ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

これぞわれらが生きてる世界

2013年08月19日 | 日本とわたし
hugsyさんという方が、ポーランドの風刺画家パウル・クチンスキーの絵を、ご自分の意見と一緒に載せてくださったのを、フェイスブックの画面上で見つけました。
それがとても印象的だったので、ここにも紹介させていただきたいと思います。

↓以下、転載はじめ

ポーランドの画家によって描かれた風刺画がすごい。
ポーランドの画家パウル・クチンスキー(Pawła Kuczyńskie)によって描かれた風刺画がとても興味深いものだったので、まとめてみました。
風刺画への意見はあくまで私個人が感じたことです。

裕福な国の子どもはおもちゃを持ち、貧しい国の子供はそれを洗ってお金を稼ぐ


まるで扱いが違うペットと家畜


政治家の言葉には何の価値もなく、誰にも届かない


汚染されたメディア


全く予想のできない動きをする現在の金融・経済


自分の吸う空気(環境)だけにしか興味のなく、汚染されゆく環境には無関心


完全に薬物に依存してしまった身体


アルコールに潜む危険性


手錠をつけられていた人々が、高価なアクセサリー身につけ始める


貧しい人々に支えられている裕福な人々


テロの資金を身代金で稼ぐテロリスト


嘘をつき続ける国 アメリカ


上がり続ける水位にどう対処するのか


環境問題を隠蔽し続ける企業


貧困層の爆発はもはや時間の問題


汽車を引っ張る貧しい子供と、オモチャの汽車を引っ張る裕福な子供


アメリカ経済の実態は武器(戦争)


何も知らない兵士と偽りの平和


待てば食事が出てくる裕福な人と、求めても食事にありつけない貧しい人


貧しい人と富める人の水の量と質の違い


結婚式をライスシャワーで祝う人と、それを拾う貧しい人
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日本にネット政党を登場させよう!ど~ん!

2013年08月19日 | 日本とわたし
この記事は、1ヵ月ほど前の記事です。

『日本が中心となって立案した、国際条約「偽造品取引の防止に関する協定(ACTA)」
日本では、偽ブランド品などを取り締まるための条約と理解され、大きな問題とならなかったが、
ACTAには、著作権侵害と思われる案件に対し、著作者の告訴がなくても摘発できる(非親告罪化)、とする条文などが盛り込まれていた。
厳格に適用されれば、大幅なネット規制につながりかねない』


このACTA、初めて目にしたのはツィッターの中やったんやけど、最初はなんのこっちゃさっぱりわからず、適当に読み流してた。
何ヵ月か経って、それでもずっと、ACTAを許したらあかん!という切実なツィートが流されてるのを見て、やっと調べる気になった。
調べてみたら……えらいこっちゃ、わたしの唯一の会話方法を、思いっきり規制される可能性がある!?
原発のこと、放射能汚染のこと、核廃棄物のこと、子どもたちの避難のこと、食べ物のこと、今だに過疎の村を狙てる原発ムラの悪党らのこと、
なんぼ時間があっても足らんぐらいに、いろんなことを調べたり読んだりせなあかんのに、ほんでこれもかいな?!と、最初は思たりした。

結局は、みんなみんなつながってるねんな。
なかなか目には見えへん根っこの部分。
土の中で複雑に絡まってる、けども一本一本がちゃんと独立してる根っこ。
土掘って、手にとってみな見えへん根っこって、社会の、自分がその場に行ってみて初めて見える物事みたいなもん。
その数えきれへんほどの物事のすべてに、ちょっとずつ、わからんように毒を塗る人間がきちきちっと手配されてて、こそこそと弱らしてる。
ネットが今みたいに普及するまでは、その作戦は笑いが止まらんほどにうまいこといってた。
どんなひどいことでも、スルスルとやれた。

社会はそうやって、常に、権力と金を持つ者の思い通りに動かされ、一般の市民は、まるで自分らが賛成したみたいな気にならされて、
ほんまはとんでもないクソな世界やのに、まあしゃあないんちゃうかと、自分の心や魂で考えたり感じたりすることを放棄してる。

人として生きる権利を持ってるっちゅう自覚も無く、ブラック企業なんていう、人を人とも思てないバケモノに傷つけられ殺されても、
それでもまだ、まあしゃあないんちゃうかと思い続けてる人が、少なくないのはどういうことや?

伊藤真先生が解説してくれはった、めっちゃ読み易い憲法。
お盆休みも終ってまた、忙しい毎日に戻らはった人もいはるやろけど、いっぺんこれ、ざっとでええから読んでみてください。
ほんで、人に戻ってください。


ネット政党 登場待つ 海賊党の思想を広める浜本隆志さん(関西大教授)
【東京新聞】2013年7月13日

インターネットは今や、世界中の人々の必需品である。
ところが今、そのネットを、権力側や資本家が、自分たちの都合のいいように操ろうとしている。
「インターネットはもはや、世界のメカニズムの根幹にかかわっている。
だが、ネット上では、政府や資本家が圧倒的な強者で、個々のユーザーは弱者。
今、欧州で台頭してきた海賊党が問題にしているのは、このネット上の、新たな“南北問題”なのです」と関西大教授の浜本隆志さん(68)は語る。
近著『海賊党の思想』(白水社)は、ネット弱者を擁護するこの党の、発足から現在までの活動や思想を、詳細に論じた日本初の書だ。
 
海賊党の発足は2006年。
スウェーデンで、ファイル共有ソフトの作者が、著作権法違反で摘発されたのを機に、自由なネット活動の保障を求める運動、として始まった。
「海賊」の名称は、船を襲ったり、海賊版による不正なコピー商品を販売したりする悪者のイメージだが、
「訴えているのは、インターネット規制や、巨大資本による知的所有権の独占への反対です。
欧州の人々は、この名もジョークと受け止め、悪を浄化する道化と見て、ネット世代の主張に耳を傾けている」

具体的な政策は、
著作権の保護期間を、著作者の死後十年に短縮する、
ネット上の音楽や動画などのコンテンツを、個人使用でダウンロードする限り、すべて合法とする-など。

「著作権は保護すべきとする一方、ネット上に、違法にアップロードされた著作物を、それと知らずにダウンロードしたユーザーまで罰せられる制度に、強く反発している。
デジタル社会で、複製禁止の網をかければ、監視によって人権侵害が生じる-というのが、彼らの主張です」
 
海賊党は、若者を中心に支持を集め、09年に、欧州議会で1議席を獲得。
運動は欧州各国に波及し、ドイツではベルリンなど地方議会で、次々と議席を得た。
「昨年4月の世論調査で、海賊党の支持率は、政党別で第3位、13%に達した」
 
海賊党が、最大の存在感を発揮したのは昨年。
日本が中心となって立案した、国際条約「偽造品取引の防止に関する協定(ACTA)」への反対運動だ。
日本では、偽ブランド品などを取り締まるための条約と理解され、大きな問題とならなかったが、
ACTAには、著作権侵害と思われる案件に対し、著作者の告訴がなくても摘発できる(非親告罪化)、とする条文などが盛り込まれていた。
厳格に適用されれば、大幅なネット規制につながりかねない。

 
欧州では、昨年1月、ドイツやオランダを除く20数カ国が、いったん署名したが、このころから各国の海賊党が中心となり、反対運動に火を付けた。
反ACTAデモの参加者は、200もの都市で、計280万人に及んだので、欧州議会は7月、ACTAを否決。
日本では九月に、ACTAの批准が決まったが、他に批准を目指す国はなく、発効(6カ国の批准)する見通しはない。


「今、CIAの元職員が暴露した、米政府による個人情報の収集が問題となっている。
これが、世界各国を巻き込んでいるのを見ても分かるように、権力構造の本質を理解すれば、ネット監視の問題も、誰一人関係ないとは言えない」
 
ネット時代の寵児(ちょうじ)、海賊党を特徴づける、もう一つの思想がある。
それが「液体民主主義」だ。
まず、政策を海賊党で発議し、ネットを通じて公開して、市民から賛否、提言を募る(直接民主主義)。
その意見を、党にフィードバックする、つまり、直接民主主義と間接民主主義を、「液体」のように行き来して、原案を改変し、採決(間接民主主義)を経て、党の政策とする。

従来、代議士と有権者の関係は、一方通行。
その結果、相互に意思のズレが生じ、議会が機能不全を起こしている。
新システムは、有権者と政治家を、双方向の回路でつなぐため、民意が政治に反映しやすい


もちろん、専門的な知識が必要な政策では、立案の工夫が必要だが、
手直ししていけば、よい制度に育っていく可能性はある
 
反ACTA運動で、海賊党は一定の役割を果たしたと考えられたのか、その後、欧州での支持率は低迷気味だ。
浜本さんは「19世紀は共産主義、20世紀は環境問題を旗印にした政党が登場したが、21世紀はネット政党が登場する世紀。
海賊党は、その実験をしている最中なのです。
思想的根拠を確立すれば、次第に定着するのでは」と語る。
 
専門はドイツ文化論。
全共闘世代だけに、最近の学生たちのおとなしさが気になる。
「就活に追われ、就職できても、使い捨てられる日本の若者たちも、政治に関与しなければ、現状を脱却できない。
ドイツの若者たちのムーブメントを、刺激としてほしい」(三沢典丈)
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85年『国家秘密法案』を廃案させた世論の猛反発。30年後の大人は腰抜けと惚けの集まりか?

2013年08月18日 | 日本とわたし
極端かもしれん。いやでも、極端ではなくなるかもしれん。

今朝、東京新聞のこの記事を読みながら、思い出した人がいる。
小林多喜二。
権力に対し、ペンによって徹底的に抗戦しようと決意した数年後に逮捕され、非情で残酷な拷問を受けて殺された作家。

それぐらいの知識しかなかったけど、この新聞記事が言わんとしてる世界の恐ろしさが、実際に経験したこともないのに、ひしひしと伝わってくる。

その記事を書き出したものと、小林多喜二の人生を、続けてここに載せさせてもらう。

情報統制 やり放題に
【東京新聞】こちら特報部より



第三者機関が検証できず

アメリカからの要請 法案のルーツ

「実は身近な危険、自覚必要」

ここであらやめて、秘密保全法案の危うさをおさらいしてみる。
「何のための秘密保全法か」の共著がある、海渡雄一弁護士は、
「米国との軍事協力上、必要だとして出してきた。
07年に、米国と軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を結んだ際、米国並みに厳罰を科す秘密保持体制をつくるよう、米国に要請されたのがルーツ」と説明する。

今回の法案提出は、安倍内閣が、年内創設を目指す、国家安全保障会議(日本版NSC)とセットだ。

「国家機密なんて日常とは無縁と思うかもしれないが、実は身近。
たとえば、原発事故が再び起きた際、国が発生を隠すことさえ可能になる」

法案内容が明かされないので、有識者会議報告書から推測すると、こんな具合だ。
『国の安全(防衛)』『外交』『公共の安全と規律秩序の維持(治安)』の三つの分野で、
国益にかかわる情報を『特別秘密』に指定。
これらを漏らしたり、入手したりした人を罰する。
最高刑は、懲役10年だ。

さらに、公務員のみならず、配偶者や恋人、同級生など、周辺の人たちまで、そのプライバシーが調べ上げられる。

小さな原発事故なら、パニックが起きる危険があるとして、『治安』を理由に、事故発生を『特別秘密』に指定できる。
大きくても、福島原発事故の際には、放射性物質の拡散情報が公表されず、住民がより高い線量の場所に避難させられた。
これが正当化される可能性がある。
拡散情報を公務員が漏らし、メディアが報じれば、刑罰対象になりうるからだ。

旧ソ連は、チェルノブイリ原発事故の発生当初、事故を隠した。
日本でも、戦時中の1944年12月、約千人の死者を出した『昭和東南海地震』が発生したが、
軍需工場の被害を、国民や敵国に知られまいと、軍部が地震を『軍事秘密』にして、報道を規制した。


第三者機関が検証できず

特別秘密を指定するのは、防衛省、外務省、警察庁をはじめ、全ての国の行政機関で、
問題は、第三者機関がその妥当性を検証できないことだ。

NPO法人『情報公開クリアリングハウス』の三木由季子理事長は、
「秘密保全法違反で起訴され、裁判が開かれても、特別秘密の内容は、法廷で公開されない可能性が高い。
形式的な立証だけで、犯罪者とされてしまう恐れがある」と警告する。

参院選で自民党が圧勝した今、国会に法案が提出されれば、審議がほとんどされないまま可決成立する可能性がある。
どうすればいいのか。

上智大の田島泰彦教授(情報メディア法)は、
「おそらく法案ができている。
だが、内容は、箝口令(かんこうれい)が敷かれ、表に出てこない。
だからメディアもあまり取り上げない。
法案を出す官僚たちが、高等戦術をとっている」と憂慮する。

秘密保全法案とよく似た『国家秘密(スパイ防止)法案』は、85年に提出されたが、
「戦時下の監視体制に逆戻りする」と世論の猛反発を受け、廃案となった。
田島教授は、
「いまは小さな反対集会が開かれる程度だが、官邸前デモのように、目に見えるパフォーマンスをしては」と提案する。

青山学院大の大石泰彦教授(メディア倫理法制)は、『倫理観』をキーワードにする。
「原発事故が起きても、誰も責任を取らず、忘却し、現実を直視しない。
政治家の無責任さに対するメディアの追求も甘い。
そんな無倫理状態が、今の日本を蝕んでいる」と批判する。
そしてこう訴えた。
「私たちの生活を脅かす法案の成立を防ぐのに重要なのは、社会に生きる一人一人の自覚。
社会の現実から目を背けていないか自問自答し、倫理観を取り戻すしかない」

デスクメモ
エジプトの騒乱が伝えられるが、軍に排除されたムスリム同胞団率いる前政権側にも、問題はあった。
選挙での勝利を、民衆からの『白紙委任』と勘違いしたのだ。
その誤解は、現在の自民党にも通じかねない。
しかも、留め金が、権力内部にはない。
たとえ、ごまめの歯ぎしりでも、メディアが責務を果たさねば。(牧)


文芸ジャンキー・パラダイス
http://kajipon.com
を書いてはるド根性文芸研究家カジポン・マルコ・残月さんの、偉人たちの『お墓』情報より

ペンを武器に戦い拷問死した作家
【あの人の人生を知ろう~小林 多喜二】
Takiji Kobayashi 1903.10.13-1933.2.20 (享年29才)



1931年、自宅の火鉢の前で(28歳)

書くこと自体が、生死を賭けた戦いだった…この国にはそんな歴史がある。
それも、明治や江戸時代の話ではなく、昭和のことだ。

特別高等警察、略して特高。
手塚治虫の『アドルフに告ぐ』にも登場するこの組織は、体制に反対する労働組合員や、反戦平和活動家など、
政府に逆らう思想犯を、徹底的に取り締まる目的で、明治末期に設立され、その後、敗戦まで強権をふるった。
特高は、国家反逆罪や、天皇への不敬罪を武器に、密告とスパイを活用して、“非国民”を手当たり次第に検挙し、
残忍な拷問で仲間の名前を自白させては、さらにイモヅル式に逮捕していった。

小林多喜二は、1903年に、東北の貧農の家に生まれた。
親に楽をさせる為に苦学して、小樽で銀行員になり、21歳で、仕送りの出来る安定した生活を営めるようになる。
小市民的な幸せな未来が、目の前に約束されていた。
音楽が好きな弟には、初月給の半分を使って、バイオリンを買ってあげた。

ところが、軍国化を進める政府によって、1928年3月15日未明に、全国で、数千人の反戦主義者を逮捕する、大弾圧事件が起きた。
多喜二の周辺でも、友人たちが続々と連行されていった。
彼は日記に記す。
「雪に埋もれた人口15万に満たない北の国から、500人以上も“引っこ抜かれて”いった。
これは、ただ事ではない」

貧農出身の彼は、もともと、権力・抑圧者への反抗心を持っていたので、この3・15事件は、多大な影響を与えた。
保釈された友人たちから、過酷な拷問の話を聞くに及んで、元来読書好きの彼は、事件を小説にし、世間に国家の横暴を訴える決心をした。
彼はまた、権力と戦う人物を、欠点や弱さも兼ね備えた人間としてリアルに描き、安易に英雄像を作らなかった。

「私は勤めていたので、ものを書くといっても、そんなに時間はなかった。
いつでも紙片と鉛筆を持ち歩き、朝仕事の始まる前とか、仕事が終わって、皆が支配人の所で追従笑いをしている時とか、
また、友達と待ち合わせている時間などを使って、五行、十行と書いていった…(中略)。
私は、この作品を書くために、2時間と続けて机に座ったことがなかったように思う。
後半になると、一字一句を書くのにウン、ウン声を出し、力を入れた。
そこは、警察内の(拷問の)場面だった」(自伝)

完成した作品『1928年3月15日』は、特高警察の残虐性を、初めて徹底的に暴露した小説として、世間の注目を浴びたが、
これによって彼は、特高から恨みをかうことになり、後の悲劇を呼ぶことになる。

翌年、26歳の彼は、オホーツク海で、家畜の様にこき使われる労働者の実態を告発した、『蟹工船』を発表する。
蟹工船は、過酷な労働環境に憤って、ストライキを決行した人々が、虐げられた自分たちを、解放しに来てくれたと思った帝国海軍により、逆に連行されるという筋で、
この作品で彼は、大財閥と帝国軍隊の癒着を、強烈に告発した。
登場人物に名前がなく、群集そのものを主人公にした抵抗の物語は、ひろく一般の文壇からも認められ、
読売の紙上では、“1929年度上半期の最大傑作”として、多くの文芸家から推された。

