ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

桜月の、それはそれは寒い日曜日の午後に

2013年03月24日 | ひとりごと
相変わらず寒い。
肌寒いとかと違て、寒い。
明日はまた雪が降るらしい。
これはいったいどうしたことか。
3月は、またの名を、弥生(やよい)・桜月(さくらづき)・花月(かげつ)・早花咲月(さはなさづき)・ 早花月(さはなつき)・染色月(しめいろづき)・花見月(はなみづき)・桃月(ももつき)・夢見月(ゆめみづき)などというらしい。

いやもう、花見をしようにも、こんだけ寒かったら咲きとうないやろな、花だって。


長男が、クィーンズにある彼のアパートに帰ってった。
たった一晩の帰省。
その間にも、パソコンを開いては仕事してる。
次男も、クライアントからの電話で、土曜日の夜遅くに、なにやら打ち合わせをしてる。
いきなりうちに、働き虫の会社人間がふたり発生した。
そんな息子たちの姿を、旦那は不思議そうな顔して見つめてる。
大学卒業後、風来坊歴4年を誇る旦那から見たら、あのふたりはまさに、エイリアンなんかもしれん。

最近、なにやら怪しい行動が増えたと思てたら、やっぱり新しいガールフレンドができてた次男。
昨夜のお祝い会で、いくら突いても口を割らんかったけど、もうこりゃバレたと観念したのか、昨日の夜遅うに、映画を観に行った帰りに連れてきた。
ずっとこれまで、彼のガールフレンドは、東洋人に限られてたけど、日本人はひとりもおらんかった。
なので会話はいっつも英語オンリー。
長男は、日本人以外の子とは友だち付き合いしてないから、ガールフレンドも日本人。
ところがところが、ついに次男にも、日本人のガールフレンドが登場した。
こちらの大学に通てる、それは可愛い女の子。
残業で疲れて帰ってきた日なんかは、おつかれさまでした、などと書いたクッキーを焼いてくれたりすんねんと、嬉しそうに写真を見せてくれた。
ナマケモノの母は、完璧にノックアウト、場外なんである。


さてさて、この寒い中、ついこないだの金曜日にもろたラッパ水仙の花が、元気いっぱいに咲いてくれた。


黄色い花は、見てるだけで元気が出てくる。特にこのラッパ水仙は、パラッパラッパッパーと、楽しい音が聞こえてきそうやから好き。


自然はほんまに美しい。


わたしもその、自然の一部やということが誇らしい。


さあ、淋しなった時は掃除するのが一番!いっちょやるか!
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「福島のすさまじい現場を見たら、再稼働なんて口にできないはずだ」by 斎藤健治・福島県議長

2013年03月24日 | 日本とわたし


安倍政権の原発回帰方針を受けて、自民党が先月15日に、原発がある道県の議会議長を、党本部に招いて開いた調査会で、
福島県の斎藤健治議長(69)=自民、写真=は、
「事故を収束させず、再稼働ありきなら、一緒に議論できない」と主張、途中退席した。
斎藤氏は本紙のインタビューに、
福島のすさまじい現場を見たら、再稼働なんて口にできないはずだ」と述べた。
(聞き手・伊東浩一)

再稼働 現場見てないから

「原発回帰」に反発、福島県議長

エネルギー戦略を議論した党調査会では、出席者が相次ぎ、原発の再稼働を求めたが、どんな思いで途中退席したのか。
「福島第一原発は、いまだに鉄骨むき出しで、3号機なんか、高線量で近づくこともできない。
原発は、ひとたび事故が起きれば、収束まで何十年かかるか分からないというのに、一部の道県からは、
『今冬は寒く、電力供給が逼迫した。原発再稼働の道筋を示して』などの意見が出た。
再稼働ありきの話し合いには、とてもついていけない」


自分たちの地域の原発でも、いつ同様の事故が起きるか分からないのに、他道県の議長や国会議員から、前向きな意見が出るのはなぜだろう。
「被害に遭った者と、そうでない者の差だ。
頭では危険だと分かっていても、実際に現場に来て、被害のすさまじさを見てないから、再稼働しようということになる


