ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

あなた方には強い経済や良質な労働力もある。なのになぜ米国のカモにされたまま立ち上がろうとしない?

2013年08月10日 | 日本とわたし
海から戻ってきた。
我々が海でのんびりしてる間に、我が家では、次男くんのガールフレンドが、アパート契約詐欺に遭うててんやわんやしてたり、
次男くんが急性の豆乳アレルギーに襲われ、顔がお岩さんみたいに腫れて息ができんようになったりした。

家猫は文句は言うたものの、ちゃんと世話をしてもらってたおかげで元気。
畑や草花も調子良さそう。
ありがたや。
一週間ぶりに床を掃き、部屋の空気を入れ替え、旅行の後始末や洗濯に追われた。

日本時間の8月9日に、偶然観に行った娯楽映画の中に、まさに長崎に原子爆弾が落とされた瞬間に、爆心地の近くに居た主人公と準主人公というシーンがあって、その偶然に驚いた。
すべてはコンピューターグラフィックやったにせよ、原子爆弾の破壊の凄まじさ、恐ろしさが、ほんの数分の映像ではあったけれども、胸が押しつぶされそうになった。
わたしが観たのは、東海岸の、明るい日射しに照らされた海岸沿いの観光地の一角にある、ちっちゃくてカビの匂いがする映画館で、
部屋の中には、旦那と旦那弟とその息子、そしてわたしの他に、3人のアメリカ人(多分)がいただけやった。

わたしはひとりで『焼き場に立つ少年』の写真を思い出してた。


オリバー・ストーン監督のスピーチ(スピーチには同時翻訳者がついたが、けっこう不正確な部分があったので、それを荻原一彦さんが訂正し、連ツイしてくれはった)
8月6日 広島平和記念式典にて
 

↑このビデオは5つのパートに分かれてるので、興味のある方は、ユーチューブで続きを聞いてください。

わたしは今日、ここにこられてうれしい。
初めて広島に来たが、この2、3日、特に、皆さんも出席されたと思うが、今朝の(原爆記念)公園での式典を見て、強く心動かされた。
よくできた式典だった。
日本人の良心を証明するような式だった。

すばらしい記念式典は、「日本人」の性質をよく表していたと思う。
しかし、今日、そこには多くの「偽善」もあった。
「平和」、そして「核廃絶」のような言葉が、安倍首相らの口から出た。
でも私は、安倍氏の言葉を信じていない。

そして、この場にいる、歴史をよく知る人々は、安倍氏を信じないという私の言葉に、同意してくれると思う。
私は67歳だ。
(歴史学者の)ピーター(カズニック)と私は、この70年に渡る、アメリカ帝国のストーリーを書き直した。

第二次大戦で敗戦した2つの主要国家は、ドイツと日本だった。
両者を並べて比べてみよう。

ドイツは、国家がしてしまった事を反省し、検証し、罪悪感を感じ、謝罪し、
そしてより重要な事に、その後のヨーロッパで、平和のための道徳的なリーダーシップをとった。

ドイツは、60年代70年代を通して、ヨーロッパで、本当に大きな道徳的な力となった。
平和のためのロビー活動を行ない、常に反原子力であり、アメリカが望むようなレベルに、自国の軍事力を引き上げることを、拒否し続けてきた。

2003年、アメリカが、イラク戦争を始めようというとき、
ドイツのシュローダー首相は、フランス、ロシアとともに、アメリカのブッシュ大統領に、“No”と言ったのだ。

第二次大戦以来、私が見た日本は、偉大な文化、映画文化、そして音楽、食文化の日本だった。
しかし、私が、日本について見る事の出来なかったものが、ひとつある。
それは、ただのひとりの政治家も、ひとりの首相も、高邁な道徳や平和のために、立ち上がった人がいなかったことだ。
いや、ひとりいた。
それは最近、オバマ大統領の沖縄政策に反対して、オバマにやめさせられた人だ。

みなさんに聞きたいのは、どうして、ともにひどい経験をしたドイツが、今でも平和維持に大きな力を発揮しているのに、
日本は、アメリカの衛星国家として、カモにされているのかということだ。
あなた方に、は強い経済もあり、良質な労働力もある。

なのになぜ、立ち上がろうとしない?

私が、1968年に、兵士としてベトナムを離れたとき、これで世界は変わると思った。
新しい時代が始まると思った。
これで、米国のアジアに対する執着は、終わりになると思った。
しかし、アフガニスタン、イラクでの壊滅的な戦い、それにクウェートを加えた中東での冒険の後、米国は……。

中東での冒険の後、米国は、オバマの陰部とともに、アジアに戻ってきた。
北朝鮮は関係ない。
北朝鮮は、ただの、ナンセンスなカモフラージュだ。
本当の目的は、中国だ。
第二次大戦後にソ連を封じ込めたように、中国に対する封じ込めこそが、目的なのだ。

第二次大戦後、米国は、ソ連を巨大なモンスターにしたてあげた。
中国はいま、その途上にある。
つまり、米国の「唯一の超大国」の立場を脅かすもうひとつの超大国に、したてあげられようとしている。
今は、大変危険な状況にある。

オバマは、ヘビのような人間だ。
ソフトに語りかける。
しかしオバマは、無慈悲な人間だ。
台湾に、120億ドルもの武器を売り、日本に、スティルス戦闘機を売る。
日本は、世界第4位の軍事大国になっている。
それを、「自衛隊」と呼ぶのはかまわないが、世界4位の軍事大国だ。

日本より軍事費が多いのは、米国、英国、中国だけだ。
日本をそういうふうにした共犯者は、アメリカにほかならない。
日本は、米国の武器の、最大の得意客なだけでなく、アメリカの行なったクウェートやイラクでの、戦争の戦費の支払をしてくれた。

よく聞いてほしい。
アメリカは、こんなことを言いたくはないが、いじめっ子なのだ。
日本が今、直面している恐ろしい龍は、中国ではなく、アメリカだ。
4日まえ、私は、韓国の済州島にいた。
韓国は、上海から400Kmのその場所に、最大の海軍基地を作っている。

韓国は、済州島の、世界自然遺産の珊瑚礁を破壊して、巨大な海軍基地を作っている。
そこは、中国に対しては、沖縄よりも前線に位置する。
その軍港には、世界最大で、あらゆる核兵器を搭載する、空母ジョージ・ワシントンが停泊できる。
そこから出て行って、中国のシーレーンを制圧するのだ。

韓国と日本がキバを磨き、フィリピンも、米軍にスービック湾の基地を戻し、南野シンガポールと新しく同盟を結んだオーストラリアにも、海兵隊が駐留する。
それに台湾と、もと敵国のベトナムまでもが加わって、中国に対抗する。

それにミャンマー、タイ、カンボジア、さらにインドも、これに加わろうとしている。
これは、大変危険なことだ。
NATOが防衛同盟としてスタートしながら、攻撃のための同盟に変化したような事が、ここで起ろうとしている。

今年、戦争が、アジアに戻ってきた。
オバマと安倍は、相思相愛だ。
安倍は、オバマが何を欲しがっているか知っている。
なかでも、尖閣諸島について、私にはコメントしようがない。
あんなものを巡って戦う気が知れないが、それなのに、戦う価値があるように言われている。

問題は、日本のナショナリズムの精神が、安倍や、その一派の、第二次大戦に関する考え方、
特に、中国での南京虐殺や、韓国の従軍慰安婦問題などから発する馬鹿げた言説とともに、復活しつつあることだ。

いま皆さんは、核兵器廃絶が大切だ、とお思いだろう。
しかし、このポーカーゲーム(危険な賭け事)は、アメリカ主導で、軍が展開して、急速に進んでいる。
アメリカは、世界の73%の武器を、製造しては売りさばいている。
それには、無人攻撃機、サイバー兵器、宇宙戦争用の武器も含まれる。

核兵器などは、アメリカが戦争に使う兵器の、ごく一部でしかない。
米国は、世界の歴史上、最強最大の軍事国家なのだ。
どう思いますか、みなさん。
これに対して、怒りを感じてほしいです。
私が怒っているのと同じように、皆さんにも怒ってほしいのです。

われわれは、この本と映画に、5年の歳月をかけて、みんなに、とくに若い世代に、この危険と、米国の尊大さについて、分かってもらおうとしてきた。

米国は、「唯一の大国」であろうとするために、脅威を増大させ、世界中にアメをなめさせ、
無実の人を刑務所に入れ、消し、ファイルを秘匿し、盗聴し、永遠の監視国家たろうとしている。
ご存知かどうかわからないが、ジョージ・オーウェルが、このことをうまく言い表した。