しかし、天皇を頂点とする帝国軍隊を批判したことが、不敬罪に問われ、『蟹工船』は『3月15日』と共に、発禁処分を受けてしまった。
また、銀行からは、解雇通知を受け取ることになる。
多喜二は、腹をくくった。
ペンで徹底抗戦するために、名前を変え、身分を隠して、各地を“転戦”する人生を選択した。

そして、運命の1933年2月20日。
非合法組織の同志と会うために、都内の路上にいた所を、スパイの通報によって逮捕される。
この時、逃げようと走り出した多喜二に向かって、特高は「泥棒!」と叫び、周囲の人間が、正義感から彼を取り押さえたという。
同日夕方、転向(思想を変えること)をあくまでも拒否した彼は、特高警察の拷問によって虐殺された。
…まだ、29歳の若さだった。
※3時間の拷問で殺されたことから、持久戦で転向させる気など特高になく、明確な殺意があったと思われる。

彼の亡骸を見た者が、克明に記録を残している。

「ものすごいほどに青ざめた顔は、激しい苦痛の跡を印し、知っている小林の表情ではない。
左のコメカミには、打撲傷を中心に、5、6ヶ所も傷痕があり、首には一まき、ぐるりと細引の痕がある。
余程の力で絞められたらしく、くっきり深い溝になっている。
だが、こんなものは、体の他の部分に較べると、大したことではなかった。
下腹部から左右のヒザへかけて、前も後ろも何処もかしこも、何ともいえないほどの陰惨な色で、一面に覆われている。
余程多量な内出血があると見えて、股の皮膚がばっちり割れそうに、ふくらみ上がっている。
赤黒く膨れ上がった股の上には、左右とも、釘を打ち込んだらしい穴の跡が15、6もあって、そこだけは皮膚が破れて、下から、肉がじかに顔を出している。
歯もぐらぐらになって、僅かについていた。
体を俯向けにすると、背中も全面的な皮下出血だ。
殴る蹴るの傷の跡と、皮下出血とで、眼もあてられない。
しかし…最も陰惨な感じで私の眼をしめつけたのは、右の人さし指の骨折だった。
人さし指を反対の方向へ曲げると、らくに、手の甲の上へつくのであった。
作家の彼が、指が逆になるまで折られたのだ!
この拷問が、いかに残虐の限りをつくしたものであるかが想像された。
『ここまでやられては、むろん、腸も破れているでしょうし、腹の中は出血でいっぱいでしょう』と、医者が言った」


変わり果てた多喜二の亡骸を悼む友人たち(北海道新聞)

警察が発表した死因は、心臓麻痺。

母親は、多喜二の身体に抱きすがった。
「嗚呼、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」
そして、傷痕を撫でさすりながら、
「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」と泣いた。
やがて涙は慟哭となった。
「それ、もう一度立たねか、みんなのため、もう一度立たねか!」

特高の、多喜二への憎しみは凄まじく、彼の葬式に参列した者を、式場で逮捕する徹底ぶりだった。
彼の死に対して、文壇では志賀直哉だけが、
“自分は一度、小林に会って、好印象を持っていた、暗澹(たん)たる気持なり”
と書き記した。
この国の文学界は、沈黙を守ったのだ。
どの作家も、自分に火の粉が降りかかることを恐れたためだ。


多喜二が、小樽に自分で建てた墓

多喜二の墓は、南小樽の奥沢共同墓地にある。
僕は、墓石の裏側を見て絶句した。
「昭和5年6月2日小林多喜二建立」

昭和5年(1930年)といえば、『蟹工船』発表の翌年だ。
多喜二は、『蟹工船』によって警察にマークされ、5月に初めて逮捕されている。
そして、墓を建立した3週間後に、再逮捕&起訴されており(『蟹工船』で不敬罪)、
翌年1月まで約半年間、多数の思想犯が送られた、豊多摩刑務所に収容されている。
つまり、多喜二は、当局による弾圧を、日増しに実感するなか、保釈の隙をぬって、自ら“小林家之墓”を建てたのだ。
そこには、「いま建てておかないと、ペンを握り続ければ死ぬかもしれない」という、覚悟が込められているように見える。
墓建立の3年後、多喜二は絶命した。

※多喜二の訃報を聞いた、中国の作家・魯迅は、次の弔電を寄せた
「我々は知っている、我々は忘れない、我々は固く、同志小林の血路に沿って前進し、握手するのだ」

※後年、多喜二の弟が、兄の思い出を語っている
「地下活動していた兄を訪ねたときに、2人でベートーヴェンを聴きました。バイオリン協奏曲です。
その第一楽章のクライマックスで泣いていた、兄の姿が忘れられません」


●『蟹工船』は、既に著作権フリーになっており、青空文庫にて無料で読める。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html

●読んでいる時間がないという方は、「マンガ蟹工船」がお薦め。白樺文学館がPDFファイルで公開しており、なんとこちらもダウンロードが無料。
http://diamond.jp/series/brandnew/10086/

※上記PDFファイルを読めない方は解凍ソフトを落とせます(無料)。
http://www.adobe.com/jp/products/acrobat/readstep2.html

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「日本はアメリカの核の傘に守られてなどいない。アメリカの人質だ」by『被ばくした少年』谷口稜曄氏

2013年08月16日 | 日本とわたし
前回の記事の続きです。

「私たちは日本は完全にアメリカの人質のなかにある」谷口稜曄氏8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)

私たちは、日本は、完全にアメリカの人質のなかにある

岩上:
あのー日本はですね、いま、急速に右傾化していると言われています。
中国と韓国と、急にぎくしゃくし始めてですね、
そして、北朝鮮のミサイルの脅威に対抗するために、敵基地攻撃論をする。
つまり、相手の基地を最初に攻撃しよう、先制攻撃をやろう。
というような事まで言い始めてですね、そして、一部の、核武装をしようなんて言う声まで上がっていますけれども、
これは、願ってきた世界から、かなり遠い事になってしまっていると思いますが、この点について。

谷口:
日本はね、憲法に記されているようにね、武力は持たないと、戦争はしないと言って、それから68年間、そうしてきたわけでしょ。
その中で、結局よく言われています、憲法の中でもね、もし争いがある時には、武器じゃなくて、人間的なもって解決していく、という事になって、
そこが結局、忘れてしまったような状況になってきているけどね。

あと一つはアメリカね。
なにか、「アメリカ」「アメリカ」って、私たちは、日本は、完全にアメリカの人質のなかにあるとね。

岩上:
属国みたいになっていますね。

谷口:
なんかそうだから、「アメリカの言う事を聞かなきゃいけない」ということをね、
なんか特に、今の安倍総理は、そんな状況が強くなってきているということでね。
だからこういう事ではね、本当に、日本国民を苦しめるばかりじゃないかと。
まだ、世界から認められるような状況にはなっていないわけだから、だからそうなってくるから、
結局一番近い、北朝鮮とか韓国とか中国とかはね、結局日本と、これは親しくは出来ない、という事になってくるんじゃないかなと。
なんか、一番近いところとですから、仲良くしなきゃいけないんじゃないですか。
その事が結局、今後災いしてくるんじゃないかとね、


国民を分断

岩上:
一方で、参院選は本当にですね、なんというか、複雑な思いをするような結果だったと思います。
自民党が圧勝して、維新の会も含めて、憲法改正という勢力が大半を占めました。
憲法が改正されてしまうかもしれない。
日本国憲法というものが変わってしまうかもしれない。
しかも、自民党の改正草案を見ると、憲法9条の2項のところだけじゃないんです。
基本的人権から、言論の自由から、果ては「拷問を受けない、絶対に禁止する」というのが絶対じゃなくなっていたり、ものすごい内容なんですけど、
ご覧になったかもしれませんが、この自民党の改憲草案を見て、憲法改正発議可能な3分の2の議席を獲得してしまった、という状況について、
どのようにお考えになっていらっしゃるか、ちょっと。

谷口:
結局3分の2というのは、なぜ3分の2かといえば、それは反 にはね、簡単に通らないということ。
その事は結局、国民に対して、本当に、よからぬ事を言う人たちが沢山いるんじゃないかと。
その動きとして言えるのは、結局、
平和運動する人間はアカだ」とかなんとかこんなことを言って、
これはアカなんじゃなくて、それは人間としてね、人間が正しい事をやっていることなだけであって、それをアカ攻撃する。
それを言ってね、結局国民を分断して
、道具使うという事はけしからんという事でね。
だから、それだから結局、中国だってね、あまり仲良くしようとしないわけだ。
北朝鮮だってそうだよね。
だから、そんな日本政府ですから、今、非常に危険な状況になってきているという事で、
特に、参議院選挙以後安倍総理がね、帰ってきて、一回、安倍総理が、総理になった人間がね、一回辞めとって、
それでまた再度出てきて、また、昔考えていた事をね、やりなおそうということは、けしからんと思いますよね。

岩上:
第二次世界大戦の総括というものも、やってないような状況だと思うんですけれども、
なぜあんな戦争がね、むごたらしい事が続いたのか?ということが、本当の意味で見直されて、まだいないと思うんですけれどね。
そういう状況で、もう一度もとへもどそうという、

谷口:
そうですね、結局もともとは、アメリカだってね、日本と戦争をして、それで日本人だという事でね、刑務所へ入れた。
それでまた探して、アメリカ政府はね、補償してきたわけ。
ドイツだってそういう事をやってきた。
日本だけ、全くそういう事をしていないわけだよ。

岩上:
個人に対する補償をしない。

谷口:
結局、全く国としてね、人間として、全く違うようなね、人間じゃないかと。
あるいは、それを今度は、信じていく人間が増えていくという事でね、人間にとって多くのね、人たちが増えていくという事だと思いますね。
だから、日本が、本当に危険な状態になっていくんだという事でね、


半分も選挙に行かない人が増えてきた

岩上:
これは、何が悪いんでしょうか?
政治でしょうか?それとも教育でしょうか?メディアなんでしょうか?
それとも、たとえば日本に対してですね、親分風を吹かせて何でもいう事を聞かせる、アメリカの右傾化みたいなものが影響しているんでしょうか?
それとも、日本人一人一人、の性根の問題なんでしょうか?

谷口:
結局一つは、アメリカの右傾化というのは、その事は、日本で上がってきていると思いますね。
その中で結局、日本が行う教育の問題ね、教育の問題にしたって、盛んに政府は、いろんなところに首を突っ込んでやると。
その教育の問題にしても、本当に、子どもたちをのびのびと出来る教育をやらせないで、
それをやらせようとするとね、差別をしてそうやっていかないようにつくっていると、
それは保育所とかね、そんなところから始まっていくわけでしょ。
その事は始終、そんな事をやっている訳ね。

その事が、今度は、浸みこんだ人っていうのはね、そういう人たちでしょうね、危険だっていうのはね。
ま、今度の参議院選挙を見たってわかる通りね、本当に、今の自民党の政府が言っているような事が、正しいなと思っている人たちが多い。
だからそうやってね、  がそうなる。

だから選挙にしたってね、もっと根本的に考えなきゃいけないんじゃないかと。
いくら(投票)したって一緒だとね、(選挙に)行ったって一緒だっていう人たちが増えてきたってことでね、
それじゃ結局、半分もね、半分も選挙に行かない人たちが増えてきたと。
それだったら、結局選挙そのものがね、認めているという事、それ自体が間違っているんじゃないかと。
だから本当に、3分の2以上の人達が選挙に関わって、せめて3分の2以上ね、そういう人がしなきゃいけない。

それから憲法問題ね、憲法も、3分の2で、いま賛成って言っているけれども、それじゃ結局困るからという事で、半分にしようという。
だから、一番大事な選挙についてね、これはもっと考えなきゃいけない。

岩上:
投票率が低かった場合は、その選挙を無効にするとか、そういう国がありますよね。
だからそういう、投票率が低いままにその結果を受け入れて、
ごく一部の人間の意思だけで、国が生まれてくるのはダメ
だっていうお考えですよね。

谷口:
そうですね。それはダメだというね、ま、そういうことで。


次世代へ伝えていく「戦争の苦しみ、最終的には原爆になる」

岩上:
あの、最後に、この長崎の方は世代を継いでですね、原爆の恐ろしさという事を、原水爆禁止運動という事を、おやりになってきたと思うんですけれども、
これから先、原爆、そして原発、そして戦争、戦争可能な国の形づくりみたいな事、
これらにストップを、歯止めをかけたいと思うのであれば、なにをね、今後していくべきなのか?どうしようとお考えなのか?
大変、そのお歳ですから、ご自身で全部やれるわけではないと思うんですけども、
若い人たち、一緒に出てきた人たちやなんかは、皆さんどのようにお考えなのか?
ご希望を持っていらっしゃるでしょうか?

谷口:
そうですね、実際に、私たち戦前を生きてきた人間と、戦後を生きてきた人間。
その中で、私たちは、戦争の苦しみというものをね、絶対に出来ないんだと。
戦争の苦しみはね、最終的には原爆になるんだという事をね、
その事を、若い人たちに、ずっと伝えていかなければいけない。
その事を、若い人たちに、真剣に考えていってもらいたいと。
そういう事を私たちはね、特に、広島とちがって長崎の場合はね、ちいさな子どもらも含めて、
核兵器廃絶という事と平和という事についてね、教育の場においても真剣にやっていると、それはやらなければいけないんだと。
だからその事を、今の若い人たちが、私たちの言う事をね、引き継いでもらいたいと。
その事を、次から次へと、子どもたちに伝えていってもらいたいという事を願っています。



日米安保条約

岩上:
あの、ひとつだけ、1点だけ聞き洩らした事があって、申し訳ない。
あの、これ、他のところでお話になっている事なんですけれども、
原爆を投下した後の話ですが、1958年ですかね、原爆投下時のトルーマン大統領が、
「原爆を投下した事は、良心の呵責は感じない」という事を発言したと。
大変、皆さんは反発をされたわけですけれども、この年の4月、衆参両院で、原水爆の禁止の決議をしたと。
長崎に原爆病院が出来たのは、この年の5月。
ま、この日本では、反対の声が高まっていった、その時に、安保の問題が揺れて、
で、現在の安倍総理のおじいさんの岸さんが、総理をやっていてその頃総理、岸総理ですね。
それから防衛庁長官から、
自衛の範囲なら、核兵器の保有もいけるんじゃない」とか、
あるいは、
防護用の核兵器は合憲」という言葉も出ているというふうにこれ、別なところで発言されていますよね。

今これ、昔の話だとずっと思っていた事なんですけど、今、孫のね、安倍さんが、ここまで右傾化した政策やっている。
なにがなんでも原発を止めないという事を考えていくと、

これはですね、この時のね、60年安保の時の事の、岸さん達が言った事の危険性が、もう一回甦ると思うんですけれども、
やっぱり政治家はね、あの頃考えていた事を、ずーっと諦めないで。もう一度、その初志を貫徹すべく、
どんなに国民が被ばくしようと、原発を保持し続けて、プルトニウムを持ち、原爆をつくろうとしているんだと、
やっぱり考えざるを得ないと思いますか?

谷口:
私たちは特にね、広島長崎の被ばく者の中で、このように苦労して、また国に対して話をしてきた。
その中で、結局国会に対してね、いろんな事を言ってくると。
それでもう一回ね、東京の真ん中にね、原発を持ってきたらどうなるのかと。
そうしなければ、私たちが言っている事を分かってくれないのかと、そういう事を言ってきました。

ま、そないして右傾化していくという事をね、ましてや60年安保闘争というのは、これは結局、アメリカというのは、日米安保条約での改定闘争ですけど、
これでどうなったのかというとね、その中で結局、労働組合の中でもね、差別されて、結局この人達がね、解雇されたという事もありますね。

岩上:
労働組合の中にいても、原水禁運動にかかわっていた人が差別されて、首を切られた
そんな事があったんですね。あー。

谷口:
その中で、結局原水禁運動がね、1955年に始まったわけですけど、そんな中でね、その運動が分裂していくという事、
それは結局、いま言ったね、昔は、原水協だけでやってきたのをね、原水禁とか、原子力はっきん会とかいろいろと出てきて、
核禁会議というのは、もともと自民党のね、ですからね、これが作られてきた。
その次に。結局おまけという事で作られたのが。原水禁ですね。
その中で、もっと作っていったのは60年安保闘争、その中で、きちっと準備されてきているのね。
それになれるのか?っていうと、昔はね、核兵器廃絶と被害者救援は、車の両輪だと言ってた
それが、60年安保闘争のその後に、総評の、定期大会の議案書に、核兵器廃絶の事は載っているけれど、被害者救援が載ってない
どこへ行ったかというと、被ばく者がね、弱者救済というところに回ってた。
被害者は、弱者救済に入るんだと。
国が起こした戦争の責任であり、世界で初めて使った核兵器の被ばく者であると、
その事を、それを結局、“弱者”ということはね、どういうことなのか
?と

そんな事を言ってきたのは、ほんのわずかしかいません。
それから、原水禁からの分裂があり、それで結局、核兵器廃絶のね、原発のね、 というのがでてきたと、そういうような状況ですね。


アメリカの核の傘

岩上:
64年にはね、中国が核実験を行って、それを口実として、アメリカの傘のもとの日本が始まった、とおっしゃったりしてますけど、
アメリカの核の傘という中に、日本は居るんだと思っている人は多いと思いますし、
それが無くなったら、日本は立ち行かないと思っている人もね、少なくないと思います。
この点についてはですね、どのように思いますか?

