越前焼は北陸地方の最大の窯場です。良質の粘土が豊富に産出する事から、平安末期から陶器が
作られ、戦後陶芸家で文部技官であった小山富士夫氏によって、六古窯の一つに数えられます。
一時衰退しますが、1970年(昭和45年)に陶芸村が建設される頃から、復興を遂げる様になります。
1) 熊野九郎右ヱ門(くまの くろうえもん): 1955年(昭和30年) ~
① 経歴
1955年 福井県鯖江市に生まれます。(尚、九郎右ヱ門は屋号との事です。)
1976年 名古屋造形芸術短大の日本画科を卒業します。
同年 越前焼の窯元の藤田重良右ヱ門氏に師事し、陶芸の修行を積みます。
1982年 飛騨の戸田宗四郎氏に師事します。
1983年 再び藤田重良右ヱ門氏に師事します。
1984年 石川県山中町の依頼で、古九谷の瓷器(しき、じき)土を発見します。
注: 瓷器とは、土器より堅い焼き物で、釉が掛けられ磁器成立以前の原始的な焼物です。
1985年 窯焚き指導のため、旧ソ連のリガに招待されます。
1986年 陶土開発のため、サハリンに招待されます。
1987年 福井県朝日市に、偶然見つけた古墳時代後期の窖窯跡地に、半地下式の割竹式
窖窯(陶房・旅枕碗寮)を築き、作陶に専念します。
2000年 ドイツの外務省より招待されれ、講演を行っています。
2004年 ドイツ・ブェステルバルドにて「全ヨーロッパ144人とジャパンKumano展」を開催。
2006年 ドイツ国立コブレンツ大学にて、超高温焼成実技指導や、講演、展示会を行います。
・ 個展: 黒田陶苑(東京渋谷)、阪急(大阪梅田)、伊勢丹(東京新宿)、侘助(静岡藤枝)
など全国各地で、多数の個展を開催しています。
② 様々な粘土を探し出し、焼成しています。
「越前には、唐津に負けない程の多くの種類の土が存在する。」と言われています。
又、土探しの為なら、北海道の津別(磁土=陶石を発見)やロシア(リガ)、サハリンまでも出掛け
ています。
・ 越前土: 鉄分を3%程度含む、肌色に近い黄色の土です。
・ 炭マン(マンガン)土: 銅と鉄分とマンガンを含んだ茶色の土です。
・ 珪石粘土、珪酸アルミニウム白粘土:木節粘土を40%程度混ぜて使います。
熊野氏の作品には、この土が一番多く使われている様です。
③ 1520℃(SK-19)での焼成
) 六日間にも及ぶ、窖窯での焼成では、最高温度が1520℃にもなる言われています。
一般には1300℃以下ですので、かなりの高温になります。
彼はを熔けて破れる寸前の、「ドロドロ」とした美を追求している様です。
但し、作品全体をこの温度で焼成している訳では無い様です。
即ち、熊野氏の窖窯では、温度差が大きく、最高温度が出る「火前」と最奥部では最大で
250℃程度の差が発生するそうです。(熱伝対温度計で測定)
その為、1520℃での焼成でも、作品は1270℃以上で焼れる事になります。
窯焚きは年に2~3回程度で、失敗も多く、2割の作品が取れれば良い方との事です。
) 温度を上昇させる為、薪(まき)には楢(なら)の木を使っています。
一般には赤松を使いますが、松は伐採すると「ヤニ」が次第に少なくなるそうで、薪として
使う頃には松脂(まつやに)もかなり減少し、高温焼成には不向きと成る様です。
楢の薪は、「ヤニ」成分も残り高温焼成には打ってつけとの事です。
更に、楢の灰が熔けて志釉と混じり合い、自然釉となって胎土に熔け込みます。
) 1500℃以上の高温に耐える土の詳細は不明ですが、その様な土がある事すら不思議な
感じがします。一般にはドロドロに熔けてしまうはずです。但し、1500℃に耐える窯がある
以上その窯の材料と同じ素材を使って作品を作れば、高熱に耐える事にはなります。
) 窯を高温にするには、特別な方法や工夫があるはずです。
以下次回に続きます。