この写真を、もっともっと大きなものでここに紹介できないことが、悔しくて残念でなりません。
この作品は、陶芸家であり友人の、桃子さんが創りました。
先日、彼女の作品が、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館が主催する展示会で披露されることになり、そりゃもう行かいでかっ!ということで、ワシントンD.C.まで駆け付けました。
彼女と知り合ったのはフェイスブック。
いったいどうして知り合ったのか、それを思い出そうとしたのですが、てんで思い出せません。
とにかく通じるところがたくさんある人で、それほど頻繁にではないけれども、いろんなことをよく話していたのですが、
生で逢うのはこれが初めて。
わたしは、彼女自身はもちろん、彼女の作品の写真を一目見て惚れてしまっていたので、自分の目で眺め、自分の手で触れることが嬉しくてなりませんでした。
小さい写真ばかりですが、他にもこんな作品が。
出発は先週の土曜日の朝でした。
土曜日の夜からの、空と海の世話をお願いした歩美ちゃんが、ちょうどその日からある方のお世話をしなければならないというので、
それじゃあついでに(←なんという乱暴な?!)、うちに二人で泊まってもらいましょうということになったので、
いくら何でも、ばっちい家に来ていただくことはできないと、あれこれ掃除をしていたら、なんとまあ夜中の3時を過ぎてしまいました。
ワシントンに向かう車の中で、なんとか寝不足の埋め合わせをしようと思ったのですが、なかなかうまくいかず、運転を担当した時には居眠り運転しまくりっ!
危ないったらありません。
出発時は雨がけっこう降っていましたが、
ワシントンに着いた時にはすっかり上がり、
青空が見えてきました。
普段なら絶対に利用しない門構えの立派なホテルを予約してくれていた夫。
景色はいいけど騒音がする、景色は良くないけど静か、どちらを選びますか?とフロントマンに聞かれ、景色よりうるさくない方を、と答えたわたしたち。
部屋は広々としていて、居心地はまあまあ良かったのですが、空気がどよよーんと重苦しく、他の部屋のドアの開け閉めの音が異様にうるさい…。
しかも、隣の部屋から、小型犬の鳴き声がずっと聞こえてきます。
う~ん…大丈夫かな…。
せっかくお天気になったので、去年、桜の時期に来た時に偶然見つけた、とても美味しかったレストランでまた食べることにしました。
天井とランプが懐かしい。
夕日が沈んでしまう前に、食後の散歩。
また来たよぉ~ワシントン・モニュメントくん!
近くより、こんな感じで遠くから眺める方が好きかも…。
ホワイトハウスの裏側。
警備はこの警察官ひとりっきり?!
んでもって、ここからは立ち入り禁止みたいなんですが、この蜘蛛の巣のような、別に簡単に行けてしまえそうな柵が、なんともアメリカン。
ワシントンD.C.は、建物はもちろん、庭や広場もデカい。
地面すれすれまで葉っぱをつけた木。
えっとこれは…忘れた。
中に入ると魅せられる作品がてんこ盛り!と評判のRenwick Gallery。今回もまた素通りです…残念!
