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中島京子『小さいおうち』その1

2012-02-05 09:45:00 | ノンジャンル
 朝日新聞の特集記事「読んで感じる 時代の声」の中で紹介されていた、中島京子さんの'10年作品『小さいおうち』を読みました。
 わたしは生涯女中務めをしてきて、最後に務めた家の娘が出版社で働いていたことから、家事読本を執筆することになり、出版されたその本はベストセラーになります。それをきっかけに、わたしは書き残しておきたい自分の体験を綴り始めます。
 故郷の山形から14才で上京してきたわたしは、最初の女中先として有名な小説家に務め、翌年小説家の知り合いの娘さんに幼い子供がいて大変だということで、サラリーマンの平井家の女中となります。平井家の時子奥様は、最初の夫を不慮の事故で亡くした後、その夫との子・恭一ぼっちゃまを連れて、22才で昭和7年に平井家へ嫁いだのでした。時子奥様はモダンな方で、わたしの憧れの人となり、奥様もわたしを信頼し、親切に接してくれるようになります。将来はわたしを立派な家にお嫁に出すことを夢とする奥様は、一時はわたしを夜間の女学校に通わせようとしますが、恭一ぼっちゃまが小児マヒにかかってしまい、その話は立ち消えになります。やがて、旦那様が重役を務める会社の社長さんの鎌倉の別荘に一家が招かれた時、会社の若いデザイナー・板倉さんと奥様は出会います。ここまで書いた辺りで、わたしの甥の次男で大学生である健司がわたしのノートを盗み読んで、戦争中だったのにこんなに生活が明るかったはずがないとわたしを責めますが、わたしは健司が何も分かっていないと思うのでした。
 平井家が住む家は、郊外の丘の上に立つ赤い屋根のモダンな家で、正月になって板倉さんが初めて訪ねてくると、以後板倉さんは度々訪れるようになり、盛んに家の細部をデッサンしていきます。その頃、旦那様が性的に不能であることを、わたしは偶然に知ります。2年後の万博の入場券が売り出され、東京オリンピックの開催も正式に決定されますが、この頃が平井家の一番よかった時でした。やがて旦那様の帰りが遅くなり、常に眉間にしわが寄るようになります。万博もオリンピックも延期となり、旦那様の会社の金属玩具の国内向けの製作も禁止され、大工場は閉鎖されます。ある日、台風で旦那様が帰れなくなった夜、板倉さんが訪ねてきてくださり、2階の壊れた窓を板で打ち付けてくれ、一晩泊まっていきます。わたしには50過ぎの男との縁談が来ますが、嫌がるわたしの気持ちをくんだ奥様が旦那様に断ってくれました。
 やがて旦那様の会社の紙製・木製の乗り物玩具がヒットし、旦那様は自信を取り戻します。ある日、鎌倉へ奥様と恭一ぼっちゃんを迎えに行くのに、少し早く発って潮風でも吸ってきなさいと旦那様に言われたわたしは、長谷の大仏を見に行って、そこで奥様と恭一ぼっちゃんと一緒に板倉さんが歩いているのを見かけてしまいます。しばらくすると倹約を主張する旦那様と奥様との間に口ゲンカがよく起こるようになりますが、日米開戦により世の中はぱっと明るくなるのでした。
 ある日、恭一ぼっちゃんがケンカをして目に青あざをつけ、先生の手紙を持って帰ってきます。その手紙には「お前の母親が若い男と歩いているのを見た」とケンカ相手に言われたと書かれていて、それを読んだ奥様はひどく動揺されます。やがて板倉さんは召集され、東京を去る最後の晩を平井家でもてなします。翌日奥様はどこかに外出しようとしますが、板倉さんに会いに行こうとしていると思ったわたしは、奥様を止め、明日訪ねてきてくれるよう板倉さんに手紙を書いてほしいと言い、それを板倉さんに渡しに行きます。そして翌日板倉さんは訪ねてくることなく東京を去り、それが奥様の恋愛事件の最後となりました。
 それ以来、わたしと奥様との間に距離ができるようになり、ある日、中学進学が決まった恭一ぼっちゃんがふざけて私の胸をもむ事件が起こります。それを見た奥様はわたしを故郷の山形に帰すことを決心するのでした。(明日に続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

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