谷口:
アメリカの核の傘というのはね、私はね、いつも言いますけど、単純にね考えて下さいと。
アメリカは降るからね、傘をさすんだと。
アメリカの核の傘は、雨が降らなくてもね、雨が降らなくても、そのアメリカの核によって日本を守ってやるんだと、
その事を、日本の政府が受け入れて、そんなことをやっている。
だからこれは、全く、「傘というのは間違いである」と私はいつも言いますが、そのことですね。
だから、アメリカは核があるから守ってくれると、それは全くのウソだと。
それは日本は、先程から何回もいいますけど、
日本はアメリカの人質みたいな事だ」というとね、
なんかそこで、完全に日本が独立するんだったら、  するべきじゃないかと。
そしたらその中で、沖縄の問題だってそうなんですよ。
沖縄だって、日本に言わせるとね、日本の政治家の中には、
「沖縄はね、日本の国としてね認めてないんじゃないか」ということを、
昔から、琉球政府と日本と違うんだと。
だからそういう、アメリカなんか、沖縄返還のときだってね、
結局返還すると言ったけれども、日本と違うんだと。
だからそこにアメリカが入って来てね、(基地を)置いていいんだ
と。
いうことで、未だにその事についてね、沖縄についてはその  につくっている。
だから、私は、沖縄はもともとね、台湾もそうですけどね、台湾も総督となっていて、日本が支配していた。
沖縄だって、沖縄政府としてね、琉球政府として、それを日本が取り上げて支配している。
その事が影響してね、いまやっている。
だから、アメリカはアメリカで、と言っているけど、全くのそれはウソなんだと。
核の傘に甘えていては、それは全くのウソなんだと。

日本の政府や政治家が、アメリカに対してね、国民にウソを言ってね、裏取引の材料としているといってね、その事をいつも言っている。
だから日本は でね、だから北朝鮮の問題だって、あれはアメリカを狙う事にして、ミサイル発射したと。

確かに、北朝鮮からアメリカの本国までは、とどくはずがないよね。
だけど、日本にあるアメリカの基地。そこをね、狙っているんだとね。

それが北朝鮮のミサイルなんだと。
だけど、アメリカ本国を攻撃しているわけじゃない。
日本から飛んでいくわけですから、
飛行機が飛んでくる一番近いところをね、そこを攻撃しなければいけない」というのが、北朝鮮の考え方じゃないか。
だからその事を、結局日本は、日本国民には、近いアジアのことを考えなくて、
アメリカとの政府とは、騙されるか騙しているか分からないけど、どっちが騙しているか騙されているかはわからないけど、
日本政府がの国民をだましているという事ね。
それは結局核の傘に居て守られているというね、こんなことの言い方をするとね、

岩上:
アメリカは、日本をずっと組み敷いてきて、そして「核の傘でお前たちを守ってやるからな」と恩着せてくる訳ですけれども、
そういう状況がずーっと、これからも続いていくというのは、
アメリカに対して、
「核を投下したのは人道上の犯罪でしょ」
「あなた達は間違っている」
と。
で、「補償しなさい」
そして「謝罪しなさい」
そして「核を止めなさい」
という事を、日本からアメリカに向かって言われるというのは、アメリカはとても怖がる事だと思っている。
だからこそ一方で、安保によって支配しながらですね、核の恩恵をですね、恩着せがましくも言い続けているように思うんですけど。

谷口:
そうですね。

岩上:
どうでしょう?それ。

谷口:
結局私たちは、実は、アメリカの安保条約でね、国民を騙してね、ここで何も言えなくてね、

岩上:
サンフランシスコ条約ですね。

谷口:
結局アメリカは、吉田茂のサンフランシスコ条約は、そんな日本国をだまして条約をむすんでしまったんだというね、
その事は、吉田というのは右翼的な人間で、それを引き継いでいるのが今の右翼団体。
あいつは  などうなというのがったね、安倍総理はじいさんばあさんのやってきた、だから佐藤栄作だってその にはいっていってね、

だから私は、あくまでも、アメリカとの核の問題を、切り離さなければいけないんだと。
それで、憲法で保障されている、世界の人達と仲良くしていくというのがね。
アメリカとだけ仲良くするんじゃなくて、世界の人と仲良くしていくんだと。
その事を言って、国民の前できちっとしなければいけない。
そういう事を、世界に向かってちゃんとしなければいけないんだ
という事ですね。

岩上:
わかりました。
これは次の世代、その次の世代に語り継がれてですね、日本の平和を守っていく。
その大事な心のよりどころのようにしてですね、この体験が伝えられていく。
そういうふうに信じていらっしゃいますか?

谷口:
そうですね、そうしなければいけないというね。
一被ばく者の言っていることであっても、過去をね、現実を知ってもらうために話した事であるという事でね。
僕はこの事を、みなさんに知ってらいたいと。
あと一回、あと一回と、この歳ではね、来年まで持てるか、再来年まで持てるか、もう、先々も分からないわけだから、
ただこの事を、自分は引き継いでもらいたということでね。

岩上:
わかりました。
いま、御歳84歳になられて、あのー、本当に、体調の悪いところを無理してお話しいただきました。
どうもすみません、長時間の話をありがとうございました。

谷口:
私も恐ろしくて、去年と2年続けてね、肺炎で入院しまして、で、去年も2カ月に一度はね、が併発しまして、非常に疲れるんですね。
もう、とにかく、こうやって起きているのも辛いぐらい。
家にいたら寝てばっかりみたいで、寝ているとすぐにね、動けなくなるんじゃないかと思ってね、無理しておき上がってね、
こうしてなんか話をする時も、今日は咳が出なかったけどね、咳が出ると困るんですね。
咳が出ると痰が出るまでってね。
咳が出ると、今度は鼻水が出てね、涙まで出る。
たんが出ると、一応それで止まる。
だからこれはおかしいと、今年になって特に、そんな事でね、なんか、体質がまた変わってしまってね、
こんな話しててもね、先程から気になっててね、咳が出ないかな、出ないかなと、気が気でならない。
咳が出るとやはり苦しくてね、もう胸が張り裂けそうで、先ほど言ったね、ろっ骨まで骨が腐ってしまっていますから、
これで呼吸器が圧迫されていますから、肺を圧迫しますのでね。
だから私は、普通の人の半分以下ですね、肺呼吸はね。
だから、病院から毎週、呼吸器の検査をしてね、身体障害者の手帳を貰って、それから肺が焼けてしまって、それから人工呼吸ができないということで、
いかに苦しいかという事ですよね、呼吸ができないという事はね。
ときどき下を向いて息を吸うとね、気持ちがいいんですよ。
そんな状況ですから。

岩上:
良かったですよ、本当にね、その……咳が出ないでね。
あの、大事になさってください。
その……来年まで持つかどうかなどと言わずに、僕の親父も、89まで元気でしたし、あの、戦争も行きましたけれども、つい数年前に逝きました。
長生きを、ぜひなさっていただきたいと思います。
ということで、大変体調が悪い中、お話をしていただきました。
谷口さんでした。
長時間の御試聴、ありがとうございました。
谷口さん、本当にありがとうございました。

谷口:
どうもありがとうございました。

ーーおわりーー

↑以上、転載おわり
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『焼き場に立つ少年』と『被ばくした少年』…このふたりは叫ぶ。戦争も核も、この世から消してしまえ!

2013年08月16日 | 日本とわたし
あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?

この記事を書いたのは、今年の5月のはじめ。
そしてその記事のもとになったこの写真は、前から知ってたけれども、写真の背景についてはなにも知らんままにいた。

報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)

ふたりの息子を育てた後で、再び会うたこの写真。
腹の底から湧き出てくる悲しみと怒りに突き動かされて、黙々と文字起こしした。

そのオダネル氏は、自分のカメラに収めた少年のことが忘れられんと、あらゆる手を尽くして探しはったらしい。
オダネル氏はとうとう、『焼き場に立つ少年』とは再会が叶わなんかったけど、この、背中一面の悲惨なヤケドを負った『被ばくした少年』谷口稜曄さんと会い、言葉を交わすことができた。

その谷口さんが、岩上氏のインタビューを受けはった。
その、とんでもない文字量を、きーこさんが文字おこししてくれてはった。
いつもながらに大大大感謝!
昨日の失敗がまだ少し尾をひいていて、当分文字おこしはやめようと思ったりしてるヘタレのわたしは、きーこさんの爪のあかでも飲まなあかん。

3回に分けて文字おこしされたものを、2回に分けて載せさせてもらう。
谷口さんは少々早口で、言葉尻がとても聞き取りにくい。
そやからこの文字おこしの作業は、とんでもなくしんどかったと思う。
けれども、谷口さんの言葉のひとつひとつが、それはそれは大切な証言であり、それをひとりでも多くの方々に伝えたいという彼の気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
ありがとう谷口さん、ありがとう岩上さん、ありがとうきーこさん。

↓以下、転載はじめ

大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん
8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)


8月9日は長崎に原爆を撃ち込まれた日。
広島の原爆については、はだしのゲンはじめ、いろいろなところから、良く話を聞きますし、
このブログでも、肥田舜太郎先生や、橋爪文さん
8月6日の原爆の日の事については文字起こしをしました。

けれど、私は、長崎については、あまり知らない・・・、と思っていました。

この「有名な」と、岩上さんがおっしゃられた、背中が真っ赤に焼けただれている少年の写真。
私も何度も見た事がありますが、これが、長崎原爆で被爆した少年だったということは、初めて知りました。
そして、その少年が、長崎原爆被災者協議会会長になっていらっしゃるという事も、初めて知りました。

岩上さんのインタビューは、とても貴重で、大事なものだと思います。
ちゃんとお話を聞いて心に刻みつけるため、文字起こしをしました。

「核と人類は共存できない。核には、きれいな核も、汚い核もない」
岩上安身による谷口稜曄(すみてる)長崎原爆被災者協議会会長インタビュー

2013/08/09

岩上:
みなさんこんにちは。
ジャーナリストの岩上安身です。
大変暑い夏の昼下がり。本日は私、長崎の方に伺っております。



この、大変有名な、被ばくした少年の写真があります。
背中が一面焼けただれてしまった。
長崎の原爆によって被爆したわけですけれども、この方が谷口稜曄さん。
そして、本日お伺いするのは、その谷口さんです。
谷口さん、よろしくお願いします。

谷口さんは、日本原水爆被害者団体協議会、約して被団協という、その代表委員という事なんでしょうか?

谷口:
はい、そうですね。



岩上:
長崎原爆被災者協議会、こちらの会長もお務めになっている。
今ちょっと、お名刺の裏側の写真を、みなさんにお見せしたんですけれども、
この背中の具合はどうなんですか?
大変やっぱり後遺症がきつい状態にある?



谷口:
完全に焼けてしまっている関係でですね、結局、皮膚呼吸ができない関係で、非常に、夏というのは苦しいんですね。
特に今年は暑くてね、もう、背中が沸騰するみたいで苦しいですね。

岩上:
申し訳ありません、そのコンディションの良くない時にですね、お時間を少し割いていただきました。
今年は、長崎に原爆が投下されて68回目。
本日は、その68回目の当日に当たります。
そして、午前中から、式典も行われました。
ご出席もなされたと思いますけれども、我々も中継を行っていたんですが、
改めてですね、一般的な事でもあるんですけれども、68回を迎えての思いというものを、一言いただけないでしょうか。

谷口:
それはやはり、犠牲になっては、そういう事が出来ないですけど、
あらためて、68年目の8月9日というものを思い、否が応でも、生まれたのが大事、という日なんですね。
その当時、私は16歳で、爆心地から約1.8kmのところを、自転車で郵便配達を配っていました。

岩上:
郵便配達の仕事をしていた。
あの、思いだすという事は、大変お辛い事と思いますが、当時の忘れられない事ですけれども、
その郵便配達の仕事をしている時に、どのように爆発に出会い、大けがを負われたのか、ちょっとひとこと。

谷口:
結局、爆心地から約1.8kmのところを走っていて、後ろから焼かれました。
それで、空襲警報が解除になってね、配達を開始したんですが、
その時に、かすかに飛行機の爆音がして、「おかしいな」と思って をした途端に、あっという間の出来事ですよね。

岩上:
あー、なにか飛行機の爆音が聞こえて、おかしいなと思った瞬間に、閃光が走ったと。

谷口:
そうです。

岩上:
え…、あっという間の出来事だったと。

谷口:
結局、よく言われる3000度、4000度と言われるね、石や鉄を溶かす熱線と、目には見えない放射線とで、後ろから焼かれて、
次に、秒速で200億300億と言われる爆風で、自転車もろとも飛ばされて、道路に叩きつけられました。
道路に伏せていた時にね、「これじゃ死んでしまう」という、死の恐怖を味わいましたけど、
「ここで死ぬもんか」「死んじゃならんぞ」と、自分を励まして生きてきたんです。
そして途中で へ入って見てみると、ずーっとあった家はほとんど焼けてしまって、溶けてしまって、焼けてしまって、
近くで遊んでいた子どもが、こっちへ飛ばされてしまっていた。
それでまた、大きな石がね、直径31ぐらいある石でしょうかね、私の方をめがけて飛んでくる、というのも見えました。

そこでね、「ここで死んじゃう」と、死の恐怖に襲われましたが、「ここで死ぬもんか」「死んじゃならん」と、自分を励ましてきた。

しばらくして、がおさまって起き上ってみると、
左の手は、腕から手の先まで、おもりを下げたように皮膚が垂れ下がり、
背中に手を当ててみると、左側はなんにもなく、焼けただれたように黒く が手に付きました。
それで、乗ってた自転車を見てみると、車体も車輪も、使い物にならない位に曲がってしまってた。
あの時 でやったのが だと思います。
一滴の血も無い、痛みも全く感じない それも皮の状態 そのなかで、放心の状態でとぼとぼ歩いて、あれからは何処にいけば  火事で焼けたりしていました。

岩上:
あの、痛みが全くない状態というのは、どういう事ですか?

谷口:
結局、なんていうんでしょうかね、よく鞭などでピシャッ!と叩かれる時にね、アイタッ!って言うだけでね、痛みをしばらく感じない、そんなものだよね。
しばらくしてから、痛みが出てくる。
 ってしまえば 殆ど痛みってなかった。

岩上:
いつ頃、感じるようになったんですか?

谷口:
だから、結局なんていうのか、血は出ないし、痛みは感じないし、だから夢遊病者みたいにね、 の行き先は で焼いていったんだ。

岩上:
え、どこへ向かったんですか?

谷口:
その時、250ちかく離れた所にね、トンネル工場に避難しました。
途中で、先ほど言った、ここに飛ばされた子どもがね、一人の子どもは黒焦げになって死んでいて、ひとりの子どもは、何の傷もうけないで死んでしまった。
そういうのを見ながら、またまわりには、女性の人達は、男か女か分からない状態で それを見ながら、様子を見ながら、「どうしよう」という気も起らなかった。
で、トンネルまで行って、そこで、その中にいた女の人に頼んでね、腕に下がった皮膚が邪魔だから、それを取ってもらいました。

岩上:
手に下がって、皮膚が邪魔だからと、どんな状態で?

谷口:
結局、ここからダラーッと下がっている訳ね。
ここから剥げていて、ここに溜まって、ダラーッと下がっている。

岩上:
それは、背中の方からの皮膚?

谷口:
いや、左の手、

岩上:
左の手。

谷口:
左手。
背中はもう、焼けてしまっていますから、何もなかった。
これが、約1カ月後の写真です。



これが頭ですね、こっちがお尻の方です。
これが左手ですね。
ですから、これ、下は焼けていませんから、皮膚がありますけど、こう焼けたところは骨。
皮膚も何もなくて、骨ばかり。
ここに骨が見えてる。



下の方は、腐って溜まっていますけどね。

岩上:
なにが溜まっているんですか?

谷口:
腐って流れて溜まっている。



これ、真ん中に、黒いところがありますけど、ここは、15年経っても、この傷はふさがらなかった。



これは結局、芯の底まで焼けてしまって、石みたいのが出てくるんです。

岩上:
白くなっているのは、どういうことなんですか?

谷口:
これは薬なんです。

岩上:
あ、薬なんですか。

谷口:
ええ。

岩上:
これは、痩せてて、本当に、ご飯ものどを通らなかったんじゃないですか?

谷口:
そうですね、食べ物だって、今みたいにそんなに無いですからね。
こうやって、うつぶせに寝たっきりですから。
で、こいつは、これは半年位。

岩上:
あー、これは半年経って……。



谷口:
こっちは、アメリカのカメラマンの、ジョー・オダネルという人が写した。
こっちは約半年後で、アメリカの原爆、新爆弾調査の、ハーバード・スミスさんという人が写したもの。
これは なんかに記録されていますけれどもね、21年の1月31日に撮影。



こんな状態でですね、1年9ヶ月寝たきりですから、だから、骨が腐ってしまいました。

岩上:
骨が?