夕日が当たってきれい。
ホワイトハウスの正面にはいつも、抗議行動をする人で賑わっています。
もちろん、観光で見学している人もたくさん。
去年ここに来た時には座っておられたコニーさんは、今年の1月に亡くなられたと、友人の志津子さんから聞いていたのですが、
どっこい彼女の魂はしっかり引き継がれ、平和テントもそのまま残っていました。
この平和テントについて、志津子さんが書いてくださったものを、ここにちょっと拝借させていただきます。
↓以下、転載はじめ
ワシントンのホワイトハウスを訪れた人なら、大抵この光景に驚く。
大統領がおいでになるこの、正にピカピカに白い館のど真ん前に、こんな見すぼらしいテントがあるのだから。
大統領が見える所で直接訴えたいと、ここで、30年以上も、反核平和アピールを続けてきたコニーさんは、残念なことに、この1月に、80歳で亡くなっていた。
左のボードにあるような、おぞましい広島の原爆写真に衝撃を覚えて、極貧の生活をしながらも、核廃絶や世界平和を、観光客に声をからして訴え続けてきた。
暑い夏も、雪の日も。
流石に、ホワイトハウス付属(?)の名物にもなってしまったので、歴代大統領も撤去することも出来ずに、半ば諦め顔でテントの存在を許してきたのだろう。
コニーさんの存命中に、いずれかの大統領が、会って声を掛けたとか、そういう話はない。
でも、コニーさんの後を継いだという甥の方に、快い許しを得て、テントの隣に3時間くらい立たせて頂くと、
確かに、向こうの窓から、大統領が時折覗くかも知れない近さなのだ。
国交を回復したキューバから、オバマ大統領は戻っているはずだ。
私のサインも見てくれるかも知れない。
通りすがりの留学生の男の子も、サインを持ってくれた。
「選挙に参加してね」と言うと、「はい、僕は18歳になりました」
コニーさんは、自分に話しかけてくる人には、こう言ったそうだ。
「あなたが自分で、平和のために出来ることを始めることが、一番必要なことなのよ。そうすれば、私はここにいなくてもよくなるのだから」
何という強い意志や決意を貫いた人だったのだろう。
甥の方とも平和談義をやりたい人が、次から次へとやってきて、ついでにこちらにも寄ってくれる。
大抵が、「Abeって誰(或いは何)なの?」から始まる。
明日もここに来る。
↑以上、転載おわり
ホテルは、なんというか、隣の人の常識が無かったからか、めちゃくちゃ大音量のテレビの音やドアの開け閉めの音が、夜中まで続いて、おかげで?全然眠れませんでした。
やっとウトウトしかけたら、またまた朝の8時から大音量の音楽が…。
これじゃ、景色の良い部屋を選んだ方が、まだマシだったかもしれません。
でも、見た目しっかりした、それも歴史があるっぽい、議事堂のすぐそばのホテルなのに、この騒音はいけませんよ、ほんとに。
気を取り直して出発!
天気は上々、雲一つない青空です。
会場の国立美術館が見えてきました。
う~ワクワクする。
なんとまあ、全館吹き抜け。
天井からの風景(桃子さんの写真から)。
あ~いたいたっ!
全身全霊支援中の、ご主人のマークさんも!
初めて逢った気が全くしない桃子さん。素敵な衣装がすご~く似合ってます。
彼女の作品をいつか、うちに飾れる日がきますように!
実は桃子さん、ショーの当日の朝にぎっくり腰になり、息子さんがインターネットで調べてくれた急場凌ぎの、温めては冷やし、また温めては冷やすを繰り返し、なんとか立てているそうな。
もちろん痛み止めを飲みながら。
できるなら、鍼を持参している夫が治療できたら良いのだけれども、ショーの最中ではそれも叶わず…。
なのに桃子さんは、ニコニコと微笑みを絶やさずに、わたしたちとのおしゃべりに加わってくれるので、ついつい調子に乗ってしまいました。
彼女の作品は、土の温かさ、素朴さ、荒々しさ、そして何よりも、物事の源であることのどっしりとした存在感がみなぎっていて、
それらをひとつひとつ、生で見ることができたこと、触れることができたことが、しみじみと嬉しいのでした。
そして桃子さんのご主人マークさんの、京都という古い町で、異国人でありながら造園を生業にしていたという才覚を、会話の端々から垣間見ることができました。
なんていい感じのご夫婦なんだろうか…。
二人が暮らしているイサカは、うちから車で4時間弱。
いつかまた近いうちに、今度はもっとゆっくり、いろんな話がしたいねと言いながらお別れしました。
お祝いを何も持って行かなかったわたしに、桃子さんがくださった湯飲み茶わん。
わずかに青味がかった灰色の、どっしりとした、でも柔らかで優しい。
そして、お茶を飲んだ後、内側に入った細かなひびが、微かに色づきます。
お祝いに行ったのか、邪魔しに行ったのか…。
なんだか申し訳の無いわたしたちなのでした。
外はまだまだぴーかん晴れ!
どんだけ集めたの?!首振り人形さんたちがいっぱい!
あまりバタバタ周ると疲れてしまい、留守番をお願いしているお客さまに申し訳無いので、観光はまた次の時にして、帰る途中にある海沿いの町ボルティモアで、海の幸をいただくことにしました。
外観は何ということも無いお店だったのですが、評判通りの超~美味しい海の幸をいただきました。
なぜか、世界各国のお札が、ピンでいっぱい止められていました。
うわっ!塩の山!
というわけで、この日家に戻ってからの、これまた初めて出会った女性の話は、またこの次に。
お楽しみに。