これが今、世界に起っている事だ。
日本は、悪事に加担している。
もう一度言おう。
ベトナム戦争の後、みなさんは、戦争の危なさを知って、これが、アジアで最後の大きな戦争になる、と思ったはずだ。
でも、もう一度、戦争がある。

ここでみなさんには、ドイツがヨーロッパでしたように、立ち上がって、反対の声を上げてほしい。
日本はかつて、敗戦し、広島、長崎、その他で、ひどい目にあった。
その悲しみを糧にして強くなり、繰り返し戦争を起こして、日本と世界に痛みを与えてきたバカ者どもと、戦ってほしいのです。

どうもありがとうございました。

荻原氏による説明
『8月6日に広島で行なわれた、映画監督オリバー・ストーン氏の、英語による講演の翻訳です。
オリバー・ストーンと言えば、ベトナム戦争の悲惨さを扱った『プラトゥーン』、政治の裏側を扱った『JFK』『ニクソン』『ブッシュ』などを撮った、いわゆる社会派映画監督ですが、
今回は、アメリカン大学准教授のピーター・カズニックとの共著『もうひとつのアメリカ史』(原題 "Untold History of The United States"=語られた事のないアメリカ)のプロモーションに訪れた、広島での講演でした』




安倍総理の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典内の挨拶 

本日、被爆68周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。

68年前の本日、一発の爆弾が、7万を上回る、貴い命を奪いました。
12万人が暮らしていた家屋を全焼、全壊し、生き長らえた方々に、病と障害の、さらには生活上の、言葉に尽くせぬ苦難を強いました。

一度ならず、二度までも、被爆の辛酸を嘗めた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を、美しい街として蘇らせました。
今日は、犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、先人たちの奮闘と、達成に、感謝を捧げる日でもあります。

私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。
そのような者として、我々には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。
その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。

昨年、我が国が、国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。

本年、若い世代の方々を、核廃絶の特使とする制度を始めました。
来年は、我が国が一貫して主導する、非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、広島で開きます。

今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。
被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や、被爆者代表を含む関係者の皆さまに、議論を急いで頂いています。

長崎の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧に倍する努力を傾けていくことをお誓いします。

結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。
ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。
核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。





長崎・田上富久市長の平和宣言〈全文〉 

68年前の今日、このまちの上空に、アメリカの爆撃機が、一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄(すさ)まじく、直後から起こった火災は、一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは、一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち、15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が、命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病や、がん発病への不安、そして、深い心の傷を抱え続けています。

このむごい兵器をつくったのは、人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも、人間です。
核実験を繰り返し、地球を汚染し続けているのも、人間です。
人間はこれまで、数々の過ちを犯してきました。
だからこそ、忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ、確かめなければなりません。

日本政府に、被爆国としての、原点に返ることを求めます。

今年4月、ジュネーブで開催された、核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された、核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも、賛同の署名を求めました。

しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類は、いかなる状況においても、核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、
核兵器の使用を、状況によっては認めるという姿勢を、日本政府は示したことになります。
これは、二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

インドとの、原子力協定交渉の再開についても同じです。

NPTに加盟せず、核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めた、NPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす、北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。

日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。

非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを、具体的な行動に移すことを求めます。

核兵器保有国には、NPTの中で、核軍縮への誠実な努力義務が課されています。
これは、世界に対する約束です。

2009年4月、アメリカのオバマ大統領は、プラハで、「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月には、ベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを、明らかにしました。
被爆地は、オバマ大統領の姿勢を支持します。

しかし、世界には、今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上が、アメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に、核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにも、できることがあります。

「政府の行為によつて、再び戦争の惨禍が起(おこ)ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求する、という日本国民の、固い決意がこめられています。
かつて、戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、
決して忘れない、決して繰り返さない、という、平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

あなた方は、被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は、未来のために身を削りながら、核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に、耳を傾けてみてください。
そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に、核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。

地域の市民として、できることもあります。
わが国では、自治体の90%近くが、非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる、日本非核宣言自治体協議会は、今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが、宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として、力をお貸しします。

長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を、被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未(いま)だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が、平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の、一日も早い復興を願い、応援していきます。

先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた、山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実を、あらためて求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に、心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して、核兵器のない世界の実現に努力し続けることを、ここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日

長崎市長 田上富久


↓以下は、sarahさんが教えてくださった、平和宣言賛同者数調査です。

長崎市のホームページです。
平和宣言の賛同者数を調査しています。

共感した皆さま、下の方にスクロールしていただいてクリックを。
大きな数字になれば、大きな力になると思います。


http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/index.html

長崎平和宣言に賛同される方は、「クリック」ボタンをクリックしてください。
(長崎平和宣言の賛同者数を調査しております)
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海辺の1週間

2013年08月04日 | 家族とわたし
ミリアムの家の、この夏初めて咲いた朝顔の花。


さて、どこに咲いてるでしょう?


金曜日の朝に気功瞑想のクラスを受け、道教の教え第一章を学んだ。
初めてクラスに参加した人がいたからで、それはまた、慣れてきたわたしたちにとっては、初心にかえるチャンスでもあるので、ミリアムはいつも、初めての人が来るとそうする。

そのページには、物事の根源について書かれている、
わたしにはまだ、その教えがいわんとしていることを、つかみかねている。
ミリアムは、つかみかねていること、想像を続けること、知ろうとすること、その姿勢が気功だと言う。
そして彼女はいつも、わたしはなにひとつ教えることはできないけれども、一緒に学ぶことはできると言う。

彼女は先々週、ノルウェーの港から北に向かう船に乗って、一番北極に近い町を訪れた。
いろんな水が毎日目の前に現れて、そのどれもに、自分が深くつながっていると感じた。

昨日から、ニュージャージーの南端の海辺に来ている。
旦那の両親が借りてくれた海辺の家に、両親、旦那姉一家、旦那弟と息子、そして旦那とわたしが招待してもらい、1週間過ごす。
夕食当番を各自一回受け持ち、片付けは皆で助け合う。
のんびりと本を読んだりボードゲームをしたり、昼寝したり、あ、もちろん海で泳いだり。
なにもしない、という時間が必要やったから、この休暇を楽しみにしてた。
南北に延々とつながっている夜の浜辺を、旦那と旦那の弟ジムと3人で歩いた。
ハリケーンサンディの被害がほとんど無かった所やけども、長い時間歩いてると、浜の所々に、通常は見られんような変な段差があったりする。
ほんでそれは、米軍による砂の調整であったりするらしい。
南北に延々と続く美しい白い砂の浜も、実はまったくの自然ではないということやね。

今日も長いこと浜で過ごした。
昨日の夜から来てる次男くんは、明日からの仕事のために戻らなあかn。
彼と入れ替わりに、今夜から、長男くんが、ニューヨークからバスに乗ってやって来る。
そして珍しいことに、彼は、家から仕事ができるようにして、一週間丸々、一緒に過ごすらしい。
彼も多分、ゴムアレルギーに悩まされてて、その症状には太陽の光と海水がとても良いというので、この休暇を楽しみにしてたに違いない。

宮城の方で、小さいとはいえない地震があった。
三陸沖という文字が何回も目に入ってくる。
日本はまだまだ、収束などしていない。
地震の現象もまだまだ、落ち着いたともいえない。

けれどもわたしが、ここでそのことを悩んでもしょうがない。
無事であることを祈ることぐらいしかできない。

しばらく記事を書かないので、よかったら、カテゴリーから適当に選んで読んでもらえたら超~嬉しいかも。
最近、そういう記事を掘り出してきてくれはった方がいて、読み直すことができた。
『日本とわたし』の記事は、文面から怒りがにじみ出てきてるようなんが多いけど、どれも正直な気持ちで書いた。

いつかきっと、あの時はよう怒って書いたなあと、苦笑いしながら思い出せる日本になりますように。
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どこまで狡いか汚いか!祝島を狙う悪党どもの仕業

2013年08月03日 | 日本とわたし
Women's Action Network のブログ『原発ゼロへ』に、祝島の現地の状況について、詳しい報告が載せられていた。
読めば読むほど、自分の不甲斐なさ、実際の存在力のなさに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
31年間。毎週毎週、大きな力と闘い続けてこられた祝島の方々の、海を守り、人を守り、未来を守ろうとする強い気持ち。

「闘いやなんて、甘っちょろい言葉で括らんといてくれんか」

そんな声が聞こえてきたような気がする。


祝島はいま ~原発と海をめぐって~
2013年7月26日

現地の状況について、次のような報告がありましたので、お知らせいたします。

* * *

「埋め立ては認めないと、選挙のとき言ったのに、なぜ知事は、(埋め立て免許の失効を)先延ばししたんですか」

2013年3月4日。
山口県議会に、県内の祝島から来た女性の声が響いた。
中国電力(中電)が、上関に原発をつくるための埋め立てについて、
山本繁太郎知事の答弁がはじまり、傍聴席が騒然となっていた。
「休廷します」と議長が宣言。
「逃げるな!」
「選挙のとき、埋め立てを認めませんと言うたでしょうが!」
「それで当選したんじゃろうが!」
と、傍聴席から声が飛ぶなか、知事は退席した。

この埋め立て免許をめぐっては、08年10月、当時の二井関成(にい せきなり)知事が、中電に免許を出した。
だが、埋め立て工事は、周辺の祝島などの人びとの抗議で、進捗しないまま、
11年3月に、東京電力の福島第一原発事故を受けて、中断。
6月議会で、延長許可の申請があっても認めない方針を、二井知事が表明した。

昨夏の選挙で、任期を得た山本知事も当初、
「前知事の法的整理を引きつぐ」と、免許の延長を認めない方針を示していた。
延長の申請があっても、「認めることはできない」と、昨年9月にも答弁している。

それでも中電は、昨年10月、免許が失効する前日に、延長を申請
県はそれを受理した
行政処分の目安として、県が定める標準処理期間は、32日。
だが、県が中電に、補足説明を4回も求め、4カ月以上すぎた。
県へ回答が届くまでの日数は、カウントしないからだ。

13年2月7日には、県内の市民団体が、県知事に申し入れをした。
「上関原発計画予定地の公有水面埋立について、直ちに不許可とすること」、
中電からの延長申請について、県が中電に求めた補足説明について、「内容の詳細を明らかにすること」。

県の回答は、第一に、審査過程で「申請内容に不明な点があったため、補足説明の照会を」しており、
「公有水面埋立法にもとづき、適正に審査」したい、というもの。
第二に、「補足説明を求めた内容には、法人の不利益情報も含まれ、示すことはできない」という内容だった。
後者については後日、情報公開請求により開示されたが、「一文も残さず黒塗り」の文書である。

13年3月4日は、間延びさせた「標準処理期間」さえ満了し、数日たっていた。
20分間の休廷を解くベルが鳴り、山本知事が答弁を再開する。
「今後も審査を継続し、上関原発の位置づけが、形式的にみれば、実質的になんら変わらないことについて、
事業者に対して、一年程度を期限に、更に補足説明を求める」。
ふたたび騒然となった。
5回目の補足説明を求めるうえ、回答期限は1年。
期限切れの埋め立て免許が、あと1年も失効しないのだ。
「公約違反!」と傍聴席から怒声があがった。

この日、早朝から、船とバスを乗りつぎ、県議会の傍聴に駆けつけた祝島の人びとは、晩には祝島の公民館に集まった。
漁業補償金のことでも、動きがあったからである。

00年4月27日、中電と、当時の共107共同漁業権管理委員会などは、上関原発の建設と運転に伴う漁業補償について、契約書を交わした
この管理委員会は、上関の原発予定地の周辺にある、8漁協(当時)が構成し、旧祝島漁協はそのひとつ。
翌5月、総額約125億円の補償金のうち、半額が支払われた。
祝島漁協(当時)は、受けとりを拒否
祝島分の約5億4千万円は、この管理委員会が、法務局に供託した。

残りの半額が支払われたのは08年、県知事が公有水面埋立免許を出した直後である。
祝島漁協は合併して、山口県漁協の祝島支店になっていた。
祝島支店が受けとりを拒んだ、この約5億4千万円は、県漁協が仮受けした。
00年に供託された5億4千万円は、10年5月半ばまでに受けとらないと、国庫に収納されるという。
それを取りもどすか否か、祝島支店の組合員たちは、採決を迫られた。
09年2月は、無記名投票の結果、35対33で、翌10年1月は、挙手投票の結果、43対23で、取りもどさないと決議される。

ところが、県漁協は10年5月、この5億4千万円を払いわたす手続きを、勝手に行った
08年の第2回支払い時に仮受けした5億4千万円と合わせ祝島分の漁業補償金約10億8千万円を全額、県漁協が「預かる」ことになる。

12年2月、祝島支店の組合員集会が開かれた。
漁業補償金の受けとりについて、3回目の採決である。
こんどは、10億8千万円全額について、受けとる意思があるか、という。
組合員たちは、議長を選ぶ段階から揉めながらも、挙手採決の結果、40対17で受けとりを拒否
「祝島支店では、補償金を二度と議題にしない」という、緊急動議も議決した。

にもかかわらず、13年2月28日、県漁協本店は、議案「漁業補償金について」の総会の部会を、祝島で開催したのである。
冒頭、「補償金を受けとるか受けとらないか、環境の変化にともない、再度お聞きするため」総会の部会を開催すると、県漁協は説明したという。

「環境の変化」は3つ。

まず、水揚げが減り、組合員の生活が厳しくなっている支店や、社会の状況である。
支店の赤字は、組合員が分担して負担する。
一人あたり、昨年度は8万円台だったが、今年度は13万円を超す見込みとされた。

さらに、祝島分の漁業補償金を、県漁協が仮受けして、3億円以上の法人税を納めたことを「立て替え」とし、
祝島支店の組合員に、補償金が分配されるとき、「10億円戻ってくるか、(分配までの期間が)長くなるほど不安」なこと、
「立替金という仮勘定にある金は、一定の期間内に処理するように」と、県漁協が会計監査の指摘を受けたこと、を挙げた。

組合員から疑問が相次ぐも、それを遮って議長が選出され、無記名投票の結果21対31で、補償金の受けとりを拒む声が認める声を初めて下回った。県漁協本店はこれをもって、祝島支店が上関原発の建設に伴う漁業補償金の受けとりを承諾した、とした。果たしてそうか?

まず、議決に必要な数(可決割合)に疑問がある。この日、「議決に必要なのは半分以上か3分の2以上か」と問う組合員に、県漁協の仁保宣誠専務理事は「私は基本的には『半分』と思っている」と応え、過半数(27以上)ではあるが3分の2(35)には満たぬ票数をもって「補償金の受取りが議決された」とした。

だが、山口県漁協の定款によれば、この漁業補償金については、
「3分の2以上の多数による議決」が必要とされる「特定区画漁業権、若しくは共同漁協権、又はこれらに関する物件の設定、得喪又は変更」(第46条2の3)にあたる
と、上関原発を建てさせない祝島島民の会の、清水敏保代表は言う。
たとえば、前述した8漁協(当時)のうち、平生などでも、漁業補償金について議決に必要な数は、3分の2以上だったというのだ。

また、議長の選出方法も疑問だ。
仁保専務理事はこの日、議場から、「挙手で」と声があがっていながら、議長の選任方法は「執行者で決める」として、無記名投票で議長を選出したと聞く。
だが、清水代表によれば、県漁協の規約には、「招集者は… 議長の選任方法を議場にはかり、議長を選任」(第8条)とあり、招集者が決めるとの定めはない。

13年3月。
人口約460人の祝島で、漁業補償金に関する議決権をもつ漁協の正組合員は、53人。
「漁師だけの問題じゃない」という声も聞こえる。

16日、祝島支店の正組合員31人と准組合員8人が、この漁業補償金は受けとらないと、1人1枚の書面に意思を記したうえで署名捺印。
22日に、この39名の代表3人が、下関市にある県漁協本店を訪れ、それを提出した。

しかし、県漁協はこの6月、
「漁業補償金配分基準(案)について」との議題で、6月21日に、祝島支店で総会の部会を開くと通知してきた。
10億円を超える漁業補償金の配分基準案が、配分委員会をつくって検討することもなく、いきなり出来てきたのである。

「原発つくらせんために、30年みんなで頑張ってきたのに、自分だけ銭をもらってどうなろう」
「漁師だけの海じゃないんじゃけぇ」


祝島の人びとは発奮し、奔走した。
すると、県漁協は、前日の夕方になって、荒天を理由に延期を通知、今後の開催日は、おって知らせるという。

7月3日、先述した祝島の漁協組合員39人は、延期中の総会の部会での決議方法や、可決割合などについて問う文書を、県漁協へ送付。
1週間以内の回答を要請した。
前政権の「原発ゼロ」を、自民党の安倍政権が「ゼロベースで見直す」揺りもどしにも、祝島の人びとは、一心に原発を拒みつづけている。

「誰の海でなし。みんなの海なんじゃけぇ、守らんと」

もはや私たちも、迷う余地はないはずだ。
どんな揺りもどしも、時計の針は戻せず、時代の波は止められないのだから。

(報告者:山秋真)


祝島 漁業補償金についての最新情報:8月2日に漁業補償金をめぐり総会の部会開催
2013年7月28日
現地から、次の情報がありましたのでお知らせいたします。
* * *
山口県漁協が、上関原発建設のための迷惑料として、
中国電力から預かった10億8千万円のお金(漁業補償金)を、
山口県漁協祝島支店に、強引に受け取らせようとしています。

祝島の人びとは、30年以上も、原発に反対の意思を示し、建設の阻止をしてきました。
漁師たちは、山口県漁協が開く、漁業補償金の取り決めをする総会で、何度も、受取りを否決してきました。

本来なら、一度で終える決議を何度も繰り返し、山口県漁協の職員が、総会で、漁師たちに、
「受け取らなければ、10億8千万円の管理をしているため、税金だけかかり、それを負担しなければいけない」と嘘の脅しをかけ、
「県漁協が主催で開く総会は、県漁協主導で議決方法を決められる」と、強引に、受け取りの可決をさせました。

しかし、その後まもなく、山口県漁協祝島支店の正組合員53人のなかで、過半数となる31名の正組合員と、8名の准組合員は、
「漁業補償金の受け取りはしない」という内容の書面に署名をし、それを、山口県漁協本店に提出しました。

その署名のことには何も応じることもなく、今回、漁業補償金の分配方法を決めるための、総会を開こうとしています。
漁業権に関わる総会の議決は、3分の2以上の同意がなければいけません。
山口県漁協は、漁業補償金については、過半数で議決できる、との主張をしていますが、

福島原発の事故がもたらした、海への被害を考えたら、漁業権に関わることは間違いないと思えます。

この分配方法が決まらなければ、漁業補償金の受取りにはなりません。
不当で強引なやり方で、原発の漁業補償金を受け取らせようとしていることに対して、
本来の漁協は、漁師たちの生活を守るべきではないか、などの声を、山口県漁協に届けてください。
世間の注目が、変化をもたらします。
正当な方法で、議決を行えるようになるためにも、上関原発の新規立地を許さないためにも、
よろしくお願いします。
山口県漁業協同組合
Tel: 083-231-2211 Fax: 083-231-6466

(報告者:木村力さん)


脱原発世界会議2での祝島からの報告
2013年8月1日

* * *

現地から、次の声をお届けします。
2012年12月15日に開催された、脱原発イベントNuclear Free Now 脱原発世界会議2で、
「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の橋本典子さんが、された報告です。

祝島では、上関原発の建設にともなう、漁業補償金の受けとりを拒む祝島の漁師さんたちに、山口県漁協が受取りをせまっていて、
2013年8月2日午後5時から、総会の部会を開催しようとしており、いままた大変です。
応援よろしくお願いいたします。
________

こんにちは。
山口県からきました、橋本典子と言います。
宜しくお願いします。

祝島は、高齢者が多くて、私が若手です。
普段は、美容師と、母親から習った味噌を作ってます。
22才の時に、原発問題が起きて、推進と反対派と別れて
残念ながら、昔の和気あいあいとした島の生活は、無くなりました

中電と国に、人間関係をバラバラにされたのが、とても悔しいです。

3年前から、海の埋め立て工事を始めようと、昼、夜関係なく、作業船を動かして来るので、
毎日が戦いで、母親の面倒もそこそこに、反対運動してました。

私の運動の仕方は、引いたら負ける、絶対に引かん!と、自分に言い聞かせてやってました
作業をやめさせようとボードに乗り、9時間、船にしがみついた事もあります。
父親が、広島で被爆してるので、私は被爆二世ですね。
だから、余計、原発は絶対建てさせないと、体を張ってやってます。

中電に、毎日のように、違法行為とか警告とか言われて、
最初はめちゃくちゃビビりましたが、だんだん慣れてきて、普通の言葉と変わらなく聞こえてきました。
自分達は正しい事をしてる。
これで、警察や海上保安庁に捕まってもええわ、と思ってやってました。

旦那もずっと、船で反対運動して、ほとんど2年間、仕事は出来ないし
体と精神状態は、かなりきつかったと思います。
船に慣れてる旦那でも、陸に上がると体が揺れてる、と言ってましたね。
最悪の状態でした。

全国から、布メッセージやカンパの応援を頂いたり、若者達が見張りをしてくれてて、助かりました。
そのために、若者2人と、島民の会代表 清水さんと、旦那、橋本久男が、4800万訴えられました。

中電はまだ、原発を建てると言ってます。
30年から、毎週月曜日に、デモをやってます。
現在、1151回(2012年12月現在)になりますが、これから高齢者化が進み、色々な運動も厳しくなってます


私達は、自然と共にに生きたい、それだけの事がとても難しいんです

これからも、祝島を助けて下さい。
宜しくお願いします。

(報告者:橋本典子さん)


祝島島民の会 全員集会でのメッセージ
2013年8月2日

本日午後1時、上関原発をつくらせない祝島島民の会の、全員集会が開かれました。
代表の清水敏保さんが、次のメッセージを読みあげ、集まった会員の方々と確認しました。

 * * *
 
『本日招集されている、県漁協祝島支店の総会の部会は、山口県漁協の強引な進め方で、開催されようとしており、私たちは認めることができません』

祝島に暮らす私たちは、これまで31年間、原発建設に反対し続けてきました。
原発建設のための漁業補償金も、祝島の漁師たちは、2000年に受け取りを拒んで以来、
これまで3度も、受け取り拒否を決議してきました。

昨年2月は、祝島支店では、漁業補償金について、二度と議題にしない、ということも決議しました。
それを無視して、県漁協は今年2月、祝島支店の総会の部会を開き、漁業補償金の受け取りを迫ってきました。

県漁協のやり方は、規約に違反した選出方法で、議長を決め、採決を行うというものでした。
その結果、受け取り賛成が、初めて過半数となりました。
これをもって、県漁協は、祝島支店が漁業補償金の受け取りを決めた、と言っています。

そこで、祝島支店の31人の正組合員は、漁業補償金は受け取らないと、改めて、県漁協に申し入れをしました
それも無視して、祝島支店に配分委員会も作らず、県漁協主導で、6月に、漁業補償金の分配案を作ってきました
今日の総会の部会は、その採決を迫ろうとするものです。

この漁業補償金については、本来なら、漁業者全員の同意がなければ、決めることができません
少なくとも、3分の2以上の同意は必要であると、県漁協の定款類にも、国の法律にも明記されています。
祝島支店が、漁業補償金の受け取りを決めた、という県漁協の主張には、全く根拠がありません

私たちは、繰り返し説明を求めていますが、県漁協は、これまでずっと明らかにすることなく、進めてきました。

繰り返します。

『本日招集されている、県漁協祝島支店の総会の部会は、山口県漁協の強引な進め方で、開催されようとしており、私たちは認めることができません』

(報告者:木村力さん)


祝島:漁業補償金に関する総会の部会の中止
2013年8月2日

本日、祝島にて予定されていた、山口県漁協祝島支店の総会の部会は、中止となりました。
港での、祝島島民の怒りの大歓迎によって、県漁協関係者は島に上陸しただけで、乗ってきた定期便で帰っていきました

取り急ぎのご報告ですが、この件に注目し、アクションを起こしてくださったみなさまに、感謝いたします。

(報告者:山秋真)
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「押しつけといてなんですけど、わてら、もう原発いりまへんわ。高いし危ないしゴミ処理できひんし」

2013年08月02日 | 日本とわたし
米国で一転、急速な広がり見せる原発不要論
安全面でもコストでも全く割に合わない
 

上記の記事は、ここに転載すると著作権にひっかかるので、記事の内容をまとめたんと、実際にアメリカで見聞きしたことをまぜて話させてもらう。

オバマ氏は、我々は世の中を変える!などと叫びながら、選挙のキャンペーンCMでは、
「全米に十分行き渡るエネルギー確保のために、安全な核エネルギーの利用する」なんて言うてた。
せやのに、核廃絶と戦争の終了を声高に訴えてたから、ノーベル平和賞をもろたりした。

大統領に選ばれてしばらくしたら、
「グリーンエネルギーを発展される一環として、安全でクリーンな新世代の原子力発電所を造る!」などと息巻いて、
それと並行して、ビル・ゲイツがお金を猛烈に注ぎ込んだ夢の原発プロジェクトの啓蒙活動が盛んになり、
わたしはいっぺんだけ、その講演の様子をテレビで観て、背筋がぞぉっとしたのを覚えてる。
なんやこれ?カルトか?
「原子力ルネサンス」という名の下で、原発推進の波が起きていた。

そしてその時はまだ、福島の原発事故が起こってなかったから、わたしはなんにも知らんと能天気に生きてた時やけど、
その講演の様子を観てる間中、なにか嫌な気がした。
なにかが根本的に間違うてる……。


米国では、今から34年前に起きたスリーマイル島の原発事故以来ずっと、新期原発の建設は行われてなかった。

スリーマイル島の原発事故が起こり、なんや、原発の安全性は完璧なんかとちゃうことがわかり、見事に自重姿勢に入った。

そうやって止まってた建設が、オバマ氏が当選した頃から揺らぎ始めた。
天然ガスや石炭などの値段が急騰してた時期で、原発はコスト的にもやっぱり割安ちゃうかと考え直された。

そんな矢先、シェールガス革命が起こった。
天然ガスも石炭も、どちらも価格が急落した。
そこに、福島の事故。

31基もの新規建設の予定やったのがたったの4基になった。
その4基は、州議会がすでにゴーサインを出してたので、止めるに止められへんからやっただけのこと。

7月11日には『世界原子力産業現状報告所』というものが発表され、原子力の汚点、限界を提示してる。

とはいうても、もしシェールガス革命というものが起こらんかったらどないなってたやろか。
あの妄信っぷり、押せ押せムードは、恐ろしいほどのもんやった。
あれほどの長い間、安全性を主軸に捉えてたのに、他の燃料の価格が高騰したら、コロッと矛先を変えて、さも正しいようにガンガン啓蒙する。
それも、ありったけのお金をかけて。
ほんで、人は、おもしろいようにだまされていく。

それに、シェールガス革命にも問題がある。
わたしの友人が夏だけ暮らす家のある村に、シェールガスが埋まってることがわかり、それからは集会や説明会だらけで、ものすごくもめてるらしい。
発掘する際に、地下水脈を汚染する可能性があるので、それを心配する村人が強く反対してる。

アメリカは特に、ずいぶん昔から、エネルギーを浪費し、贅沢に暮らすのが当たり前になってる人がものすごく多い。
今の生活の水準を変えてまで、エネルギーのこと、地球のこと、未来のことを真剣に、自分のこととして考えようという人はかなり少ない、と思う。

ただ、もし、このアメリカで、福島と同じぐらいに重大な原発事故が起きたら多分、少なくとも原発業界は、なんらかの新しい判断をするとは思う。


記事に上げられてた一例をここに載せさせてもらう。

『ニューヨーク市の東に位置するロングアイランドに、建設期間10年の歳月をかけた新規原発があった。
着工は1973年で、スリーマイル島事故を挟んで、工事が進められた。
総工費60億ドル(約6000億円)。

ただ、事故の影響で、原発反対の嵐が吹き、工期は延びに延びた。
それでも、原発は完成。
けれども、現在、その原発は稼働していない。

原子炉を動かすためには、米国版NRCから、ライセンスを受ける必要がある。
1989年、NRCは、許可を出さなかった。

日本のように、再稼働を許可するかしないかという判断ではない。
6000億円という巨費を使った後、これから発電をします、という段階になっての「ノー」である。
スリーマイル島事故がなければ、許可が出ていただろうが、
ロングアイランドは結局、1ワットも発電できずに、廃炉になった』


さて、日本版NRCはというと……いや、日本のんはNRC(規制委員会)とちゃうかったな。
regulation(規制)やのうて promotion(推進)やねんから、これからはNPCって呼ぶべきやね。

それと、祝島の方でも、なんか、けったいな動きが出てきたね。
今夜はもうちょっとがんばって、それを書いてから寝るとする。
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「『朝日のあたる家』は今、日本人が観なければならない作品です!」by 愛知県コロナシネマワールド

2013年08月02日 | 日本とわたし
「朝日のあたる家」が愛知県で9月公開
【映画.com】2013年8月2日

「朝日のあたる家」
「朝日のあたる家」

先の参院選で、無所属新人として唯一当選し、話題を呼んだ山本太郎の出演作「朝日のあたる家」(太田隆文監督)が、
9月に、愛知県のコロナシネマワールド3劇場で、公開することが決定した。

原発事故を扱った映画ということで、公開がなかなか決まらなかった本作は、
5月の、ロサンゼルスの、ジャパンフィルムフェスティバルに出品、
その後6月29日、30日に、ロケ地である静岡県湖西市で行った完成披露上映会には、2日間で観客動員3000人を達成した。

山本は、
「私生活で原発へのアクションをしているので、作品などで表現する必要はないと思っていたが、脚本を読んで自分の考えが変わった」
と、本作出演の経緯を語っており、全国の有志たちが自主的に、Twitterなどで、公開を求める署名活動が広まっていた。

自然に囲まれた美しい町に住む、平田一家。
大学生の長女あかね(平沢いずみ)は、農業を営む父(並樹史朗)、主婦の母(斉藤とも子)、妹(橋本わかな)と、平凡に生活するこの町が好きではなく、都会での一人暮らしを夢見ていた。
そんなとき、大地震が起き、原子力発電所が爆発し、避難勧告が出される。
福島の事故と同じ事態に直面し、あかねたちの家族も、悲しみの渦に巻き込まれて行くという物語。
山本のほか、いしだ壱成、藤波心らが共演する。

9月14日から、豊川コロナシネマワールド、
9月20日から、半田コロナシネマワールド、
9月28日から、中川コロナシネマワールドで公開。


愛知の3劇場以外でも、現在公開交渉、および日程調整中。
決定次第、公式サイト公式Twitter(@asahinoataru_ie)及び、監督ブログで順次発表予定。



上映が決定した!
そのことについて、コメントしてくれはったミキコさんの、うれしそうな声が聞こえてくるようやった。
わが愛知県、という言葉の中に、彼女の誇らしい気持ちがいっぱい詰まってた。
うれしいなあ……。

そしてこれは、太田監督のブログからの抜粋。

↓以下、転載はじめ

「朝日のあたる家」撮影時に、多くの方が応援支援をくれた豊橋市でも、映画館公開前、感謝を込めた特別上映が決定。

◎日時
8月25日(日)
1回目上映 10:30~12:30
2回目上映 13:00~15:00
3回目上映 15:30~17:30

◎場所  
豊橋市民文化会館  リハーサル室 (各回 定員160名 )
地図、アクセス http://ticket-search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=THSB

◎チケット  
前売り1000円 当日1200円 (前売り、当日ともに、中高生半額・小学生以下無料)

◎チケット取扱い店  
ほの国百貨店6F 、豊川堂(本店、豊川店、田原店)
(チケット取扱い店募集 随時お知らせ)

◎後援  
豊橋市、豊橋教育委員会、豊川市、豊川教育委員会、中日新聞社、東愛知新聞社、東日新聞社

◎ 託児  
1回目上映、2回目上映にあります。
(要予約、1名500円、各回10名まで)

◎主催 さよなら原発東三河ネットワーク
問い合わせ さよなら原発facebookページ 
https://www.facebook.com/sayonara.genpatu.higasimikawa


お陰さまで、以下の、3館の上映が決まりました。

上映時間等については、決まり次第にお伝えします。

9/14日(土)~ 豊川コロナシネマワールド(愛知・豊川)

9/21日(土)~ 半田コロナシネマワールド(愛知・半田)

9/28日(土)~ 中川コロナシネマワールド(愛知・名古屋)



「朝日のあたる家ー上映します」映画館から連絡!(上)

 [映画館公開に向けて]

この1ヶ月ほど、多くの方から、「朝日のあたる家」への応援を頂いている。

上映してくれそうな映画館の提案。
「イベント上映をしたいです!」
「何かできることはないですか?」

もう、本当に多くの方からの、激励があった。
その声はまるで、「レミゼラブル」の、「民衆の歌」の歌声のように。

「朝日のあたる家」を観たい!という思いが、日本各地で溢れた。

そんな声が、ついに映画館に届いたのか、あるシネコンチェーンから連絡があった!!

先日、社内試写を行い、こう結論づけたという。

「素晴らしい映画です。今、日本人が観なければならない作品。家族で観るべき映画。ぜひ、うちのシネコンで上映したい!と考えています」

その連絡を聞いたとき、涙が溢れた。
分かってくれる人たちはいるのだ。
心ある会社が存在する。

そのシネコンは、県内に3館あるという。
そこで上映したいというのだ!!!

感謝!!!!!!!!!!

