旧安宅コレクション(現東洋陶磁美術館)の国宝、「油滴天目」を見て衝撃を受け、幻の天目釉の
復活や独自の新たな天目釉を開発し、天目釉の第一人者と成った人物が、京都の木村盛康氏です。
1) 木村盛康(きむら もりやす): 1935年(昭和10) ~
① 経歴
1935年 京都五条坂に京焼の絵付け職人の四男(末っ子)として生まれます。
1957年 京都市工芸指導所、陶磁器技能者養成専科を卒業し、兄の木村盛和に師事します。
(15歳年上の長兄、木村盛和氏と三男の盛伸はともに、陶芸家です。)
1970年 日本伝統工芸展出品の「天目釉壷」が、外務省のお買い上げになります。
1978年 日本工芸会近畿支部展で、「松樹天目壷」が大阪府教育委員長賞を受賞します。
1986年 「松樹天目壷」が故宮美術館に永久展示されます。
1992年 米国ボストン美術館に「禾目碧天目壷」、「松樹天目茶碗」、「窯変禾目碧天目茶碗」
が永久展示されます。
1996年 米国ダグラス美術館に「華炎天目茶碗」、「松樹天目花入」、「禾目碧天目器」が
永久展示になります。
1997年 米国ヒューストン美術館に「窯変禾目天目壷」、「禾目碧天目茶碗」が永久展示。
1999年 大英博物館に「華炎天目大鉢」、「松樹天目茶碗」が所蔵になります。
2000年 ハーバート大学美術館が「耀変天目茶碗」、「禾目碧天目壷」、「禾目天目壷」を所有し
国内でも、京都迎賓館、関西大学博物館、京都大学、伊勢神宮等に所蔵されています。
日本各地でもデパートや画廊などで、個展を数多く開催しています。
2) 「天目」とは、中国福建省の建窯で焼かれた、建盞(けんさん)の事です。
注 : 盞とは浅めお椀や盃の事です。
① 鎌倉時代、禅の僧侶によって、中国の天目山の禅寺から持ち帰った黒褐色の茶碗が、
日本で「天目茶碗」と呼ばれます。天目茶碗の特徴は、小振りの喫茶用の茶碗で、高台が
小さく、口縁が「スッポン口」と呼ばれる、独特の形をしています。
② 「天目釉」と呼ばれる、変化に富む鉄釉系の褐色釉が掛けられています。
種類も「油滴(ゆてき)」、「耀変(ようへん)」、「禾目(のぎめ)」、「玳皮盞(たいひさん)」、
「木の葉」、「灰被り」天目等が、わが国に伝わっています。
) 国宝 「油滴天目茶碗」: 高さ 7.5 、口径 12.2 、高台径 4.2 cm
黒地を背景に、細かい銀白色の斑点(油の滴状)が、無数に浮いている作品です。
冷却途中で、一定の温度範囲を保持する事により、油滴結晶を大きく成長させます。
a) 油の斑文は、時には銀白色、時には金色、又は紺色に見える事もあります。
b) 斑文の正体は、酸化第二鉄の結晶です。焼成中に熔けた釉の成分の一つである
酸化第二鉄が、冷却して行く過程で、表面で結晶した物です。黒い釉の部分は結晶化
せず、流動的な性質があります。
c) 釉に流動性がある為、結晶は口縁部分では小さく、胴の部分では大きく成っています。
又、高台脇の部分まで、黒釉が流れて厚く溜まっています。その部分にも「油滴」が
見受けられます。この事は釉が流れる以前に、結晶が進んでいた事を表しています。
更に、釉が流れ落ちないで止まる様に、素地の削り角度を工夫しているとの事です。
尚、素地は建窯特有の、真っ黒い土です。
d) 油滴天目は、南宋時代に中国各地で焼かれていた様ですが、建窯で大規模に生産
されていた様です。
) 国宝「耀変天目」:黒地に青や銀白色の大小の斑点が浮かび上がった作品で、
世界に3(又は4)点のみ、存在が確認されています。(その3点は、日本にあります)。
以下次回に続きます。