谷口:
骨が腐ってしまった。

岩上:
腐ってしまった。

谷口:
だから今でも、骨と骨の間からね、心臓が動いているのが、目で見る事が出来る。

岩上:
……。

谷口:
ピクピクッてね、動いている。

岩上:
心臓が見える。

谷口:
ええ、ピクピクッと動いているのが見えます。

岩上:
……いや……奇跡的ですね

谷口:
誰一人としてね、「生きる」っていう人はいなかったんです。
毎朝、看護婦さんが病室に出てきて、「今日も生きてる」「今日も生きてる」と、廊下でささやいてた。

このように被爆した関係で、トンネルへ入って、左手の皮膚を切り取ってもらって、
しばらくすると、そこへね、まだ攻撃されるかもわからないから避難所へ、と言われましたけど、
10分も過ぎてなかったかな、とにかく、自分の力で、立ち上がる事が出来なかった。
で 元気な人に背負われて、山の上の木の陰の、草の上に寝かされた。
そこで2晩過ごして、3日目の朝にやっと救出されて、なんか、2km離れている医者のところにおくられました。

ま、そこでも、しばらく治療は受けられなくてね、で、送られていって、それから3日ぐらい経ってから、
やっと傷から、血が少しずつ、じわじわと出てきました。

岩上:
それまで血が出なくて、火ぶくれのようになってたんですか?

谷口:
結局、全然血が出なかったね。
もうあの時に、完全に、血管からなにまで、全部侵されてしまったんでしょう。
だから、6日ぐらいしてから、やっと血が出始めて、それで、たまに、痛みがじわじわと襲ってくるけどね、
それは私にとって、まだ痛いというほどじゃなかったね。

それで、1ヶ月ぐらい全く血が ができなくて、9月になってから、やっと が出来るように多少はこう、
そこで 大丈夫だろうという事で に送られてきました。

そこで、一番初めにやったのが輸血ですが、輸血だって、血管に注射針をさせますが、入っていかない。

岩上:
注射が打てない。

谷口:
はい。

岩上:
輸血が出来ない。

谷口:
輸血でもね、入っていかない。
なんか、それで結局、内臓も全部、侵されてしまっていたんでしょうね。

岩上:
内臓が全部……。

谷口:
はい、心臓からなにから侵されてしまって、

岩上:
侵されてしまっていた。

谷口:
だから、そんな中で、あの時は、牛を殺して肝を持ってきてね、目の前に小さく切って、それを「生で食べなさい」と言われて、
「焼いたり炊いたりしたんじゃだめだ」っていうのね。

岩上:
焼いたり炊いたりしちゃダメだと、生じゃないと……。

谷口:
はい。

岩上:
どうしてですか?

谷口:
それは結局、血液がね、出来ないからでしょうね。

岩上:
たとえば、生のレバーみたいなものを食べると。そうすると、血を取りこめるという事ですか?

谷口:
そうでしょうね。
だけどその頃は、原爆症のことは、誰も知らないですからね。
なんか、そんな事をしてもよくならないし、ずっと日にちが経つにつれて、焼けたところが腐って、流れていくわけね。

岩上:
ああ……火ぶくれが大きくなって破れて、血が出て……腐っていくんですか?

谷口:
腐っていく。
そのやけどの写真のようにね、ただ横に溜まって、1日何回も、ぼろ切れでつまんで、背中を洗ったんです。

岩上:
痛かったですか?

谷口:
もう、痛いというんじゃなくて、苦しくて苦しくてね、もう痛みというのは、そんなに感じないわけですね。
もう、背部を鞭でピシャーっ!と叩かれてね、対外的に「痛い」っていうだけでね、しばらくは痛みを感じない。
また、そういうもんなんですね。

11月になって、今の の海軍病院ですね、いまは(高知病院?)になっていますけれども、そこに送られていきました。
それも、うつぶせのままでね、担架に乗せられて送られていって、
それからそうやってうつぶせになってて、さっきも言いましたようにね、とこも全部腐っていきますね。
 ってね、 になってしまいます。

まあ、そうしていきますけど、背中がだんだん腐って流れていくばかりでね、
結局そこで、アメリカが持っていたペニシリンを使いましたけど、これだってほとんど効果が無い。

岩上:
アメリカが。

谷口:
ペニシリンでね。

岩上:
ペニシリン。ああ、効果が無かったですか。

谷口:
ペニシリンっていうのはね、化膿止めですからね。
全然良くならないし、結局、やっぱり、そこら辺で、原爆症だって分かったわけですよね。

岩上:
原爆症。

谷口:
これは、ある特殊な薬を使いましたけど、
その薬というのは、戦時中に、軍の命令で、プロジェクトチームが作って、軍の海上点検(?)されてと言われています。
ナサは研究投与で をいかなくして、全部 してしまったわけね。

岩上:
え?な、なにが?

谷口:
終戦になって、プロジェクトチーム全部が、解散してしまった。

岩上:
あ、プロジェクトチームが解散しちゃった。

谷口:
それを したものを の にもってした。

岩上:
なんていう薬なんですか?

谷口:
それは、

岩上:
日本軍が作った薬なんですね?

谷口:
いやいや、熊本医大でね、研究されて、と言われています。
それを使ってから、血液が非常によく立ち上がって、そして傷が、徐々に良くなっていった。

岩上:
うなんですか。
それは塗り薬なんですか、飲み薬なんですか?

谷口:
飲み薬。

岩上:
飲み薬なんですか。

谷口:
それから結局、4カ月してですね、4カ月経ってやっと、傷が良くなっていくと。
その時は、主治医が看護婦さんにいってね、控室の壁に掛けられている、大きな鏡を持ってこられて、
こうやって、よくなっている傷を見せてくれました。
たいがい、傷の端の方から薄いシワがあって、よくなっていました。

岩上:
あー、そうですか。

谷口:
そうやって、21年の10月頃にね、 行ってて、1年9カ月経って、22年の5月にね、やっと自分の力でベットから できました。

岩上:
寝たきりだったんですね。

谷口:
それまで全く動けなくてね、寝たきりで。
ある日突然、「起きれるんじゃないかな」と思って、自分で、ベットで、自分の身体をずっと動かして、それで立ちあがって  して、
その立ち上がった時の痛みっていうのはね、これは誰も、そんなこと言っても信じないし、体験したことないんじゃないかと。
何故かというと、1年9カ月寝たきりですから、起き上がる時にね、頭から足に向かってね、血管の中を血液が流れていくのが分かる。

岩上:
頭から足へ流れていくのが、

谷口:
血液がずーっと、下へ流れていくのがわかる。
それがものすごく痛くてですね、ちょうど針を刺すような痛みでね。

岩上:
これ、背中を通る時が痛い、という事ですか?

谷口:
血液が。
普通はこう、寝たきりですから、普通は寝たきりで、 ないわけでしょ、
それが起き上がった時に、結局、血管の中を血液がずっと流れていくからね。
もうすごい、足だってどこにあるのか分からない状態にね、なりました。

岩上:
全身が痛いっていう事ですか?

谷口:
そうですね。
しばらくもう目を閉じてね、「エエイッ!」って我慢しなきゃいけなかった。
そうこうして を行っていって、3年7カ月経ったときにやっと、「退院しても良い」という許可が出ました。
普通だったら、「退院していい」と言われたら喜ぶんですが、私には喜ぶことができなかったね。

岩上:
喜べなかった、

谷口:
こんな体でね、社会に出て して、みんなと一緒に仕事ができるだろうか、自分に出来るだろうかと、
みんなはダメだと言わなかったけれども、情けなくて歯がゆくてね、
なんたって戦争が憎い、原爆が憎い。
世の中は、私にウソ言ってたと。
日本は絶対に負けないんだと。
お国のために、天皇陛下のために死ぬことは、名誉誉れと美化していってて、いわないでいて、
なぜ戦争に反対しないで  でいって、  なんで  たのかと、出てないと思った。

岩上:
天皇陛下のために死ぬのが日本人の誉れだ、というふうに言われてきたけれども、
ごめんなさい、ちょっと聞こえなかったんですけれども、
日本人がそのように生きてね、天皇陛下のために死ぬのが誉れだと言われてきたけれども、

谷口:
だからそのね  がねウソだったんだと。
まずはそんなことはないというね、
だから世の中の親たちはね、  だったんだと。
まだ16歳ですからね、子どもの時に被爆しているわけですから。
もうその頃というのは、本当に軍国主義をね、叩きこまれることばかりですよ。
だから、それが正しいとみんなが思っている訳ですよ、ね。

岩上:
正しいと思って。

谷口:
今でも、小さい子どもたちにいろいろと親が言うとね、それは正しいと思う訳ですね。
それと同じですね、子どもの頃はそう思ってました。
いざ退院してみた時に、 そんなね、思いましたね。
20年の3月20日に  が入ってきて、

岩上:
20年の3月20日、

谷口:
3月20日ね、24年ですね、24年の3月20日に が入ってきて、

岩上:
なにが入ってきたんですか?

谷口:
病院を退院して、長崎に帰って来た。

岩上:
ちょっと長崎から離れた病院だったんですね?

谷口:
大村ですから

岩上:
大村ですね。

谷口:
ま、その後ずっとですね、治療を続けていますけれど、退院して12日目に、元の職場にやっと復帰して、

岩上:
12日後には働きだしたんですか?

谷口:
はい。

岩上:
そうすると、もともと郵便配達の仕事。それに戻れた。

谷口:
その頃は結局、逓信省でね、郵便配達や電報やらが一緒だったけど、
23年に省が分割になってね、私は電通省に配属されて、そして今度は、郵便配達じゃなくて電報配達のね、

岩上:
電報配達…動けたんですか?

谷口:
結局それも、動かなきゃいけないと思ってね。
自転車に乗って、走りまわっていました。

岩上:
背中から血が出るとか、その、火ぶくれのようになっていてね、またこすれて、破れてというような、そんな事はなかったんですか?
もう、大丈夫、ふさがっていたんですか?

谷口:
結局、その後ずっと、次から次へね、あの…よくなくて、これまで14回入院してね、24回手術をしてます。

岩上:
24回も手術を

谷口:
24箇所

岩上:
24箇所。

谷口:
被害で言うと、皮膚を移植しなきゃ。
皮膚を移植しても、移植した皮膚はね、全くやられたところもダメになってしまうと。
これだってそう。



これだって全部ここ、これだけずーっと全部剥ぎ取ってしまって、ここが伸びない訳ね。
初めは寝たままで、 をしてるから、だから関節が変形していますよね。
だから、ここを延ばすために一応手術しましたけど、こっちは剥げてしまって、初めはこのくらいしか伸びなかった。
ずーっと今はこう、110度まで伸びます。
そしてここに皮膚ね、太ももからこんなに大きな皮膚を取ってきて、貼った。
その時は綺麗に、綺麗に貼ったけど、貼ったあとはこないしてね、貼ったけど後でこないになってしまう。

岩上:
初めは綺麗だったけど、変わっていっちゃうんですか?

谷口:
結局こんなにね、ケロイドになってしまう。
背中だってそうだね。
背中も始め、綺麗なのを持ってきて貼ったけど、全部、焼けたところは同じになっちゃうね。

岩上:
同じになっちゃう。変化してしまうんですか?

谷口:
そうだね。
だからそんな状態で、また悪いところは悪くなっていくし。

岩上:
ご家族は無事だったんですか?

谷口:
家族は、私の家はずっと、爆心地から約2.7km~8kmありましてね、
ある程度家の方は大丈夫でしたね。壊れていはいますけれどね。
 って、家族というのは非常に からね、複雑なところですから、そこに、私とお姉さんとおじいさんとおばあさんとね、
まあそこで、まずお姉さんが子どもをかばってね、いったけど、その子どもは、全然怪我も何にもしていなかったけど。
なんか、1ヶ月ぐらいが過ぎてから、甲状腺がいかれてね、2回手術したと聞いていますね。
その頃は2歳ですかね。2歳ぐらいね、女の子ね。
まあその、早くここ(甲状腺)に出たからいいんだと思いますね。
その後は全くね、今は異常が無い状況で、いま生活しています。

岩上:
今もお元気で。

谷口:
はい。

岩上:
ああ、よかったです。


一部の人の欲のためにね、戦わされてきたんだ

26;05
岩上:
あの、ものすごい御苦労をなさって、そして戦争、これは正しい戦争をやっているんだ。
そして、天皇陛下のために死ぬんだという思いで、そういう教育を受けて、そして、自分が原爆の直撃を受けてですね、
何年間か寝たきりで、社会に復帰して、そしたら社会ががらっと変わっていて、受け入れるのも大変だったと思うんですけれども、
世の中の価値観ががらっと変わっている時に、なんとか動いて働きだすのも苦しかったと思いますが、
そういう社会の変わりようと言いますかね、信じていたものが、全然違う事になっていた時の驚きとかは、どんなものだったんですか?

谷口:
そうね、
よく、いろんな人たちがね、「日本のために働いてくれた」と、これは今でも言いますけど、
誰が日本のために働いたのか?」という事ですよね。
本当に日本のために働いていたならね、こんなに国民は苦しまなくていいんじゃないかとね。
まさに戦後直後あたりはね、戦後直後、その頃になると食べ物はないしね、住むところも無いし。
そのなかでもね、言われますよね、「国のために働いた」って。
誰が「国のために」と言いだしたのか?っていうね。

今でもですね、「国のために亡くなった人たちをね、祭っているんだ」と、こう言っているけど、

岩上:
靖国神社ですね。

谷口:
ええ。
それだって、本当に国のためであったのならばね、日本国民がね、苦しまなくていい状態になっているわけですけれども、それが全くなっていないと。
だから、それが「国のため国のため」と言いながらね、それは確かに、戦争に駆り出された人達はね、亡くなっているわけ。
その人達は けど、それ以外のね、戦争に行かなかった人たちもね、ものすごく沢山の人達が殺されていった。
それは国のためにね、戦争をした、その「国のために」と一緒ですから。
だから、その事について全くね、知らないと目をつぶったような状況でね。


岩上:
今日でも目をつぶっているとお感じになりますか?

谷口:
そうですね。

岩上:
お感じになります。
国のためと言っても国民のためじゃなかった」という事ですか?

谷口:
そうですね。
一部の人のためのね、一部の人の欲のためにね、戦わされてきたんだということでね。
そういうふうにね、考えられていますね。


核と人類は共存できない

岩上:
あの、核廃絶を求める運動を、それからずっとやってこられました。
広島・長崎と原爆投下、この災禍を繰り返すまいと思って、運動をされてこられたんだと思うんですけれども、
同時に、その「平和利用」という言葉がですね、1960年代から始まって、それからずっと容認してきた原発がですね、大変大きな事故を起こした。
今ですね、「原発を止めよう」という声が上がっているんですが、推進派の人は、止めるどころかですね、これを輸出して再稼働して、
あろうことに今、猛烈な勢いで、軍国化を進めて、そして、
「原発を持ち続けるには原爆をつくるためだ」と、
「核保有するために必要なんだ」という事を、公言する政治家まで出てきましたよね。
石原さんみたいな、ハッキリと、そういう事を言う人が出てきています。

原発の事故、それからこれまでの運動の事、それから今後、急性向かいでですね、日本が軍国化しつつある事。
ちょっと沢山の質問になって申し訳ないんですけれど、今、どのようにご覧になっていますか?

谷口:
結局私たちはね、「核と人類は共存できないんだ」と。
核兵器は“核”という事でね、綺麗な核もね、汚い核も無い
人類は共存できないんだ、という事でね、そのことを。
そんな中で、原子力発電所の研修についても、昔はですね、初めごろは、原子力発電所はどこにつくっているんだ?と。
海の近くにつくって、海からきれいな水を引いてきて冷やして、そして海へ温かい水を流すんだと。
それがどんどんどんどん、その層がね、深くなって広がっていって。
だからそれがね、地球温暖化に繋がっているんだということでね。
しかし今はその事については、全く誰も言わなくなったのね。
その中で、今回の福島のね事故だって、ああやって結局 のと、自然のものじゃなくて、人がつくって人が壊したものであるんじゃないかと。
そんな中でも、今でもね、収束していないどころか、放射能が漏れて、どんどん進んでいるというね、
これについて、結局私はね、広島・長崎の被ばく者、放射能を浴びた被ばく者と、
それから、今原発から出ている放射能が、全く同じものであるという事でね。
だからこうやって、私ら被ばく者は、
原発をなくさなきゃいけないと言うと同時に、核兵器も無くさなければいけないと言ってきたわけです。

岩上:
ずっと、そうしますと、谷口さんとしては、皆さんとしてはですね、
原発はですね、核の平和利用だからいいんだ、という言い分には与しない(くみしない)と、あるいは、危険だというふうに、お考えになってきているんですか?

谷口:
そうですね。あれは絶対にね、あってはいけないものでね。

岩上:
原爆はもちろん原発も

谷口:
ええ

岩上:
あってはならない


長崎は完全に実験だった

谷口:
はい。
何故かというと、今、世界にある核兵器というのは全部、長崎型の原爆でしょ。
そこを遡ってみますとね、アメリカの人達はみんな言っているんだけど、
「戦争を早く終わらせるために正しかった」
それだったら、広島と同じ爆弾だけでよかったじゃないかってね。
それなのに、長崎に違う原爆をね、プルトニウム爆弾を使って
これは、長崎は完全に実験だった
んだと。
それが成功した。
そうやって結局、ずっとアメリカ政府はね、被ばく者の実態を調査して、そして、どんどん核兵器をつくっていった。
長崎の原爆が、そういうふうに成功したために、コロンビアのほとりに、原子力発電所をずっと増設して、
で、そこでプルトニウムをたいて、そして出てきたウラニウムをね、燃やしてプルトニウムを取り出して、そして、核兵器をどんどん作ってきたわけだ。
だから、そないしてやってきてね、それは結局、今だったら、5カ国がね、協定を結んでいるけど、
それ以外に、そこにかかっていない国がどんどん増えてきて、
そのなかで、被ばく国の日本政府だって、インドとか、パキスタンとかに、原子力発電所を建設をやると
原子力をやるって、「何を言ってるんだ」っていう事ですよね。
だから、今日も安倍総理がいましたけれど、そのことについて、田上市長も平和宣言の中で言ったように、
結局、原発の「政府がやっていることは絶対に許せない」という事を言ったけどね、

岩上:
「政府がやっていることは許せない」と、安倍総理に対して、長崎の被ばく者の方がおっしゃった。

谷口:
結局平和宣言として、田上長崎市長が、今日読みあげたけど、

岩上:
あ、平和宣言の中でね。

谷口:
その中でね、その事に触れています。
原子力発電の問題に触れています。

岩上:
あ、そうですか。
広島と長崎、よく簡単にね、遠くからみている人にとっては、同じように捉えられるんですけど、
やっぱり1発目と2発目では意味が違う。
それと、2発目はプルトニウム型だった。
実験だったと。
それから、移行の運動が、そういう事によって、やっぱり影響を受けているんでしょうか?
広島の市長がですね、今回、実際そうは言いませんでしたが、「原発と原爆は違うんだ」と。
原爆はひどいんだけど、原発に関してはですね、容認するような発言をすると言う話が、産経新聞とかに書いてありました。
実際、そんな言い方ではなかったようですけれど、広島と長崎とでは、今日も運動している方も、一般の市民も行政も政治家も、温度差があるんでしょうか?

