ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

さかみちをのぼって だきしめるあおぞら ふりむいてきくのは おわらないなみのうた

2013年03月30日 | 日本とわたし
つい先日、版画家の江崎満さんつながりで、斎藤洋さんとおっしゃる、そして子ども達からは、染のおっちゃんとして親しまれている、すてきな方と知り合いました。

その染のおっちゃんこと洋さんが書かれているブログに、どうしてもここで紹介したい歌と写真、そして言葉を見つけました。
ご本人の了承を得て、ここに、2回に分けて紹介させていただきます。

さかみちをのぼって





3・11 大船渡保育園は高台にあったため、寸前のところで津波を逃れました。
園庭から見下ろす街は壊滅。
子育て支援センターも併設するこの保育園は、その直後からコミュニティの中心として、皆が寄り添い助け合う大切な場所となって、今まで頑張って来られました。
そこを訪れた、作詞家の覚 和歌子さんと、作曲家の千住 明さんは、深く胸を突き動かされ、「さかみちをのぼって」という園歌を作られたということです。

この歌は、

さかみちをのぼって、あのくもをつかもう  
さかみちをのぼって、かぜのおかひだまり  
さかみちをのぼって、だきしめるあおぞら


と、こどもたちが繰り返し唄うことによって、
地震が起きたら、何をおいても先ずさかみちを登ろうという意識を、身体の芯にまで染み込ませたいという、切なる願いが込められています。
今、私たちが訪れると あちこちの部屋からこの歌が聴こえてきます。
みんな この歌が大好きな様子です。
この歌は、大船渡保育園だけに留まらず、広く多くのこどもたちに届き、歌い継がれて行ってほしいと願います。

その坂道の上の園庭には、立派な銀杏と桜の木があります。
この二本の木が踏ん張って、津波を止めてこども達を守ったような気が、訪れるたびにいつもします。



この映像は、2012年9月12日、大阪の<邦楽普及団体・えん>が保育園を訪れた時、
その前の晩に手に入れた楽譜をみて、ぶっつけ本番で伴奏をし、こどもたちが一生懸命唄っている様子です。
琴を弾かれている伊藤志野さん(えんの主宰をされている伊藤和子さんの娘さん)が急遽編曲し、立命館法学部のOBの三嶋廣人さん(現在は気仙沼の高校の化学の先生。授業を2日休んでの参加です)が尺八を、菊池隆明さん(今は盛岡在住)が十七絃を演奏しています。

さかみちをのぼって

作詞:覚 和歌子  作・編曲:千住 明  
伴奏: えん  合唱: 大船渡保育園園児 




今日であれから二年。
多くの犠牲者と、今だ見つからない行方不明の方々。
その後、「関連死」と呼ばれるような形で逝かれた方々(福島の人が圧倒的に多い)。
仮設で、避難先で、それぞれの場で、辛い思いを抱えて、寒い夜を今日も迎えている数多の人々。
被災は今だ続いております。
統計によると、しょうがいのある方たちの今回の災害による死亡率は、いわゆる健常者の2倍であるとのことです。
私たちが作ってきた社会が、いかに脆いものであったかが、この複合巨大災害で露呈されたと言ってよいでしょう。

今行われている<復興>は、そのような脆さを見据えるところからしか、なしえないと思います。
ところが、湯水のように使われる復興資金は、そのもろさを更に重ねてゆくような形で使われているとしか見えないものが、多々あるように思います。

私たちが被災地を巡る中で、勇気や明るさをもらうのは、しょうがいのある人たちや、こどもたちです。
こどもたちの笑顔は太陽です。
こどもたちの こどもたちの こどもたちの ために。
山川草木・衆生ともども、わたしたちもさかみちを登って、陽だまりの中に行きたく思います。


大船渡保育園は、2011年10月の野染以来、私達、風の布・パピヨンにとっても、本当に大切な関わりを続けさせてもらっています。
これからもよろしくお願いします。

↑以上、転載おわり


さかみちをのぼって、さかみちをのぼって、さかみちをのぼって、

ふりむいてきくのは おわらないなみのうた


子ども達は、高台から、海と町と人を見てきた。
小さな心が、どれほど傷つけられたか、わたしなどには到底計り知れない。
わたしの息子達も、丁度彼らぐらいの年頃に、過疎の村の保育園に通ていて、音楽会などではきまって、見られてるのが恥ずかしいからか、照れまくりながら歌てた。
この歌を聞いて、歌てる子ども達の姿を観て、とうとうわたしは自分の身を、大船渡に置くことができたような気がした。
わたしはまだ、30を過ぎたばかりの若い母で、幼児の息子ふたりが歌たりシャツを引っ張ったり、すそをめくっておへそを見せたりしてるのを、大笑いしながら見てる。
笑いながら、やっとこんなふうに、自分も笑えるようになったんやなあ、などと思いながら。

被災された方々に行き届かん復興資金。
復興という言葉を狡賢う利用して、金をむしり取る醜い人間たち。
傷口に、さらに塩を擦り付けられるような目に遭いながらも、それでも前向きに、自分を失わんと生きようとする人達を、
被災してへん、はるかに多い数のわたしらが、自分のことのように考え、問い、できることを見つけて、支えていきたいと、心の底から思う。
元気いっぱい歌を歌てる子らを、もうこれ以上悲しませんために。あの子らの未来を奪わんために。
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カエデ爺さんの春

2013年03月30日 | ひとりごと
気温は15℃と表示されるのやけど、風が吹いたらひぇ~っと身が縮まるほどに肌寒い。

けどもようやく、空は春の青さに染まり出した。

カエデ爺さんも張り切ってる。


我が家もそのすぐ隣で張り切ってる。


爺さんの細っこい枝にとまって、きれいな声で鳴いてた鳥さん。


爺さんの根元では、春が枯れ葉を突きやぶってた。
コメント (2)
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