おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

ゆとり

2007年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
教養か? 娯楽か?

幼少の頃、うちのトイレには短冊がおいてあった。

何のため?

もちろん“俳句”を作る為である。
家族の中に俳人が居たわけでもなく、両親も学校の先生じゃない。
気持ちのゆとりと言うか、穏やかに時間を過ごす狙いがあったと、
勝手に思っている。

それの名残りだろうか?

今、うちのトイレには様々な“名言”が貼付けてある。

毎日、それを声に出して読む事が、僕の日課となっている。

最初に貼り出したのはオヤジだった。
般若心経に始り、ありがたい説法なんかが貼ってあった。

これも毎日読んでいると頭に入ってくる。

喫茶店で気がつけば“般若心経”を口ずさんでいた時があった。
結構、はっきり。

恥ずかしかった。

しかし、この名言を貼付けるってのは気に入っている。
僕も名言を探してみる。

以前テレビで見て、ずっと気になっていた詩があった。
それをネットで見つけトイレに貼る事にした。

茨木のり子さんの“自分の感受性くらい”と言う詩である。


その一節に、

“苛立つのを近親のせいにはするな 
   なにもかも下手だったのは わたくし”

とある。

オカンはこの一節だけを執拗に取り上げ、


 
「ええこと、書いてあるわぁ!」

 
と。


それを聞いて苛立つのも、僕の日課となっている。

 




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