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自分の頭ですからね

2012年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム
症状はゆっくりではあるが、確実に進行している
 
物々しい書き出して始めてしまったが、
今回は、僕のハゲ頭のお話
 
小さい頃は剛毛で
まさか自分が波平になろうとは夢にも
思わなかったが、いまさらこの現状を嘆いてみても
屁も出ない
 
プロフィール画像はもちろん、実写を
デザイン化したものだが、結構毛があるように
見えるこの時点でも
誰よりも早く降り始めた雨を感知できるほど
頭頂部は薄かったはずだ
 
ブラマヨ・小杉のように、それで金を稼げるほどの
価値もない僕の頭を見ながら、
いつか来る“つるっぱげ”の日に怯えている
 
話は逸れるが
 
「ここはどんな作戦が考えられますか?」
 
ノーアウト1塁の状況で、実況アナが
解説者に聞いた
 
「逆に何が考えられますか?」
 
聞き返した解説者は故村山実氏
 
盗塁、エンドラン、送りバント・・・何通りかの作戦を
口にするアナウンサーに
 
「『なにもしない』って作戦がありますよ」
 
この話は誰に言っても賛同を得ないのだが、
僕としては、この解説に目から鱗だったのを
鮮明に覚えている
 
これとハゲと何を関連づけようとしているのか?
 
自ら剃り落とした“スキンヘッド”ではないとしても、
ハゲ頭も、ひとつの“髪型”ではないのか!と言うことを
言いたいのだ
 
髪の毛があるから髪型を作る
なら、無いのなら、それを利用したのも
いわゆる髪型と言ってもいいのでは?
 
と、自分に言い聞かせてはいるが、
それでも怯えるのには、訳がある
 
大頭と形
 
万人が認める大きな頭と、不細工な形
毛髪で隠れている時はいいものの、
丸坊主時代だった中学生のころに、
僕の“絶壁”は発見され、それ以来、数あるコンプレックスの
レパートリーの中におさまった
 
よく、“禿げているのにかっこいい”外国の俳優を
引き合いにだす事がある
 
あれは、僕に言わせれば
「禿げていてもかっこいい」のではなくて、
「禿げているからかっこいい」のだ
似合う髪形、似合わない髪型あるように
ハゲ頭も、似合う・似合わないがある
 
ハゲ頭をひとつの髪型として受け入れたい自分がいる反面、
あまりに歪な、そして大きな頭が
世間にさらされる怖さが常に脳裏にある
 
もうひとつ
 
僕が薄毛の人をからかっていると
 
「久太郎さんも他人(ひと)のこと、言えませんよ」
 
ありがたい忠告をくれる人がいるが、
知ってます
自分の髪が、やばいことは
知っています
 
自分の頭ですからね