記憶に残る一日となった。
毎年この時期、剪定作業がある。
とある所の並木をイルミネーションで飾る為に剪定をする。
「飾るのに剪定?」
と、不思議に思われる御仁も居られると思うが、
これ結構大変。
まぁ、早い話がボランティア的な行事なのだが、予算がない。
それ故に、剪定作業をかって出て、イルミネーションの費用を捻出させる。
今年で6年目を迎えた活動である。
しかし、今年はのっぴきならない事情で、規模を縮小して飾りつける。
これが今日の
“ターニングポイント”
だった。
昨年まで、すべての並木に飾りつけをしていたのだが、
今年は約3分の1程度。
飾り付けをするなら、その“枝ぶり”もデザイン的に重要で、
僕のような美的感覚が研ぎすまされた人間なら、
「う~ん、あの枝は、あと5センチ切らないといけない!」
とかいって、時間を潰すのであるが、
今年は、早い話が剪定に熱中というか、明日のことなんて考えないで、
大胆な、ただただ大胆な伐採をすることができるのである。
そして二つ目の“理由”が、ターニングポイントに重なる。
理由と書いて“わけ”と読むこの要素こそが、
あとから考えれば、悲劇の最後の引き金となった。
その理由とは?
参加者が劇的に少なかったのである。
昨年の約3分の1
伐採作業に集中できるとは言っても、あまりに少ない人数。
「明るいうちに終われるか?」
朝集まった時から、走馬灯のように、
夕焼けを見ながらの作業が脳裏をよぎる。
“去年までの2倍の、いや、3倍のスピーディーな作業こそ大事!”
と、人知れずスピードアップを図った。
敏感な人なら、僕の手が3倍のスピードで動いている事も
気付いてくれたかも知れないが、周りを見渡すと、
誰もがもくもくと作業をこなし、
約5.5倍のスピードで枝を伐採していく。
「よぉ~し、わたくしもぉ!」
と気合を入れた瞬間、
“イタっ!”
みるみる内に、軍手が鮮血に染まる。
枝を切らずに、指を切ってしまった。
6年目にして、はじめての出来事だった。
毎年この時期、剪定作業がある。
とある所の並木をイルミネーションで飾る為に剪定をする。
「飾るのに剪定?」
と、不思議に思われる御仁も居られると思うが、
これ結構大変。
まぁ、早い話がボランティア的な行事なのだが、予算がない。
それ故に、剪定作業をかって出て、イルミネーションの費用を捻出させる。
今年で6年目を迎えた活動である。
しかし、今年はのっぴきならない事情で、規模を縮小して飾りつける。
これが今日の
“ターニングポイント”
だった。
昨年まで、すべての並木に飾りつけをしていたのだが、
今年は約3分の1程度。
飾り付けをするなら、その“枝ぶり”もデザイン的に重要で、
僕のような美的感覚が研ぎすまされた人間なら、
「う~ん、あの枝は、あと5センチ切らないといけない!」
とかいって、時間を潰すのであるが、
今年は、早い話が剪定に熱中というか、明日のことなんて考えないで、
大胆な、ただただ大胆な伐採をすることができるのである。
そして二つ目の“理由”が、ターニングポイントに重なる。
理由と書いて“わけ”と読むこの要素こそが、
あとから考えれば、悲劇の最後の引き金となった。
その理由とは?
参加者が劇的に少なかったのである。
昨年の約3分の1
伐採作業に集中できるとは言っても、あまりに少ない人数。
「明るいうちに終われるか?」
朝集まった時から、走馬灯のように、
夕焼けを見ながらの作業が脳裏をよぎる。
“去年までの2倍の、いや、3倍のスピーディーな作業こそ大事!”
と、人知れずスピードアップを図った。
敏感な人なら、僕の手が3倍のスピードで動いている事も
気付いてくれたかも知れないが、周りを見渡すと、
誰もがもくもくと作業をこなし、
約5.5倍のスピードで枝を伐採していく。
「よぉ~し、わたくしもぉ!」
と気合を入れた瞬間、
“イタっ!”
みるみる内に、軍手が鮮血に染まる。
枝を切らずに、指を切ってしまった。
6年目にして、はじめての出来事だった。