トニー・スコット監督、トム・クルーズ、ロバート・デュヴァル、ランディ・クエイド、ニコル・キッドマン出演の'90年作品『デイズ・オブ・サンダー』をWOWOWシネマで見ました。デイトナ500で優勝するまでのスタッドカー・レイサーを描いた映画でしたが、時折一瞬現れる見事な風景が印象的でした。
さて、川上未映子さんの'12年作品『人生が用意するもの』を読みました。「週間新潮」に『オモロマンティック・ボム!』と題して連載されたエッセイを中心として、作られた本です。
「普段ぼんやりと生きているせいだとは思うのだけれど、ときどき『まじか』と異様に驚いたりすることがある。そのほとんどが取るに足らぬこと&どうでもいいトリビア的なものではあるのだけれど、日々そのように割にぽこぽこと驚いているにも拘らず、これまたぼんやりと過ごしているので、驚いたことの内容じたいを忘れてしまって、つまりなんにも思いだせなくて、こんなふうに人生ってうやむやになって終わっていくのだろうなとこれまたぼんやりと思うのだった。」という文章に象徴されるような、“未映子”節がここでも健在なのであって、どうということもない内容の文章も、すらすらと楽しく読めるのでした。そこに流れているのは“ポップ”であろうという意識であり、実際に著者は何回かこの言葉を使っています。
そんな中にあって、新しい知識として入ってくる情報というものもあり、例えば、欧米人の整形は口を大きくすることであったり、震災をめぐる報道でクローズアップされるのは、家族や夫婦といった社会的に認められた関係にある人々ばかりだったと哲学者の中島義道さんがある雑誌にお書きになっていて、「行方不明の恋人を探す」場面や「避難所で暮らす同性愛者たち」らはマスコミから排除されていたり、アメリカに『妊婦バービー』という人形が存在していたことであったり、そしてまた『妊婦バービー』が販売中止の追い込まれた理由が「バービーが結婚指輪をしていなかったから」という理由であったことだったり、それを聞いた著者が「みんなけっこう暇なんだなー」という感想を持ったり、妊婦が避けて通れない経験というのが「尿漏れ」だったり、それを防ぐ唯一の方法というのが「あッ、と思ったら足をさっとクロスさせてやり過ごす」というものだったり、「そして一度笑ってしまえば最後、もうなにを見ても可笑しくなって、たとえば『おうどん』と書かれてある看板を見ただけで足クロス。どこかがバカになってるに違いない。このあいだ銀座駅のホームでおなじように足をクロスさせて微動だにしない妊婦と目があって『大丈夫か』『大丈夫だ』『頑張れよ』『お前もな』みたいな感じでどちらからともなく無言のまま力強く肯きあったのが印象的だった。」と著者が書いていたり、震災から数カ月、テレビや政府の公表を鵜呑みにせずにネットなどを駆使して能動的に情報を収集する習慣のある人と、そうでない人の行動の差を感じるのが増えてきて、前者は圧倒的少数であると書かれていたり、外国の夜は美しいと書かれていたり、著者が「さよなら原発 5万人集会」に参加していたり、黙読する人は、頭の中で音にしている人と、目だけで済ます人の2種類がいるということだったり、本1册を出して著者が受け取れる印税は例外を除けば一律で1割、そこから税金とか消費税とかが引かれるので、まあ1200円の本ならだいたい印税は100円ぐらいで、刊行から約2ヶ月以内に振り込まれることだったり、著者が“ちょっとした笑顔”が“大きな笑顔”よりも好きだったり、姉のサイン帳に「鮭は身よりも皮が好きです」とイラスト付きで書いていた子が自殺したことだったり、小5の時の作文で著者が「自分だけじゃなくて、まわりのみんながいつか死んでしまうのがこわい。いなくなるのがこわい。こんな考えかたはずるいかもしれないけれど、そのことを思うと、わたしはお母さんよりも先に、誰よりも先に、死んでしまいたいと思う。でも、よく、わかりません」と書いたら、担任の先生が著者の名前を厳しい顔で呼んで立たせ、それから大きな拍手をしてくれ、「その考えと気持ちをずっと忘れないでください。素晴らしい作文でした」と言ってくれたりしたことなどなどでした。こうして書いてみると、これは新たな情報というよりは、読んでいて心に響いてきたあれこれといった感じで、そうしたものがたくさん詰まっている本だと言えるでしょう。未映子さんの文章、私は好きです。
→Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
さて、川上未映子さんの'12年作品『人生が用意するもの』を読みました。「週間新潮」に『オモロマンティック・ボム!』と題して連載されたエッセイを中心として、作られた本です。
「普段ぼんやりと生きているせいだとは思うのだけれど、ときどき『まじか』と異様に驚いたりすることがある。そのほとんどが取るに足らぬこと&どうでもいいトリビア的なものではあるのだけれど、日々そのように割にぽこぽこと驚いているにも拘らず、これまたぼんやりと過ごしているので、驚いたことの内容じたいを忘れてしまって、つまりなんにも思いだせなくて、こんなふうに人生ってうやむやになって終わっていくのだろうなとこれまたぼんやりと思うのだった。」という文章に象徴されるような、“未映子”節がここでも健在なのであって、どうということもない内容の文章も、すらすらと楽しく読めるのでした。そこに流れているのは“ポップ”であろうという意識であり、実際に著者は何回かこの言葉を使っています。
そんな中にあって、新しい知識として入ってくる情報というものもあり、例えば、欧米人の整形は口を大きくすることであったり、震災をめぐる報道でクローズアップされるのは、家族や夫婦といった社会的に認められた関係にある人々ばかりだったと哲学者の中島義道さんがある雑誌にお書きになっていて、「行方不明の恋人を探す」場面や「避難所で暮らす同性愛者たち」らはマスコミから排除されていたり、アメリカに『妊婦バービー』という人形が存在していたことであったり、そしてまた『妊婦バービー』が販売中止の追い込まれた理由が「バービーが結婚指輪をしていなかったから」という理由であったことだったり、それを聞いた著者が「みんなけっこう暇なんだなー」という感想を持ったり、妊婦が避けて通れない経験というのが「尿漏れ」だったり、それを防ぐ唯一の方法というのが「あッ、と思ったら足をさっとクロスさせてやり過ごす」というものだったり、「そして一度笑ってしまえば最後、もうなにを見ても可笑しくなって、たとえば『おうどん』と書かれてある看板を見ただけで足クロス。どこかがバカになってるに違いない。このあいだ銀座駅のホームでおなじように足をクロスさせて微動だにしない妊婦と目があって『大丈夫か』『大丈夫だ』『頑張れよ』『お前もな』みたいな感じでどちらからともなく無言のまま力強く肯きあったのが印象的だった。」と著者が書いていたり、震災から数カ月、テレビや政府の公表を鵜呑みにせずにネットなどを駆使して能動的に情報を収集する習慣のある人と、そうでない人の行動の差を感じるのが増えてきて、前者は圧倒的少数であると書かれていたり、外国の夜は美しいと書かれていたり、著者が「さよなら原発 5万人集会」に参加していたり、黙読する人は、頭の中で音にしている人と、目だけで済ます人の2種類がいるということだったり、本1册を出して著者が受け取れる印税は例外を除けば一律で1割、そこから税金とか消費税とかが引かれるので、まあ1200円の本ならだいたい印税は100円ぐらいで、刊行から約2ヶ月以内に振り込まれることだったり、著者が“ちょっとした笑顔”が“大きな笑顔”よりも好きだったり、姉のサイン帳に「鮭は身よりも皮が好きです」とイラスト付きで書いていた子が自殺したことだったり、小5の時の作文で著者が「自分だけじゃなくて、まわりのみんながいつか死んでしまうのがこわい。いなくなるのがこわい。こんな考えかたはずるいかもしれないけれど、そのことを思うと、わたしはお母さんよりも先に、誰よりも先に、死んでしまいたいと思う。でも、よく、わかりません」と書いたら、担任の先生が著者の名前を厳しい顔で呼んで立たせ、それから大きな拍手をしてくれ、「その考えと気持ちをずっと忘れないでください。素晴らしい作文でした」と言ってくれたりしたことなどなどでした。こうして書いてみると、これは新たな情報というよりは、読んでいて心に響いてきたあれこれといった感じで、そうしたものがたくさん詰まっている本だと言えるでしょう。未映子さんの文章、私は好きです。
→Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)