ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

わたしといっしょに、日本への想いを演奏してくれる?

2013年05月19日 | 音楽とわたし
ヴァイオリンのサラと初合わせをした。
めちゃ心配してたとこも、とりあえずなんとかなりそう。

自分の中から出てきた音を五線譜に書き込み、それを演奏してもらう嬉し恥ずかしさ……。

「苦手なパターンや音域言うてくれたら、それは省くし」と言うと、めちゃウケた。

何回か合わせた後に、
「この曲のテーマの部分は、どんな気持ちで演奏したらいいの?」と聞かれた。
返事に詰まった。

日本を強烈に思い、考え続けた2年と2ヵ月。
その毎日の中でゆれたわたしの心。

怒り。悲しみ。悔しさ。驚き。混乱。願い。祈り。

何回も何回も食い入るように見た、震災と津波と原発事故前の、東北の美しい自然や子どもらの笑顔。

復興のしようのない、放射能に汚された市町村や山河、森や海。

くやしい。かなしい。

サラに説明した。

サラは、数年前に、岡山の小学校で英語を教えたことがある。
小さな村の子ども達の、可愛らしい姿をはっきりと覚えてると言う。

わたしといっしょに、日本への想いを演奏してくれる?

もちろん。

オーディションは来週の土曜日。

それまでに、できるとこまでがんばる。
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放射能に汚された挙げ句に、放射能やくざの環境省につけこまれた、鮫川村民の災難

2013年05月19日 | 日本とわたし
↓以下は、まっちゃんのブログに、先月掲載されていた記事。
読んですぐに、え?と思た。
あの鮫川村やんか。
あの、どうしようもない、環境省とズブズブの、自ら洗脳マシーンに頭突っ込んでった大樂村長の村やんか。
しかも、焼却場問題でもめにもめてるはずのとこやのに、なんやこれ?と

そこで、調べてみた。


福島県が8000Bq/kg以下の廃棄物を農産物の肥料として使い、農産物を販売する
2013-02-04

鮫川の「堆肥センター」稼働へ 原発影響で見合わせ

東京電力福島第1原発事故による放射能の影響で、稼働を見合わせていた鮫川村堆肥センターは、
今月(*注・2月のことです)下旬にも、稼働することが1日、分かった。

県から同日までに、稼働に必要な、産業廃棄物処理業の許可を得た。

村は、1キロ当たり8000ベクレル以下の、一般廃棄物の原料を使用し、

化学肥料を減らした農産物を販売することで、農家の所得向上、農業振興につなげたい考え。

村によると、同センターは、落ち葉や家畜の排せつ物、もみ殻などから、良質の堆肥を作る施設で、
循環型農業の基礎となる事業と位置付けている。

しかし、落ち葉などの一部から、暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されたため、使用できず、稼働させることができなかった。
村は、原料に、放射性物質が付着していないかなどを検査し、安全を確保した上で、
この堆肥を使った、農産物のブランド化を目指す。

(2013年2月2日 福島民友ニュース)

ソース
http://www.minyu-net.com/news/news/0202/news7.html

↓そして以下は、その『堆肥センター』の稼働についてもう少し詳しく、ブログ『ベスト アンド ワースト』さんに書かれていた記事です。

■2013年2月下旬から再稼働開始!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2013年2月下旬までに、福島県鮫川(さめがわ)村堆肥センターが稼働することが明らかとなった。




同施設は、「バイオマス・ヴィレッジ構想」の中で推進されている。

堆肥センター」は、廃棄物を、「堆肥」に再利用できるようにする施設だ。

福島第一原発事故の影響で稼働を見合わせていたが、2月1日に、県から産業廃棄物処理業の許可が出たのである。

これにより、2月下旬にも、稼働が可能となる見通しだ。

「堆肥センター」では、
放射性物質8000ベクレル以下の廃棄物を使い「堆肥」を作り、ブランド化する構想であるという。

ちなみに、福島県の腐葉土は、最高で
23万ベクレルを超える状況となっていることが判明している。


(当サイト2月12日記事)

稲わらなども汚染されており、8000ベクレル以下という基準を設け、かき集めた廃棄物から出来上がった「堆肥」に、ブランド力があるだろうか?


