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日々の暮らしのなかで

理由(わけ)

2008年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ハンドルを握る手は小刻みに震え、
視界は溢れ出す涙でゼロになった。
 
見逃せない、見逃すことの出来ない一瞬が人生の中にある。
 
小田和正の歌と共に、幸せなそうなスナップ写真が
流れるコマーシャルをご存知か?
人生のひとコマがそこにある。
たった一枚の写真であるが、その表情からは
様々な想像や、まるで声まで聞こえてきそうな
なんとも言えない一瞬がある。
 
時として、
期待も準備も、ましてや想像もしていなかった場面に
遭遇することがある。
それは時間が止まったような、ゆっくりと流れる
空間なのだ。
 
時間にして1秒に満たない時間。
 
仕事をいつもより早めに切り上げた僕は、
土曜の午後をゆったりとした気分で車を走らせた。
何事もない、ありふれた日常だ。
いや、日常だった。
 
車を走らせていると、何やら人影が。
 
「なんだろう?」
 
徐々に近づいていく。
車の整備工場のようだ。シャッターが閉まった玄関の横、
彼は流し台に頭を下げている。
徐々に近づく僕の車。
 
時間にして1秒、いや、もう少しだけ長かったかも知れない。
特に気を魅かれることもなく、
かといって、見過ごすこともなく、
時速にして50キロ。
走りながら彼の行動を横目に見た。
 
洗っていた。
長靴を一心不乱に洗っていた。それも裏底を。
 
500メートルほど走ると、信号が赤になった。
 
ブレーキに足をかけ、ゆっくりと止まる。
もう少しで停車する瞬間、僕は感情を堪えることが
出来なくなった。
 
大爆笑。
 
長靴の底をなぜ、あんなに全力で洗わなければ
ならないのか?
幸いにも窓は閉まっていたので、僕の奇妙な笑い声は
外には出ていかなかった。
 
彼の行動を何度も何度も思い出しながら、
その理由(わけ)を色々と想像してみる。
その度に、笑いがこみ上げ、
ハンドルを握る手は小刻みに震え、
涙が止まらなくなった。
 
腹も痛い。
 
笑いが収まるまでと、路肩に車を止めた。
 
あんなに笑ったのは、
多分、今月になって初めてだった。