今さらながら、自覚しなければならないだろう。
「あえて言おう! 私は“バカ”であると!」
世間知らずと言おうか、僕は自分に自信が持てないヤツなのである。
そしてそれは、全ての事において“バカ”が発揮される。
“頭が良い人”
とは、もちろん勉強が出来ることにこした事はないが、
そんな事よりも、回転が早いと言うか、スマートな立ち振るまいが出来る
人の事だろうと思う。
勉強でも赤点常連だった僕だが、立ち振るまいの点においても
まったく及第点には達していないのである。
年齢を重ねてくると、様々な場面で“リーダーシップ”を求められるが、
僕は、その重責に絶えられない。
必死に繕おうとしてはいるが、わかる人には分かるらしい。
「こいつは、そんな玉じゃねぇ!」
違いの分かる人。そんな人には見透かされてしまうのだ。
以前にもこのブログで
『僕の意見は、ダメ出しされる事が多い』
と、書いた事があったが、それは僕の意見が“偏った”意見で、
世間一般の考え方と違うと思っていたが、
そもそも“バカ”だと言う前提を忘れていた。
大した実績も経験もないヤツの意見を、真剣に聞く人はいないだろう。
ましてや自立していないヤツの言う事なんて、たかが知れているのである。
ただ、救いがあるとすれば、
少し遅きに喫した感は否めないが、この歳になって、
「自分は何も知らない」
と、分かったこと、知っている事だろうか。
かのアリストテレスはこう言った。
“何も知らないことを知ることこそが、真の知を知り得るみなもとだ”
『無知の知』である。
偉い人の言葉だが、勝手に解釈して簡単に言い直せば
自分は無知であるが、無知であると言う事は分かっているって事。
背伸びしても、疲れるだけである。
自分の身の丈にあったモノの言い方をしなければ、
いつかはメッキが剥がれるだけなのである。
変に知ったかぶりで、周りに迷惑をかけるなら、
「知りません」
と、正直に言える方がいいのだろう。
あれ?
無知の知は、アリストテレスだったかな?
ソクラテスか?
そうだ、アリストテレスは「トリビアの泉」のオープニングだった。
「人は生まれながらに知る事を欲する」
そう言えば、「トリビアの泉」って放送終ったらしい。
ホント、僕は何も知らない。
「あえて言おう! 私は“バカ”であると!」
世間知らずと言おうか、僕は自分に自信が持てないヤツなのである。
そしてそれは、全ての事において“バカ”が発揮される。
“頭が良い人”
とは、もちろん勉強が出来ることにこした事はないが、
そんな事よりも、回転が早いと言うか、スマートな立ち振るまいが出来る
人の事だろうと思う。
勉強でも赤点常連だった僕だが、立ち振るまいの点においても
まったく及第点には達していないのである。
年齢を重ねてくると、様々な場面で“リーダーシップ”を求められるが、
僕は、その重責に絶えられない。
必死に繕おうとしてはいるが、わかる人には分かるらしい。
「こいつは、そんな玉じゃねぇ!」
違いの分かる人。そんな人には見透かされてしまうのだ。
以前にもこのブログで
『僕の意見は、ダメ出しされる事が多い』
と、書いた事があったが、それは僕の意見が“偏った”意見で、
世間一般の考え方と違うと思っていたが、
そもそも“バカ”だと言う前提を忘れていた。
大した実績も経験もないヤツの意見を、真剣に聞く人はいないだろう。
ましてや自立していないヤツの言う事なんて、たかが知れているのである。
ただ、救いがあるとすれば、
少し遅きに喫した感は否めないが、この歳になって、
「自分は何も知らない」
と、分かったこと、知っている事だろうか。
かのアリストテレスはこう言った。
“何も知らないことを知ることこそが、真の知を知り得るみなもとだ”
『無知の知』である。
偉い人の言葉だが、勝手に解釈して簡単に言い直せば
自分は無知であるが、無知であると言う事は分かっているって事。
背伸びしても、疲れるだけである。
自分の身の丈にあったモノの言い方をしなければ、
いつかはメッキが剥がれるだけなのである。
変に知ったかぶりで、周りに迷惑をかけるなら、
「知りません」
と、正直に言える方がいいのだろう。
あれ?
無知の知は、アリストテレスだったかな?
ソクラテスか?
そうだ、アリストテレスは「トリビアの泉」のオープニングだった。
「人は生まれながらに知る事を欲する」
そう言えば、「トリビアの泉」って放送終ったらしい。
ホント、僕は何も知らない。