ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ガラス工芸と伊賀焼の夕げ

2009年03月12日 | 友達とわたし
昨日の夜から、旦那の大学時代からの友人アンドリューが遊びに来ました。
彼はもともと物書きさんで、この5年間はガラス工芸専門雑誌の編集を手がけています。
身長が2メートル以上もあるので、挨拶のハグをする時勝手が違い、いつもわたしはどぎまぎしてしまうので、彼はそれを楽しみにしていて、
ヨーロッパ式の二度キスなんかを加えて、更にどぎまぎするわたしをからかうのが趣味な、意地悪アメリカンです。
彼と旦那は、会う約束をしてはどちらかがキャンセル、というのがあまりにも何回も続いていたので、では、週末しかだめ、という観念をいっちょ破ってみようではないかということにしたそうです。そこで決まったのが昨日の水曜日……。
いいけどね……でも、わたしはその日は7人も生徒がいるので、全く手伝えないと先に宣言しておきました。
初めは、旦那とアンドリューでなにか料理を作ろう、という計画になっていたのに、日が近づくにつれてなにやら怪しい雰囲気が……。
やっぱ彼女(近々一緒に住もうと決めた女性)も連れてこようかなあ、あ、やっぱ彼女はだめみたい、あ、ボク、その日は7時半ぐらいに着くかも。あ、それと、泊まろっかな~なんちゃって……。
いいよいいよ、ボクちゃんの好きなよお~にしなはれや~。
ということで、仕事が早く終わる旦那がひとり、夕飯作りに精を出す、ということになり、いきなりとても素晴らしいラム料理を作ってくれました。

新鋭のガラス工芸作家いちかわえつこさんの作品や、他の日本人の優れた工芸作家の話を熱く語るアンドリュー。
特に、いちかわさんの作品はとても斬新。熱く熱したガラス玉や水飴のような紐状のガラスを分厚い紙の上に垂らしたり押し付けたりして、
草書の習字のような、または墨絵のような作品を作っています。
創作の様子はこのビデオで→http://www.vimeo.com/1713273
作品はここで→http://www.davidsongalleries.com/artists/ichikawa/ichikawa.php


他にも日本の作家がたくさん紹介されていて、彼らから送られてくる英文を編集する時のアンドリューの苦労話などと聞きながらパクパクむしゃむしゃ。

お酒に強い彼は、旦那のグラスにガンガンワインを注ぎ、もちろん断りたくない旦那はゴクゴク飲み、気がついたら日本酒まで飲み始めてるふたり……。
ちょっとぉ~大丈夫?と目で忠告すると、「だってさあ、よう君の作品で日本酒を飲ませてやりたいと思ってさあ」などと苦しい言い訳をする旦那。
確かに、よう君(友人の伊賀焼陶芸家)の盃で飲む酒は格別。酒が盃と唇の間を通り過ぎるまさにその瞬間に、ザラッとした心地良い土の吐息が混ざります。
その盃は、同じくよう君の大ファンであるわたしのピアノの師匠が、旦那へのプレゼントとして買ってくれた物なのだけど、毎回どちらがその盃で飲むかもめるセコい夫婦のわたし達。旦那いわく、まうみがこれで飲みたいと思うのが間違ってる、らしいですが……。
ちょっとここによう君(谷本洋氏)の作品を載せておきます。うちの盃はまた違う機会に。



ちなみに、彼の個展が、6月/大阪阪神百貨店、8月/四日市近鉄百貨店、11月頃/大阪阿倍野近鉄百貨店で開催されるそうです。お近くにお住まいの方はぜひぜひ、直に手に取って(触ってもええのかなあ)味わってみてください。

斬新を極めたガラス工芸と土がトックントックンと息づいている伊賀焼、どちらもひとの手によって創られたもの。ああ~好き好き!
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カーネル・サンダースの呪い解除

2009年03月11日 | ひとりごと
の記事を書こうとしたのですが、写真も絵文字も全く使えない状況になっております。お~い、gooさん、なんとかしちくれぇ~い!

