水だけあれば、人間は、5日間は頑張れます」

「人間以外のほかの動物が、どういう風に生活しているのかを見ればわかることでしょ。
動物とは、身近にいるペットや、動物園にいるような動物なんかではなく、野生に生きている動物のことです。
私たち人間が、免疫力を高めるためには、限りなく動物としての生き方をすればいいのです。
健康を保つために、お金なんかかける必要はないんですよ」

ひとしきり話が終わり、私はふと、天井に近い壁に貼られた一枚のポスターに、目を向けました。
それは、放射能の危険性を訴えたポスターでした。

「このポスターは?」



「それは、ここを開業した当初から貼っているものですよ」

真弓先生は、ごく当たり前のことのように、自然なそぶりでおっしゃいました。

開業時から、壁に貼られているポスター。
おむつをした乳幼児の男の子が、ポスター中央にあり、その周りに、
「放射能は微量でも危険です!!」
「年齢が低いほど放射能の危険が大きくなります」
などの言葉が、大きく掲げられています。

真弓先生は、開業医を始められた当初から、こうした原子力による危険性を重視し、ことあるごとに警鐘を鳴らしてきました。

私の手元には、1986年の8月5日に、「教育報道新聞」(現在は廃刊)の「論壇」欄に掲載された、真弓定夫先生の記事があります。

1986年という年をご存知ない方のために、付けくわえておきますと、
ソビエト連邦(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で、史上最悪の原子力事故が起きたのが、この年の
4月26日です。

炉心溶融(メルトダウン)を起こした4号炉から飛び散った放射性物質は、広島に投下された原子爆弾に換算して、約500発分の投下に相当し、
放射性物質の量に換算すると、400倍に相当する、と言われています。
約10トン分の放射性物質が、ソ連はもとより、ヨーロッパや世界に飛び散ったのです。
(数値はIAEA=国際原子力機関の報告による)

チェルノブイリ原発事故からしばらくして、真弓先生のもとに、一通の国際郵便が届きました。

その手紙に書かれている一節を引用します。

『事故以来、可能な限り数値を追っているのですが、あまりの値の高さに絶句することが度々です。
すべてが汚染されてしまいました。
水も土も植物も動物も、そしてもちろん人間も。

事故以来、乳製品も野菜も、一切口にしていません。
缶詰だの、日本食品を売っている店で買った乾燥食品だのばかり食べて生きています。
空気の汚染もすさまじかったため、家の中に閉じこもっていました。
雨が降ると、背筋がゾッとします。
芝生にももう座れません。
土壌汚染がひどく、子どもたちの遊び場も閉鎖されたり、スポーツ大会がとりやめになったりしました』


この手紙は、チェルノブイリから約2千キロも離れた、ベルリン(当時は東ドイツ)に住んでいた方からの報告です。

真弓先生は、その知人から送られてきた手紙を引用しながら、チェルノブイリで起きた原発事故の恐ろしさを、強く訴えていました。

その、チェルノブイリから25年目に起きた、今回の日本の原発事故を、私たちはどのように受け止め、学ぶことができるのか・・・。

真弓先生が、はじめにおっしゃったように、電力会社や政治家を責めるだけではなく、
私たち一人一人が勇気を持って、これまでの生活をぬぐい捨ててゆくことから始めなければ、何も解決はしないのだと思います。

今、この国の原子炉が抱えている恐怖が、たとえ片付いたとしても、それで忘れることなく、
私たち一人一人が議論し、運動を起こさなければならないはずです。

それが、あの巨大地震と津波で亡くなった、多くの同胞への手向けでしょうし、
生き残った子どもたちの、未来に託す導(しるべ)とならなければなりません。

私が好きな先生の話に、「見えるものと見えないもの」についての話があります。
その日は、こんな話をしてくれました。

「自分が死ぬときは、目に見えるものを、限りなくゼロに近づけておこう、と思っています。
目に見えるものとは、お金であったりモノであったり、そういうもののことですよ」

「私が言っていることは、医者として言ってることではないんですよ。
昔の日本人、おじいちゃんやおばあちゃんが、当たり前のようにやっていたことです。

それが途切れては困るから、代弁しているだけです」

3月で、真弓先生は80歳になりました。

「先生、まだまだ現役で医者をつづけるんですか?」
私は尋ねました。
「もちろんですよ」

笑顔で答えが帰ってきました。

取材・文 関 良一




小児科医・真弓定夫は、3.11の地震当時も、診療所にいた。
「散乱した本の整理が大変でした」
地震があった日に訪れた、親子の患者は3組。
しかし、翌日にはまた、いつもの数が訪れたという。


※トップに掲げた写真も、真弓先生の診療所に貼られていたポスター。
チェルノブイリ原発事故のあと、放射能汚染で奇形化した植物が、各地で見られるようになった。
写真中央にあるものは、巨大な茎をもつ奇形タンポポである。