■事業白紙撤回を求める要望書も
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「堆肥センター」の稼働する可能性が高まる中、地元住民は、事業の白紙撤回を求める要望書を、鮫川村に提出した。

鮫川村村長・大楽氏は、環境省を交え事業については再検討を行っていくと回答している。

事業化というが、福島県の放射性物質で汚染された廃棄物で作られた「堆肥」を、喜んで引き受ける生産事業者がいるのであろうか?



そして以下↓が、『NO MORE FUKUSHIMA 2011』に掲載されていた、仮設焼却炉問題の進展状況です。

鮫川村焼却施設問題

2013.05.19 記述

平成25年5月17日 青生野区民各位 仮設焼却炉設置工事の再開について 鮫川村長 大樂勝弘

http://abukma.up.seesaa.net/image/DSCF7005.JPG

焼却施設22日にも工事再開
http://www3.nhk.or.jp/fukushima/lnews/6054684171.html

以下上記より全文引用

放射性物質に汚染された稲わらなどを処理するため、鮫川村で建設が進められている焼却施設について、
環境省は、中断していた建設工事を、早ければ今月22日にも再開させる方針を決めました。

畜産が盛んな鮫川村では、原発事故の影響で、放射性物質に汚染された稲わらや牧草などの処理が課題になっていて、
環境省は、仮設の焼却炉の建設を、去年11月から進めています。

しかし、地元や、近隣の自治体の住民から、大気中に放射性物質が飛散するなどという反対の声が上がったため、
工事は今年2月から中断され、環境省と村が、住民向けの説明会を開いてきました。

その結果、おおむね地元の住民の理解が得られたとして、早ければ今月22日にも、建設工事を再開する方針を決めたということです。
工事は、およそ6週間で終了し、その後、地元の住民の監視のもとで、試運転が行われるということで、
環境省は、周辺の放射線量などについて、住民に丁寧に説明していきたいとしています。

鮫川村では、
汚染された稲わらや牧草を処理しないことには、放射性物質が取り除けず、農業、ひいては村が衰退する
理解を得られるよう、今後も真摯に説明を続けたい」としています。

引用終わり


その、真摯な説明会後に、大樂爺さんが言うたことにゃ、

「私がビックリしたのは、いわきの田人行って説明会やった時ね、い や~命がけだった。
説明会になんない。
反対の為の集会になっちゃった。
そんな説明会ならやんない方がいい。
せっかく皆さん、大変な貴重な時間を割いて来てくれるんだよね。
そんな思いが分かんないんだよ、ああいう人達には」


びっくりすんのはこっちやっ!

隣接するいわき市の水源地が、焼却炉のほん近くにあんねん!
反対すんのが当たり前やろっ!

この村長も辞めささなあかん!
どいつもこいつも、子どもの未来をぶっ壊そうとする奴は、みんなの手で、政治の舞台から引きずり降ろしてしまわなあかん!

腐ってしもたもんは元には戻らんのやから。
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「頭を冷やして考えてほしい。子どもに復興を考えさせることができる今の状態でしょうか」藤波心さん

2013年05月19日 | 日本とわたし
昨日は、当時12才やったセヴァンちゃんの、大人への訴えを聞いた。
そして今日は、16才の心ちゃんの、大人への問いかけを聞いた。

間違うた復興。
原発事故はまだ収束もしてない。
危機的な状況が続いてて、汚染も広がってる。
地震もまだまだ続いてて、ちょっと大きめのんがくるたんびに、まずあそこは大丈夫か、とヒヤッとする。
いざという時は、子どもたちの安全を確保するための、対策(マニュアル)が整備されてるんか?
今度はちゃんと避難できるんか?
現実をいったい、どれだけの人間が知ってるんやろ。
新聞もテレビも、近辺の市民にはもちろんのこと、日々起こってる、変化してる状況を、全国規模で伝えてるんか?