サイトがまともな状態になったら、即、11日分の記事として、ここにその記事を入れたいと思います。

……と待つこと5日目、突然直っておりました。今日は16日月曜日です?!
ちょっと長いなあ……gooさん、これはいったいどうしてこんなふうになっちゃうんでしょう?説明も連絡もなぁ~んも無しです。
それか、もしかして、わたしんちのパソコンだけなんでしょうか?!同じgooブログ使ってる人に聞いた方がいいのかなあ……。
ま、いいや、忘れましょう。


さて、カーネル氏が道頓堀川に放り込まれて行方不明になった1985年の大阪は、荒れに荒れておりました。
豊田商事の会長が刺殺される瞬間がテレビ画面からお茶の間に流れたり、グリコが脅迫されたり、阪神がいきなり優勝したり……。
とても印象に残る年だったよなあ、と何の気無しに調べてみると……うわぁ~!大阪だけやなかった……全国、全世界、あちこちであるわあるわ……。

わたし的に特に記憶に残ったことをちょっとここに。

6月
エホバの証人の信者が、自転車でダンプカーに巻き込まれる交通事故に遭った当時10歳の息子への輸血を拒否、息子が搬送先の聖マリアンナ医科大学病院で死亡する。

豊田商事の永野一男会長が自室玄関前にマスコミ取材班が集まる中、マンション内で刺殺される。

インド航空182便爆破事件。乗客乗員329人全員死亡。


8月
デルタ航空191便墜落事故。ダラス・フォートワース国際空港付近でロッキードL-1011 トライスターが墜落、乗客乗員163人のうち134人と、地上にいて事故に巻き込まれた1人の計135人が死亡。

日本航空123便が群馬県上野村の高天原山の御巣鷹の尾根に墜落、520名の死者を出すも乗客4人が奇跡的に生存。

グリコ・森永事件で犯行グループから「終結宣言」が送付され、以降動きが途絶える。

9月
ロス疑惑の三浦和義が逮捕。

女優の夏目雅子が急性骨髄性白血病により死去(享年27)。

メキシコでマグニチュード8.1の大地震、メキシコシティ付近を中心に大被害、9千人以上死亡、3万人以上がけが、9万人以上が家屋を失う被害。

10月
視聴者参加クイズ番組の草分けだった『アップダウンクイズ』(MBS-TBS系)が22年間の放送を終了する。

テレビ朝日の報道番組『ニュースステーション』(キャスター:久米宏)放送開始。

阪神タイガースのセ・リーグ優勝。

11月
阪神タイガース日本シリーズで西武を破り4勝2敗で日本一となった。

エジプト航空648便ハイジャック事件。乗員乗客98名のうち60名死亡。

過激派による国電同時多発ゲリラ事件。首都圏、大阪を初め各地で線路のケーブルが切断されダイヤが混乱。600万人に影響が出る

12月
アロー航空1285便、DC-8が、カナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州のギャンダー国際空港の離陸直後に失速、墜落。エジプト・カイロから帰国の途にあったアメリカ陸軍第101空挺師団所属248名と乗員8名の256人全員死亡。カナダ国内で発生した最悪の航空機事故。


弱かった阪神が、じわじわと優勝に向かってのし上がっていた頃、大阪は沸きに沸いておりました。その真っただ中に住んでいた虎キチの父も同じ。
優勝決定戦が行われたあの日、三階のレッスン室で教えているわたしに、事務所の方が、緊急の電話が入ってますと伝えに来てくれました。
離れて住む家族に何かあったのか、と驚いて事務所に行くと、「おい、まうみ、勝つかもしれへんで、いや、こりゃ勝つで、多分、どうする、おいっ?!」と興奮した父の声が受話器の向こうから聞こえてきました。
「???」
「おい、さっさとテレビつけて観てみぃ、こんな時になにやっとんねん?」
「あのぉ、今教えてる真っ最中なんやけどわたし……」
「あほか、こんな日ぐらい休んどけ!」
「あんなあ、わたしはこれで食ってるねん」
「なんでもええわ、またな」ガチャン!
これが最後ではありませんでした。この後3回、点数が入るたびに呼び出されたわたし……。
まだまだ携帯電話なんて普及してなかった(多分)時代で、わたしを呼び出そうとあちこち電話をかけて探したであろう父のことが可笑しくて、思い出すたび楽しくなる父とのいい思い出です。