↑以上、転載おわり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈りと無血革命

2013年03月11日 | 日本とわたし
この日を迎えるたびに思い出す。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったまんま、声出して泣いたこと。
パソコンの前から離れられんと、夜が明けたこと。
ほんまにえらいことになってしもた……。

けど、それは、もっとえらいことになっていく始まりやった。

大勢の人が亡くなり、巻き込まれ、心も体も傷つけられ、それでも立ち直ろうとし、精一杯生きてるというのに、

せっかく生き残った子ども達が、放射性物質が毎時毎分毎秒、彼らの細胞を傷つけてるというのに、

憲法を改悪し、戦争加担を合法化させ、核物質のゴミをさらに増やし、これからまだまだ揺れる可能性があるというのに再稼働させて、せっかく冷えてる核燃料を高温に上げて、核爆発の危険性を増幅させ、TPPという、企業主義丸出しの、いっぺん捕まったら二度と元の世界には戻れん罠に自らかかりにいくという、

前代未聞のド阿呆を、よいしょよいしょと持ち上げる世界でも指折りの腑抜けども。

そのド阿呆と腑抜けの、見え見えの茶番劇を、見て呆れてるだけはもうやめよう。
ひとつひとつ、めんどくさいのは山々やけど、ここはひとつ踏ん張って、お陽さんの下に引きずり出そう。
陽に当てたら弱るらしい。
公衆の面前で、お陽さんの光をテラテラと当てて、今だに世の中を知らんと生きてる能天気さんらに見ていただこう。

東京新聞も、城南信用金庫さんも、それからもっともっといっぱい、いろんな会社もがんばってくれてはる。

おっきな会社、おっきな銀行、世界を操ってる奴らを弱らせることができるのは、政治家でも官僚でもマスコミでもない、
わたしらやねんで!!
わたしらが、使わんといたらええだけやねんで!!
わたしらひとりひとりが、けども、めちゃくちゃ大勢のわたしらひとりひとりが、血を流さんとできる革命やねんで!!

不信募る「小児甲状腺検査」 別機関の診断結果と違い
2013年3月9日 東京新聞 朝刊(こちら特報部)

福島県の「県民健康管理調査」検討委員会は先月、18歳以下の2人に甲状腺がんが見つかった、と報告した。
昨年9月に1人が判明しており、計3人となった。
県は、福島原発事故との因果関係を否定するが、「安全神話」に徹した姿勢に批判は強い。
なにより、検査データを、当事者にすら十分開示していない。
「賠償の低減が狙いではないか」。
保護者たちの不信と不安は募るばかりだ。
(林啓太)


「県の検査は、『安全です』という結果ありきではないかと…」。
福島県伊達市の主婦島明美さん(43)は、そうつぶやく。

手には、小学5年生の長女(11)が受けた甲状腺検査の報告書があった。
「異常は見られませんでした」、と記されていた。

だが、島さんは、市内の診療所で再検査させた。
すると、嚢胞が2つ見つかった。
中学1年生の長男(13)も、県の検査では、嚢胞が1つだったが、2ミリ大が2つ見つかった。

子どもたちに、再検査の結果を伝えた。
二人は黙りこんだ。
以来、島さんは、その話題を避けているという。
「あんまり怖がらせても仕方がない」

同市の主婦津田亜紀子さん(39)も、県の検査に納得せず、別の医療機関で、子どもを再検査させた。
結果は異なっていた。

小学6年生の長男(12)と5年生の長女(11)で、県への問い合わせで、長男は「最大2.5ミリ」、長女は「複数」の嚢胞があることが分かった。

別の医療機関の検査結果では、長男の嚢胞は、最大3.8ミリが2個で、長女の嚢胞は、4ミリ大を筆頭に12個以上
長女の検査写真には、嚢胞のつぶが無数に写っていた。

再検査した医師に、「海苔や昆布を毎日、食べさせなさい」と指導されたが、長男は海藻類が苦手。
みそ汁のだしに、昆布を使って飲ませている。

県の甲状腺検査の結果は、症状が深刻な順に、C、B、A2、A1の4段階で示される。
CとBは、二次検査の対象になる。
ただ、嚢胞が、被ばくの結果とは言い切れない。

環境省が、8日に発表した、長崎など3県での子どもの甲状腺検査では、計56.6%に、小さなしこりなどが見つかった。
約41%の、福島県より高い。
八王子中央診療所(東京都八王子市)の山田真医師(小児科)も、「嚢胞と結節は、がんと直接は関係がない」と指摘する。

それでも、島さんや津田さんらの不安は尽きない。
県の検査への姿勢に、粗さが目立つからだ。

例えば、時間だ。
県の検査で、甲状腺に超音波を当てる時間は、異常な所見がない限り、一人当たり、短いと数十秒
たいていは2~3分だ。
広報担当は、「詳細な検査が必要な人を見つけ出す『スクリーニング』」と話す。

一方、島さんが再検査に利用した診療所は、10分以上かけて調べた。
その診療所とは別に、再検査を受け付けている、「ふくしま共同診療所」(福島市)所長の松江寛人医師(放射線科)は、
県のやり方は完全に間違っている」と言い切る。