谷口:
それはやっぱり、長く生きているとね、ありますよね。

岩上:
ありますか。

谷口:
まぁ、人間的なものもあるかもわかりませんけれど、 がちがうのがあります
だから、広島の場合はね、先ほど言った核兵器廃絶という事については、真剣に捉えていますけど、
原子力発電所の問題についてはね、まったふれていなかったというかね。

岩上:
これまでもね、うん。
それじゃ、長崎の方が、より徹底して、原発も原爆もダメだ、と言うような事を言う方が多かったり、そういう話し合いをしても、そういう見解が多いと。

谷口:
そうですね。
だから、市長の宣言も、そういう宣言を作るのも、全部が集まって、その中で検討して出来上がっていく訳。

岩上:
あ、そうですね。
これは、広島は市長が書くけれども、長崎では委員会を作って、市民のみんながかかわって、話し合って作ると聞きました。

谷口:
そうですね。
そのなかにも、時間的なね、いろいろと事がありましてね、長くは出来ない部分もありますけれどね。

岩上:
だからそこで、市民の声が寄せられる過程で、やっぱり311の福島の原発事故は、
これはやっぱり、相当深刻に受け止めて、「原発はダメだ」という事に思いを込めようというのが、
長崎のそういう人たちの総意、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、思いは大方の思いになっていますか?

谷口:
そうですね、はい。そういうことです。

文字数制限のため、次の記事に続きます。
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人生勉強

2013年08月15日 | ひとりごと
日本が酷暑でうだってるというのに、こちらは冷夏で掛け布団を一枚追加した。
最高気温でさえ25℃前後、夜などは13℃にまで下がってしまい、窓なんか開けてたらさぶくてしゃあない。



さて、旦那とわたしが、海辺でボォ~ッとしてた時、次男くんのガールフレンドまなつちゃんが、えらい災難に遭うてた。
ひと言で言うと、詐欺に遭うた。
彼女の妹が、半年ばかり、マンハッタンの語学学校で勉強するということになり、
独りで渡米して、こちらの大学を卒業し、今は自分の夢に向かってインターンをして頑張ってる彼女は、
自分と同じような苦労や思いをさせたくない、うんと楽しく過ごせるようにと、毎週末になるとアパート探しにマンハッタンに出かけてた。

詳しい話や経過を全く知らないまま、アパートが見つかったこと、そこは学校に歩いて通えて、周りの環境もすごくいい所だと聞いて、我々も喜んでた。

ところが……。



妹ちゃんが日本からやってきて、さあアパートにという時になって、仲介者にも、部屋のルームメイトにも、全く連絡がとれなくなった。
部屋の鍵を持ってる女性が、家族に急な問題が発生したとかで、フロリダに行ってしもた、などと言う。
すべては、Eメイルでのやりとりで、契約するにあたっての家賃一ヵ月分と委託金は、相手の銀行口座に振り込んでしもてた。
まなつちゃんはそら、真っ青になって慌てたやろうと思う。
結局、彼女がプリントアウトして持ってる、契約に関する書類は、次男くんですら、目を通してすぐに、なんでこんなんで契約になる?という、かなりチャランポランなもんやったらしく、
全部ひとりでやろうとした彼女の頑張りが、あだになってしまい、警察に届けようにも、相手が特定できんケースとして、どこの警察もまともに受け付けてくれんかった。

我々が海に行ってた間に、まなつちゃんと妹ちゃんは、必死で新しいアパートを探し、とりあえず8月の間だけ住めるハーレムのアパートを見つけた。
次の所はまだ検討中。



落ち込むまなつちゃんに、なんと言葉をかけてあげたらええのかと思いあぐねてたのやけど、
よう考えたら、このわたしこそ、子どもの頃からええ年した大人になるまで、なんべんも騙されてきた。
そや、まなつちゃん、あんたはひとりやないで、ここにもおるで!とばかりに、いろんな騙され話の中から、こちらで騙された話を選んでしゃべった。



あれは、こっちに引っ越してきて少し経った頃のこと。
中学の頃からの相棒で、わたしの家のゴタゴタにも十分過ぎるほど巻き込まれ、時にはやくざの家に、時にはどっかの倉庫に、時には三畳のボロボロの畳の上に、時にはすぐ下に排水溝がある湿気100%の部屋に置かれて、
満身創痍の、時には戦友、時にはなぐさめ役、時にはいじわるい友人やったピアノは、こちらに引っ越す際に、エイッとばかりに、ピアノを持てずに困ってる音大生にあげてきた。
ピアノなんか、そうそう簡単に買えるもんやないとわかってたけど、やっぱり家の中にピアノが無いというのはかなり落ち込んだ。
仕事もいつかは始めなあかんのやしと、旦那の父が半分出したるから、思い切って買えと言うてくれたので、
それならばと勢いこんで、丁度その頃、新聞の広告に入ってたピアノフェアの会場に行って、試し弾きしながら、値段とも相談しながら、まあこれやとまあまあ満足できると思たピアノを買うことにした。
契約の際に、AS IS という項目にチェックを入れなあかんかったのが気になったけど、新品のピアノなんやし、滅多なことはないやろと、旦那と話し合うてサインした。

ピアノが運ばれてきて、部屋にセットされ、運搬の業者にチップを払い、さあ、まずは磨いてやろうとピアノのフタを閉めた時、直径5センチぐらいの、板が剥がれて欠けてるところが目に入った。
え?なにこれ?
運送中の事故かな?
慌てて運送会社に連絡した。
絶対にそんなばずはないと言う。
分厚い布でグルグル巻きにしてたんやからと。
では、グルグル巻く時に、その傷に気がつかんかったかと聞くと、気がつかんかったと言う。



これでは埒があかんので、支払いをしたピアノ屋に電話をかけた。
全く誰も出ない。
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も……。

悔しかった。
そういや、会場でもずっと、ピアノのフタが開いてた。
うちに運ばれてきた時も、やっぱり同じように開いてた。
開けてると、丁度その折り目の中に隠れて、見えへんとこに傷がある。
AS IS(ありのままで)というのは、こういうことやったんやな、と旦那はあっさりと降参し、それがまた悔しくて腹を立てた。
ファックスしたり、Eメイルを書いたり、電話をしたり、毎日毎日悔しかったし、腹を立ててた。
自分で自分を詰ったりした。
あっさり諦めて、わたしと同じように悔しがってくれへん旦那を恨んだりした。
ああこれは多分、なんぼ頑張っても粘ってもあかんな、ということに気づいたら、気分を変えて、人生勉強させてもろたと諦める。
そういう旦那の言うことを受け入れられたのは、かなり時間が経ってからのことやった。



そんな話を、まなつちゃんと一緒に聞いてた次男くんが、

「僕も騙されたやん、覚えてる?」と言い出した。

初めての、ゲームの世界大会やったEVOに出場するために、ラスベガスに行った時のこと。
次男くんはその時、ネットで見つけたえらい高い時計を買おうとしてて、その売り主と支払いのことで話してるうちに、なんかどうも怪しいと思たので、
丁度その相手がラスベガスに住んでるってんで、代金を直接手渡ししたいと申し出た。
行ってみるとやっぱり、インチキをしようと思てたみたいで、その話はおじゃんになったのやけど、
ホテルの同室の、ゲーム仲間の友だち数人に、いやあ、騙されんでよかったわ~という話をし、その額が500ドルであることも打ち明けた。
朝起きたら、財布から、その500ドルと、彼のグリーンカードが抜き取られてた。
もちろん、友だちにひとりひとり聞いて回ったけど、誰も知らんと言う。
次男くんもまさか、親しくしてるゲーム仲間がそんなことするやなんて……と、なんとも複雑な気持ちで、帰りの旅費を工面するのに散々苦労して戻ってきた。



みんな、騙されてるやん、けっこう。

まなつちゃんの重たい気持ちが、ちょっと軽うなったみたいな気がした。

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安倍晋三の歴史的評価は、最悪の原発危機収拾に何を実行したか何をしなかったかというその一点で決まる

2013年08月14日 | 日本とわたし
たった今、朝からずっと、仕事や家事の合間を見つけては、コツコツ文字おこししてた、58分の動画のうちの40分ぶんの文章が、パソコンの操作ミスで消えてしもた
ただ今、か~な~り~落ち込み中……

今からもう一度、始めからやり直すエネルギーは無いので、あとひとつ、書いておきたかった記事を、代わりにここに載せようと思う。
ああ、それにしても残念無念……。

この記事の内容は、コラムニストであるペセック氏個人の見解であるのやけども、全く見事に、わたしが考えてることと重なってるので、ぜひ残しておきたいと思た。

『安倍晋三は、福島原発の処理は万事順調だと装う、3人目の首相となった』

この言葉はまさに、日本の悲劇を表してると思う。
福島原発の現実、被災地の現実、放射能汚染の現実を、経済やの外交やの軍事やの条約やのオリンピックやの憲法改正やの、
ほんまはせなあかんことをまるで実行せんと、無視し続けてる姿は、外の人間から見ると奇怪とさえ思える。

大平洋に流れ込んでる大量の汚染水は、可視化できるほどの勢いで、この2年間、毎日毎時毎分毎秒、地球の海を汚し続けてる。
もしも、原発事故が起きたのが、隣のよその国で、その国が2年以上経っても、恐ろしい放射線量の汚染水を海にダダ漏れさせてるとしたら、
日本政府のみならず、漁業に携わってる人はもちろん、一般の市民でさえ、ええ加減にせんか!と大騒ぎになってるんちゃうのか。
この汚染は、日本の太平洋側沿岸が困ったことになる、というような規模ではないことは明らかで、
そろそろ限界がきてる世界は、ペセック氏の言葉を借りて言えば、「全く回避可能な大惨事について、日本の言い分を2度も認めることはない」とわたしも思う。
日本が、ここまで地球に対して無責任な国やとは、今でも信じられへんのやけど、

日本は独立国であるというけったいな意地から、解決不可能で対処の仕様が無いくせに、世界からの援助を拒み続けてる愚行を、なんとかしてやめさせなあかん。
ペセック氏の6つの提案を、被災地以外で暮らす大人らが団結して訴える。
それがまずは、基本的人権を踏みにじられてる人たちを救うための第一歩になると思う。

原発の廃炉。
被害の規模を評価する独立監査人を、海外から招致。
周辺地域が、数十年間にわたり、居住や漁業、農業には、安全でない可能性を認める。
革新的な解決策を、世界中で模索。
原子力村の解体。
多額の汚染対策費用について、日本国民に真実を伝える。


原発事故の数日後、命をかけてヘリコプターから放水をした自衛隊の方々。
あの放水には、事故処理に対しても、放射線量を下げるということに対しても、ほとんど、いや、全く意味が無かったのやけど、
なんであんなことをすることになったかという理由が、それはもう、どないもこないもアホらしく、腹立たしいもんやった。
日本政府の本気度を示すため、
日本は独立国として、こういう事故にも対処できるというかっこつけ、
事故が起こっても大丈夫というパフォーマンス、などなど。
意味の無いことに命をかけさせられた隊員やその家族は、もしあの時、万が一のことがあったら、どこにその怒りをぶつけたらええのか。

国策というけど、そこには策なんかなんにも無い。
こんな危険極まりないものを運転する限り、重大事故の想定や、事故後の対処の仕方については、徹底的に、十分過ぎるほどに、ありとあらゆる手段を用意しとくべきやし、
事の次第によっては、速やかに、海外への救援要請を出すようになってなあかんはず。
うちは大丈夫やから。
そんな愚かなミエ張りのために、いったい何人の、原発作業員や社員の人たちが、健康を害されながら対処に当たってるのか。

原発動かさな値上げ。
廃炉にしても値上げ。

そうやってまた、やくざの脅しみたいな文句を、新聞はなんの意見もなく垂れ流す。

人をなめんのもええ加減にせい!


安倍首相の歴史的評価、鍵は経済より原発事故対応-ペセック氏
【Bloomberg(ブルームバーグ)ニュース】2013年8月13日

アベノミクスは忘れよう
日本の外交・軍事面での影響力を、再び高めるための取り組みも、無視すべきだ。
>安倍晋三首相の歴史的評価は、チェルノブイリ事故以来、最悪の原子力発電所危機を収拾するために、
何を実行したか、何をしなかったかという、その一点で決まる


驚かされるのは、2011年3月の、福島第一原子力発電所のメルトダウン(炉心溶融)事故以降、日本のリーダーの関心がいかに薄れたか、ということだ。
菅直人元首相や野田佳彦前首相は、東京から217キロの距離にある福島原発の放射能漏れや、使用済み核燃料棒を、事実上無視していた。
昨年12月に就任した安倍首相も、福島原発の処理は万事順調だと装う、3人目の首相となった

そうした中で、現実が先週、不都合な形で、再び表面化した。
放射能に汚染された地下水が、太平洋に流れ込んでいる証拠が相次ぎ、安倍首相は、東京電力に、問題の収拾を一任しないことを、認めざるを得なくなった。
国際的な圧力を受け、首相は、流出に歯止めをかけるため、政府が、速やかに多面的なアプローチを確実に取る、と言明した。

安倍首相の本気度を疑うのは申し訳ないが、提案された改善措置は、大ざっぱで、地下水凍結という方法は不十分だろうと、科学者は懸念している
原子力の規制当局は、北アジアを汚染する原子炉を廃炉にすることよりも、運転再開にまだ集中しているようだ。
東電は、もっと悪いものを垂れ流しながら、真っ赤なうそを言っている
にもかかわらず東電は、国有化されていないし、役員陣は職にとどまったままだ


体制順応起因の人災

だが、私が本当に心配なのは、こうしたことではない。
日本の当局は、福島が、「どのようにして」チェルノブイリと同義語になったのか、という問題で行き詰まり、
「なぜ」発生したのかや、世界にとってそれが「何を」意味するのかを、考えていない点が心配なのだ。

福島の事故は、日本株式会社の、体制順応的な傾向に起因する人災で、回避可能だった
東電は、安全性の記録をごまかし、数千万人の命を危険にさらした。
腐って危険な、こんなシステムを増殖させるのは、「原子力村」だ。
電力会社と規制当局、官僚、原子力産業を擁護する研究者との癒着によって、東電は長年、怠慢に対して、何の罰も受けないで済んでいた。
こんな関係やカネ、メディアへの影響力に裏打ちされた東電は、この2年半にわたり、放射能汚染データをごまかし続けてきた。

東電の汚染水対策を、政府がようやく代行することになっても、大したことではない。


現実を見詰めよ

日本政府は、今こそ現実を見詰め、以下の6つを実行すべきだ。
まず、
原発の廃炉。
被害の規模を評価する独立監査人を、海外から招致。
周辺地域が、数十年間にわたり、居住や漁業、農業には、安全でない可能性を認めること。
革新的な解決策を、世界中で模索。
原子力村の解体。
多額の汚染対策費用について、日本国民に真実を伝えること。


こうすることで、世界にとって「何」を意味するか、という問題に行き着く。
国際舞台では、福島は、ますます日本の不名誉になりつつある
放射性物質は、クロマグロから検出されている。
日本からロシアに輸出された中古車や、自動車部品は言うまでもない。
もう一度大地震に見舞われれば、福島に再び被害が出て、東京が開催を希望する、2020年の夏季五輪までに、さらに原子炉が打撃を受ける恐れがある。
世界は、全く回避可能な大惨事について、日本の言い分を、2度も認めることはない。


アナリストは、安倍首相による、日本の財政健全化に向けた取り組みを評価しているが、
後世の人々は、東電と原子力村が作った惨事の後始末をしたかどうかで、首相の手腕を判断するだろう
(ウィリアム・ペセック)


(ペセック氏は、ブルームバーグ・ビューのコラムニストです。コラムの内容は同氏自身の見解です)
原題:Fukushima Replaces Economy as Abe’s Legacy Issue: WilliamPesek(抜粋)
記事についてのエディターへの問い合わせ先:Nisid Hajarinhajari@bloomberg.net
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「どれだけの犠牲を払って平和と憲法第九条を手にしたか。絶対変えちゃいけん」はだしのゲン・中沢啓治

2013年08月14日 | 日本とわたし
『はだしのゲン』
このマンガと出会った時は、もう子どもとは言えん年になってたけど、夢中で読んで、いつもカバンの中に入れて歩いてた。
ちっちゃい頃から、図書館に行っては、原爆について書かれた本を読んだり、写真集を見たりしてた、けったいな子どもやった。
ゲンとゲンの母親の目の前で、父親と姉と弟が壊れた家の下敷きになり、火に焼かれて死んでいくシーンは、
阪神大震災を伝えるニュースの中で、同じような辛い経験をした人の話し声とともに、鮮明によみがえってきた。
戦争や原爆のことを、人の何倍も読み聞きした。
なんでここまで執着するのやろと、自分でも思た。
けど、多分、絶対にくり返してはあかんという気持ちを、固めてたんやと思う。

戦争をしたがってる人間は、そらもう、どんな手を使てでも、どんなウソをついてでも、戦争に向かわせる。
普段は、そこそこ独立してるっぽい新聞やテレビ局までもが、コロッと丸め込まれるのを目の当たりにした時には、さすがに恐なった。
気がつくと、いつの間にか、戦争なんかするべきやない、などということは、相手を選んで言わなあかんようになってた。
それが今からたった10年前の、21世紀のアメリカでのこと。

◯◯国がどうたらこうたらと、あることないことを吹聴し、ビデオを流したり、議会で発言したりして、一般の市民らをとことん怯えさせたり心配させ、
やられる前にやらなあかんという流れにもっていく政府と軍に、どんなけ反対しようが、デモで叫ぼうが、まるで意味が無いと思い知った時の絶望感。

止められるとすれば、知識だけやと、イラン人の若い女性が言うてはった。
知ること。
今の日本に、日本人に、一番求められてること。
知るためには、自分の手でとり、足で動き、目で読み、耳で聞き、頭で考える。
そうやって、戦争のこと、憲法のこと、原爆のこと、原発のこと、被ばくのこと、差別のこと、
ひとりひとりの大人が知り、ひとりひとりの子どもに伝え、ひとりひとりの生きることの権利を、しっかりと自覚してほしい。

流れがまだ、それほど巨大でない今、ひとりひとりの目覚めがほんまに大切。
流れが巨大になってしもたら、もうその時は、どんなに目覚めてようが、みんないっぺんに押し流されてしまう。

そんなことにならんように、そんなことをさせんように、日本の未来に、子どもに、4度めの被ばくなんかに遭わさんように。

「どれだけの犠牲を払って、平和と憲法第九条を手にしたか。絶対変えちゃいけん」
「放射能の怖さはわかってるはずなのに、日本人は原爆の教訓を忘れてしまう。原発はなくさんといけん」


これは、中沢さんの言葉。中沢さんの遺志を、わたしらはしっかり継いでいかなあかん。


宮さんとおっしゃる方のブログ宮②伝統文化をつなぐ日本の暮らしとは?に、中沢さんのことが書かれてた。
↓その記事の一部と新聞記事を、ここに転載させていただく。

73歳で逝去した中沢啓治さんは、六歳で地獄を見た。
▼広島原爆の爆心地から1.3㌔で被爆した中沢さんは、自宅の焼け跡から、父と姉、弟の骨を兄と掘り出した。
 父と弟と姉は、家屋の下敷きになり、生きながら焼かれた。

▼おびただしい数のむごたらしい死体、漂う死臭の記憶。
 それは生涯、中沢さんを苛んだ。
 そのたびに〈逃げ場のない穴に閉じこめられたような暗い気持ちになって、落ちこんでしまいます〉と、最後の著書『はだしのゲン わたしの遺書』に書いている。

▼小一の子を持つ母親から、抗議の手紙を受け取ったことがあるという。
 漫画 『はだしのゲン』を読み、夜トイレに行くのが怖いと泣く。
 あんなどぎついものはかかないでくれと。

▼中沢さんは返事を書いた。
〈あなたのお子さんは立派に成長しています。ほめてやってください。
『はだしのゲン』を読んでトイレに行けないくらい、自分のこととして感じてくれた。こんなありかたいことはありません〉

▼座右の銘は「一寸先は、闇」。
 被爆以来、死の恐怖と 背中合わせで生きてきたからだ。
 死を見つめ続けたからこそ、生のたくましさを描きえた。
 その死は、穏やかなものだったという。




中沢啓治さん死去
原爆の恐怖 ゲンと叫ぶ

↓以下、上記の新聞の書きおこし

2008年夏、広島市内の自宅でお目にかかった。
柔和で、人懐こい笑顔。
おじいさんになった『ゲン』がそこにいた。

6才で被爆し、父親や姉、弟を奪われた。
「原爆という文字を見るだけで、残酷な死体や臭気を思い出して嫌でね」。
手塚治虫さんに憧れて漫画家になった後、過去を隠して暮らしていたという。

転機は、生き地獄を耐えて守ってくれた母親の死。
ぼろぼろの遺骨を見て、
「あの放射能が骨の髄まで奪っていった。原爆から逃げちゃいけない。戦争を起こした者どもを許さんぞ」。
封印していた怒りを、自らをモデルにした『はだしのゲン』にぶつけた。

原爆の悲惨さや死を生々しく表現して議論になったが、
「多くの人に読んでほしいと、あれでもセーブして描いた」。
平和の尊さだけでなく、家族愛、人間の強さや弱さ、ユーモアを盛り込んだからこそ、子どもの心をつかんだ。
「図書館に初めて入った漫画がはだしのゲンだそうです」。
とびきりうれしそうだった顔を思い出す。

原爆後遺症ともされる糖尿病を長年患い、この10年は白内障も悪化。
2年前から肺ガンで入退院をくり返しながらも、「あの悲惨さは子々孫々とことん教えていかなくちゃいけない」と講演を引き受けた。

「どれだけの犠牲を払って、平和と憲法第九条を手にしたか。絶対変えちゃいけん」と語り、
『3.11』後は、「放射能の怖さはわかってるはずなのに、日本人は原爆の教訓を忘れてしまう。
原発はなくさんといけん」と訴えたという。
妻ミサヨさん(70)は「最期まで自分の思いを伝えたいと。執念でした」。

「百まで生きて、講演しまくってやろう」と笑った取材の帰り際、握手してもらった手は、ふっくら温かかった。
晩年も「壁画を描きたい」と表現者へのこだわりを見せ、
「踏まれても踏まれても根を張る」と、青麦に例えたゲンそのままに生き抜いた。
「8月6日がなかったら、おやじと酒を酌み交わして、6人きょうだいで楽しかったでしょうね」。
そんな67年越しの夢を、天国でかなえているに違いない。
(芦原千晶)

中沢啓治氏(なかざわ・けいじ=漫画家)
19日、肺がんのため死去、73歳。
広島市出身。
喪主は妻ミサヨさん。

原爆投下後の広島を生きる少年を描いた『はだしのゲン』の作者として知られる。
45年8月6日、6歳の時に爆心地から約1.2キロ離れた国民学校に登校する途中で被爆。
父、姉、弟を亡くし、母や兄と廃墟の広島を生きた体験が原点になった。

63年に漫画家としてデビュー。
『黒い雨にうたれて」を皮切りに、原爆や戦争の悲惨さを告発する漫画を発表。
73年から連載した自伝的漫画『はだしのゲン』は、原爆投下後の広島でたくましく成長する主人公の姿が反響を呼び、平和教材として活用されたほか、
英語やロシア語など、18(現在は20)カ国後に翻訳(翻訳中含む)され、海外でも出版された。

晩年は白内障による視力低下や、けんしょう炎に苦しみ、執筆活動を断念。
10年に肺がんが見つかってからは、故郷の広島で闘病生活を送っていた。


続いてこれは、今朝観たビデオ。
NHKの『クローズアップ現代』で、『はだしのゲン』が、20カ国もの国で翻訳され、出版されていると知り、それを文字おこししました。
残念ながら、このビデオを、ここに載せることがまだできません。
お手間をかけますが、下の青文字↓をクリックしてください。映像が出てきます。

http://www.dailymotion.com/video/x12mq51_世界をかける-はだしのゲン_news

原爆で家族を亡くしながらも、広島で力強く生きる少年を描いた『はだしのゲン』です。
発行部数は国内外で1000万部以上、20カ国で出版され、連載開始から40年経った今も、世界中でファンを増やし続けています。
今月には、核開発問題に揺れるイランで、ペルシャ語版が発売されました。

イラン人女性:
とっても面白かった。一気に読み終えちゃったわ。

テロとの戦いを掲げ、イラクに派兵したアメリカ。イラク戦争(2003年~2011年)
ゲンの物語は、帰還兵の心も揺さぶっています。

元アメリカ軍兵士:
戦争に行く前に、このマンガを読むべきだった。

世界をかける『はだしのゲン』。その魅力に迫ります。

国谷裕子アナウンサー:
こんばんは、クローズアップ現代です。
はだしのゲンの作者、中沢啓治さんは6才の時、爆心地から1.2キロの所で被ばくし、
もし、コンクリートの壁に寄り添っていなければ、自分は黒こげになって死んでいただろうと書いています。
原爆地獄の中を必死で逃げ抜き、母親と再会することができましたが、父親、姉、弟を亡くし、自らもやけどを負いました。
その時の体験をそのまま主人公に投影して創作したのがはだしのゲンです。
原爆投下直後の広島の惨状、それとともに、貧困や差別に苦しみながら、戦後の過酷な社会の中を力強く生き抜く、少年の姿を描いたものです。
戦争、そして原爆に対する怒りに突き動かされて、創作された『はだしのゲン』。
その中沢さんは、73才で、去年の暮れ、亡くなりましたが、最後まで使命感を持って、子供たちに伝える活動を続けました。
その中沢さんの思いに応えるかのように、今、『はだしのゲン』は、世界各国で読者を広げています。
『はだしのゲン』が翻訳、出版された国々20カ国に及びます。
(アメリカ・フランス・ドイツ・ポーランド・タイ・インドネシア・フィンランド・ウクライナ・クロアチア・スウェーデン・ロシア・スペイン・オランダ・韓国・イラン・ブラジル・トルコ・イタリア・ノルウェー・パキスタン)
ご覧のように、アメリカ、ロシアといった核保有国、お隣、韓国などアジアの国々、そしてヨーロッパ各国でも翻訳されています。
その多くが、『はだしのゲン』を読んで感動した日本人や、海外の人々によるボランティアで、翻訳されたものなんです。

なぜ今、『はだしのゲン』は、国境を超えて人々の心を捉えているのか。
まずはじめに、これまであきらかにされてこなかった、『はだしのゲン』連載を巡る、中沢さんの苦闘です。

『はだしのゲン』の作者、中沢啓治さんの妻、ミサヨさんです。
中沢さんが亡くなって半年あまり、ミサヨさんは、作品にかけた夫の思いを、初めて語りました。

中沢ミサヨさん:
俺はやらなくちゃいけん、というか、マンガという武器を使って、子どもたちに知らせると。
原爆に対する知ったこと、思ったこと、全部『はだしのゲン』に託してね、やるんだと。

連載のチャンスを得たのは昭和48年、『マジンガーZ』や『ど根性ガエル』などの人気マンガで、急速に部数を伸ばしていた少年ジャンプが、その舞台でした。

『まるで悪魔がほえたけるように、3分間で、原子雲は3万2千フィートまで上昇し、グングーンひろがっていった……』

中沢さんがこだわったのは、被ばく直後の悲惨な光景を、ありのままに表現することでした。
爆風で、全身に突き刺さるガラス、熱線で皮膚が垂れ下がった人々。
建物の下敷きになり、火に巻かれて亡くなるゲンの家族。
父、姉、弟を失った中沢さんの体験をもとに描きました。

中沢ミサヨさん:
やっぱり体験者でないとわからないじゃない?
だから、俺が見た目で思ったことをやると。
やっぱりこれ、使命感ていうかね、こう、誰かがこう、背中でね、「おまえ描け描け」と言ってるような感じがするって言ってましたからね。

しかし、『はだしのゲン』は苦戦を強いられます。
読者の人気投票を参考に決められる掲載の順番。
連載当初の4番目から、2ヵ月後には、最下位寸前にまで落ち込みました。
当時の連載の場面。
原爆症の死の恐怖に怯えるゲン。
生き残った母親や生まれたばかりの妹のために、あてもなく食べ物を探すゲン。
孤独で淋しい場面が続いていました。

当時、編集者として、中沢さんのもとに通っていた、山路則隆さんです。
読者の厳しい反応を、中沢さんに伝えていました。

山路則隆さん:
やっぱり、「いつまで続けるんだ」とか、この「暗い作品はもう真っ平だ」とかいう、そういった反応はもちろんあったんですよ。
でもリアルに描きたい。でも本当のことを描きたいという、その相克はずっとあったんだと思うんです。

将来を担う子どもたちにこそ、原爆の本当の姿を伝えたかった中沢さん。
少年誌での人気の低迷に悩み続ける姿を、ミサヨさんは間近で見ていました。

中沢ミサヨさん:
家族が死んだ後、その次のストーリーが面白くないんですよ、全然。悲しいばっかりで重くて。
つまんないよこれって言ったらね、本人もそう思ってるらしくて、
それじゃだめだから、とにかく、面白くもっていくにはどうしたらいいか、そればっかりですね。

どうすれば読者を惹きつけられるのか。
試行錯誤の末に思いついたのは、新たなキャラクターを登場させることでした。
建物の下敷きになり亡くなった弟とそっくりの、隆太です。
原爆で孤児となり、食べ物を盗んだ隆太と偶然出会ったゲン。
隆太を助けたことで仲間となり、次第に明るさを取り戻していきます。

中沢ミサヨさん:
孤児の仲間、みんな生きる力を持ってるじゃないですか。一生懸命生きてるじゃないですか。
もうすんごい面白いわ、わくわくしてるから次読みたくなっちゃうわって素直に言ったら、
よしって感じで、もう次へ進むんですよね。

原爆の病気がうつるという偏見にも負けないゲンたち。
間借りした家でイジメにあっても、それを撥ねのけていきます。
仲間を得たゲンが、困難に打ち勝ち、成長していく物語が、読者の心をつかんでいったのです。

山路則隆さん:
だから、ゲンは、自分一人のために、自分勝手に、悲惨な状況、環境で、それを嘆きながら、怒りながら生きているわけではなくて、
やっぱり、人の面倒見たりとか、助けたりとかすることでもって、そういった子どもの成長を物語にしたいんだと。
それを読者が、一緒になって、マンガを読むことで疑似体験できるわけなんで。

中沢ミサヨさん:
原爆で苦しんでたけど、だけど生きていくじゃないですか、精いっぱい。
だからその生きる力、負けるなよっていうね、それが言いたいんですよね、実際ね。
どんなことがあっても生きていけよっていう、それがテーマなんですよね。

連載中、中沢さんは、悪夢にうなされながら、被ばくの惨状について描き続けたと、妻のミサヨさんは語ってくれました。
作品は、主人公のゲンが中学校を卒業し、画家になるため上京する場面で終っています。
中沢さんはゲンを通して、東京での被爆者の苦悩について描きたいという構想を練っていましたが、
白内障に悩まされ、作品を描き上げることはできませんでした。
しかし、力強い作品に感動した人々から、海外の人々にも読んでほしい、翻訳させてほしいという申し出が相次いだのです。
中沢さんは、世界中の子どもたちに読んでほしいと、著作権に対する対価を求めることなく、心良く応じ、
作品は、主にボランティアの手によって、20カ国語に翻訳されたのです。
今、『はだしのゲン』のメッセージは、被ばくの惨状だけに留まらず、世界が抱える問題とも重ね合わせて、新たな共感を得ています。

核開発問題に揺れるイラン。
今月(20日)、『はだしのゲン』のペルシャ語版が出版されました。
原爆をありのままに描いたストーリーに、注目が集まり始めています。

イラン人女性:
とっても面白かった。一気に読み終えちゃったわ。
原爆があんなにひどいものだなんて……。

翻訳したのは、広島に留学しているイラン人の、サラ・アベディニさんです。
万が一にも、イランが核兵器を開発することがあってはならない。
サラさんは、ゲンを祖国の人に読んでもらいたいと、ボランティアで翻訳をかって出ました。

サラさん:
体の皮がむけたりとか、髪がそのまま抜けちゃったりとか、そんなのは、そこまでは、『はだしのゲン』を読むまでは知らなかったんですよ。
この悲しい気持ちを、できればイラン人にも伝えられるんだったら、いい本になるんじゃないかなと思って。

この日、イランの書店では、『はだしのゲン』の読書会が開かれていました。
核兵器とどう向き合うべきか。
イランで、本音の議論が始まりました。

「私だったら、どうしただろうって思ったわ」
「家族が生きながら焼け死ぬところは、心が痛かった」
「想像するだけで、本当に大変だわ」
「それでも、世界から核兵器をなくすのは、理想に過ぎないと思う。
戦争はなくならないから。
特に中東では、さまざまな紛争が起こるし、私たち市民が、核兵器をなくすことが出来るのかしら」
「核兵器をなくす方法があるとすれば、それは、私たちが、知識を身につけることだと思う。
核戦争や放射線などの恐ろしさを、(ゲンを通じて)みんなに知ってもらうべきだわ」

原爆を投下したアメリカでも、『はだしのゲン』は共感を呼んでいます。
ゲンが読まれている学校は、小学校から大学まで、2000以上にのぼります。

授業風景:
「このマンガは、君たちが考えているより以上に、パワフルでシリアスです。
中沢さんの作品は、さまざまな感情をかきたてるんです」

ゲンを題材に授業をしているレナード・ライファス教授です。
これまでは、歴史のひとこまとしか受け取られなかった原爆に、学生たちが興味を持つようになったといいます。

学生たちの感想:
「少し前に、歴史のクラスで、原爆について学んだけど、今回の方が、より身近に感じることが出来たわ」
「マンガの絵が生々しかった。アメリカ人がこれを読むのは重要だと思う」

『はだしのゲン』を過去のこととしてではなく、現代の戦争と重ねている人がいました。
カルロス・グランデさんです。
3年前まで、陸軍の兵士として、イラク戦争の最前線で戦っていたカルロスさん。

カルロスさん:
同じ部隊にいた5人の仲間を失いました。
彼らが死んだと聞いてショックだったよ。
そんなはずはないと、かすかな望みを持ち続けた。
でも、本当に死んでいたんだ。

当初は、自分の苦しみばかりにとらわれていたというカルロスさん。
しかし、ゲンと出会い、考えを変えました。
最も衝撃を受けたのは、両親の死に直面する、孤児たちの姿でした。
カルロスさんは、戦場で親を失った多くの子供たちに出会っていました。
ゲンで描かれた孤児たちの苦労や悲しみに触れ、イラクの子どもたちの心情が初めて分かったといいます。

カルロスさん:
ゲンにはすべてが描かれている。
実際の子どもたちの気持ちがわかる、力のある物語だよ。

自分が参加した戦争は、正しかったのか……カルロスさんは、疑問を持ち始めています。

カルロスさん:
戦争に行く前に読むべきだった。
戦争が何をもたらすのか、世界中の人は、このマンガを読んで知るべきだ。

国谷裕子アナウンサー:
スタジオには、『はだしのゲン』のミュージカルの脚本・演出を手がけられ、そして国内だけでなく、海外での公演を続けてらっしゃいます、演出家の木島恭さんにお越しいただいています。
今の、最後の、イラクから帰還したアメリカ兵のカルロスさんが、戦争に行く前に読んでおけばよかった、という言葉が印象的だったんですけども、
『はだしのゲン』、20カ国に翻訳されて出版されて、そのうちのこの10年間に、半分以上が出版されているという、この世界への広がり方をどう捉えていらっしゃいますか?

木島恭さん:
そうですね、先ほどのVTRの女性の方の話もありましたけど、
戦争という問題と核の問題が、非常に身近なところにあるんだなあということを感じますね。
それはもうほんとに、第二次世界大戦が終ってずいぶん経ちますけど、そういう時間ではなくて、まさに今、近い状態に、戦争なり、核という問題を、みんな世界が抱えているんだという情勢が、ひとつは影響しているんではないかというふうに思いますね。

国谷裕子アナウンサー:
海外では、アメリカをはじめ、ポーランドやロシアなどでも公演されてますけども、どういう反応が多かったですか?

木島恭さん:
そうですね、アメリカは戦争を集結した平和な爆弾、という教育が、まずは行われてまして、
ただ、被害の実態についてはあまり、伝えられてないんですね。
まあ、意図的に伏せているということもあると思うんですけども。
ですから、そのことの、原爆というものがこんなに悲惨な状態を生むのかということを目の当たりにする、ということがショックだったという、
ちょっと認識が変わったという意見が、ニューヨークではけっこう多かったと思います。

で、ポーランドは、アウシュビッツを抱えてますから、ナチスドイツの問題もあれで、
戦争というよりもほんとに、幸せな家族が突然引き裂かれて、不幸が、というかな、災難というか、
そういう弾圧なり、いろんなものが起きてくることの、彼ら自身が抱えた問題と、
ゲンが受けた、被ばくによって受けるいろんな差別だったり、ほんとに幸せな家族を崩壊させられていく人たちの心というかな、気持ちというか、
そういったものが、とても共感を呼んだんではないか、というふうに思いますね。
そういう意見がとても多かったです。

ロシアは、チェルノブイリの事故の被害者の方たちが、観劇にいらっしゃいまして、
その後の、放射能の被害を受けた後、自分たちが現実に抱えてる問題、それがゲンの中で起きてくる、
同じような、やっぱり、放射能が、まあ伝染病という言い方はもうすでに、この時代では無いんでしょうけど、
差別というかたちにつながっていったり、自分たちが帰りたいと思っている所にも帰れない、
日々、ほんとに、放射線を測りながら、食べ物を食べなければいけないということが、
けっしてその、原爆という戦争の放射能の問題ではなくて、現実に自分たちが抱えている、放射能とどう対応して生きていくかというようなことと結びつけて、捉えられた方が多かったみたいですね。

国谷裕子アナウンサー:
まああの、原爆に対する、あるいは戦争に対する、強い怒りに突き動かされて創作された、この『はだしのゲン』ですけども、
もっとも中沢さんが伝えたかったのは、生き抜くことだと。

木島恭さん:
はい、そう思いますね。
もちろん、被害の実態、戦争というものが何を起こしたかというは、前半部分では強く語られるんですけども、
実際に人は生きていかなくてはなりませんから、その、いろんなことがありながらも、生き抜く力というのかな、
生きようとする努力、エネルギーみたいなものを、ゲンを通して感じてほしかったんだろうと思います。
ただこう、生き抜くというとね、とても個人的なことだったりしますから、
じゃあ俺が生き残るためには、人を踏みつけにしてもいいんだという、そういうことにもなりかねないので、
そういうことではなく、まさにこう、助け合って、同じように力を尽くして、支え合って生きるということが、
中沢さんにとっては、とても大事だったんだろうと思います。
それは、自分は被爆者で、原爆という体験を持ちますけど、同じように、日本中の人たちが、戦争という被害を受け、同じように孤児になり、同じように家族を失った人たちがたくさんいたでしょうから、
ほんとにひとつになって、みんな同じ思いだろうというような、支え合い方というものが、中沢さんの中に強くあったんではないかと思いますね。

国谷裕子アナウンサー:
そういう中沢さんの思いが、世界の人々にも共感を呼んでいるということもあって、ボランティアとしてぜひ、海外に伝えたいという、
ほとんどボランティアの方々が、出版を手助けしているっていうところが、やっぱりすごいですねえ。

木島恭さん:
それはひとつは、マンガという媒体の力があると思うんですね。
マンガというのは、コマとコマでつながりますから、間の部分をどうしても読者が埋めなければいけない、そこに参加せざるを得ない、
演劇もライブですから、同じように観客を必要とするんですけども、
40年経ってもその、40年前に描かれたマンガすら、今読むと、読み手がその中に入らざるを得ない。
そうすると、もらった感動ではなくて、自分自身のアイデンティティみたいなものを、そこで試されてしまうっていうのかな、
そこで受けた感動は、マンガからもらんではなくて、自分の感動なんですね。
それをやっぱり同じように、みんなに分かってほしい、みんなに伝えたいという思いが、
自分の国の言葉に訳して、みんなに話したいということにつながってる、大きな要素ではないかと思いますけどね。

国谷裕子アナウンサー:
自分の体験になっていくんですね、そのコマを埋める作業が。

木島恭さん:
はい、そうだと思います。
疑似体験ですけど、あきらかにそこで、自分自身が積極的に参加するというかたちで、この作品が生き続けていくという、大きな要素になっているんではないかと思いますね。

国谷裕子アナウンサー:
中沢さんはほんとに最後まで、若い人に伝えたい、子どもたちに伝えたい、という思いを強くお持ちで、
妻のミサヨさんがおっしゃっているんですけども、
とにかく、未来を背負う子どもたちは、戦争体験を知らない。
戦争体験を知らないから、世の中が戦争の方に向かっていても、わからないのではないかと。
だからそのためにも、ゲンを読めば、ちょっと待てよ、小さい時に読んだことを思い出して、もう一回大人になって読んでみようという気持ちになるのではないかと。
そのために、子どもたちに読んでもらいたい、という思いだったそうです。

木島恭さん:
だんだんね、放っとけば無くなっていくのが時代ですから、ほんとに入り口でいいので、こういうことをきっかけに、
入り口として、こういうことがあったんだよ、そっから何をじゃあ、自分は知って、
さっき、止められるとすれば、知識だけだとおっしゃってましたけど、知ることが始まりですから、
そういうきっかけになれる作品になればいいなあと思いますね。
演劇もマンガも、あらゆるメディアが、知ることから始めていただければ、先へつながっていくんじゃないかというふうに思います。

国谷裕子アナウンサー:
多彩な問題を投げかけていらっしゃいますけれども、そのマンガを通して議論の場っていいますか、話し合える舞台のきっかけになるといいですね。
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「米国の呪いを解くには日中双方に東洋の最深の知恵が必要。とても安倍晋三などに解ける問題ではない」

2013年08月11日 | 日本とわたし
兵頭正俊氏が送ってくれはったメルマガを、そっくりそのままここに載せさせてもらいます。

オリバー・ストーン氏の、各地で発言してはる言葉を読みながら、わたしもよく考えました。
アメリカに身をおき、アメリカ人を伴侶に持ち、東海岸の文化に触れながら生きている者として、考えることは山ほどあります。
今回兵頭氏が教えてくれはった情報の中に、アメリカの核兵器に対する立場や、ケタ違いの米国債の保有額の比較、兵器世界の現実など、
うっかり見逃してたり、認識不足やったりすることを補うてくれるものがたくさんあったので、
もしかしたらみなさんの中にも、わたしと同じように感じる方がいはるかもしれんと思い、わたしなりにまとめて載せさせてもらいます。
文字の色分けや強調は、わたしの考えや希望で行いました。

↓以下、転載はじめ

◆ オリバー・ストーンの励ましと、日本の3つのねじれ ◆
━━━━━━━━━━
欧米人にもっとも人気のある日本の都市は、広島ということだ。
広島は、京都を上回っているらしい。

しかも、広島にやってくる欧米人は、意識が高く、平和記念公園にやってきて、広島平和記念資料館を訪れる。
ここが、世界最大の観光旅行サイト「トリップアドバイザー」では、日本の人気観光スポットの第1位になっているということだ。
少なくとも、靖国神社が、第1位になることは永久にないだろうが。

このことについて、わたしたちもよく考える必要がある。

オリバー・ストーンの来日発言を聞いていると、日本と関係する外国人には、3種類の人間がいることがわかる。

1. もっとも悪質な外国人は、
日本の政治家や官僚の頼みを聞いて、消費税増税やTPP参加や原発再稼働について、賛成の意見を述べる外国人だ。
おそらく本人たちも、そんな失礼な振る舞いをするのは、日本に対してだけだろう。

日本の与党政治家や官僚は、外圧(とりわけ米国)を利用して政策を実現する、卑屈な手法を多用する。
民族の誇りも議会制民主主義も、あったものではない。

財務省幹部が、IMFに、国民の税金を注ぎ込んで、自分たちの天下りの指定席を得る。
IMFの副専務理事4人中1人は、財務省の天下りである。
理事ポストも、財務省出向者だ。
これが、消費税増税を15%にしろ、と外国人のIMF幹部に言わせる。
しかも、軽減税率には、否定的なコメントまでいわせる。
日本国民を、バカな金蔓と思っているのだ。

野田佳彦を使って増税したのも、財務省である。
自分の天下り先確保のために、増税に悲鳴を上げる母国日本から、600億ドル(約4.7兆円)をふんだくったのも、財務省である。
それが、IMF幹部を使って、内政干渉をやらせる。
消費税増税は、国会も物語なら、IMFも物語だ。
今や、相撲並みに、政治も国際的になり、物語になっている。

日本人の、外国の反応を気にする弱点を、うまく利用した手法である。

しかし、それに乗せられてしゃべる外国人も、質が悪いといわねばならない。
日本にとっては迷惑この上ない、三流の外国人であり、最悪の外国人である。


2. 第二のパターンは、表面的には、第一のパターンの逆バージョンである。

このタイプの外国人は、日本を褒めちぎる。
3・11後でいえば、「日本人は忍耐強い」 、「日本人が整然と秩序だって行動するのに感動した」 、「自分の国なら暴動が起きている。それをやらない日本人には敬意を表する」といった発言だ。

震災直後には、この手の外国の評価が、御用メディアを通じて盛んに流された。

これはもちろん、抗議や異議申し立ての行動を恐れる為政者が、国民を懐柔するために使うありふれた手法にすぎない。
しかし、お人好しの多くの日本人が、真に受けていた。
日本人の政治的民度とは、この程度のものである。


3. 第三のパターンは、まともに日本人と向き合い、真摯に、人間として扱う外国人である。

この人たちは決して、日本人をいい加減にほめたりはしない。
例えば、来日中のオリバー・ストーンは、次のように、日本人に奮起を促す。

■広島での発言

すばらしい記念式典は、『日本人』の性質を、よく表していたと思う。
しかし、今日、そこには多くの『偽善』もあった。
『平和』、そして『核廃絶』のような言葉が、安倍首相らの口から出た。
でもわたしは、安倍氏の言葉を信じていない。

みなさんに聞きたいのは、どうして、ともにひどい経験をしたドイツが、今でも平和維持に大きな力を発揮しているのに、
日本は、アメリカの衛星国家として、カモにされているのかということ
だ。
あなた方には強い経済もあり、良質な労働力もある。
なのになぜ、立ち上がろうとしない?


第2次大戦後、米国は、ソ連を巨大なモンスターにしたてあげた。
中国はいま、その途上にある。
つまり、米国の『唯一の超大国』の立場を脅かすもうひとつの超大国に、したてあげられようとしている。

今は、大変危険な状況にある。

オバマは、ヘビのような人間だ。
ソフトに語りかける。
しかしオバマは、無慈悲な人間だ。
台湾に、120億ドルもの武器を売り、日本に、スティルス戦闘機を売る。
日本は、世界第4位の軍事大国になっている。
それを『自衛隊』と呼ぶのはかまわないが、世界4位の軍事大国だ。
日本より軍事費が多いのは、米国、英国、中国だけだ。
日本をそういうふうにした共犯者は、アメリカにほかならない。

日本は、米国の、武器の最大の得意客なだけでなく、アメリカの行ったクウェートやイラクでの、戦争の戦費の支払いをしてくれた。

よく聞いてほしい。
アメリカは、こんなことを言いたくはないが、いじめっ子なのだ。
日本が今、直面している恐ろしい龍は、中国ではなくアメリカだ。

(中略)

今年、戦争が、アジアに戻ってきた。
オバマと安倍は、相思相愛だ。
安倍は、オバマが何を欲しがっているか知っている。

なかでも、尖閣諸島について、わたしにはコメントしようがない。
あんなものを巡って戦う気が知れないが、それなのに戦う価値があるように言われている。

いま皆さんは、核兵器廃絶が大切だ、とお思いだろう。
しかしこのポーカーゲーム(危険な賭け事)は、アメリカ主導で軍が展開して、急速に進んでいる。
アメリカは、世界の73%の武器を、製造しては売りさばいている。
それには、無人攻撃機、サイバー兵器、宇宙戦争用の武器も含まれる。

核兵器などは、アメリカが戦争に使う兵器の、ごく一部でしかない。
米国は、世界の歴史上、最強最大の軍事国家なのだ。
どう思いますか、みなさん。
これに対して、怒りを感じてほしいです。
わたしが怒っているのと同じように、皆さんにも怒ってほしいのです。

米国は、『唯一の大国』であろうとするために、脅威を増大させ、世界中にアメをなめさせ、
無実の人を刑務所に入れ、消し、ファイルを秘匿し、盗聴し、永遠の監視国家たろうとしている。

ご存知かどうかわからないが、ジョージ・オーウェルが、このことをうまく言い表した。

これが今、世界に起っていることだ。
日本は、悪事に加担している。
もう一度言おう。
ベトナム戦争の後、みなさんは、戦争のあぶなさを知って、これが、アジアで最後の大きな戦争になる、と思ったはずだ。
でも、もう一度、戦争がある。

ここでみなさんには、ドイツがヨーロッパでしたように、立ち上がって、反対の声を上げてほしい
日本はかつて敗戦し、広島長崎その他で、ひどい目にあった。
その悲しみを糧にして強くなり、繰り返し戦争を起こし、日本と世界に痛みを与えてきたバカ者どもと、闘ってほしいのです。


■長崎での発言

(米国が戦争を続けるのは)教科書に、米国が戦争の勝者であると、まるでディズニー映画のように、心地よく描かれているからだ。

(日本人も)満州を侵攻した、大きな軍事帝国だった。
だが、日本軍が侵略戦争で何をやったかについて、ほとんど教えられていない。

私が出会う日本人は、みんな優しいのに、なぜ(当時)、それほど朝鮮人や中国人に、残酷になれたのか。
日本人の気性が分からない。
教えてほしい




ストーンのような米国の友人を、私たちは大切にしなければならない。

ほんとうに、日本のことを心配してくれているのだ。
耳に痛いことをいうからと遠ざけるのでは、あまりにも情けなさすぎる。

人は、本気で愛している人に対しては、ときに、家族のように、本音で語りかけるものだ。

ところで、オリバー・ストーンの発言をきっかけにして、日本を取り巻いている3つのねじれについて、考えてみたいと思う。

きっかけというのは、ストーンの語った、
「今年、戦争がアジアに戻ってきた」
「あんなもの(尖閣諸島)を巡って戦う気が知れないが、それなのに戦う価値があるように言われている」
「日本は、(米国の)悪事に加担している」
「もう一度戦争がある」ということばだ。


1. 衆参のねじれ

自・公とマスメディアは、ねじれの解消が、まるで100%の善であるかのように喧伝する。
これは参議院、ひいては、国民主権の否定につながる暴論である。

衆議院選挙で、自・公に過半数を与えたのも民意なら、参議院選挙で、野党に過半数を与えたのも民意である。

衆参とも、同じ勢力が過半数をとらないといけない、という政治など、政治学の、どの三流大学教師の書いた教科書にも書かれていない。

国会は、その民意に基づいて政治をやるべきであって、民意の結果としてのねじれを、先験的に、悪であるかのように喧伝するのは間違っている。
国会のねじれは、日本のように、権力を批判するメディアがない国では、権力の暴走を食い止める、最後の防波堤になっている。