あの日、道頓堀川に投げ込まれて行方不明になっていた都市伝説の主人公カーネル・サンダースの人形が、実に24年ぶりに発見されました。
そのニュースを読んでいて一番感動したのは、この写真です。



こんなヘドロまみれの深みに潜って、仕事をしなければならない人が存在していることを改めて実感させられました。
もちろんこの日の目的は、ヘドロの中に埋まっているかもしれない不発弾の撤去だったらしいのですが、いずれにしても危険で臭いも半端じゃないはず。
カーネルおじさんの上半身が見つかったことで、他の部位も見つけたいと、さらにさらにヘドロの中を探らなければならなかったダイバーの方々。
虎キチの娘として、こんなところで申し訳ありませんが、心の底の底よりありがとうと言わせていただきます。

カーネルおじさんというよりは、もうほとんど仏さまに昇華されたようなお顔ですね。





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心にクイッときた言葉ふたつ

2009年03月10日 | ひとりごと
ひとつめは『鏡は先に笑わない』

いつ、どこで目にしたのか、もうてんで覚えていません。
確か、とても辛いことが続いた方への、慰めとも励ましともとれるメッセージの中にあったと思います。

わたしは今でこそ、イヤなことがあって落ち込んだり腹を立てたりしても、ほんの数時間で気分を変えることができるようになりましたが、
旦那と暮らし始めた頃の17年前はまだ、一旦気分を悪くすると最低3日は仏頂面を決め込むのが癖で、旦那を心底びっくりさせていました。
放っといてくれればよいものを、早く元に戻そうといろいろと気を遣う旦那。
ある日、「怒るのは仕方ないけど、せめて1日の終わりには口ぐらいきいて欲しい。そうでないと、ボクの気が狂ってしまう」と諭されました。
鏡に映る、ブスッとふてくされた時のわたしの顔。不意に目にした時などは我ながら不細工!と驚いてしまいます。
怒っている間は、血も汚れるし、気も病みます。そんな時間は、できるだけ短い方がいいに決まっています。

まあええやんか別に、なるようにしかならへんもんや。と口ずさんでにこり。修行はまだまだこれからも続きます。


ふたつめは『のび太って呼んでいいか』

ご本人の許可を得ないまま、いきなり載せてしまいました。ししははさんの旦那さんの一言です。
上の息子さんが、不本意な結果に終わってしまったテストを鞄の中に入れたまま、おとうさんおかあさんに言えずに悩んでいたようです。
真ん中の弟くんが、同じ時期にとてもいい結果のテストを持ち帰ったこともあって、余計に出し辛かったのでしょう。
うちだって、息子達が小学生だった頃、そういうことがたびたびありました。
わたしはそういう時に、「のび太じゃあるまいし!」と、陰険な声で責めたもんです。
なので、余計にこの、「のび太って呼んでいいか?」が心にしみました。
結果がどうであれ、ちゃんと出さないと駄目じゃないか。そりゃ、お前の気持ちも分からんでもないよ。けどさ、やっぱり隠したりするのはどうだろな?

毎朝毎朝、うちの息子達の目覚ましがこんな風に怒鳴ってました。
「もぉ~まだ起きないのぉ~!ドラえもんベルゥ~!」
うちは家族中でドラえもんが大好きでした。
あの時、「のび太って呼んでええか?」って言えるおかあさんだったら、TもKも、もっと好きになってくれたかなあ、なんて考えてしまいました。
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そんな殺生な……。

2009年03月09日 | ひとりごと
今日はスコット&エミリー&マイケルの3兄妹弟を教えに行く日でありました。
覚えてくださっている方、いらっしゃいますでしょうか?
そうですそうです、わたしがレッスン中に「ビッチ」という言葉を言った、というトンデモない話を信じている家族のおうちです。

とりあえず、いつものように3人それぞれを個別に教え、特にエミリーを教えている間は禁句封印パワー全開にして、無事にレッスンを終えた所で、
よし、言うぞ、絶対に分かってもらうぞ、と決意も新たに、支払いのチェックを用意してくれている母親のニーナに話を切り出しました。

「ニーナ、先日夫から聞いたんやけど、エミリーの目の前でわたしが『B word』を言うたって話……でもあれ、絶対にそんなこと有り得へんことで」
「な~に、まうみ、そんなこといいのいいの」
「いや、全然よくなくて、神に誓っても言うてないっていうか、もし万が一言うてたとしても、そういう意味じゃなくて、あの」
「だから、ほんとにもう、いいんだから」
「でも、もしかしたら、オズの魔法使いをその日は歌ってて、それでウィッチのWをヴィと発音しちゃったかもしれんくて、それでその……」
「え?そう?そっか……あ、でも、もしそうだとしたら、それはエミリーには内緒ね」
「へ?」
「だってね、エミリーの態度が良くないのだもの。そうでしょまうみ。彼女になんとか音楽を楽しませてあげようと、いろいろ手を替えて工夫してくれてるのに、彼女のあの日の態度ったら……、だからね、ビッチだった彼女にビッチって言って当然よ、そうでしょ!」
(思いもよらない展開に、ただただ唖然とするのみ)」
「あの日ね、彼女、レッスンの後わたしの部屋に飛び込んできて、えらい勢いでこう言ったのよ、『マァム!まうみがわたしにビッチって言ったぁ~!』って。それ聞いてわたし、こう思ったわ。まうみ、よくぞ言ってくれましたって。だってそうでしょ、生徒として失礼だったでしょ。もう小さな子供じゃないんだもの。だからこう言ってやったの。『あんたのあの態度じゃ、そう言われて当たり前だわ』って」

なんてこった……
発音の違い云々などで言い訳してる場合じゃなかったのでした。
ほんとに、いったい、どこでどうこんがらがって、こういう誤解が発生したのか、答はリスが隠した木の実ぐらいに見つかりにくくなってしまいました。

ニーナにガンガン説得されて、結局わたしは、のらりくらりと態度の悪かったあの日のエミリーに堪忍袋の緒がキレて、彼女に向かって「ビッチ」と言った、ということになりました。

ちがうねんけどなあ……そんなこと思た覚えも言うた覚えもないねんけどなあ……
けど、世の中には、全く身に覚えの無いことを言うただのしただの、周りから言われて、いくら潔白を訴えてもてんで信じてもらえない状況に陥った人なんて、星の数以上いるんでしょうね。
まあ、この程度で済ませてもらっていることに感謝した方がいいのでしょうか
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お家狂想曲一旦ポーズ宣言

2009年03月08日 | お家狂想曲
あの家をわたしはとても気に入っていて、けれども旦那の方にやや陰りが見えてきたので、調子づけのためにもと思い写真をつけて記事にしました。

オープンハウス見学の後、すぐにニューヨーク州に住む友人夫婦宅に出かけてった旦那。道すがら、いろいろと考えたのだろうと思います。

そして、たった今、今後少なくとも半年間は、家を探さないことにしよう、という結論を出しました。
毎日検索しては資料を作る労力、それに有する膨大な時間、ストレス、ぐらぐらと揺れる気持ちの整理にかける精神力、
こちらでの家探しは、まさに買い手の根気と根性が勝負、不動産屋のエージェントは、こちらが自主的に探し出した家に連れて行くだけが仕事?と疑われても仕方の無いくらい、動きが乏しいのです。
毎日自動的にメールで送られてくる家々は、かなりピント外れの家ばかりなので、自主的にあちこちのサイトをはしごして調べなくてはなりません。
こんなことを実質1年もやっていると、ピアノを教えられなくなっても大丈夫かも、と思えるぐらい、この世界のことに詳しくなりました。

前回でお話しした家が無理なら、もう当分家探しはやめにしよう。これはわたしが自分勝手に考えていたことでした。
旦那は旦那で、男性の目で視た今の経済情勢を思うに、やはり少なくともあと半年は静観するのが懸命、と判断したのだと思います。

人生のうちにそう何回も無い大きな買い物をしようという時に、わたし達は幸運なことに二回も失敗を回避できたのだから、この運を大切にしたいと思います。
また頑張れる時が来たら、必ずここでお知らせしたいと思います。

どうするのかなあ~と気を揉んでくださるみなさまに、ここでホッと一息入れていただけますよう、取り急ぎご報告まで

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オープンハウスその∞(数えるの疲れました)

2009年03月08日 | お家狂想曲
今日も暖かで、18℃ぐらいまで気温が上がりました。
でももうこれで終わり。空が分厚い雲に覆われてすっかり灰色になっています。

オープンハウス、1件だけ見に行ってきました。
ここから徒歩5分強、とても近いケンブリッジ通りにある、平屋建てのおうちです。
奥さんが亡くなり、自分も病気になってしまったので、娘の家に引っ越さにゃならんという男性がオーナーの家です。
1階のどの部屋も広々と気持ち良く、後ろにある林のような庭にはどんな花が咲くのか、どんな葉が芽吹くのか、とても楽しみです。



これはカメラマンの技術です。こんなにバァ~ッと広がってません。ほんと、言い方悪いけど、詐欺に近いよな、なんて最初は思いました。









地下も一階と同じだけの広さがありますが、1度水の問題があったようで、床が全部剥がされていました。使える部屋にするにはお金がかかりそうです。
三角天井の屋根裏は、わたしぐらいの背の者には充分の高さがあります。小さな子供にとっては、かなりワクワクドキドキする空間です。

御年80才を越える老夫婦が長年暮らしておられたおうちなので、写真からも分かるかと思いますがかなり古く、屋根などは総替えしなければなりません。
外壁のペンキも所々剥がれています。日曜大工からは億万光年離れている旦那ですが、なぜだかペンキ塗りだけは好きなので、これは自力でできそうです。

さてさて、毎週のように候補を立てて、あ~でもないこ~でもない、好きになったり嫌いになったり、切に欲しがったり諦めたり、

でも、今日になって、旦那にとっては新たな発見がありました。
*わたしが平屋建ての家が好き!ということを知った。
*ふたりにとって、家を持つ上での決め手は、家の中の空気が澱んでいないこと、招き入れる人達に心地良さを感じてもらえることだと確認した。
*そうすると、家自体はもちろんのこと、周りの環境と雰囲気も絶対に無視できなくなり、結果、税金の高い場所になる可能性が高いと悟った。

いったいいつまで、こんな毎日が続くのでしょうか……。また五百円玉ハゲができたらかなんなあ……

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米国Daylight Saving Time事情

2009年03月08日 | 米国○○事情
昨晩、お抱え健康お目付役が酔っぱらったのをいいことに、刺身を少々食べた上に、普段滅多に食べないアイスクリームまで重ね食いしちゃったわたし。
しっかりお腹にきちゃいまして、なかなか寝付けないばかりか、ろくに眠っていないのにも関わらず、朝の6時にパチンと目覚めてしまいました。
勢い良く目覚めたものの、おへそのやや上辺りになにやら不吉な気配が漂っています。ふにゃ~~勘弁してくれぇ~~もうやだよぉ~~
様子を見い見い1時間、ベッドの中で悶々としていましたが、もうあんなことがあってたまるもんか!と意を決して起き、パソコンをつけると、
へ、8時
あ、夏時間!やっほ~

別にこれといってなんの変哲も無い、どちらかというとかなりチープな連中ではありますが、この日になると有無を言わせてももらえず、わたしの人差し指で無理矢理クルクルと長針を回されてしまう時計くん達をご紹介します。

まずは旦那の診察室から。旦那が患者さんの脈を診る際に、とても頼りになる時計くん。


そして寝室続きのシャワー室へ。レッスン前のシャワーを終え、焦りまくって体を拭いてるわたしを見下ろす時計くん。


キッチン横のバスルームの、アイキヤの定番特価品。確か2ドルぐらいだったと思います。この時計くんの前でもよく焦っています。


キッチンの食料品棚の上の時計くん。家の中で1番、よく見られている時計くんです。


あ、これも忘れちゃいけません。これから直そっと。


ってな具合に、まだまだ小物の目覚まし時計や腕時計も変えていきます。
面倒なんだけど、なぜだかこの作業が楽しいわたしです。

ただひとつ、困ることがあります。
このたった1時間の時差、ボケるというところまでにはいかないのですが、それでもやっぱりどこかズレているのでしょう、何気に調子が狂います。
今日から数日間は、運転には特に気をつけなければいけません。
なにが危ないってことではないのですが、なんだか変なことをしでかすドライバーに遭遇する確率がボコンと上がります。
1時間の時差、これはなかなかくせ者です。
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冬時間最後の日

2009年03月07日 | 家族とわたし
夏時間デイライト・セービング・タイム(Daylight Saving Time)を明日に控えた今日は、当然のことですが、冬時間最後の日です。
なんだか朝からポカポカと暖かく、気温を確かめてみるとなんと21℃?!まじっすかぁ~!!

こうなるとアメリカンさん達、じっとしておられません。
半袖なんて当たり前、タンクトップも軽やかに、アイスクリームをペロペロ舐めながらお散歩です。

うちも地味ながら、窓という窓、ドアも開け放ち、突然の春をお迎えしました。
今日から普通食に戻ったわたし、うんうん、こりゃもう大丈夫、とばかりに、お昼過ぎに旦那が入れてくれたコーヒーにミルクを入れて飲んだら……、
ありゃりゃ、こりゃいかん、背中がキュウッと詰まってきました。心の臓もバクバク、完璧なカフェインショック症状です。
えらいこっちゃ、ちょっと油断し過ぎたかな。
でも、こういう時にピアノの練習をすると、いつもより神経がシャープになっているからか、普段弾けないところがスルスルっと弾けることがあります。
そこで、せっかくのチャンスなので、来週の土曜日のコンサートで演奏する予定の、シューマンの『3つのロマンス』の仕上げに励んでみました。
ウシシうまくいきました。明日から、さらに突っ込んだ音作り&フレーズ作りをして、舞台で楽しくやれるようにグイグイと練りたいと思います。

最近、クィーンズに住む友人のアパートで過ごすことが多くなった息子K。
家に居るのは、忘れ物を取りに帰ったり、洗濯物の交換ぐらいで、姿を見せたかと思うとまたパッと出かけてしまいます。
今日は珍しく部屋の中に留まっているので、旦那もわたしも嬉しくなって、久しぶりに外食しようということになりました。
でもなあ、今日みたいに暖かくなると……混んでるでぇ~きっと。
当たりでした。行きたい候補トップ3は予約も入らない状態。店の外にテーブルをガンガン出しているけど、追っ付かないようです。
そこで、Kにバイトをしてもらいたがっているという、とってもありがたいジャパニーズレストランに出かけました。
経営者もウェイターさんもウェイトレスさんも、みんな中国人の方達だけど、日本語が堪能で、フレンドリーでおしゃべり好き。
Kはかなりフュージョンな巻きを3種類、旦那とわたしで、刺身の盛り合わせと東京風焼き飯(なぜ?)を分けんこしていただきました。
今週4日間もお酒絶ちをしていた旦那が、持参したワインをゴクゴク飲んで、かなり酔っぱらったのか、「次はアイスクリーム!Let's go the Holsten's」
例の、『ソプラノズ』の最終シーンの撮影が行われたダイナー、ホゥスティンです。
お店の中は満席。大人も子供も、派手なお花畑付き金髪クルクルウィッグを被ったおばちゃん(迫力ありました!)も、みんな揃ってアイスクリーム!
Kはミルクシェイク、旦那はコーヒーアイスクリームとコーヒー、わたしはやめときゃいいのに欲が出て、メープルウォールナッツアイスクリーム、
……お腹、しんどいっす……。
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Immanuel KantとWitchの法則

2009年03月06日 | アホな小話
もう今から16年以上も前のお話です。

初めて旦那の実家を訪れることになった、緊張度120%の訪米中の、これまた初めて旦那の親友のお宅を訪ねた時のこと。
地下にあるレンガ造りのオーブンで、自家製のピザの焼き上がりをまだかまだかと待つわたし達、
温かなレンガの壁の周りに集まってビールなんぞをいただきながら、和やかな会話の花がそこかしこに咲いておりました。
その頃のわたしは、英語を聞き取ることがまだまだ難しくて、頭の中に針金が一本ピーンと張ったような緊張感とともに、ただただ聞き役に徹していました。
なのに突然、それがいったいどんなきっかけだったかてんで覚えていないのですが、哲学者カントの名前がパァッと浮かび、これならわたしも話に入れてもらえるとばかりに、勢い良く旦那に向かって「ア、カントね」と言ったわたし。
それまでずうっと黙っていたので、声の大きさの調整がうまくいかず、それは結構そこに居る人達全員が聞こえるほどの大声だったようです。
目の前の旦那は目をまん丸にしたまま固まり、周りの人達もなぜだかマネキン状態に。
「あ、あはは、あははは、まうみってさ、ほら、発音がね、まだちょっと、だからさ、Kantね、ほら、哲学者のKant、あはははは!」
「は、はは、ははは、そうだよねえ、はははは!」

わたしの発音は「cunt」日本名「ま○こ」だったようで、先日のお話ではありませんが、思いっきりの『ポリティカリーインコレクト』だったのですね


さて、そういうインコレクトならお手の物のわたしではありますが、なんぼなんでも生徒の前ではそういうことが無いように気をつけてはいます。
そりゃまあ、わたしも人間ですから、失敗することもまあ、たま~にはあります
最近は特に、その注意力も増し、かなりいい線いってるんちゃう?と自負しておったのに……ああそれなのにそれなのに、

今夜の夕飯の支度をしようとキッチンに行くと、仕事から戻ってきた旦那が開口1番に、
「まうみ、エミリーって子、難しいの?」と聞きました。
「エミリーって、スコットとマイケルの家の?」
「そう」
同じ町に住む3人の兄妹弟トリオを教えていますが、その3人の中ではちょっと教えにくい女の子ではあります。
そこで、「まあ、そんなに難しいってことはないけど、やっぱティーンやから」とお茶を濁していると、
「今日はそこんちのマイケルのアレルギーの治療したんだけどさ、まうみ、エミリーの前でビッチって言ったんやって?」
「はぁ~~~?!」
言うてません、そんなこと、神さんに誓てもええです、絶対に言うてませんって
「大丈夫大丈夫、気にせんでもええって。あの家族、みぃ~んなまうみのことめっちゃくちゃ好きやから。最高の先生やって喜んでたから」
だから、そぉ~ゆぅ~問題やないっつうの!!言うてへんもんは言うてへんっつぅの!!

それからかなり頑張って、記憶の糸のヨレヨレをほぐしながら、必死にレッスン時の自分の言動を思い出してみました。
あっ……
彼女は基本的に、別になぁ~んにもしたくない、努力も嫌いなティーンの女の子。けれども、母親がなんとしても、音楽に携わっていて欲しいと願っていて、
本人のエミリーとじっくり話し合ったところ、歌ならいいかも、というので、最近ピアノの他に、ブロードウェイの歌を歌い始めたのです。
それで……ついこの間、オズの魔法使いから歌を選んでいる時に……魔法使いのウィッチ(Witch)のWを、もしかしたらヴィって読んだ、かも……
んでもって、発音が中途半端とかで、ビッチ(Bitch)に聞こえちゃった、かも……
でもですよ、それじゃなんでその時に、「あ~っ!まうみったら~、ビッチなんて言ってぇ~!」とか言って大騒ぎしてくれなかったのかなあ……。
そうすりゃわたしだって、「ええぇ~っ!そんなこと言うてへんよぉ~、ウィッチって言おうとしただけやんかいな~!」と訂正できたのに……。
きっとエミリー、あのレッスンの後、母親にコソコソ、兄弟にコソコソ、ほんでもって夕飯時には家族中でガハハ!なんちゅう教師だぁ~なんて盛り上がり、
それを今日、マイケルの治療に付き添ってきた母親ニーナが、楽しそぉ~に旦那に話した、というわけですね。
その部屋に居たマイケルは、その話を聞いている間どないしてたん、と聞くと、彼もニヤニヤ、とっても楽しそうだったと……。

再びの、思いっきりの『ポリティカリー インコレクト』だったのですね
外国で、その国のネィティブさんに囲まれて外国語を話す時には気をつけましょう、ね、みなさん
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履歴書

2009年03月06日 | 家族とわたし
息子T、ただ今履歴書書きに奮闘中です。
彼は前々から、こちらの大学を卒業したら日本に戻り、コンピューターエンジニアリングのスキルと英語を活かせる会社に就職すると決めています。
13才まで日本に暮らしていた彼は、日本語に関してはそれほど問題は無いのだけど、こういった勝負時の日本語には今ひとつ自信が無いようで、
とりあえず日本語でどっぷり43年間暮らし、こっちに来てからもガンガン日本語を話し続けている母親に校正を頼むべかと、一応彼自身で仕上げた履歴書を送ってきました。
Tは文字だけの本はほとんど読まず、夏休みの課題図書だって斜め読みかとばし読み、読書歴はかなりトホホな部類に入る若者です。
漫画はだぁ~い好き。ブックオフや古本屋で買い集めた漫画の文庫本を、こちらに引っ越してくる時に売り飛ばしてしまい、かなり責められましたが、
なんのなんの、マンハッタンのブックオフに通い、またまたかなりのコレクションがうちの渡り廊下にずらりと積まれています。
ただ、こちらに来てからは、日本語が懐かしくなったのか、パソコンでネット新聞を読み漁ってはいました。

さて、いったいどんな文章を書いているのだろうと読み進めると、なかなかしっかり書けていて、へぇ~っと妙に感心してしまいました。
自分の長所や可能性、会社への期待感、それと繋がる夢などが、青年らしい簡潔な言葉できちんと述べられています。
どれどれ、ちょっと言い回しとかを変えてみようかな、と思い、そこでハタと考え込んでしまいました。
「~してきました」を「~してまいりました」とかに変えた方がいいのかなあ……。でもそれって丁寧過ぎてかえってマズいのかなあ……。
なにせ古いですからわたし。今の時代の若者を受け入れる会社の人事の方々とは、感覚とかがズレてるかもしれないし。
ってんで、今まさに就活真っただ中の娘を持つmanmaちゃんと、受け入れる側の経営者であるハッピーに、ちょいと尋ねてみました。

無理して丁寧語を使わなくてもよい。学生らしい文章がよい。

なるほど、やっぱりそうだよねえ。
Tも、わたしが「『~してまいりました』とかいう言い回しはどうかな?」と聞いたら、「え~っ!?そんなこと俺、言わへん……」と絶句していたし。

ってなことで、手直し無しのままメールで送り返すことにしました。
もう親になど頼る必要が無くなったんだなあ。この家からはとうの昔、今からもう4年も前に巣立ったのだけれど、
とうとうのとうとう、今回は本当に巣立つため、海を越えた遠くに離れて行く準備をコツコツと進めているT。
この書類は、そのための第一歩。彼の想いを読み進めるうち、感心しながらも、少し胸の奥がキュウッと寂しくなりました。

manmaちゃんが、お答えメールと一緒に送ってきてくれた沈丁花の写真です。花言葉は“よい前兆、栄光”。子供達の未来に栄光あれ!

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