『経済復興ばかりが重視され、それに対して批判もせずに、
福島県自らが、大丈夫です、元気です、未来に向かって頑張っています、などと言ってしまっていることが、
世間の目を現実からそらさせ、子どもの対策を後回しにさせてしまっているということに、早く気付いてほしい』


『被害を小さく見せたり、目に見える復興ばかりをクローズアップし、
風評被害という言葉を真っ先に走らせたこの国の意図を見ずして、本質をとらえることはできません』


ここんとこ、思てても、はっきりと口に出せんかった。
言うてええんかな、と思たりした。
けど、心ちゃんに励まされた。

ふらふらしてる場合か!
泣け!怒れ!
こんなとこで子ども育てられるかって叫べ!


『測ってみっぺ!いわき 放射能測定引き受けます 不安な声を聞かせて下さい 安心に繋がる出会いになりますように……』ブログに掲載されていた、藤波心ちゃんのスピーチです。

間違った復興劇
2013.04.07

藤波心ちゃんのスピーチです。



2013年3月16日(土)錦町公園(宮城県仙台市青葉区)で開催された『福島原発­事故を忘れない 女川原発再稼働を許さない!3.16みやぎアクション』集会での藤波心さんのスピーチ­です。
途中、右翼の街宣車が近くを通ったので、思わずそちらを振り向いてしまい約4秒ほど映­像が乱れてしまっています。本当に申し訳ありません...。
撮影・編集:秋山理央


大人としての生き方が問われている今、どれだけそれを意識しながら生きることができるかと言ったら、

日々の忙しさの中でそこまで考える余裕がない、という声もあるかと思いますが、

それにしても、これでいいのかなと、思わずにはいられません。

現在の状況を見ていて、とても胸が痛むのは、間違った復興に加担することが、
結局は、大事な子どもたちの未来を守らないことを、助長させてしまっているのではないかということです。

原発事故は、まだ収束もしておらず、危機的な状況が続いているということ。

そして、トラブルが発生するたびに、私たちは、更なる危険に晒される可能性があるという状況である、ということ。

そういった現実を、きちんと広く市民に伝えて、最善の危機管理体制がとられ、

いざという時は、子どもたちの安全を確保するための、対策(マニュアル)が整備されているのでしょうか。

このような未曾有の出来事が起こりながら、トラブル隠しの体制はそのまま。

しかも、原発事故の責任追及もされないままの、ごまかしごまかしの国のやり方に、どこか慣らされてしまっているのではないでしょうか。

せめて子どもの未来についての最善の対策ぐらいは、国としての最優先事項として、真っ先に体制がつくられていくのであろう、という希望的観測は見事に破れ、

経済復興ばかりが重視され、それに対して批判もせずに、福島県自らが、大丈夫です、元気です、未来に向かって頑張っています、などと言ってしまっていることが、
世間の目を現実からそらさせ、子どもの対策を後回しにさせてしまっているということに、早く気付いてほしいと思うのです。


原発事故から、もう2年が経ちました。

なにも進まないこの状況に、声を上げるエネルギーも奪われ、このような声は特別なもののようになってしまい、
「まだ言っているの?」、「凄いね~」、などと言われることが多くなりました。

あの時、みんながひとつになり、そこでの出会いもたくさんありました。

しかし、今も同じように、同じ方向性で、子どもの未来を守るために、このままではいけないと声を上げるエネルギーは、残念ながらあまり存在はしていません。

本当にもう、みんな疲れてしまっているのです。

しかし、細々とでも伝え続けなければ、子どもたちの未来がどうなってしまうのかしらと、
この現実を前に、悲しい気持ちで過ごしている母親たちがここにいるということすら、消しさられてしまいます。

同じように思っている、ほかの母親たちの声を代弁する意味でも、こうして伝え続けたいと思っています。

福島はもう大丈夫。元気です、とアピールする流れに乗ってしまうことは、
本当はまだまだそのような状態ではない、子どもたちが守られていないのだということを、いくら私たちが伝えても、
それを隠してしまうことに繋がってしまうのではないですか?