2. 民意と国会とのねじれ

原発も、消費税増税も、憲法改悪も、民意と違うことを、自・公政権はやろうとしている。
民意無視の政治は、民主党の菅直人、野田佳彦から始まった。

消費税増税が衆議院で可決した『6.26』は、
(1)政権交代の失敗が証明され、
(2)3党大連立の大政翼賛政治のため、国会軽視、民意無視、民主主義否定が実現し、
(3)裏で支配する米国・官僚の力が、戦後最大にまで強まった日である。

菅・野田は、いずれ、歴史によって、そのように裁かれるだろう。
自・公はそれをよく学び、民意無視、少数野党無視、民主主義無視の政治をやっている。


3. 政府と世界とのねじれ

これは、日本の孤立に帰結しているねじれである。

核武装の軍事国家に進み始めた、反動的な日本にたいしては、中国・韓国はむろん、米国も距離をおいている。
ただ、ムキになる韓国と日本の、単純な政治に対して、中国と米国の対日戦略は、遥かに奥行きの深いものだ。

米国の対日戦略は、日中間の緊張をアジアで高め、日本を米国の軍事力に頼らせる。
高額の米軍兵器を購入させるのはもちろん、TPP参加で実質的な植民地と化し、日本の富をすべて収奪する、というものである。

中国から見れば、(オリバー・ストーンの慧眼が見破ったように)米国こそが、日本の真の敵である。

日本の軍国主義を封じ込める意味では、日米安保も日本のTPP参加も、喜ばしい現実である。
TPP参加によって植民地化した日本を押さえるには、宗主国の米国にやらせるのが一番いいからだ。
したがって、今後の中国は、米国債の購入はもちろん、米国との関係を最大限に重視し、友好に務めるであろう。

ひるがえって、米国にとっては、この三国の関係こそ、アジア戦略の勝利である。

中国に対しては日本カードが使え、日本に対しては中国カードが使える。
世界の経済力のナンバー2と3とが、米国債の購入で競ってくれる。

米国財務省の発表によると、2012年11月末時点で、もっとも多く米国債を保有している国・地域は、中国だった。
中国の保有額は、1兆1701億ドル(93兆6080億円)である。
2位の日本は、1兆1328億ドル(90兆6240億円)である。

日本と中国の保有額は、ほぼ拮抗している。
米国にとって笑いが止まらないことには、首位の入れ替わりを繰り返していることだ。

なお、『世界ランキング統計局』によると、米国債の国別保有額ベスト10は、以下の通りである。
(2012年11月現在 なお、下段は、2011年11月の金額)
http://bit.ly/13PHEoF

中国
1兆1701億ドル
(93兆6080億円)
1兆2546億ドル
(100兆3680億円)

日本
1兆1328億ドル
(90兆6240億円)
1兆0664億ドル
(85兆3120億円)


カリブ・バンキングセンター(Caribbean Banking Centers)
2837億ドル
(22兆6960億円)
2233億ドル
(17兆8640億円)

石油輸出国(Oil Exporters)
2601億ドル
(20兆8080億円)
2542億ドル
(20兆3360億円)

ブラジル
2570億ドル
(20兆5600億円)
2266億ドル
(18兆1280億円)

台湾
1931億ドル
(15兆4480億円)
1669億ドル
(13兆3520億円)

スイス
1869億ドル
(14兆9520億円)
1262億ドル
(10兆0960億円)

ロシア
1641億ドル
(13兆2280億円)
1451億ドル
(11兆6080億円)

イギリス
1450億ドル
(11兆6000億円)
1252億ドル
(10兆0160億円)

ルクセンブルク
1448億ドル
(11兆5840億円)
1272億ドル
(10兆1760億円)

一読してわかるのは、1位中国と2位日本との、異様なほどの、突出した購入額である。
3位以下は、桁が1桁違ってしまっている。
比較にならないのである。

日本は、米国とも中国とも仲良くすべきである。
しかし、米国の世界戦略・アジア戦略の基本は、日中を分断することにある。
引用した米国債の購入額を見てもわかるとおり、それは軍事的ばかりでなく、経済的にも、多大な利益を米国にもたらしている。

米国は尖閣に対して、日本の実効支配は認めるが、領有権は認めていない。
ここに、米国の戦略の凄さを見なければならない。
日中は、常に緊張状態におかれ、ともに、米国を必要とする関係に置かれた。
これを解いてゆくには、日中双方に、東洋の最深の知恵が必要である。
とても安倍晋三などに解ける問題ではない。

安倍晋三は、喜々として、オバマの手のひらで踊っている。
踊りながら、日本の国富をすべて差し出し、TPP参加後はいよいよ、日本の国防軍が、米軍の傭兵として、命を差し出すことになる。

再度、自・公から、政権を奪回することが必要だ。
しかし、それは、『民主党A級戦犯派・みんな・維新』の、第二自民党によってなされたのでは、意味はない。
このことが、いかに悲惨な結果を見るかは、民主党によってすでに証明されている。

現在の政治勢力でいえば、生活の党、社民党、共産党、みどりの風、緑の党などを、支援すべきである。
圧倒的な『自・公+民主党A級戦犯派・みんな・維新』の大政翼賛勢力に対して、あまりに野党が小さく、絶望的になるが、
小選挙区制は、政権交代を可能にしやすい選挙制度である。

この後、空白の3年間で、痛い目に遭った国民が、目を覚ます可能性が高い。
諦めたら、負けが確定する。
あまりにひどい政治状況は、逆に、オプティミズムをもたらしてくれる。
ここまで落ちたら、もう落ちることはないという、反転のオプティミズムだ。



今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。

 年々にわが悲しみは深くして
   いよよ華やぐいのちなりけり
           岡本かの子

また、面白い文章を書きますね。
みんな、あしたこそ、幸せになあれ!

0∞∞0∞∞0∞∞0∞∞0∞∞0∞∞0∞∞0∞∞0∞∞0

あとがき

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お待ちしています。

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海辺で見たこと考えたこと

2013年08月11日 | 家族とわたし
一週間分の絵日記。
8月3日・土曜日・思いっきりの

やのに、なぜか、海行きと反対方向の車線(8車線)がとんでもなく混んでた。


長距離ドライブ中のどっかで、必ず目にする原子力発電所。


海辺の町に到着。曇り過ぎぃ~!


一番近い我々が、一番遅く到着。すでに皆はバカンスモード。
立体パズル(地球儀)に挑戦中の、甥っ子アレックと義兄エリック。


おっさん兄弟!


できてきた。


姪っ子エメラも加わって。


ここが今回の我々の部屋。


さらに後から到着した次男くんも、負けずにくつろぐ。


エメラと、4日から合流する彼女の友だちリニーのための部屋。


2階のバルコニー。


規制速度25マイル、もし人が道を渡ろうとしてたら、それがどこであっても止まらなあかん、という規則が徹底してる町。


一番奥の主賓室に父と母、真ん中が旦那弟ジムと息子アレックの寝室、トイレとシャワー室を挟んで、うちの息子らのどちらかが寝る部屋がある3階。


3階の洗濯&乾燥機。滞在中はかなりお世話になるはず。


あっという間にこのありさま。



8月4日・日曜日・やった~

2階のキッチン。


リビングで、自分の2倍ほどデカい甥っ子に挑む旦那。


海ぃ~!!


延々と続く浜ぁ~!!


めちゃくちゃ広い浜やけど、どこで泳いでもええというのではなく、ライフガードが見張ってる前でしか泳いだらあかんという決まりがある。


どんどん奥に進んでくジム。


ボクは泳ぎません!と断言する次男くん。


なぜキミはここに……?


砂の中に潜ろうとする寸前。


瞑想中……。


お食事中……。


海は広いな大きいな。


兄弟。


コマーシャルバイトに励むプロペラ機。


穴掘りマン。


海の色が変わる。


埋めてぇ~!よっしゃ~!


困ったチャンのふりしてるけど……、


ほんまは大満足のアレック。


従兄弟同士。


浜の砂の中には命が渦巻いてる。
   

ちょいと一休み。


自転車専用道路。ここら辺は道がずっと平坦でほぼ真っ直ぐやから、自転車でうんと遠くまで行ける。


次男くんと入れ替わりに、バスに乗ってやってきた長男くん。
バス停で我々の迎えを待ってる時に、殴り合いの喧嘩を始めた高校生グループの間に入って止めたのやそうな。


エリック曰く、相当古い機種らしい、コマーシャルプロペラ機。


突然患うことになったゴムアレルギーに効果があるらしい日光浴と海水浴。


潮の流れに押されて、ついつい左側に行ってしもてたエメラとリニーを、連れ戻しに行ったライフガード。


フリスビーで遊ぶ叔父と甥っ子。


砂男アレックに埋められようとしてるエメラとリニー。


計量カップを見つけられへん母とわたしが、共同で作った手作り計量カップ。


ウォールストリート・ジャーナルにデカデカと載ってた、福島第一の海水汚染問題。
もはや能力も知力も無い後手後手の電力会社に、今だ事故処理を丸投げしてる政府の怠慢と無責任について書かれてた。


使い捨てのカップにそれぞれ名前を書いて、使い捨てないようにした。


夕飯だけ当番制で、それぞれの残りを昼ご飯で片付けていく。


夕方散歩の海辺。曇ってきた。



8月5日&6日・月曜日&火曜日 たり鳴ったり降ったりったり、めちゃ忙しい!

起きる、食べる、おしゃべりする、泳ぐ、本を読む、食べる、浜で遊ぶ、おしゃべりする、本を読む、食べる、寝る。


8月7日・水曜日 

友だちリニーが帰ってしもて、かなりがっかりしてるエメラを元気づけようっちゅうことで、彼女を連れて隣町へ。


ボードワークに必ずある遊園地。わたしは左端の逆バンジーに乗りたい!けど、がまんした。


元プロバスケット選手たちによる、おもしろ可笑しい八百長ゲームが行われるアリーナ。


あ、エメラが笑た!


我々の席の真ん前に陣取る、キラキラユニフォームの女の子たち。


6才の女の子による国家斉唱。


選手登場!


まずは準備運動。


作戦会議。


真剣にやってる時もある。


カメラに中指を立てる旦那。


あ、けが人が出た!


ハーフゲームショーでダンスする、キラキラユニフォームの女の子たちを観てエメラがひと言……「なかなかうまいね」。


その少女たちに出迎えられる選手たち。


試合の途中にいきなり余興。


観客の中で思いっきり目立ってたこの男の子。ダンクシュート!


なんとも嬉しそうな顔!


ボードウォークの夜店で売ってるフライドオレオ?!オレオクッキの天ぷら……食べてみたらけっこうイケた。



8月8日・木曜日

朝から海で過ごし、昼から我々(旦那、ジム、アレック、わたし)は映画を観に行く。
長男くんは、家に残って仕事。
映画は、ヒュー・ジャックマン主演の『ザ・ウルヴァリン』。
長崎に原爆が落とされた瞬間に立ち会うた日本兵士とウルヴァリンが主人公となって展開する話。
後になって、丁度日本時間の8月9日に、この映画を観たことに気がついた。


8月9日・金曜日 の予報が出てたけど

休暇最後の日。
午後からやっぱり仕事の長男くんを家に残し、再び我々4人だけで、隣町のボードウォークに行く。
目的はこれ。ちょいと過激なローラーコースター。


運転開始が1時から、ということで、時間つぶしに散歩。
いくつになっても兄弟のすることはおんなじ。


『HENNA TATTOO』⇒『変な入れ墨』と、つい読んでしまう、バイリンガル旦那とわたし……。


遊園地に戻ってきた。わたしは迷いに迷て断念した。こりゃちょっと首に悪いっぽい。


ドキドキなアレック。


ドキドキなジム。


旦那とわたしは、待ちながら平和な風景をパチリ。


散々振り回されて戻ってきたふたり。やっぱり、かなり首にきたらしい……。


隣町に行くのに、必ず通る橋の上の料金所。往復で1ドル50セントなり。


広大な湿地帯。




最後の夕焼けじゃ~!


海辺に出ると、3カ所で稲光りしてた。


この1週間、大活躍してくれた母持参のマッサージ台。


旦那は鍼灸師、母はマッサージ師&陶芸家。
ということで、休暇で家族が集まると必ず、誰かはこのマッサージ台の上に寝転がり、ふたりからの治療を受ける。
我々にとっては、鍼とマッサージ付きの、なんとも贅沢な休暇なんやけど、する方にとったら気の毒……ありがとうおかあさん、ありがとう旦那!

さて、まだ撮ってなかった場所は?
1階の洗濯室。


1階の治療室&居間。


1階には、旦那姉一家の寝室が2部屋と、 


その部屋の間にある、浴槽付きのバスルーム。


この休暇中、大活躍してくれたワインクーラー。


自動製氷機。(こんなことにまで電気使て……と非難めいたことを考えつつ、休暇やからと自分に言い聞かせる)


みんなで使たガスコンロと冷蔵庫。



8月10日・土曜日

早起きして、最後の片付けをし、来た時の状態に戻す。
冷蔵庫の残り物を、飛行機で帰るジム以外の者で手分けして持ち帰る。

4家族を迎えてくれた家をパチリ。


2階に直接上がれるらせん階段が、旦那のお気に入り。


この外シャワーも大人気。


チビ松林からまたまた松が。


海にはやっぱり松が似合う。


家に向かう。


バイバイ海。


おもしろい雲。
  




丸1週間、みんなといろんな話をした。
パソコンから離れようと決めて、画面を一切見んかった。
本をぎょうさん読んだ。
家から運んできた資料も読んだ。
普段、なかなか読めへん量の文章を読むことができた。

4家族10人の大人が、一つ屋根の下で7日間を過ごすと、そりゃまあ意見の食い違いや衝突は出てくるわけで、
それがまた、大家族旅行の、ひとつの醍醐味でもあったりする。

原発に絞って言えば、即廃絶には反対の人がいる。
長男くんもその中のひとりであったりする。
それで、そういう話になるとまず、そのことについての焦りや悲しみがワァッとわいてきてしもて、冷静さを保つのがめちゃくちゃ難しくなる。
 
その場に実際に居る人たちによるデータを元にして言うてるにしても、どないしてもそれは、自身の手足を使て得たものではなく、
借り物の情報を寄せ集めて、自分の都合の良いようにつなぎ合わせて作った物語である以上、それを信じろと言われてもできない。
僕もやはり、僕の信じたいデータや情報を選んでるのやけど、とにかく確証の無いことをどれだけ並べられても、考えを変えることはできない。
石炭もオイルもガスも、結局は環境を汚し、住民を移住させ、事故や故障で命を奪われてるし、その数や量は、原発に比べると圧倒的に多い。
人類がエネルギーを今の状態を変えずに使い続けようというなら、原発はやはり必要で使い易いエネルギー施設。
今の状態ではあかん、世界中で話し合うて、早急に生活内容やレベルを変えようやないか、という動きが出ん限り、原発を無くそうやなんてのは絵に描いた餅。

そこで会話は止まってしまう。

電気を湯水のように使てきた。
特にこのアメリカの国ではそう。
ちっちゃい子どものうちから、電気は当たり前にいつでもあって、しかも格安で、使わな損みたいに思てる。
そうかと思えば、よう停電したりもするし、嵐が過ぎた後なんかには、平気で3日から1週間ぐらい、電気無しの生活になるのやけど、
それもまあ、しゃあないことやと、いろいろ工夫したり助け合うたりしながら、その日々を乗り越えたりもする。
ただし、いつかまた、贅沢な生活に戻れるとわかってるからやろけども。

その、絵に描いたような贅沢を、人の家で1週間、経験させてもろた。
あんな暮らしが当たり前の人がいる。
うちは、電気というたら、夏の間の、合計したら7日間ぐらい使うか使わへんかの窓付けクーラーと、サイズがデカい洗濯機と、1週間に1回使う掃除機、
それから冷蔵庫と電子レンジ、夜の2時間ぐらいのテレビに、わたしが一番長いこと使てるパソコンと、髪の毛を乾かすドライヤーと、後はそれぞれの部屋の電灯。
それでも、日本で暮らしてた時に比べたら、かなり贅沢させてもろてて、それにすっかり馴染んでしもてる。

日本の夏は今年、猛烈に暑いのに、たった2基の原発が稼働してるだけ。
心ある人たちはそれぞれ、口には出さはらへんけど、電気を使う量をあれこれと節約してはると思う。
けどもそれで、あんまり我慢し過ぎて、熱中症にかかったり、体調を壊さはったり、それは絶対に避けなあかん。
世の中の矛盾や不公平は、そうやって、自分以外の人や動物や自然のことを考え、想像し、思いやる人にのしかかっていく。

わたしは、パソコンを使て情報を得、それに基づいて発言してる。
電気の消費無しにはやっていけへんことをしながら、発電をする原発を世界中から無くそうと願てる。
世界中の人たちが足るを知り、平和の実現のために、紛争や戦争を断固として拒否することを願てる。
史上最悪の戦争や原発事故がもういっぺん、自分らの目の前で起こらな、気づくことはもちろん、考えや生き方を改めようと思えん人が、
わたしの想像なんかをはるかに超えた、救いの無いほどの人数であるとしても。
コメント (4)
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