議長自身、震災までは、原発推進派だったが。
「震災前日まで、県連幹事長として、県議会で、『福島第一原発の7、8号機を、早く増設しろ』と、知事にけしかけていた。
原発は、巨大公共事業をやるようなもので、二つ造れば9千億円規模
地元から陳情を受け、われわれも追認した。
しかし、震災後は、脱原発に転じた。
党県連内でも、『原発には世話になってきた。時期尚早ではないか』と抵抗があったが、県内の原発10基の、廃炉宣言をした」


政治家にとって、原発のうまみとは。
「電力会社は、やり方がうまい。
あらゆる地元事業に協力してくれるから、徐々に手なずけられていく
さらに、一基稼働すれば、何千人もの人が地元に住み着いて、自分たちにべったりの有権者になってくれるのだから、推進の立場になる


脱原発に180度転換したのはなぜ。
「震災直後、福島第一のある大熊町など、周辺地域に何度も足を運んだ。
何十頭もの乳牛が、餌も与えられず、牛舎につながれたまま死んでおり、腐乱していた。
地獄のようだった。
街中には、野生化した牛や、豚とイノシシが交配して生まれたイノブタが歩いている。
とんでもないことを推進してきたと、素直に反省せざるを得なかった



言うてはることはもっともやと思う。
牛舎につながれたまんま死んでった牛たちも、ブタもトリも犬も猫も魚も、みんなみんな、とんでもないことに巻き込まれた。
うつくしま福島という言葉のイメージ通りの、それはそれは美しく、命がキラキラ輝いてた、田畑や森や山や川や海。
そして、元気な子供たち。
日本の農業漁業畜産業の核となり、そのことに誇りを持って生きておられた、それぞれの人生。

それらみんなの上に、どうしようもないほどに悪質で毒々しい汚れが降り落ちてしもた。
とんでもないことを推進してきた者達と、それを見て見ぬふりしてきた我々のせいで。

言わはったことはもっともやけど、ほんで、怒りの表現として退席しはったのも無理は無いと思うけども、
これで終ったらただのパフォーマンスなんとちゃいますか?

斎藤さん、あなたがほんまにやらなあかんことは、ひとりで文句を言うことではなく、その思いを共有する人間と寄り合うて、数の力にすることちゃいますか。
それも、できるだけ急いで。一日も早う。
動物だけやない、子供らも傷つけられてるんです、毎日毎時間。
こんなこと、福島から止めな、いったい誰が止められるというんです?
この、果てしないほどに愚かな連中の、自分らさえよかったらそれでええという、恐ろしい言動を。
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ちいさいけれども、かくじつにそこにある、しあわせなひととき

2013年03月24日 | 音楽とわたし
今週末もまた、金曜日の朝から土曜日の晩まで、しっちゃかめっちゃかの忙しさやった。

昨日は、生徒のサイヴ(スペルを読んでも絶対にそうは読めへん)が、小学校のタレントショーでピアノを弾くというので、
その曲を仕上げるのに、あーでもないこーでもないと、ふたりでいろいろと話し合いながらやってきたということもあって、
ほんでもってなによりも、サイヴのおかあさんアヴリルとわたしは、めっちゃ気の合う友人(実は彼女も最近ピアノを習い始めた)ということで、
タレントショーを観に行った帰りに、彼女たちの家に行って、夕食を一緒に食べましょうと誘てもろた。

タレントショーは、息子らが通た、マウント・ヒーブロンという中学校の講堂で行われた。
長男拓人が卒業した年は、丁度旦那が失業した余波に溺れかけてた時やったから、あんまり人が行かんような大安売りの店に行って、
その店の中でも安い、化繊のペラペラの、白い半袖シャツを買うてやるのが精一杯で、
卒業式当日に、バリバリのドレススーツを着て、お立ち台でスポットライトを浴びながら、胸を張って卒業証書を取りに行く子達の中にたったひとり、
半袖の開襟シャツを着た息子が、ニコリとも笑わず、少しうつむき加減で歩いてた姿を見て、ごめんな、ごめんな、と謝ってた自分を思い出した。