未来に希望を抱くことは大事なことであり、元気に明るく前を向いて進んでいきたいという気持ちは、みな同じだと思います。

いつまでもそんなことばかりを言っていても、動いていかない、と言われてしまうかもしれません。

しかしそれは、あくまでも、きちんとした対策が取られてこそ、子どもの未来を守ってこそのことではないのでしょうか。

復興の邪魔をしたい訳ではありません。

共に未来を築いて行きたい、という思いは同じです。

しかしながら、それと同時に、きちんと対策を求めていかなければ、大事な子どもたちは守られないままです。

肝心なことが抜け落ちたまま、『子どもに恐怖心を与えることはよくない、不安なことばかり煽らないで』というバッシングは、
この事態の本質を見失っている、としか思えません。

子どもを持つ親の口からも、このような言葉が聞こえることがあり、事故後に、教育現場の対策の遅れを危惧して動き始めた時に、

『人はいつか死ぬんだから、今を楽しく過ごさせてやりたい。
交通事故に遭うことだってある。
今まで通りに部活を頑張らせたいのに、あなたたちが騒ぐことで練習の時間が削られてしまう。
心配なら出て行きなさい』という言葉を投げられたことがあります。

こういった考えの背景には、認識の差が存在するのだと思いますが、
まずは、目の前の我が子の安全を確保することを、最優先に対策を求めることすら、特別なことのようになってしまっている。

これが、この国の現実なのです。

この国は、しっかりと市民を守っていると思うのであれば、それは個人の捉え方なので自由ですが、

被害を小さく見せたり、目に見える復興ばかりをクローズアップし、風評被害という言葉を真っ先に走らせたこの国の意図を見ずして、本質をとらえることはできません。

それは、何を目的としているのか、そして、それにまんまと乗せられてしまうことによって、どういった事態を招くことになってしまったのか。

もう一度、原点に立ち返って、よく考える必要があるのだと思います。

無邪気な子どもたちに、明るく元気に未来への希望を語らせ、『復興』を語らせる場面を大人が作り、

そして、そういった場面は、メディアが積極的に捉え、さも復興が進んでいるかのようなパフォーマンスショーに力を注いでいる間にも、

子どもたちは、守られることなく、被曝を繰り返しています。

その復興は、本当に子どもの未来のためですか?

大人の都合による、こうあってほしいという方向付けや、アピールではありませんか?

リスクを最大限に抑えて、子どもの健康被害を出さないために、どんな対策をしたというのでしょうか。

具体的な対策を!と、様々なことを求め続けても、大丈夫大丈夫と、本気で向き合うこともされません。

どんなにアクションを重ねても、一向に前に進みません。

本当にそれでいいのでしょうか。

外部からの支援というのは、なんとかここの人たちに、再び元気に立ち上がってほしいという、そういったものだと思っています。

何を持って復興と言うのか。

どういった方向付けが、復興を支えることに繋がるのか。

ここの肝心なことを抑えなければならないのだと思います。

まずやらなければならないことは、子どもたちの未来を守ることであり、
経済を元気にすることと同時に、それができないのであれば、それは正しい方向性ではないと思います。

原発事故は収束しておらず、今も子どもたちが被曝しながら、ここに居る事実は存在しています。

大したことがないと、原発事故の影響を過小評価しなければ進まない『復興』を、子どもたちに語らせる場面が多々見られます。
それは、教育の現場でも普通にある場面で、何が子どもたちに求められているのかを、全て見ることはできません。

しかしそれは、あまりにも残酷なのではないでしょうか。

頭を冷やして考えてほしいと思います。

子どもに復興を考えさせることができる、今の状態でしょうか。

その前に、きちんと対策が取られていて、安全が確保されていますか?

あまりにも悲しい現実を見る場面が、ますます増えている日々。

正常な感覚を失わないためにも、しっかりとがっかりし、悲しみ、虚しさを味わうことも大事です。

このクレイジーに、慣れてしまってはならないと思います。

悲しいから悲しいと、今の状況を綴ります。

きちんと放射能のことを、原発のことを語り続けなければならない。

変な盛り上がりは異様です。

今こそ、しっかりと、タブーに向き合う時なのではないでしょうか。

そして、原発の話はちょっと……という、なにか後ろめたい感じの捉え方が、今尚存在することにも、違和感を覚えます。

ここは、原発事故によって、子どもの未来が危機に晒されてしまった所です。

私たちが大事にしてきた暮らしは、奪われてしまったのです。

それについて声を上げることは、当然のことであり、二度と同じことがあってはならないという思いは、むしろ、ずっとずっと持ち続けなければならないのではないのでしょうか。

どんなに時が経とうと、このような声は上げていく必要があると思っています。
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