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斎藤美奈子さんのコラム・その76&前川喜平さんのコラム・その37

2021-02-10 11:38:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず去年の2月3日に掲載された「数のマジック」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「東京都の新型コロナウイルス新規陽性者数は減少を続け、二日は五百人代だった。緊急事態宣言が奏功したのだとしても減り方が急すぎる。ちょっとおかしくない?
 検査方法が変わったためだという意見がネット上では取りざたされている。一月二十二日、保健所の負担軽減策として、東京都は「積極的疫学調査の規模を縮小する」との方針を保健所に通知した(神奈川県も同様の通知を出している)。それが関係していると。
 積極的疫学調査とは、陽性者からの聞き取りで濃厚接触者を追跡する調査のこと。市区町村をまたぐ濃厚接触者も、勤務先の濃厚接触者も調査しない。感染の疑いが濃い部分の検査をやめたら無症状の感染者はノーカウント。見かけ上の陽性者はそりゃ減るよね。
 以上を私は都の保健所員の悲鳴のようなツイートで知った。PCR検査態勢が不十分な上、濃厚感染者の調査まで放棄したら、無症状の市中感染はさらに広がる。このままでいいのか、と。
 見かけ上の陽性者の減少は人々を安堵(あんど)させる。GoTo事業を再開させたい、東京五輪も開催したい、そのためには感染者を一人でも少なく見せたい。為政者のそんな思惑とも一致する。
 疑心暗鬼かもしれないが、それでもやはり事実を知りたい。都の検査方針の変更と陽性者減の間に因果関係はないのだろうか。」

 そして、2月10日に掲載された「女は黙ってろ」と題された斎藤さんのコラム。
「さすがに「わきまえた」方たちだ。本紙九日の報道によると、五輪組織委員会で森喜朗会長の辞任を求める理事は一人もいなかったそうだ。よほどみなさま鈍感か、率直な意見が言えない空気に支配されているのだろう。
 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言を要約すれば「女は黙ってろ」である。性差別に当たるだけでなく、これはあらゆる異論うや反論を封じる言論弾圧効果を持つ。
 森氏が会長職にとどまるデメリットは計り知れない。「女は黙ってろ」が今後もまかり通る。抗議しても無駄なんだという無力感を若い人や子どもたちに植えつける。日本は性差別を容認する社会だというイメージを国際社会にまき散らす。
 逆に森氏が辞任するメリットは大きい。日本社会は性差別を許さないという強いメッセージが共有される。「女は黙ってろ」が通用しなくなる。今まで黙っていた人に勇気を与える。市民が声をあげれば変わるのだというレガシーが残る。
 余人をもって代えがたい? そんなの「だから何?」である。代替不能な要人なら差別も許されるなんて理屈が通用するわけないだろう。
  「世界中の人々の多様性と調和」を謳(うた)う組織のトップが性差別主義者であるという、笑えない事実。私たちが変えようとしているのは、この組織委のような社会の慣習なのだ。」

 また、2月7日に掲載された「偉大なる過去の遺物」と題された前川さんのコラム。
「病と闘いつつ、東京オリ・パラに向け尽力する森喜朗氏。その情熱には頭が下がる。首相も務めた大政治家。自民党の大派閥、清和政策研究会の領袖(りょうしゅう)だった森氏は、文教・スポーツ分野のドンとして君臨してきた。安倍・菅政権の文科大臣六人中五人が清和研。スポーツ庁長官も二代続いて森氏に近い人物だ。
 日本の教育は森政権を境に右傾化した。森政権の教育改革国民会議が2000年に提言した教育基本法の改正と道徳の教科化は、それぞれ第一次安倍政権、第二次安倍政権で実現した。安倍政権は森政権の戦前回帰的な教育政策を忠実に継承したと言ってよい。
 「女性のいる会議は時間がかかる」などの発言で女性蔑視を露呈した森氏には、もともと失言が多い。「日本は天皇と中心にする神の国」「教育勅語には時代を超えて普遍的哲学がある」「子どもをつくらない女性を税金で面倒を見るのはおかしい」「国家も歌えない選手は日本代表ではない」など。そこに露呈した森氏の信条は、神話的国体観念、滅私奉公、忠孝の道徳、家父長制秩序、男尊女卑など、恐ろしく復古的だ。個人の尊厳に根ざす日本国憲法の精神とは全く相容(あいい)れない。
 森氏は謝罪会見で自らを「粗大ごみ」に例えたが、僕は「偉大なる過去の遺物」と呼びたい。現代に存在しうる余地はないからである。」

 どれの一読に値する文章だと思いました。