たった数十秒では、がんにつながる重要な病変を、見落とす可能性がある。一見、異常な所見のない子どもでも、15分はかけて調べるべきだ」

先月の「県民健康管理調査」検討委員会の発表では、甲状腺がんの3人以外、7人に疑いがあるとされた。
席上、県立医大の鈴木真一教授は、
「甲状腺がんは、最短で4~5年で発見、というのがチェルノブイリの知見」と述べ、福島原発事故との関連を否定した。

しかし、世界保健機関(WHO)によると、世界での大人を含む甲状腺がんの発生率は、人口10万人に対して男性1.7人、女性4.7人
山田医師は、「患者とその疑いがある人が、3万8000人のうち10人。割合は多い」と懸念を示す。

県は、1986年のチェルノブイリ事故のデータで、福島原発事故との関係を否定する。
だが、本当に否定できるのか。

鈴木教授の「上司」にあたる、山下俊一・県立医大副学長が約20年前に書いた、チェルノブイリ原発周辺の、子どもの甲状腺がんを研究した論文を読むと、疑問が浮かぶ。

山下氏が、放射線影響研究所の長滝重信元理事長らと執筆した論文は、「チェルノブイリ周辺の、子どもの甲状腺の病気」。
事故時に、10歳以下だった約5万5000人を検査し、4人を甲状腺がんと診断した。
放射線への感受性が高い小児は、初期の急性被ばくと、その後の低線量被ばくで、甲状腺が傷つけられる可能性がある」と懸念を示していた。

北海道の深川市立病院の松崎道幸医師(内科)は、福島県郡山市の児童・生徒らが市に対し、「集団疎開」を求めた仮処分の申し立てで、
「山下論文」を基に、「福島の小児甲状腺がんの発生率は、すでにチェルノブイリと同じか、それ以上になっている可能性がある」との意見書を作成した。

ただ、「福島では、放射性ヨウ素の放出量は、チェルノブイリに比べ少ないとされる」(山田医師)という指摘もあり、確定的なことは言えない。

それでも、保護者らが、不安を覚えるのは当然だろう。
その解消には、検査データの伝達、公開こそが、前提となるはずだ。

県の対応は、その逆に徹している。
今回の発表でも、がんや疑いのある子どもたちの、年齢や居住地区、被ばく線量などは伏せられた。
山田医師は、「これでは、放射線と甲状腺がんの関連を考察できない」と、県の姿勢を批判する。

当事者への情報公開も、不十分だ。
県の検査で、高校2年生の長女(17)に複数の嚢胞が見つかった、伊達市の主婦大山かよさん(49)も、
詳しい報告書や、超音波で撮った写真を、検査データを集約する県立医大に求めたが、
担当者は、「渡せない。見たければ、情報公開請求をして」と伝えてきた。

情報公開制度は時間がかかり、資料の複写の費用なども、自己負担だ。
県健康管理調査室は、「調査を素早く進めるため」と釈明するが、大山さんは、「データは当事者のものなのに」と憤る。

情報の出し惜しみについて、集団疎開の仮処分申し立てで、代理人を務める柳原敏夫弁護士は、
被害者に、東電に対する損害賠償訴訟を起こさせないよう、詳細な情報を出さないようにしてる可能性もある」と推察する。

そうだとしても、被害の実態を、隠し通すことはできない。
実際、島さんのように、別の医療機関で、子どもに再検査を受けさせる保護者たちは増えている。
松崎医師は、県の対応にこう忠告した。

情報を隠そうとすればするほど、保護者の不信の蓄積は募っていく。保護者たちに対して、県にはもっとオープンになり、一緒に甲状腺がんの脅威に立ち向かう、という姿勢を示すべきだ」


[県民健康管理調査]
福島県が、福島原発事故を受けて、全県民を対象に実施している。
被ばく線量を推計する「基本調査」と、事故後の健康状態を把握する「詳細調査」がある。
甲状腺検査は、詳細調査の一環で、事故発生時に18歳以下だった、36万人が対象
計画的避難区域の居住者から始まり、2011年度までに詳細な調査を終えたのは、3万8000人


[デスクメモ]
知らなかったとしても、責任からは逃れられない。
先の戦争でも、国民は被害者であり、加害者でもあった。
原発も同じだ。
被ばくした子どもたちへの、一義的な加害責任は、東電や行政にある。
が、原発政策を看過し、電力を享受してきた者にも責任がある。
絆の本来の意味がいま、個々人に問われている。



2013年3月9日 東京新聞 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013030902000177.html
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界が注目してるで!隠されても誤摩化されてもへっちゃらや!みんなで寄ってたかって反対しよう!

2013年03月11日 | 日本とわたし
2013/3/10
原発ゼロ大行動。



日比谷公園野外音楽堂。
ものすごい人です。
この状況はおそらく過小にしか報道されません。
リツイートしてください。
伝えてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする