ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

感謝の日

2014年04月15日 | ひとりごと
たくさんのお祝いをありがとうございます!
無事に、腎臓結石や膀胱炎や不眠やめまいに再び襲われることなく、57回目の誕生日、母からすると57回目の出産記念日(弟の言葉)を迎えることができました。

今年の冬は、これまでになくとんでもなく厳しかったし、3日前まではずっと、机の下の足元に湯たんぽが欠かせなかったのですけれども、
一昨日から急に、ポカポカと暖かくなり、ビュンビュン吹く風にも、春らしいまったりさが感じられ、人々のほっぺたもかなり緩んでまいりました。

もはや、チューリップとは呼べない開けっ広がりっぷり!


これは、二日前のポンちゃん。つぼみが急にぷっくりしてきました。




たいそう久しぶりに、車で15分ぐらいの所にある中東の町、パターソンでランチ♪



そして一昨日の日曜日。
パターソンのマーケットで買ったビーツで旦那が作ってくれた、激ウマのビーツサラダ。


ヨーグルトドレッシングの中に、これでもか、これでもかと、にんにくが入っていて、夜中に起きた時に、自分の息でクラクラしてしまいました……。

我が家の定番、豆と雑穀ご飯。



続いて昨日の月曜日。
先々週のコンサートを、遠くペンシルバニアから聞きに来てくれていた旦那の両親。
母だけそのままマンハッタンに残り、いろんな用事を終え、ペンシルバニアの家に戻りがてら、お祝いランチをご馳走してあげようと、ニュージャージーの我が家に寄ってくれました。
どこでもいいなあ。なんでも嬉しいなあ。
4年前まで暮らしていた隣町の、地元の畜産農家の方々から提供された食材のみを使った料理を食べさせてくれるお店に入りました。

畜産農家の方々の写真が、壁にずら~りと。


うちも煉瓦なので、落ち着きます。


農家風。


いただいたお料理。どれもこれも、とっても美味しゅうございました!Thanks Mom!







そして家に戻ると……わわわっ!ポンちゃんが弾け始めてる!


すみません、あんまり冬がしつっこくて厳しかったので、この感動はどうしても抑え切れず……同じようなのを連写してしまいました。








全体像はこんな感じ。まだまだ三分咲き、という感じでしょうか……。


それでも大興奮して、カメラを手に、家猫と一緒に家の周りを歩いてみると、
咲いてる咲いてる!桃が、ムスカリが、ヒヤシンスが、水仙が、春だ春だぁ~!とうとうのとうとう、春になりました!










かあちゃん、嬉しい?


あ、グラウンドホッグの通り道発見!


あの穴を通って、お隣の庭とこちらを、行ったり来たり。


のっしのっし……。


初春の空。





そして今日、多くの大人がヘトヘトになる税金申告日締め切り日の15日、起きて見ると、机の上にでっかい箱が。


同居中の次男くんからの贈り物なのでした。

そして窓のむこうのポンちゃんは、




桜の神さんからの贈り物なのでした。


いつものように働き、いつものように過ごせることのありがたさを胸に、たくさんのあたたかなお祝いと祈りに包まれて、本当に幸せな、嬉しい日になりそうです。
みなさん、ほんとにありがとう!!
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「実は、東京は危ないということは報道できない」と、子供の健康問題を全面カットした報道ステーション

2014年04月14日 | 日本とわたし
今日、ツィッターで、わざわざわたしに、こんなふうに話しかけてきた人がいました。
「現在の日本はどこより安全な国である」

なるほど……今だにこんなふうに思っている人はやはり、実際に存在しているのだと、改めて知らされた57才直前の夜です。

じわじわ進行する内部被ばくを黙殺する、巧妙な安全キャンペーン
インタビュー 内部被ばくを考える市民研究会 代表 川根 眞也さん
人民新聞オンラインより

福島・関東で、放射能による子どもの健康被害が、増え続けている。
だが、国・行政による、情報隠しと対応の遅れは深刻だ。
特に関東は、意識されること自体が少ない。
川根さんは、中学校の理科の教員で、今回の地震後にすぐ、「放射線測定メール」を発信し、
友人と、「内部被ばくを考える市民研究会」を、2011年8月に立ち上げた。
日々接する、子どもたちへの被ばくの広がり、教育現場での困難、今後について話を聞いた。(園良太)


■子どもの内部被ばくと学校現場



川根:
事故直後に、「これは内部被ばくが大変なことになる」と思い、学校現場や身の回りを測定して、メールで発信し始めました。
「放射能が危ないと学校で言うな」と言われていましたが、どこかで子どもたちに説明しなければと思い
内部被ばくの講演会を、学校近くの公民館でやりました。
その時、お母さん方が複数参加され、「これは良い話だ」と、毎月4~5回の講演を、依頼されるようになりました。
最初の1年間で、43回やりました。

先生は、給食を食べるかどうかを選べますが、子どもたちは選べません
だから、保護者にも聞いて欲しいのですが、私の中学の保護者からは、講演依頼がありません。
授業で放射能のことを話すと、子どもから保護者に行き、保護者から校長に、「放射能のことだけで授業時間を使いすぎる」とクレームが行きます
校長・教頭からは、「授業で予定された時間以上に、放射能のことを話すな。ただし学校外で勤務時間外の活動には口出ししない」と言われています。

結局、学校というのは、国家権力の末端機関で、国が決めたことに従って動くものなんですね。
だから、自由主義の学校と違って、国が決めたとおりに授業をやらなくてはならない
第1次安倍政権の下で、教育基本法も改悪されています
その下で、愛国心教育や道徳教育もやらなきゃいけない。
同じく、「国が100ベクレル/㎏以下まで安全」と決めたら、それ以下の食材は「安全ではない」と言ってはいけない建前なのです。
学校が政府基準に逆らうことは、勇気がいることなのです。


■福島の子どもの甲状腺がんは、発生率が高すぎる


●定価(資料編・カルテ編セット)800円+税
●発行:「子ども救援基金」
●販売代行:垂井日之出印刷 出版事業部
(電話・0584-22-2140 FAX・0584-23-3832)


川根:
私は、福島市や郡山市は、人間が住んではいけないレベルの汚染だ、と思っています。
多くの子どもが、甲状腺がんを発症しているし、僕がそこにいたら、教師を辞めて避難しているかもしれません。

今年2月7日の「第14回県民健康管理調査検討委員会」の報告で、発表された数字というのは、
甲状腺がん、およびその疑いが75名という数字です。
そのうち、『甲状腺がん』と確認されたのが33名で、既に手術をして甲状腺がんをとってしまった子どもです。

残る「疑い」の41名(1名は手術して、良性腫瘍とわかっている)は、
実は、甲状腺がんの手術を受けるべきなのに受けていない、手術を待っている子ども、という意味
なのです。
その子どもたちの9割方は、調べたら良性腫瘍ではなかった、つまり、75名中70名近くは、甲状腺がんが確定した、ということです。
これは非常に大きな数字で、ベラルーシの甲状腺がんの発生割合を、大幅に超えています

福島原発事故前の子どもの甲状腺がんは、「10万人に0.1~0.2人」ですが、
今回の調査は、「10万人あたり72人」で、145倍です。
しかし、福島県立医大は、いまだに「放射能の影響とは考えにくい」と言い続けています

実際には、福島は、凄まじい土壌汚染があります
日本の人口密度は、ベラルーシの比ではないので、もっとたくさんの子どもが、甲状腺がんになる可能性があると思っています。


■「無いこと」にされている関東の子どもの健康被害

川根:
「放射能防護プロジェクト」に参加している、三田茂さんという医師がいます。
この3月に、小平市の病院を閉院して、東京から岡山へ、移住することを決断されています。
今年3月11日に、『報道ステーション』で、古舘伊知郎さんが、甲状腺がんの特集をやりました
古舘さんは三田先生にも取材に行っています

三田医師は、東京・関東の子どもたちの血液、特に、白血球の数値が低くなっている、と明らかにしました。
それは、柏市三郷市のようなホットスポットだけでなく、埼玉市川崎横浜相模原の子どもたちの数値も悪くなっている、と指摘しました。

話を聞いた古舘さんたちは驚いて、「先生の名前と顔が出るが、話していいのか」と聞きました
三田先生は、「大事なことだから、きちんとした良い番組を作ってくれるなら出して構わない」と、OKを出しました。
ところが、数日後に連絡が来て、「実は、東京が危ないということは報道できない」と、全面カットになったそうです。
福島だけの問題になってしまいました

三田先生は、他の医師にも、「甲状腺エコー検査機器を共同で買って、治療し直しましょう」と呼びかけているのですが、反応がない
多くのテレビ局や新聞社からも、「東京の子どもの健康問題はどうなっているんだ」と取材を受けていますが一本の記事にも番組にもなっていません
今のマスメディアは、「東京は安全だ、危険なのは福島だ」という情報操作がなされているのです。

実際には、関東の子どもたちの健康状態が、悪くなっています
具体的には、子どもたちの血液の数値が非常に悪くなっています
特に、白血球の中の好中球の数値が下がっている傾向があります
好中球が極めて少なくなると、風邪やインフルエンザにかかっても、病気が重篤化する可能性があります。
特に0~2歳児の子どもで非常に悪い子がいました
白血球のうち、好中球が0になった子どももいたそうです。


大学病院では、診断はできても治療はできませんでした。
三田先生は、そうした子どもの親には、「この子はここに居ちゃいけない、避難しないと良くならない」と話したそうです。
九州に避難したその子どもは、好中球が4000、5000台に戻ったと聞いています。
三田先生は今までに、3人の子どもを、東京・関東から西の方へ逃がしたそうです。

少ない例ですが、好中球が非常に少なくなった0~2歳の子どもはみな、2012年春以降に産まれた子どもたちです。
原発事故直後に産まれた子どもたちではありません
小さい子どもを持たれている方は、白血球の分画まで調べるべきです。
赤血球や血小板の数値と合わせた「末梢血液像」を調べて下さい、というとやってくれます。

血小板も下がっています
普段は20万ですが、10万や5万ならば、出血した場合に回復する力があります
しかし、2万を切ると、出血した際に血が止まらなくなります
まだそういう子どもは診ていませんが、血小板の数値が極端に下がり、デッドラインを切るようになると危険です。

放射線を受けると、骨髄細胞が白血球を作り出すことができなくなります
赤ちゃんは急に具合が悪くなって、重篤な症状になることがありうるので、急いで白血球の検査をする必要がある、と言っていました。


■関東でも、体調を崩す子どもが続出/ごみ焼却が原因か

川根:
2011年の末から12年までは、東京の江東区葛飾区千葉の柏松戸の辺りで、
異型リンパ球」(リンパ球が放射線の影響を受け、形態異常になること)の子どもが多かった
です。
柏や松戸で、子どもの健康被害に危機感を持った方は、すでに避難しました。

そして、2012年末から13年にかけては、東京の多摩神奈川・埼玉に広がっているのです。
これは、福島より低レベルの汚染地帯にいても、子どもたちの具合が悪くなっている証左だと思います。

いま症状が出てきた理由は、事故から2~3年たち、放射性物質が体内に入って、悪さをしているのだと思います。
問題なのは、ごみ焼却場で、放射性物質がついた落ち葉、木の枝、生活廃棄物が燃やされて、
その見えない灰やチリが、地域に拡散されていること
です。
それが、呼吸とともに摂取され、特に、赤ちゃんに悪影響を与えているのだと思います。

三田先生は、「東京・関東圏で、甲状腺がんの子どもは、まだ一人も診ていない」と言っていますが、
肺炎で亡くなる中高年の方が増えているとおしゃっていました。
ボランティアで、街路樹の剪定や落ち葉掃除、側溝掃除をされた後にです。

学校現場でも、「うちの子は風邪をひきやすくなった」という家庭は、多いと思います。
私の中学校の保健室は、年間、利用者が3700人を超えたそうです。
一昨年の倍くらいじゃないでしょうか。
ウイルス性胃腸炎に、年3回なる子もいますし、お腹をこわす子も多いです。

また、体育の授業で、1500m走の後に、33人中25人もの子どもが咳込み、うがいに行きました
初めてのことです。
外で激しい運動をした後に、子どもたちの調子が悪くなる」という感覚を持っています。
学校側は「放射能とは関係ない」を前提に、すべてのことを見ているので、対策のとりようがないのです。

関東でも、安全キャンペーンが張られています。
福島より意識されない形で、より巧妙に発動している
、と思います。
これを変えることが必要です。


■自分の記録を残し、行政に支援政策をやらせよう

川根:
《健康被害は、放射能とは無関係だ》とされています。
だから、松井英介氏ら「市民と科学者の内部被曝問題研究会 医療部会」では、
事故直後からの、自分の日常記録を書きこめる『内部被ばくからいのちを守る健康ノート』を作りました。
これを、多くの人に活用してほしいと思います。
また、マスコミは事実を報道しないので、地域で小さな勉強会を開くことも重要だと思います。
保護者は、健康診断の実施を求めるべきです。

保養のための、サナトリウム(保養所)も必要です。
社会運動に関わる方々にも、お願いしたいです。
ベラルーシには、50カ所の保養所があり、年間4万5000人の子どもたちが利用しているそうです。
自分のカルテを持ち、体内放射能の数や保養で、どれだけ下がったかがわかります。
親が、避難先で仕事を見つけられるよう、行政に支援政策をやらせる運動も必要です。
力を合わせて実現させましょう。
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近辺に病院もヘリの発着場も無い上に「事故が起きても救急車を呼ぶな。東電に報告せよ」と言う人でなし

2014年04月13日 | 日本とわたし
東京新聞の『ふくしま作業員日誌』より
ふたつの、一年半前のものと、現在のものを紹介します。

もう3年以上も、こんな悲惨な環境の中で、毎日何千人もの方々が作業してくださっています。
わたしたちは、早急に、もっと強く、環境の改善とドクターヘリの発着場の建設を、東電と国に要請しなければなりません。
いったい議員たちは、どこを向いて仕事をしているのでしょう。
特に福島県の議員に、わたしはそれを問いたいと思います。


福島第一原発4号機から取り出した、未使用の核燃料を調べる作業員 - 東京電力提供

ふくしま作業員日誌

事故、熱中症 報告できない

震災・原発1年半

「会社に迷惑、仕事失うかも」

東日本大震災による事故発生から、1年半を向かえる東京電力福島第一原発の現場では、
今も、見えない放射線と闘いながらの、厳しい作業が続く。
作業員に取材していくと、作業中に事故や熱中症になっても、東電まで報告せずに処理され、労災になっていないケースもあるという。
仕事がもらえなくなるのを恐れるがために
廃炉まで30年以上。
安全が守られない現場で、今後も担い手が集まるのか。(片山夏子)


汚染水かぶっても、倒れても

建屋地下で作業をしていた男性は、足場の上にいた同僚が、床に倒れ込むのを見て驚いた。
名前を呼んでも背中をはたいても、反応がない。
「これはまずい」
すぐに背負って外に運んだ。

外にいた作業員に同僚を頼み、地下に戻ると、他の作業員たちも、頭を抱えたり座り込んだりしていた。

医務室の医師は、「軽い熱中症」と診断したが、酸欠や一酸化炭素中毒の症状を示していた。
一人は、数日間動けなかった。
しかし、元請けから連なる下請け各社のうち、一つ上の会社から、
給料を補償するから、報告しないでくれ」と言われた。
元請け会社には、「熱中症」と報告された。
労災にもならなかった

別の作業員は、作業中に、頭から汚染水をかぶった。
自分たちで、放射性物質の検査をすると、頭部の数値が高かった。
シャワーを浴びても下がらず、バリカンで丸刈りに。
かっぱを着ていたため、体は大丈夫だった。
汚染している場合は、手足の毛も剃り、たわしで血が出るほど擦る
線量が下がったので、東電には報告しなかった」
と、仲間の一人は言う。

報告すれば、根掘り葉掘り聞かれて、数日間は仕事にならない。
仕事がもらえなくなる不安もあった






35才男性

死亡事故起きたのに

事故で作業員が亡くなったのに、作業は、先週末の二日間中止になっただけで再開された。
事故現場の作業は止まっているが、どうしてもやらなくてはならない作業以外も、すぐに再開したのには驚いた。

中止の間に、元請け会社や東電の社員が来て、危険な場所の点検をしただけだった。
事故についても、発生当日は何の説明もなく、週明けの朝礼で触れただけ。
黙とうもしなかった。

朝礼では、事故が起きたら、救急車を呼ぶのではなく、まず東電に報告するように言われた
勝手に呼ぶと、東電や元請けに迷惑がかかる、という感じだった。
でも、命に関わる事故だったら、一刻も早く救急車を呼ばないと助からない。

福島第一原発事故後は、周辺の病院は閉鎖されているから、搬送に時間がかかる
作業員の中では、
事故に遭ったり、急病になったりしたら助からない。報告より先に119番しよう」と話した。

それにしても今、福島第一では、一日何千人もが働いていて、危険な作業もしている。
でも、敷地内に、ドクターヘリの発着場は無い
タンクでいっぱいで、ヘリの降りられる場所が無いかもしれないが、作業員の命に関わること。
発着できる場所を造ってほしい。(聞き手・片山夏子)
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「僕は『アトムの子』」にいみまことさん

2014年04月13日 | 日本とわたし
フェイスブックで知り合った、Makoto Niimiさんが書かれた「僕は『アトムの子』を読ませていただいた時、
そうや、わたしも『アトムの子』やと、しみじみ考えさせられました。
この文章は、「非核の政府を求める静岡の会の会報『非核しずおか』」の、連載第一回目のものです。
そもそも、静岡に、「非核の政府を求める会」というものが存在していることすら知りませんでした。
最近わたしは、主権者としてできる行動として、自分の暮らす地域の町や市の議会という場を無視せず、大いに参加すること、
通える範囲の場所に、世の中に実現してもらいたい事に対する働きかけや勉強ができる場を作ることなど、
ネット以外にも行動の範囲を広げなければと思っているのですけれども、
それと同時に、今まで無頓着だった様々な社会の有り様を知るうちに、
その中のひとつである放射線汚染は、わたしがこの世の生まれた、今から実に57年も前の頃から、被害の多少はあるにせよ、ずっと続いてきたことを知り、
自分の外部、内部被ばくのことについて、よく考えるようになりました。

いったいどれだけの放射能汚染が、わたしの体を痛めつけているのか……。

そんな矢先、Makotoさんのこの「僕は『アトムの子』」と出会えたことは、ただの偶然だとは思えず、お願いして転載させていただくことにしました。

↓以下転載はじめ

今月から「非核の政府を求める静岡の会・会報『非核しずおか』」に連載させて頂くことになった拙文を紹介させてください。
第1回は、核と被ばくの問題と切っても切れない、僕の生い立ちの話。
こうして振り返ると、僕らはみんな、多かれ少なかれ、1945年以降ずっと被ばくさせられていて、
この問題は、原爆被爆者、世界中の核実験場・原子力施設・原発周辺住民、原子力災害被災地住民だけに限った問題じゃないんだってこと、共有して頂けたらと思います。


「僕は『アトムの子』」-第1回

ー はじめまして

今回から「僕らは『アトムの子』」などというわかったようなわからないような題名で、しばらく連載(内容が酷ければすぐに終わると思いますが^^;)をさせて頂くことになった「にいみまこと」です。
この世で私ほど、名前負けな人物はいないことが自慢です・笑。

今日現在は、民医連という団体で役員をさせて頂いていますが、そんな立場とは無関係に、
ここでは、あなたにも私にもとても関係の深い「核≒原子力」をどうしたらなくせるのか、をご一緒に考えられたら、という問題意識で放言します。
どうぞ、しばらく我慢してお付き合いください。

ー 僕の生い立ち

つい先日「被災60年3.1ビキニデー集会 in 焼津」で、総合司会の大役をさせて頂くにあたって、歴史を振り返り再確認したのは、
自分の生きてきた道のりそのものが、核と被ばくの歴史だった」ということ。

そのビキニ被災から5年後の1959年、北半球の大気圏内で、核兵器の実験が最も盛んに行われている最中
9月に愛知県を直撃し、風水害で多くの犠牲者を出した、伊勢湾台風の暴風雨に耐えた母から、まだ復興とはほど遠い瓦礫の街で、僕は生まれた。



この図は、1945年に、アメリカが人類史上初の核実験をおこなって以降、世界で行われた核実験と、原子力災害の推移と、
日本に降り注いだ放射性核種「セシウム137」と「ストロンチウム90」の、降下量を表したもの
で、
自分の生い立ちとの重なりが、この上なく忌まわしく思える図だ。

母のおなかの中、そして産声をあげたのちも、大量に降り注ぐ放射性核種で汚染された、日本の土壌で作られた食品を、摂取し続けて育った

中学生の頃、「ねむの木のこども達」という映画を見て、障害のあるこども達と、浜岡町にあるねむの木学園を知り、福祉の道に進むことを決めた。
と同時に、浜岡原発の建設が進められていることを知った。
大学に進んで知った、この国の被ばくの歴史。
そして、スリーマイル島でのメルトダウン事故を、「チャイナ・シンドローム」という映画とともに知った、成人の年。
最初の子を授かった翌年、チェルノブイリで、レベル7の過酷事故が発生し、こんにちと同じように、安全な食品の確保に悩む日々を過ごした、86年以降
その年から、「反核日本の音楽家たち・名古屋」に参加して、明確に「反核」を表明しておこなってきた音楽活動
そして、人生と子育てのおさらいを、静岡ですることに決まった2011年春に起きた、福島第一原発事故。
事故後、4カ月が経った7月、自身4人目の愛娘が誕生して、内部被ばくを避ける行動もおさらいすることに。
「核と被ばく」の問題は、神が僕に与えたライフワークだと思って、生きている自分がいる。

そう「僕は『アトムの子』」

- つづく


↑転載おわり


自分に深く関わっていることと知りつつ、そのことを気にかけ、行動に移すことを、ずっと避けて生きてきたわたしは、
まことさんと同様に『アトムの子』でも、人生の質はずいぶんと違っています。
わたしの体の内部には多分、様々な核種が今も活きているのだろうし、こんな世の中である以上、100%クリーンな体など、持ち得ないのも事実です。
けれども、それがわかったからといって、やけくそになって、もう何をしてもしなくても同じだ、などとは全く思っていません。
知ることができて良かったと思います。
ミクロの、目に見えない時限爆弾を、いったい何個、何十個、何百個抱えているのか、それはわかりませんが、
『アトムの子』というのが自分に与えられた課題だと捉え、時限爆弾のスィッチが簡単に入らないよう、よく考えて生きていきたいと思っています。

そして、まことさんやわたしのような『アトムの子』が、今後ますます増えていくというような愚かしいことが続かないよう、
この世から、地球から、核というものを廃絶し、未来の地球が今よりも、少しはマシな、まともなものになるよう、
今後もしっかりと考え、行動し続けていきたいと思っています。
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ノーベル平和賞候補にノミネートされた『日本国憲法第九条』を、我々が守らんでどないする!

2014年04月11日 | 日本とわたし
日本国憲法第九条が、正式に、ノーベル平和賞候補にノミネートされました!

事の発端はここに。


『九条にノーベル平和賞を』


今日は朝から、
エネルギー基本計画序文から、
・「政府および原子力事業者は、いわゆる『安全神話』に陥り~」
・「(過酷事故に対する)深い反省を一時たりとも放念してはならない」

などの文言が、現政権によって削除された。

という記事を読んで、久しぶりに頭のてっぺんから湯気をファンファン出して怒っておりました。
このエネルギー基本計画、日本が抱える最も深刻な問題でありお荷物である原発が、
なんと、事もあろうに、『ゼロ』からいっきに『重要電源』に化けた、というか、原発狂の思い通りに戻ったわけで、
自民党という党の議員というのは、こんなふうに、あっけらかんと、まるでどこがあかんのや?とばかりにぬけぬけと、
今の日本が抱えている、一番重くて深刻で、解決の仕様が無い、無かったことにもできない問題を、
何十年にも渡り、無責任に、破廉恥に、積み上げ続けてきたことの反省も、謝罪もせぬままに、元の木阿弥に戻せる、とんでもない人間の集まりなのでしょうか。
もちろん、少数ではあれ、なんとかしてその動きを止めようと、同じ党に留まって頑張っておられる方もいらっしゃるのでしょうけれども。

この九条も、このバカどもたちの汚い手の内で、いじくられようとしています。
けれども憲法は、主権者を守る最後の砦なのです。
そのことすら知らず、別にどうでも良いと考えている主権者も少なくありません。
今の日本の危機は、他の国から攻められて崩れるのではなく、国内の主権者の無関心と人任せが作った『権力者の好き放題天国』が、日に日に拡大してきていることです。
子どもたちの教科書が、読書本が、そしてベストセラーが、ある一部の人間たちの思惑に沿って指定され、
さまざまな補助や保護が減らされ、日々の暮らしにかかる費用がじわじわと増え、
日常の事に振り回され、生きることに疲れ、少しでも余分に考えたり行動したりすると、たちまちしんどくなってしまう。

大人として生きることは、今のような複雑になってしまった社会では、無事に一日を終えられることだけでも十分にすごいことです。
けれども、日本は今、今までと全く同じように生きていくと、とんでもないことになりかねない大きな分岐点にきています。
疲れているけれども、それどころではないけれども、それでももうひと踏ん張り、いったい何が起こっているのか、起ころうとしているのか、
それを知ろうとする時間を作ってください。
知ることを恐れず、疎ましがらず、知ったことに対して自分の頭で考えてください。

「自衛官の死傷は政治家が覚悟しなきゃ」などと、どこまで人の命を蔑んだら気が済むのかと呆れ返るような発言を、自民党の幹事長は堂々とするのです。

彼らの周りには誰ひとり、まともな人間はいない、としか考えられません。
そんな狂人の集まりが、あなたが生きる日本の舵取りをしているのです。
そんな狂人の集まりに、あなたが生きる日本の舵取りをさせているのです。
こんな恐ろしいことを、いつまでさせてしまうのですか?
子どもたちの未来を、日本という国の未来を、どこまで無茶苦茶にされたままでいるのですか?

地球の平和を担うはずの、主導国となるはずの日本を、主権者の我々の手で取り戻しましょう!
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測定器が『窒息』する廃炉現場で、命を削って作業する人たちを冷遇する『お・も・て・だ・け』社会

2014年04月10日 | 日本とわたし

河北新報ONLINE NEWS 2014年4月9日

第12部・廃炉の現場(上)過酷な作業/高線量状態が日常化


廃炉作業が本格化し、使用済み核燃料が入ったキャスクをつり上げる作業員ら=2013年11月12日、福島第1原発4号機

◎体の異変、よぎる被ばく

<「常識」通用せず>
 
右脳への血流が止まっていた。
病名は内頸(けい)動脈閉鎖症。
脳を写した画像は、半分が真っ暗だった。
 
東京電力福島第1原発で、事故処理作業に当たっていた関東地方在住の男性は今、労災を申請するかどうか迷っている。
 
焦点になるのは、原発作業による、被ばくと発症との因果関係。
診察した医師からは、「常識的にはあいまいだ、としか言えない」と説明されたが、男性は納得できないでいる。
 
「体の異常は、原発作業が原因としか考えられない。確信は持てないけれども」
 
事故処理作業に関わる前に撮った、脳のコンピューター断層撮影(CT)は、正常だった
それなのに、「普通だったら生きていられない」と医師から言われるほどの症状に陥った
 
他の原発でも働いた経験がある男性にとって、福島第1原発の現場は、驚きの連続だった。
原発作業の「常識」が、通用しない過酷さだった。


<測定機が「窒息」>
 
働き始めたのは、メルトダウン(炉心溶融)から数カ月後の、2011年暮れ。
それから、約1年半勤務した
 
仕事は、他の作業員の被ばく線量検査。
雨の日には、作業員の雨具を、はさみで切って脱がせた。
放射性物質を含んだ水滴が、何度も飛び散ってきた。
 
口元や股間付近を、被ばくしている人が多かった
作業の合間、マスクを外してたばこを吸ったり、防護服を脱いで屋外で用を足したりしたためだという。
 
計ろうとしたら、測定機が「窒息」したこともある。
線量が高すぎて一瞬で壊れることを指す、業界用語
周囲の人まで危険にさらされる。

 
「作業員の個人線量計も壊れていた。一体どれぐらいの線量だったのか分からない」と男性は思い起こす。
 
作業初日は、原発構内で昼食を取らなかった。
休憩室の空間線量は、毎時0.1ミリシーベルト近く
「通常なら、飲食は絶対禁止の線量のはず」と考えたからだ。
 
2日目からは、休憩室で飲食した。
「周りの人が、当たり前のように弁当を食べていた。食べない方がおかしいと思うようになり、感覚がまひした」
 
1年半働いて、積算線量は約25ミリシーベルト。
今は、構内での飲食を後悔し、内部被ばくも疑っている。


<「命削っている」>
 
厚生労働省によると、統計を取り始めた1976年から、原発作業員が被ばくによる労災を認められたのは、全部で13件=表1=。
その中で、被ばく線量が最も低いのは、白血病を発症した人の5.2ミリシーベルトだった。
 
福島第1原発では、事故からことし1月まで、計3万2034人が作業に当たった=表2=。
平均被ばく線量は12.58ミリシーベルトで、最高は、原発事故後に中央操作室にいた作業員の678.8ミリシーベルト


 
半数の1万5363人は、労災認定の可能性がある5ミリシーベルトを超えている

これまで8件の申請があったが、まだ認められたケースはない
 
男性が言い切る。
みんな命を削って作業している
誰もが体に異変が出れば福島での作業を疑う。
近い将来、本当に放射線が原因の死者が出てもおかしくない
        ◇
福島第1原発事故から3年。
作業員は、被ばくの不安におののきながら、過去に経験のない事故処理に携わってきた。
廃炉の完了まで、少なくとも30~40年かかる。
放射能という見えない恐怖の中で、膨大な作業と緊張を強いられる現場を追った。(原子力問題取材班)



第12部・廃炉の現場(中)困難な要員確保/「中抜き」横行、低賃金
河北新報 2014年4月10日


構内で防災訓練に当たる作業員ら=3月13日、福島第1原発(東京電力提供、写真と本文は関係ありません)

<延べ1800万人必要>
 
「これでまた、作業員の確保が難しくなる」
 
東京電力福島第1原発で事故処理作業に当たる、福島県双葉郡の下請け業者の男性は、一気に暗い気持ちになった。
 
東京都が、2020年の五輪開催地に決まった、13年9月のこと。
喜びに沸く周囲とは対照的に、五輪景気で、作業員が東京に吸い寄せられる事態を心配した。
 
男性は、公共職業安定所や、インターネットによる求人、知人のつてなど、あらゆる手段で作業員を集めている。
そうしないと、到底足りない。
 
福島第1原発で必要な人員は、1日3000~4000人に上る。
廃炉の完了は、早くとも30~40年後
仮に、平均1日2000人、1年300日で30年だとすると、延べ1800万人の計算になる

 
被ばくを伴う難しい作業なのに、これほど膨大な数の作業員を、確保しなければならない。


<6次の下請けも>
 
作業員集めは既に、かなり困難になっている。
最大のネックが、厚生労働省が定める、作業員の被ばく限度だ。
 
年で最大50ミリシーベルト年で計100ミリシーベルトが上限、と決められている。
5年間継続して働くとすれば、年平均20ミリシーベルト以下に抑えなければならない。

 
下請けの男性は、
今までの付き合いで仕事を受けているが、給料が低く、継続雇用の保証もない。
(被ばくによる)健康不安もある。
そんな職場で普通、働きたいとは思わない
」と語る。
 
複数の作業員によると、福島第1原発の日当は、6000円~1万5000円程度らしい。
2次、3次と、下請けが重なるにつれて、中抜きされる額が増え、大きな差につながっている。
 
福島第1原発の現場では、3次どころか6次下請けもざらだという。
 
さらに、福島第1原発で働けば、累積の線量が1年もたたず、限度に近づく可能性がある。
「そうなると、他の原発でも働けなくなって、収入は伸びない。熟練作業員ほど福島を避ける」と、現場監督の経験者が打ち明ける。


<日当の逆転現象>
 
原発構内の事故処理より、被ばく量が少ない、周辺市町村での放射性物質除去の方が日当が高いという、「逆転現象」も起きている。
作業経験のある男性(東京都)は、除染に仕事を変えたら、日当が1万1000円から1万5700円に増えた
 
作業員の数を確保しようとするあまり、質の低下もささやかれている。
ナットの締め方すら分からなかったり、簡単な漢字が読めなかったりする人もいる」と、現場を知る関係者は指摘する。
 
東電は、13年12月以降、発注の工事を対象に、1日の人件費を1万円増やした。
だが、上乗せ分が、末端作業員まで届く保証はない
 
下請けに入っている男性は、引き上げの効果を疑問視する。
多重下請けという、構造的な問題が手付かずのためだ。
東電の対策について、東京五輪に絡めて言い表した。
 
「お・も・て・だ・け」
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北風と太陽と生きものたち

2014年04月10日 | ひとりごと
ようやく気温が、日中は15℃ぐらいまで上がってきました。
ただ……なぜか風がとても冷たくて、まるで『北風と太陽』の物語の中に出てくる、地上の人のような気分です。

先週の土曜日にコンサートが終わり、一日置いて今週の月曜日から、障害を持つ子どもたちが通う高校の、コーラス伴奏のバイトが始まりました。
こちらでは、障害とは言わず、スペシャルズと言います。
特別な意味をもって生まれた子ども。
その意味を、生きることで示し教えてくれる人。
神さまから、特別に愛されている人。

ディレクターのダリルは、銀髪のざんばら頭とボンボコお腹がトレードマークの、多分わたしより少し年上のおっちゃん先生。
「今日からみんなは、ちゃんとしたピアノ伴奏付きで練習する。
彼女はなんてったって、楽譜通り、きっちり弾ける。
んでもって、みんなの態度が悪かったら、ぶっつんキレて怒り出したりもする。
僕の間違いを、徹底的に見逃さず、いやらしいほどに直してくれる。
なのでこれからは、歌ってる途中で???と思うようなことがあったら、ピアノの音に合わせるように。
きっと彼女の方が正しいはずだから。
コンクールやコンサートの本番でも、もし???なことを僕がしても、ピアノの方に合わせたらいいから」

という、笑って聞き流していいのか悪いのかよくわからないような紹介を受けて、30人ほどのでっかい高校生たちと挨拶を交わしました。

いつものように、初見が勝負の練習の始まりです。
だいたいどの曲も12ページぐらいあるので、全曲コピーをして、譜めくりをしながらうまく弾けるように工夫したものを、横長のスケッチブックに貼付けます。
5月にコンクール、そして6月にコンサート。
それまではまた、合わせの練習が週に3回、本番が近づいてくると週に5~7回、とにかく健康を保たなければなりません。


コートを羽織り、外に出たがっている家猫のお付き合い。

今年はここに、何を植えようか……。


猫の散歩は、数歩歩いては瞑想、草を食べてはまた瞑想……距離はちょっとでも、やたらと時間がかかります。




お昼寝石のキラキラが、どうしても写真には撮れません。


桃にも春。


カエデ爺さんにも春。



さて、この方は、最近毎日のようにやって来ては、ガアガアとやかましい。


しかも、カモというのは、かならずカップルでいるはずなのに、なぜかいつもひとりぽっち。


何度も言いますが、ここはプールのカバーの上です。
そこにたまった雨水の、とても浅い水たまりなのです。
けれども気分はすっかり池?!なのでしょうか……。


なので、ほとんど歩いているカモさんなのです。




ああ孤独……。


これが全景。


翌日は、カップルで。


やっぱりこういう姿の方が、見ている方も落ち着きます。




じぃ~……。

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『遺言』原発さえなければ

2014年04月09日 | 日本とわたし
海は津波でなんーにもない!
山は放射能……。
どぉーしようもねぇ……。


遺言 原発さえなければ


世界の現場を取材してきた2人のフォトジャーナリストが、震災翌日から事故後の福島を、800日間にわたり撮影。
その衝撃的な映像が、ついにドキュメンタリー映画として完成。
3月8日からの劇場公開(東京・ポレポレ東中野)をきっかけに、全国公開を成功させよう。


URL
http://yuigon-fukushima.com
facebook
https://www.facebook.com/yuigon.fukushima


震災翌日からの福島取材

イラクやチェルノブイリを撮影してきた豊田直巳と、チベットやアジアを撮影してきた野田雅也は、
震災翌日から福島へ向かい、避難する双葉町や飯舘村の人びとを撮影。
原発事故の取材が、数週間で終わるものではなく、1年、10年と、長きに渡って撮り続ける必要があるということを覚悟していました。
こうして、収入や映画製作のことを考えることもなく、ひたすらに福島へ通い続け、記録するためにカメラを回してきました。



事故から2年が過ぎ、撮影した250時間の映像を、映画プロデューサーの安岡卓治氏に託し、編集作業を始めました。
「宝もののような映像だった」そうです。



そして、映画の完成が近づいた頃、初めての試写会を、福島県伊達市の仮設住宅で開催しました。
この仮設住宅には、多くの飯舘村の人びとが、避難生活を送っています。
つまり、この映画の主人公たちです。
ともに怒り、哀しみ、そして笑い、3時間45分という長編映画を、最後まで観て頂き、楽しい時間を共有して頂きました。

ーーーーー

同仮設住宅の集会所で行われた上映会は、住民らで満席。
映画に出演した長谷川健一さん(60)は、
「当時のことをつい最近のように思い出した。映像は記録として残る。(製作者に)敬意を表したい」と話した。(福島民友新聞 )



その後、山形国際ドキュメンタリー映画祭で、本映画を初公開。
会場は満席で、補助席が必要なほどでした。
また、多くのメディアにも取り上げられ、高い評価を得ました。

ーーーーー

■ニュース報道はもちろん、同様のドキュメンタリー作品でも類を見ないほど、福島第一原発事故で人生を翻弄(ほんろう)される彼らに肉薄している。
胸を締め付けられずにはいられないだろう。
(シネマトゥデイ )

■白煙を上げ続ける福島第一原発。
汚染地域に取り残された住民。
見えない敵は、放射能だけではなかった。
そこには、隠蔽と欺瞞に覆われた、日本社会の構造が浮かび上がる。
(Record China)

■飯舘村を中心に、2年間にわたり長期取材・撮影した。
私は、綿密な取材に裏付けられた映像に、彼らフォトジャーナリストたちの、底力を感じた。
225分の映画が語るのは、原発によって壊されてしまった人生と、飯舘村の人々の再生の物語である。
(ドキュメンタリー雑誌『neoneo』)

ーーーーー



確かな手応えを感じたため、全国劇場での公開準備をはじめました。
そして、今年3月8日から、ポレポレ東中野での上映が決定。
順次、全国巡回する予定です。


歴史を記録する

私たちは、全国での劇場公開だけでなく、各地にある公共施設やコミュニティースペースなどの、自主上映会を含めて、
様々な機会に、この映画を見ていただく働きかけをしています。
それだけでなく、世界へ伝えるために、海外の映画祭への出品を進めています。
小さな働きかけでも、身近な方々100人の観客へ、いつか世界の10万人、100万人へと膨らむはずです。
そのとき、福島の記憶は記録となり、世界へ、次世代へと、この惨禍を語り継ぐことになるでしょう。
一本の映画でも、いまと未来を結ぶメッセージになるはずです。

※海外の上映普及のために高木仁三郎基金から助成金を頂き、すでに英語字幕版を完成させています。


全国へ広げたい!

ここまで、自費で撮影、編集を続けてきましたが、映画上映にあたり、多額の配給、広報費がかかわることが、いまになって分かり、配給宣伝費を確保できていません。
震災関連の映画で、興行収益は見込めないと言われます。
しかし、事故の惨禍を次世代へ、あるは未来に残すために、全国へ広げていきたいと思います。
セシウム137の半減期30年といわれる中、撮影の続行をしたいのです。
 
製作費をのぞき、映画の配給、宣伝費だけでも、少なくとも150万円が必要です。
人件費を払う余裕もありませんが、配給・宣伝費の資金協力をお願いします。


想定されるリスクとチャレンジ

映画が完成し、都内の劇場での公開が決定しているため、プロジェクトの変更や遅れはありません。


製作陣


豊田直巳(共同監督/取材・撮影)
1956年生まれ。
イラクやパレスチナなどの紛争地を巡り、劣化ウラン弾問題やチェルノブイリを取材。
新聞、雑誌やテレビで報道。
平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞。
近著に『フクシマ元年』(毎日新聞社)、『フォトルポルタージュ 福島 原発震災のまち』(岩波書店)他。
http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/


野田雅也(共同監督/取材・撮影)
1974年生まれ。
チベットの核実験場をはじめ、アジアの紛争地や災害現場を取材。
『正しい報道ヘリの会』では、官邸前デモなどを空撮。
DAYS JAPAN国際ジャーナリズム大賞特別賞。
共著に『3•11 メルトダウン』(凱風社)他。
共に、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。
http://www.fotgazet.com/


出来ることから、始めましょう。

映画『遺言』を、全国に届けるプロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。
「この歴史を記録する」。
この映画を製作した、私たちの決意です。
しかし、上映を全国へ広げるためには、広告宣伝費、配給費の確保や自主上映の開催など、皆さまの幅広いご協力が必要です。
それぞれに出来ることから、始めましょう。

↓下記の青文字をクリック!
このプロジェクトを応援する



『遺言 原発さえなければ』公式サイト



福岡県福岡市 KBCシネマ
日時:2014年4月12日(土)・13日(日)
両日とも豊田直巳監督による舞台挨拶付き
4月12日(土)は舞台挨拶終了後、別会場にて豊田直巳監督によるトークイベント開催予定
HP:http://www.h6.dion.ne.jp/~kbccine/
http://www.as-tetra.info/archives/2014/140412174534.html

愛知県名古屋市 シネマスコーレ
日時:2014年4月19日(土)~5月2日(金)12:20~
HP:http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/

兵庫県神戸市 神戸映画資料館
日時:2014年5月2日(金)~5月4日(日)13:00~
住所:神戸市長田区腕塚町5丁目5番1 アスタくにづか1番館北棟2F 201
HP:http://kobe-eiga.net/program/2014/05/#a002152




大阪府大阪市 シアターセブン
日時:2014年5月3日(土・祝)10:00~ 14:20~(1日2回上映)
2014年5月4日(日・祝)~5月9日(金)10:00~
2014年5月10日(土)~5月16日(金)15:10~
2014年5月17日(土)~5月23日(金)10:00~ 14:20~(1日2回上映)
★5月17日(土)と5月23日(金)は14:20の回休映
★5月24日(土)以降、未定
〒532-0024
大阪府大阪市淀川区十三本町1丁目7-27 サンポードシティ 5F
HP:http://www.theater-seven.com/
お問合せ: 06-4862-7733

福島県福島市 フォーラム福島
日時:2014年5月18日(日)~5月20日(火)
HP:http://www.forum-movie.net/fukushima/

京都府京都市 京都シネマ
日時:現在調整中
HP:http://www.kyotocinema.jp/
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何事も無かったことなんかにされてたまるか!

2014年04月08日 | 日本とわたし


↑上記のような本が、堂々と出版されている日本です。
出版社はここ⇒『かざひの文庫(株)』
なんという恐ろしいことでしょうか。

今だ、放射能汚染の酷い地域に住み続けなくてはならない被災者の現状は、報道されることもなく、だから日が過ぎるとともに、忘れ去られていこうとしています。

加えて、オリンピックだの、再稼働だの、そしてまた、日本を間違った方向に進めようとする悪法が次々に可決され……、
本当に日本はいったい、どんな国になろうとしているのでしょうか。
同胞を棄て、未来を棄て、経済成長さえしていればええじゃないか、という人たちが生きる国など、これから先、良くなっていくはずがありません。

あっちがその気なら、こっちも覚悟しなくては。
そう思ったのは、もう何年前のことだったか……。

福島の現実は厳しい。
それをせめて、わたしたちは知っているべきだと思います。

今日はまさに、被災地に今も暮らしておられる方々からの訴えを聞き、それを伝え続けておられる方のブログを紹介させていただこうと思います。

↓以下転載はじめ

『福島の現実ー福岡百子の声』

困窮状態にある被災者は未だたくさん居られます
2014年 04月 08日

桜の花も開花し、被災地福島の三春の山村では、未だ雪があり、福寿草、梅、椿が一度に咲き、桜はこれからです、とのことです。

4月は入学、入社と、人生にとって、希望に満ちた出発の時ですが、現実の日本は、多くの問題を抱えた苦難の時のような気がします。

今日も、福島の被災者の現実を、お伝えしたいと思います。


【浴びて良い放射線の数値が、20倍にアップしました】

被災当時は、年間1ミリシーベルト(=毎時0.23マイクロシーベルト)以下は大丈夫として、国の基準は、1ミリシーベルトが安全基準、と報じられていました。
しかも、この数値も、外に居ると想定した時間(1日12時間)だけで計算してあり、
1日24時間×0.23マイクロシーベルトで計算すると、年間2ミリシーベルトを超えます。
被災者は、国の安全基準は間違っている、と当時から言っていました。

しかし最近、国は、「年間20ミリシーベルトまで大丈夫」と言い、年間放射線量が20ミリシーベルト以下の地域には、帰還宣言をし、住民を帰し始めています。
2012年に広野町を、2012年8月に川内村を、そして福島第一原発から20キロ圏外の、ほぼ全域の市町村を。

今年の4月からは、都路の学校再開も。
住民の意見は聞くことなく、押し切られました。
平成28年春には、南相馬も解除宣言される予定、と言います。

チェルノブイリ原発事故の避難基準でさえ、年間放射線量1ミリシーベルト以上の地域住民は、移住の権利があり、
5ミリシーベルト以上では、移住義務が生じるそうです。

現場を知る被災者の方は言います。
「本来は、双葉郡は放射線量が高く、危険地域です。
ですので、国が土地や家、屋敷を買い上げ、全住民を安全な場所に移住させ、危険地域として高い塀を作り、立ち入り禁止とすべきです」

ですのに、移住する家も作らず、賠償金も出さず、帰還宣言をして帰すとは。
しかも、住民の声は聞かず、強引に押し切られます。

原発立地地域の双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、浪江町も、三区分され(帰還困難区域、居住制限区域、避難解除準備区域)、
賠償方法も、賠償金額も、異なります。
帰還困難区域にはまとめての支払いを、しかし、居住制限区域には分割の支払いをするのです。
しかし、自宅に入居できない状況は帰還困難と同じなのに、一括支払いでないために、資金が無く、新しい住まいを求めることができません。
原発立地地域でさえ、「帰還可能」とできる場所には、住民を帰そうとするのです。

放射線は、いまだに流出しております。
風に乗って、また地下水に。
双葉郡だけでなく、福島だけでなく・・・。

国は、被災者を帰還させ、何事も無かったかのようにしたいのかもしれませんが、
日本国民の命や生活を守ることを優先し、原発が及ぼす影響の重大さを自覚し、「国民を被曝から守る」ことを、最優先課題にして欲しいものです。

現場で作業をする人から聞きました。
「田畑の線量の高い所は、シートを敷き、その上に新しい土をかけ、その上で線量を計る。
それでも線量が高い場合は、またシートを敷き、新しい土をかけ、そして計る。
そして“線量が低くなった”と公表する。
これ、改ざんでないか?」と。


【被災者の困窮を救ってください】

福島被災者の現実は、報道されていません。
国や東電が守っている、と、日本国民は勘違いしています。
否、むしろ、勘違いさせられている、と私は思っています。

2011年、被災者は、家族100万円、単身者は75万円、支給されました。
その後は、弁護士さんを通して申請した人が、各市町村にかなり居られ、その方々は未だ東電との折り合いが付かず、
精神的賠償金の月額10万円を、3年の間、1銭も受け取っていません。
役場の人に、この件について聞きましたら、「未だ平行線で分からない」と言います。
私は、もらわずじまいで終わるのではないか、と内心、心配しています。

収入のない被災者は、本当に大変です。
除染作業か、がれき処理かでの生計、しかも雨の日、雪の日は休業となり、収入は無くなります。
最近は、アベノミックスで、土木関係の仕事は被災地には来なくなった、働くところが無くなった、と言います。

福島の現状を知っていただくために、事例をご紹介致します。

〈妻20歳・夫22歳〉
・弁護士を通して申請しているために、月10万円の賠償金はありません。
・夫は除染の仕事、妻も働いていたが、3月末で仕事はなくなった。
・妻「子どもが欲しいけど、お金がないので産めない」
・持っている品(フライパン、鍋、どんぶり、大皿各1、中皿2のみ、衣類と寝具もそこそこ。
・彼女が私に願ったこと
「味噌汁を作るなべがもう一つ欲しい。
プラスチックでも良いから食器が欲しい。
消耗品や食品、それは嬉しい。
0歳児を持つ仲間もいるし、分けられる」

私は、支援者に頼み、寝具・衣類・食器・消耗品・調味料などを送りました。

困窮状態にある被災者は、未だたくさん居られます。
消費税が上がり、経済的にも大変な私たちですが、
どうぞ少しでも結構ですので、福島の困窮状態にある被災者を、皆様の手でお救いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

被災地をご紹介申し上げます。
下記にお問い合わせくださいませ。
--------------------------------------------------------------------------------------

【被災地への支援に関するお問い合わせ】
福岡百子
FAX 047-346-8675
携帯 080-5547-8675          
f.mom.1941@ezweb.ne.jp
(恐れ入りますが、これらの連絡につきましては、AM10:00~PM5:30までの間に頂けますようお願いいたします)

現在被災地から要請を受けている、具体的な支援品のリスト

2014年 02月 26日現在

福島の被災者への支援品、よろしくお願いします。

今でも、福島の被災地では、生活支援品を必要としております。
みなさまの暖かいご支援を、よろしくお願い申しあげます。
品物は、新品または、状態の良いものをお願いいたします。

(寝具)
布団(上下、軽く暖かい物、重い布団は、年配者には体を圧迫するので不向きです)、布団カバー、毛布、シーツ、 暖かいシーツ

(衣類)
古着(春、夏服)、下着、 靴下 、肌掛け、タオルケット

(食料品)
水、米、調味料、野菜、果物、レトルト食品、乾物、缶詰、お茶、菓子(賞味期限をご確認ください)、餅(東北の方々は、餅への思いは深く、元気が出る、ありがたい贈り物です)

(消耗品)
トイレットペーパー、ティッシュペーパー、ポケットティッシュ、洗剤、シャンプー、リンス、サランラップ、ポリ袋、ホカロン、マスク、生理用品、救急用品、殺虫剤、ネズミ駆除剤、ゴム手袋、作業手袋

(文房具)
ボールペン、鉛筆、ノート、メモ帳、ファイル、はがき、便箋、切手

(老人・幼児用)
紙おむつ、紙パンツ、失禁パッド、尿取りパッド

(生活用品)
ミシン、アイロン、アイロン台、加湿器、除湿機、扇風機、布団乾燥機、電気ストーブ、室内運動機具、健康器具、CD、DVD、ラジオ、リクリエーション用品、杖、手芸用品、自転車、車いす、老人用押し車、懐中電灯、リュック

(老人ホーム厚寿苑向け)
お尻ふき(古タオル、古シャツ、古シーツなど)


<<義援金の要望もあります>>
仮設自治会の資金が足りなくて、困っている所があります。
ご支援頂けます方には、こちらより、自治会の支援先等をご紹介させて頂いた上で、直接送金していただいております。


⇒ご支援くださる方は   
①ご支援いただける品名、サイズ、数量などを、具体的にお知らせ下さい。
②ご支援くださる方の連絡先(お名前、電話番号、ファックス番号など)

以上の2点をご記入いただいた上で、下記の連絡先宛に、ファックスまたはメールでお知らせください。 
被災地の送り先を、ご紹介申し上げます。

福岡 百子
FAX 047-346-8675
携帯 080-5547-8675
メール f.mom.1941@ezweb.ne.jp
ブログ 「福島の現実―福岡百子の声」http://momfukuoka.exblog.jp/

恐れ入りますが、ご連絡は、AM10:00~PM5:30までの間にいただけますようお願いいたします。尚、話し中が多く、ご迷惑をおかけしますが、再度のご連絡をお願い申し上げます。
併せてご覧いただければ幸いです。

※当ブログは、福岡氏より委託を受けた、前野賢一郎(maeken24@ybb.ne.jp)が、更新作業等の管理・運営を行っております。



↑以上、転載おわり
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『原子力 破滅未来のエネルギー』『脱原発 明るい未来のエネルギー』

2014年04月07日 | 日本とわたし




(「破滅」と書かれた画用紙を、看板の手前で掲げて、自ら25年前の標語を訂正した、大沼勇治さん=福島県双葉町で)

東京新聞2012年7月18日

「原子力明るい未来のエネルギー」

福島県双葉町の、中心街の入り口に掲げられた、看板の標語だ。
25年前、当時小学6年の大沼勇治さん(36)が、町のコンクールに応募し、選ばれた。
大沼さんは、1年4カ月の避難生活で、「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月15日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した

大沼さんは、東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は、愛知県安城市で避難生活を送る。
町が、原子力標語を公募したのは、1987年。
原発が町の未来をつくる、と信じた言葉が入選。
第一原発から約4キロの自宅近くに、鉄製の看板が、電源立地交付金で建てられ、誇らしかった

大学を出て、就職などし、29歳で帰郷。
不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地に、オール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。
ずっと、町の発展が原発とともにある、「安全神話」を疑わなかった

しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。
「平穏な暮らしが、町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに、胸を痛めた
自らを責め、悔いる日々から、「原発の現実を話す権利はある」と考えた
脱原発を行動で示し、その姿を、長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたい、と思った。

夫婦が一時帰宅した、今月15日、記者も同行した。
防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け、「退場」と叫んだ。
その後、看板の手前で、持参し た画用紙を高く掲げた。
すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が、「明るい」に重なり、新しい標語が読み取れた。

「原子力破滅未来のエネルギー」

26年目の訂正の瞬間だった。

大沼さんは、「原発事故で故郷を奪われることが、二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。 
(野呂法夫)



2年前の12月に放映された、NNNドキュメント12 
遠きフクシマの故郷  ~さまよえる家族たち~

Dailymotionの動画なので、ここに載せることができません。
お手数をおかけして申し訳ありませんが、上記の紫の太文字をクリックしてください。
動画が出てきます。
ぜひご覧ください。


つい先日、友人を通じて知った福岡百子さんの存在。
彼女は、原発事故後、今も全く変わらない現状の中、棄民扱いを受けて苦しんでいる被災地の現実をそのまま、ブログに書き続けておられる方です。
原発事故による被害を被った人も町も、なにひとつ救われていません。
本当にひどい現状です。
どうか、そのことを知ろうとしてください。
忘れずに、終ったことにせずに、どうか、自分のことのようにとらえて、心にかけてください。

13才の男の子だって、こんなふうに考えているのです。


復興予算を個人の生活支援に
中学生 田中雄太郎13(東京都文京区)

最近、新聞で、東日本大震災の復興予算が使い切れずに、基金として積み上がっているという記事を見つけた。
自治体の職員が足りないなどの理由で、予算を使い切ることができないらしい。

僕は、お金があるなら、被災者の生活に使うべきだと思う。
この前、ニュースで、配給が足りずに困っている人や、支援がないので生活に苦しんでいる人たちの特集をしていた。

僕は、3年経った今でも、生活がままならない人がいることに驚いた
それだけでない。
使われた予算の中で、被災者の暮らし向上に回されたのは、たったの8%程度であるという。
いまだに仮設住宅で生活する人がたくさんいるのに、わずか8%しか使われていないのだ。

なぜ『人』ではなく『事業』に使おうとするのだろうか
僕は疑問に思う。
復興予算なのだから、町の復興だけでなく、個人の生活の復興にも使ってほしい
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