一日のシメとしてのメシは重要な位置をシメる。
仕事が終って、煙草の煙りをくゆらせながら帰路につく頃、
胃がもう限界だと、大脳へと指令を送る。
(あぁ、腹へったなぁ)
今の時期だと、温かそうな湯気が立ち上る光景を思い浮かべ、
腹を鳴らしながら家の中に入ると、今度は臭覚を刺激されるわけだ。
(カレーかぁ!)
臭覚で食欲を刺激されるモノの代表格。
が、最近は若い頃のように、臭いだけで何杯でも食べられる食欲を
持ち合わせていない。
カレーだったら、以前は必ず
“おかわり”
をしていたが、最近ではまず“おかわり”はしない。
ただ、やっぱり見た目よりは“臭覚”が食欲を刺激する事は否定しない。
「おばちゃん、今日の晩ごはんは何ぃ?」
昔は、子どもが外ではしゃぎまわり、
ドラマで見かけるような
「○○ちゃん、ごはんやでぇ! 早よぉ、帰ってきぃー」
夕方になると、必ず何処かでオカンの声が聞こえたもんだ。
で、近所の悪ガキが台所の窓から顔をだして、
うちのオカンに晩ご飯の献立を聞く。
「おばちゃんとこは、野菜炒め」
「ふ~ん、うちは“ぐったき”やなぁ!」
“ぐったき?”
料理にも色々ある。地方によっても違うだろうし、同じモノでも
呼び方が違うって事もあるだろう。
それにしても“ぐったき”とは?
これは方言の部類に入るのだろうか?
説明によると、この“ぐったき”なるものは、スキヤキの肉が少なめ、
野菜多めの、煮物のようなモノだと理解した。
見た事がないから、想像するしかないが、たぶんそんな感じだろう。
そういえば、内にも内だけでしか通じない料理がある。
“あまから”
ローカル料理と言うよりも、パーソナル、いや、
独自なネイミングをしただけの、簡単な料理だ。
ちくわを輪切りに、かまぼこをスライスして、
醤油と砂糖を使って炒めるだけの料理だ。
小学生の時にはこれがお気に入りだった。兄弟で争うように
争奪戦を繰り広げた。
そして誰ともなく“あまから”と命名した。
それがいまだに、“あまから”で通っている。
醤油がこげた香ばしいニオイと、安価であるからこその
大盛りのあまから。
人に説明する時は、どういえばいいのかな?
まぁ、説明するほどの料理ではないが、
晩ごはんの食卓にならんでいると、
あの慌ただしかった夕食風景が甦る。
仕事が終って、煙草の煙りをくゆらせながら帰路につく頃、
胃がもう限界だと、大脳へと指令を送る。
(あぁ、腹へったなぁ)
今の時期だと、温かそうな湯気が立ち上る光景を思い浮かべ、
腹を鳴らしながら家の中に入ると、今度は臭覚を刺激されるわけだ。
(カレーかぁ!)
臭覚で食欲を刺激されるモノの代表格。
が、最近は若い頃のように、臭いだけで何杯でも食べられる食欲を
持ち合わせていない。
カレーだったら、以前は必ず
“おかわり”
をしていたが、最近ではまず“おかわり”はしない。
ただ、やっぱり見た目よりは“臭覚”が食欲を刺激する事は否定しない。
「おばちゃん、今日の晩ごはんは何ぃ?」
昔は、子どもが外ではしゃぎまわり、
ドラマで見かけるような
「○○ちゃん、ごはんやでぇ! 早よぉ、帰ってきぃー」
夕方になると、必ず何処かでオカンの声が聞こえたもんだ。
で、近所の悪ガキが台所の窓から顔をだして、
うちのオカンに晩ご飯の献立を聞く。
「おばちゃんとこは、野菜炒め」
「ふ~ん、うちは“ぐったき”やなぁ!」
“ぐったき?”
料理にも色々ある。地方によっても違うだろうし、同じモノでも
呼び方が違うって事もあるだろう。
それにしても“ぐったき”とは?
これは方言の部類に入るのだろうか?
説明によると、この“ぐったき”なるものは、スキヤキの肉が少なめ、
野菜多めの、煮物のようなモノだと理解した。
見た事がないから、想像するしかないが、たぶんそんな感じだろう。
そういえば、内にも内だけでしか通じない料理がある。
“あまから”
ローカル料理と言うよりも、パーソナル、いや、
独自なネイミングをしただけの、簡単な料理だ。
ちくわを輪切りに、かまぼこをスライスして、
醤油と砂糖を使って炒めるだけの料理だ。
小学生の時にはこれがお気に入りだった。兄弟で争うように
争奪戦を繰り広げた。
そして誰ともなく“あまから”と命名した。
それがいまだに、“あまから”で通っている。
醤油がこげた香ばしいニオイと、安価であるからこその
大盛りのあまから。
人に説明する時は、どういえばいいのかな?
まぁ、説明するほどの料理ではないが、
晩ごはんの食卓にならんでいると、
あの慌ただしかった夕食風景が甦る。