嬉しいが、ひとつ大事なことがある。上映時期だ。

「難しいとは思いますが、出来るだけ早く、上映してほしいんです」

というのも、原発の再稼働が始まる前に、多くの人に観てほしい。
来年上映……では、遅すぎる。

すると、先方は……こう答えてきた。

「では、9月中旬から上映しましょう!」

シネコンでたくさんのがあるので、対応できるようだ。

ほんと、何といっていいのか?
こんなことってあるんだ……。
大手映画館チェーンは基本、原発は拒否。
実際、無理だった。
だから、単館と交渉していた。
その単館からも、次々に断れて、もう駄目か……そう思っていたときだ。

まさか、シネコンで上映してくれるなんて。
そこは、県を中心としたチェーンで、県下にある3館で、上映してくれるとのこと。
そして、それらシネコンに、多くの観客が訪れたならば、
噂を聞いて、やの映画館からも、
「うちで上映しましょう!」といってくるはず。

光が見えて来た。

多くの人の声援に押し上げられて、「朝日のあたる家」映画館上映が、9月に決定だ! 

詳細はのちほど。

応援をくれた皆さんの御陰。
本当にありがとうございます!
まずは、愛知県での成功を目指す。

そうすれば東京、大阪の劇場上映も、可能になるはずだ。

(つづく)

↑以上、転載おわり

!の多さが、監督の嬉しさを表してますね! 
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原発事故の悲劇を描いた映画は「客が入らんから」と、上映を拒否するクソったれな日本の映画館!

2013年08月01日 | 日本とわたし
えちごやさんのブログ『とべないポスト』に、この映画が紹介されていました。
この映画のことは、前から気になっていました。
さあ、上映開始、という段になって突如、全国の映画館から上映拒否をされたといううわさを聞き、余計に気になってきました。

なぜこの映画が、上映禁止にならなければならないのか。

そのことを、わたしたちが、自分の頭で考えないといけません。

↓以下、転載はじめ

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」ご紹介



原発事故の悲劇を描いた、太田隆文監督作品である。
ストーリーはまさに、福島事故後の被災者家族を描いている、といえるものだ。

この映画の上映が、各地で拒否されているという。

「原発映画に客が入らない」のが理由とか。

どなたかの顔色をうかがう自粛の臭いがしてならないのだが、
ニホン社会の文化水準を考えるとき、あながちいいわけでもないだろうとも思う。

上映を中止させる、ある筋の圧力もあるかもしれない。
体制になびこうとするニホン社会の、危険な側面もあるかもしれない。

では、それらがまったくなかったなら、映画館は盛況になるだろうか。

社会全体の問題意識の低さを思うとき、私は悲観的にならざるを得ない。
日本映画の最高傑作、黒澤 明の「どですかでん」を理解できない大衆が相手では、
この映画も、商業的に成功するとは思えない。

「いいもの」を商業ベースに乗せるには、意識水準が高まるのを待つしかない。(この国では当分は無理)
「いいもの」を世に送り出す工夫をしなければ、文化水準は下がるしかない。

企業や自治体、各種サークル等のスポンサーをみつけることや、
サポーター支援、ネットの有料配信も検討されてよい。
配信態勢の流すものだけに甘んじていては、私たちはマイルドコントロールされてしまう。


『朝日のあたる家』"The House of Rising Sun"

あらすじ

静岡県、湖西市。
自然に囲まれた美しい町。
そんな町に住む平田一家。

お父さん(並樹史朗)は農業、お母さん(斉藤とも子)は主婦。
長女(平沢いずみ)は大学生、妹(橋本わかな)は中学生。
日本中、どこにでもいる平凡な家族。

ただ、長女のあかねだけは、この町が好きではなかった。
大きなショッピングセンターがない。
映画館やコンサートホールがない。
そう思って、都会の大学を受けたが、合格したのは近所の大学のみ。
就職は大都会でして、一人暮らしを夢見ていた。

そんなとき起こった大きな地震。
原子力発電所で事故。
やがて避難勧告。

そして避難所へ。
1日で帰れると思っていたら、何ヶ月も帰れない。
父は仕事を失い、 母はノイローゼになり、妹は病気になる。

ようやく許可された一時帰宅も、1時間の制限付き。
荷物を取ってくることしか許可されない。
福島と同じ事態になっていた。

もう他人事ではない。
あかねたちの家族もまた、大きな悲しみの渦に巻き込まれて行く……。

出演:斉藤とも子、橋本わかな、並樹史朗、平沢いずみ
監督:太田隆文
日本語音声英語字幕


「朝日のあたる家」公式サイト
http://asahinoataruie.jp/



映画「朝日のあたる家」予告編






映画監督・太田隆文氏の「原発事故の悲劇を描く映画「朝日のあたる家」監督日記 」 より

なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(1)

僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」

今の時代、いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。
だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えるのが、僕の映画。

「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ。

そんな中、311が起こり、原発事故が起きた。
興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない福島の、過酷な状況が見えて来た。

特に、子供たちへの影響が大きい。
チェルノブイリにも行ったが、事故後に、多くの子供が、病気になり死んで行った。

でも、日本では、そこに目を向けず、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返す。

なぜ、危険性を認めようとしないのか?
それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスができなくなるから。

だから、福島から子供を避難させない。
むしろ、危険な地区に、人々を戻そうとする。


なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(2)

確かに、医学の世界ではまだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいない。
が、それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として、死を迎えることになる。

ウクライナでは、国を挙げて、その解明に掛かっているが、日本は認めようとしない。

何より、原発ビジネスで儲けたい人がたくさんいる。
これはもう、死の商人と同じ。

危険があるなら、それが可能性が低くても、子供たちを守るべきが大人の役目。

なのに、日本は今、それをせずに、大人たちが金儲けに走っている。
子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、それを続けようとしている。

多くの人がそれに抗議し、デモが続いていた。

しかし、僕には、それを訴える学術的知識も、
山本太郎さんように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もない。

何もできない。

日本人として、子供たちが、数年後にどんどんと病気になる可能性がありながら、何もできない。
いや、できることがある!

事実を元にした、原発事故の映画。
原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」
イチゴ農家を営む平田家。
原発事故で避難。
数ヶ月後、ようやく一時帰宅許可。
だが、家に帰るには、防護服を着なければならない。

さらに、帰った家の中は……。

事実を元にしたエピソードは、胸を締め付ける。

完成披露上映は静岡県湖西市で、大盛況!
http://asahinoataruie.jp/wp/?cat=3

原発に反対する奴は、冤罪で葬られる?
こわ?


原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」を作ろうと考えたとき、何人かに相談した。

業界の先輩は、こう言った。

「原発映画は、業界ではタブーなんだよ。
そんなもの作ったら、二度と商業映画は撮れなくなるぞ」

これは冗談ではなく、あり得る話だ。

311以前は、原発に批判的な芸能人は、テレビ番組には出られなかった。
発言すると、レギュラーでも降ろされてしまう。

さらに数年遡るが、RCサクショッションの反原発アルバム『カバーズ』、
あれが発売中止にされたのも、同じ構図。

そして、カタギの女友達はこう言う。

「せっかく、太田監督は、素敵な青春映画を何本も撮っているのに、
ここで原発ものなんてとったら、色眼鏡で見られるようになって、イメージが悪くなるから止めてほしい!」

彼女は、原発を、政治活動だと思っているようだ。
が、原発問題は命の問題であり、政治ではない。

カタギの男友達はこういった。

「太田ぁ、そんな映画作ったら殺されるぞ。ある日、東京湾に浮かんでいたなんて、原因不明の事故死で片付けられる.... 止めてくれよ」

ちょっと不安になって、原発関係に詳しい法律家に訊いた。
こう言われる。

「もう、今さら、原発反対者を殺すようなことはしないよ。
ただ、ある種の人たちは、こんな手を使う人もいるので注意した方いい。
満員電車で、突然に、「痴漢です!」とか若い女性に言われて、冤罪で逮捕される。
その種の裁判では、まず勝てないから、痴漢をした犯罪者といわれ、社会的信用を失い、葬られる。
その人が、どんないいことを言おうと、もう誰も耳を傾けなくなる。
ある種の組織が、個人を黙らせるときに使う手なんだ……」


「朝日のあたる家」映画館上映の応援。感謝! [映画館公開に向けて]

映画館交渉が難航している、と書いたら、毎日のように提案を頂くようになった。

「***館での上映はどうですか?」
「**市は**劇場がいいですよ」
「**シアターなら必ず上映してくれます!」

多くの方が、「朝日のあたる家」を応援してくれていることを感じ、本当にありがたい。
心からお礼を伝えたい。

ひとつひとつにお返事はできないが、参考にさせてもらっている。

また、映画館名を上げて、ブログ上で、
「**館はすでに断られています」、と書くのは憚られる。
理由を説明するのも難しい。

館側が、映画を高く評価してくれても、どーしても上映できないとき、
それを名指しで、「駄目でした」と書くべきではない。

理不尽な対応で、拒絶する館もあるが、だからといって、名前を上げて批判するべきではない。
こちらからは見えない、側面もあるはず。

「**館は駄目でした」と書くと、
そこと密接な別の映画館が、交渉前に、「だったらウチもヤメだ」となる可能性もある。

上映拒否が続いていることもあり、ネットでは、慎重に伝えることが大切。 

ひとつひとつの提案、問い合わせにはお答えできないが、みなさんの応援、情報は、本当に感謝しています。
これからも応援、お願いします。


日本各地の映画館から上映拒否が続く! [映画館公開に向けて]

映画「朝日のあたる家」、全国の映画館と、交渉を続けている。

原発事故を題材とした映画なので、大手映画館チェーンは上映拒否だと分かっていたが、
原発ドキュメンタリーを上映する、独立系の映画館からも、拒否が続いている。

「最近は、原発映画に客が入らない」
というのが理由らしい。

しかし、湖西市の完成披露上映会では、3千人が来場。
浜松の特別上映でも、満員御礼。

このフェイスブック、ツイッターには、
「どこで上映していますか?」
「**市では上映しますか?」
「**館で上映してほしい」
との連絡が、日本中から、毎日のように来る。

「地元で上映されるときに応援します!」
そう言ってくれる、反原発団体も多い。

さらには、出演者の山本太郎さんが、参議院選に当選。
時に人だ。
彼のファンからも、コメントを多数頂いている。

「映画も応援します!!」

これだけ条件が揃っていることを伝えても、
「だったら、どこかの映画館で大入りになれば、考えます」
との返事。
どこもここも、同じ答え。

何を考えているのか!
憤慨の日々が続いている......。


太田隆文監督インタビュー/「朝日のあたる家」を監督した理由

映画「朝日のあたる家」・太田隆文監督インタビュー(LAのジャパン・フィルム・フェスティバル時)
(上に記した、監督日記の内容と少し重複します)

Q. 太田監督の思いをこの映画に託している、と感じましたが、どうしてこの、重いテーマを映画にしたのでしょうか?

僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」―今の時代、
いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。

だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えたかったのです。
前作の「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ―。

そんな中、3.11が起こり、あの原発事故です。

興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない過酷な状況、
特に、子供たちへの影響が大きいことが見えてきました。

チェルノブイリにも取材に行きましたが、事故後に多くの子供たちが病気になり、死んでいきました。
日本では、そこに目を向けずに、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返しています。
なぜ、危険性を認めようとしないのか? 
そこに疑問を持ちました。


Q. 政府や関係者が、危険性をひた隠しにしている訳は?

それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスが今まで通りできなくなるからです。

だから、福島から子供たちを避難させないー。
むしろ、危険な地区に戻そうとします。

確かに、医学の世界では、まだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいないのですが、
それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として死を迎えることになる。

ウクライナでは国をあげて、その解明に掛かっていますが、日本はまだ認めようとしません。

何より、原発ビジネスで儲けたい人が、今も沢山います。
でも、危険性が少しでもあるのなら、まず子供たちを守るべき。
それが大人の役目です。

なのに、日本は今もそれをせずに、一部の大人たちが金儲けに走っているのです。


Q. いろいろと、原発の恐ろしさを発信する方法があると思うのですが、なぜ映画ですか?

子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、将来的にも原発を続けようとしています。
多くの人が抗議デモに参加、原発反対を表明する文化人もたくさんいます。

僕も何かできないか?と思いましたが、
訴えるべき学術的知識も、
今回の映画「朝日のあたる家」に出演してくれた山本太郎さんのように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もありません。

でも、日本人として、子供たちが、数年後にどんどん病気になる可能性がありながら、何もできなかったではすまされない! 
何かできることは……と考えて、「映画を作ればいいんだ!」と気づきました。

僕のテーマは、「親子に伝える大切なこと」。

今こそ、それを貫く時期ではないか?
これを伝えずして、映画監督でい続けることはできない。
ここで沈黙を決めて、真実を知らない振りして映画を撮り続けたら、どんなに後悔するか?
もう、「親子に伝える映画」なんて、二度と口に出来なくなる。
だから、「作らねば!」と思ったのです。


Q. 幸せとは?大事なこととは何でしょうか?

僕のテーマ「親子に伝える大切なこと」を突き詰めると、
「人の幸せとは何か?」、という問題に突きあたります。

幸せとは何か?
お金持ちになること?
有名になること?
大きな家に住むこと?

日本人は戦後、アメリカのようになることが幸せだと思い、
「お金」と「物」をたくさん手に入れることこそ、幸せだと信じて生きてきました。
そしてバブル時代に、その両方を手に入れた。
でも、「幸せ」だと感じる人が、どれだけいたでしょうか? 

むしろ空しい、大切な物をどこかで失った、喪失感が漂っていました。
戦後、日本人が、「お金」と「物」に走り出したときに、捨ててしまったものこそが、
一番大切なものだったのではないか……。

そう、大切なのは「お金」ではなく、人の「絆」だったのではないか?、と思えるのです。


Q.「朝日のあたる家」を作った目的

人が本当に大事なものを知るのは、実は「不幸」に出会ったとき。
戦争に直面して、命の大切さを痛感する。
悲しいけど、それが人……。

その意味で、原発事故というのは、戦争を越える究極の不幸。
戦争は、降参すれば終わるが、放射能は降参しても、何万年も放射線を出し、人々を苦しませます。
そんな原発事故を見つめることで、奪われた家、引き裂かれた家族、バラバラになったクラスメート。
そんな別れと悲しみの状況を見つめることで、本当に大切なことが見えてくるのではないか?と思いました。

子供を思う親がいる。
自分を心配してくれる友達がいる。
辛いときに助けてくれる兄弟姉妹がいる。

金持ちでなくても、大きな家に住めなくても、
その「絆」こそが、「幸せ」というものではないか? 
あたりまえの日常にこそ、「幸福」は存在する。

だからこそ、悲惨な原発事故の物語を描くことで、
それをリアルに伝えられるのではないか?、と考えたのです。


↑以上、転載おわり


わたしは戦争の、巨大地震の、巨大津波の、重大な原発事故の、直接的な被害を受けたことがない人間。
そやから、それらが突如襲いかかってきた時の、とてつもない恐怖と痛みと苦しさは、
なにかを読んで、なにかを観て、人の口から直接聞いて、想像し、自分のことのように感じるしかない。
けど、いくら自分のことのように、とがんばってみても、それはやっぱり自分のことではなく、
そもそもそういう態度が、かえって当事者の人たちの気に障ったり、傷つけたりしてしまうこともある。

あんたは安全なとこで、ぬくぬくと暮らしてるくせに。

時々、そんな言葉を投げつけられる。
事実、今のわたしの周りは、とりあえず安全で、しかもぬくぬくと暮らしてる。
子どもの頃のように、同じ屋根の下で、チンピラと愛人に、セクハラまがいのいやがらせを受けんでもいいし、
自分の父親と母親が、裁断ハサミを手に罵り合うてるのを、震えながら聞いてんでもええし、
ティーンの頃のように、事故の後遺症に苦しめられたり、死を宣告されたり、やくざに追い回されたりせんでもいい。

未成年の時に一回、それから、大人になってからもう一回、
それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、人生をリセットした。
未成年の時は、親が招いた事情で、大人になってからは、自分が長い長い年月をかけて考えた結果で。

自分の身にもし、原発事故がふりかかってきたらどうするやろ……。
今までに何回考えてきたか。
多分わたしは、やっぱりまた、それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、
人生をリセットするやろと思う。
そのことで、少なくない数の人を怒らせ、悲しませ、苦しませることになっても、
その人たちの頭の上で、あぐらをかいて生きるような、無神経な人間やと思われても、
やっぱりわたしは、大切な自分と自分の家族をまず、心配し、助けたいと思う。
そうやって、ひとつひとつの命が、愛され、守られ、助けられることで、
国という集合体に暮らす人々の命が、輝いてくるのとちゃうやろか。

人を愛するには、守るには、助けるには、
まずその、自分が置かれた状況をしっかりと見、騙そうとしている者の罠から身を遠ざけなあかん。
そのためにも、騙されるな!気づけ!と訴えてくれてる人の声を、無視せず、まず聞いてみてほしい。
その上で、自分はどうするか、どうしたいか、どうするのがいいか、
そのことについて、自分自身の心の内に問いかけてみてほしい。

たいそうなことをせんでもええねん。
たとえばこの、映画の上映を願うことでもいい。
上映されてるとこを調べて、行ってみるのでもいい。
なにかの勉強会に行くのでもいい。
集会やデモの端っこやしっぽの方で、ちょっと立って見てみるのもいい。
ツィッターやLINEやFacebookで、ぼそぼそっとつぶやいてみるのもいい。

みんなのやりやすいようなことを、ちょっと試しにやってみてほしい。
そしたらきっと、なぁ~んや、別にそんなたいそうなことやないな……と思うと思うよ。

あたりまえの日常、とりあえず食べたり働いたり寝たりできること、
これが、どれほどの奇跡と幸運によって与えられてるものか、
それを痛感するような辛い瞬間を、自ら招いてしまうようなことにならんように。
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家畜的な盲従に自己の一切を委ねてしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任が悪の本体

2013年08月01日 | 日本とわたし
戦争責任者の問題

伊丹万作(故伊丹十三氏の父)

最近、自由映画人連盟の人たちが、映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、
主唱者の中には、私の名前もまじつている、ということを聞いた。
それがいつ、どのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、
それを見た人たちが、私のところに来て、あれはほんとうに君の意見か、ときくようになつた。
 
そこで、この機会に、この問題に対する、私のほんとうの意見を述べて、立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、
実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。
考えれば考えるほどわからなくなる。
そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて、意見のかわりにしたいと思う。
 
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていた、という。
みながみな、口を揃えて、だまされていたという。
私の知つている範囲では、おれがだましたのだといつた人間は、まだ一人もいない。

ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。

多くの人は、だましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしている、
と思つているようであるが、それが実は、錯覚らしいのである。

たとえば、民間のものは、軍や官にだまされた、と思つているが、
軍や官の中へはいれば、みな上のほうをさして、上からだまされた、というだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされた、というにきまつている。
すると、最後には、たつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、
いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で、一億の人間がだませるわけのものではない。
 
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりも、はるかに多かつたにちがいないのである。

しかもそれは、「だまし」の専門家と、「だまされ」の専門家とに、劃然と分れていたわけではなく、
いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が、別のだれかをつかまえてだます、
というようなことを、際限なくくりかえしていたので、
つまり、日本人全体が夢中になつて、互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織が、
いかに熱心に、かつ自発的に、だます側に協力していたかを思い出してみれば、直ぐにわかることである。
 
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ、門から一歩も出られないような、
こつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ、国民自身だつたのである。

私のような病人は、ついに一度も、あの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、
たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、
たちまち、国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、
親愛なる同胞諸君であつたことを、私は忘れない。

もともと、服装は、実用的要求に、幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。
しかるに、我が同胞諸君は、服装をもつて、唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、
そうでなかつたら、思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑として、それを愛用したのであろう。
そして、たまたま、服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、
彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、
自分の立場の保鞏(ほきよう)に、つとめていたのであろう。
 
少なくとも、戦争の期間をつうじて、
だれが一番直接に、そして連続的に、我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、
だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、
直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、
あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や、雇員や労働者であり、
あるいは学校の先生であり、といつたように、
我々が、日常的な生活を営むうえにおいて、いやでも接触しなければならない、
あらゆる身近な人々であつたということは、いつたい何を意味するのであろうか。
 
いうまでもなく、これは、無計画な癲狂戦争の必然の結果として、
国民同士が、相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に、追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。
そして、もしも諸君が、この見解の正しさを承認するならば、
同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が、相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、
等しく承認されるにちがいないと思う。
 
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として、
自分だけは人をだまさなかつた、と信じているのではないかと思う。
 
そこで私は、試みに、諸君にきいてみたい。

「諸君は戦争中、ただの一度も、自分の子にうそをつかなかつたか」と。

たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度も、まちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親が、はたしているだろうか。
 
いたいけな子供たちは、何もいいはしないが、もしも彼らが、批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず、戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 
しかし、このような考え方は、戦争中にだました人間の範囲を、思考の中で、実際の必要以上に拡張しすぎているのではないか、という疑いが起る。
 
ここで私は、その疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたら、どういう結果になるかを考えてみたい。
 
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、
はたして、それによつて、だまされたものの責任が解消するであろうか。
 
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、
しかし、だまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも、決して書いてはないのである。
だまされた、とさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、
もう一度、よく顔を洗い直さなければならぬ。
 
しかも、だまされたもの、必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、
私はさらに進んで、「だまされるということ自体が、すでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 
だまされるということは、もちろん知識の不足からもくるが、
半分は、信念、すなわち意志の薄弱からくるのである。

我々は昔から、「不明を謝す」という、一つの表現を持つている。
これは明らかに、知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。
つまり、だまされるということもまた、一つの罪であり、昔から、決していばつていいこととは、されていないのである。
 
もちろん、純理念としては、知の問題は知の問題として終始すべきであつて、
そこに、善悪の観念の交叉する余地はないはずである。
しかし、有機的生活体としての人間の行動を、純理的に分析することは、まず不可能といつてよい。
すなわち、知の問題も、人間の行動と結びついた瞬間に、意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。
これが、「不明」という知的現象に、善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 
また、もう一つ別の見方から考えると、
いくらだますものがいても、だれ一人だまされるものがなかつたとしたら、
今度のような戦争は、成り立たなかつたにちがいないのである。
 
つまり、だますものだけでは戦争は起らない。
だますものとだまされるものとがそろわなければ、戦争は起らないということになると、
戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)、当然、両方にあるものと考えるほかはないのである。
 
そして、だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど、批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、
家畜的な盲従に、自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた、
国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが、悪の本体なのである。
 
このことは、過去の日本が、外国の力なしには、封建制度も、鎖国制度も、独力で打破することができなかつた事実、
個人の基本的人権さえも、自力でつかみ得なかつた事実と、まつたくその本質を等しくするものである。
 
そしてこのことはまた、同時に、あのような専横と圧制を、支配者にゆるした国民の、奴隷根性とも密接につながるものである。
 
それは、少なくとも、個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち、自我の放棄であり、人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 
我々は、はからずも、いま、政治的には一応解放された。
しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を、軍や警察や官僚にのみ負担させて、
彼らの跳梁を許した自分たちの罪を、真剣に反省しなかつたならば、
日本の国民というものは、永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ、便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の、安易きわまる態度を見るとき、
私は、日本国民の将来に対して、暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も、何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに、別のうそによつて、だまされ始めているにちがいないのである。
 
一度だまされたら、二度とだまされまいとする、真剣な自己反省と努力がなければ、人間が進歩するわけはない。
この意味から、戦犯者の追求ということも、むろん重要ではあるが、
それ以上に、現在の日本に必要なことは、まず国民全体が、だまされたということの意味を本当に理解し、
だまされるような脆弱(せいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。


以下、省略。

(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画春秋 創刊号」
   1946(昭和21)年8月
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初とうもろこしと、瞑想するネコと、巣作りするリスと

2013年08月01日 | ひとりごと
畑からの初トウモロコシ!


ああ、こんなことをしてるうちにも、鮮度は落ちてるはず……もったいないもったいない!
などと、いっちょまえの園芸家みたいに焦ったりしながら、やっぱりこれだけは記念に。

キラキラ光る黄色いつぶつぶ!


いやでも、チビやし……けど、めっちゃ愛おしい♡
とりあえず、水から茹でてみた。
ほんでもって食べてみた。
甘味がそれほど濃くないけど、やっぱ新鮮!
お日様、どうもありがとう!


その夜、月明かりの下で、玄関の網戸ドアのむこうから入ってくる外の空気を、それはそれは美味しそうに、くんくん嗅いでる家猫。


5分ぐらい、じっとここで座ってた。



そして翌日の夕方、夕飯を食べてる最中に、ギョギョっと外を見つめる旦那。
立ち上がり、勝手口から外に出て、はるか彼方の空を見上げてる。

どうやら、カエデ爺さんのてっぺんの枝の先っちょで、誰かが何かをやってるらしい。


よくよく見ると、葉っぱがモサモサ、普通ではない動きをしてる。
う~ん、鳥か?それともリスか?

あ、やっぱリスくん!


近くの枝に移動しては、必死で葉を食いちぎってる。


それを食わえて、枝の先端に運び……なるほど、巣を作ってるんやね。


また戻り、


真ん中の、ちょっとふくらんでるとこが多分、巣……。


欲張っていっぱい食わえてるので、こんなふうに、何本かが上から落ちてくる。旦那はそれを目の端っこに捉えたらしい。


それにしても……どんだけ高いかっていうと、3階建てのうちの屋根よりも、まだまだ上に伸びてる爺さんの、そのまたいっちゃんてっぺん。
あ、また落ちてきた。


赤ちゃん、大丈夫かなあ……。
でも、またうちの、煙突の中に作られたら困るからなあ……。
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