その講堂で、次男恭平は、音楽会の休憩時間に余興を担当し、自己流で弾けるようになったメイプル・リーフ・ラグとショパンの子犬のワルツを活き活きと弾き、会場の観客から拍手喝采の祝福を受けた。

悲しみも喜びも、この講堂にくっきりと残ってる。

タレントショーは、与えられた持ち時間2分の間、皆それぞれに、そりゃもう楽しそうに、練習の成果を存分に見せてくれた。
コントに歌に、寸劇にバレエ、レゲエダンスにドラムセットのソロ演奏、アクロバットまであった。
そしてピアノ演奏は、なんとまあ、わたしの生徒が3人も弾いた。
他にも、今回は出えへんかったけど3人いて、次回は絶対に出るからと言うてたから、今度はえらいこっちゃになるぞ~……。

タレントショーは結局2時間半続き、サイヴのお屋敷に着いたのは9時半過ぎ。
夕食のおよばれだけなら合流するというチャッカリ旦那もやって来て、まずは皆でシャンペンでお祝い。
サイヴは、真ん中らへんで危うくつまづきかけたけど、間違うてもええから知らんぷりして前へ進め、できたらわからんようにうまいこと誤摩化せ!という訓練をぎょうさん受けてたので大成功。
良い演奏ができた。

ダイニングテーブルの上には、わたしの大好きなチューリップの花と、なんとまあ、アメリカと日本の国旗がささってた。
旦那にとっては寝る時間の10時半ぐらいから始まった夕食は、話に花が咲いて、終ったのが12時過ぎ。
さあ、おいとましましょうという時になって、サイヴがわたしに、教えてくれてありがとうと、鉢植えと手描きのカードを渡してくれた。
そのカードにもまたまた日本の国旗が。
前菜から主菜、それからデザートに至るまで、食材の産地や獲れた地域までちゃんと考えてくれていて、そしてそのことを知人友人にも伝えてくれてると聞いて、
そんなこんながありがたくて嬉しくて、胸がぐっと熱うなり、わたしは無性に、君が代を歌いとうなって歌た。


土曜の今日は、今年の反省と来年への展望、それからカーネギーでの定期演奏会についてのプラン作りのための、役員会議があった。

まだまだ寒いマンハッタン。
会議場所の真ん前に、マディソン・スクエアがある。




この気持ちの良い空を見よ!


エンパイア・ビルディングファンとしてはやっぱり……すんません、また撮ってしまいまいした。




やっぱ、あんまり望遠したらあきませんね。ここらでやめときます。


通りの同じ側には、これまた大好きな郵便局。


奥はどこまであるのやら……。


この階段は、図書館のんとよう似てる。




鳩ぽっぽ除けの網が張ってあった。


古いビルディングはやっぱええなあ。


この模様がずっと気になってた。


これはなんのマークなんやろ。



ニューヨーカーたちの早口英語を、なんとか理解しようと必死に聞く。
そやから、この会議が終わるといっつも、脳ミソがびぃ~んと痺れてしまう。
乾いた冷たい風に吹かれながら、旦那が待ってくれてるとこまで歩いて行く。
今夜は、恭平の卒業祝の会食をするってんで、拓人も一緒に家に戻った。

よその国の人が真似っこで作ってる寿司と違て、日本人がにぎってくれる寿司が食いたい。

というリクエストを受けて、前に友人に教えてもろてランチを食べに行った、『大松鮨』というお店に行くことにした。
前に行った時に、魚の入手先やポリシーを聞かせてもろた。
あれこれ心配せんとお寿司を食べられるお店やと思た。

デザートは、馴染みのお店『AOZORA』でいただいた。
拓人にそっくりのウェイターくんに、とうとう本人に会うてもらうチャンスが来た。
ふたり並んで写真を撮ったのやけど、本人に、絶対にブログに載せたらあかん!とガツンと言われてしもたので残念無念!

家に戻り、台所のテーブルを、家族4人で囲む。
うれしいなあ。ありがたいなあ。
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